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教会で、それから少年と:ヨハネ

 天使像のある広場を右に曲がり、しばらく歩いて、正面にレンガ造りの建物を見たとたん、ヨハネは思った。

 ……ここ、知ってる!

 たまらず小走りになる。大きな銀行の前を左に折れ、さらに先の小さな道に入り、建物の間をすり抜けて歩くと、ぽっかりと小さな空間が開いていた。

 ステンドグラスと、鐘つき堂と、裏手の小さな墓地が見えた。

 ヨハネの母は、信心深い女だった。皇帝は生まれた子供に一切の興味を示さないので、古い聖人の名を母がつけた。病であっという間に死んでしまった後、繰り返し訪れていたこの教会の墓地に葬られたのだった。

 ……こんな小さな建物だったんだ。

 ヨハネはひどく悲しくなった。伯爵家の家族がそばに居てくれないことが心細かった。彼らですら、いつまで自分のそばに居てくれるかわからない。自分はいつかまた、きっと一人ぼっちになるのだ。そんな気がしてきた。

 そのまましばらく、教会の小さな門の前にぽつんと立っていたヨハネの耳に、ひかえめな声が届いた。

「お祈りの方ですか? それとも、ステンドグラスを見学に?」

 いつの間にか教会の戸口に若い尼僧が立ち、ヨハネをうかがっていた。そちらに顔を向けると、彼女ははっと息をのみ、ぽっと顔を赤らめた。なのでヨハネも、貴族の態度を取り戻すことができた。

「僕……私は、ここに葬られているものの縁者です。久しぶりに来たので、お祈りをさせていただけないかと」

「まあ、そうですか」

 尼僧はそわそわしながら戸口を離れ、「こちらですわ」と教会横手から広がる墓地へとヨハネを手招いた。

 母は平民だが、皇子を産んだ女だ。その墓は墓地の一番奥にある。

 その墓の前に、先客が居た。褐色の肌を立派な衣服に包んだ2人が、声に気付いてこちらを振り向いた。

「ヨハネ?!」

「兄さん、姉さん」

 母の墓の前でぽかんと口を開けた2人は、伯爵家のジャムールとウィンビだった。

「あんた、どうしてここにいるの」

「姉さんたちこそ」

 案内してくれた尼僧が、あらお知り合いでしたかとつぶやいてそっと立ち去った。残されたヨハネは、2人に駆け寄る。

「兄さんたち、何でここのこと知ってるの?」

 2人は意外そうにした。

「小さいころ、なんべんかお前に聞いたぞ」

「フィオーレ教会で、鐘つき堂とステンドグラスのあるところでしょ? 馬車だまりでそう言ったら、すぐ乗せてってもらえたわ」

 そうだったろうか。全く覚えていなかった。少なくとも、ここ5年以上は口にした覚えがないからそれより前だ。

「帝都に来ることなんて何度もないだろうから、お前の母上にあいさつしとかなきゃと思ってさ」

「そんな時間の余裕、ないのかもとも思ってたんだけどね」

 そう言って慰霊のためのろうそくを墓の前に立てる兄と姉を見て、ヨハネはなんだか泣きたくなった。

「それよりお前、宮殿にいなくていいのか?」

「いいって言われた。第3皇子のシャリムって人いるでしょ、あの人にたまたま会って」

「ああ、有名な。じゃあ本当に大丈夫なのかしらね」

 姉は納得したが、兄は苦い顔だ。

「だからって、お供もつけずに外に出すか? なーんか、いやな感じだな」

「そう? うちの家だってそんなもんじゃない」

「そりゃ、うちはな。でも、そのシャリム皇子自身は、絶対1人で外歩いたりしないぜ」

「まあ、そうかもしれないわね。帝都の皇子様なんだから、護衛とおつきと、家来で行列作るのかも」

 兄と姉は妙な意見に傾きかけている。ヨハネは急いで顔の前で手を振った。

「そんなんじゃないよ。僕がいらないって言ったんだよ」

 優しそうに見えたあの異母兄を疑う真似をしたくなかった。

「皇子が山ほど来るせいで、宮殿いそがしそうだったよ。一人ひとりにかまってるヒマなんてないんだよ」

 兄と姉は、渋い顔ながら納得した。

「ほら、灯はお前がともせよ」

 2人は、教会の聖なる火を移したろうそくを先に受け取っていたようで、それをヨハネに差し出してきた。

 受け取り、墓前のろうそくに火を移して、祈りの姿勢をとる。兄と姉も同じようにした。

 ……母上、この人たちが僕の家族です。

 ……家には、母さんと父さんもいて、僕らの帰りを待ってくれています。僕は、幸せにやってますから、安心してください。

 実母の墓の前には、2人が持ってきたらしい、真新しい切花が置いてあった。

「しまった。僕、花買ってくるの忘れちゃった」

 そういえば、途中で花屋があるのを見かけた気がしたが、夢中で歩いてきたので花を持ってくることが浮かばなかった。

「俺たちが持ってきたけど、お前も買いに行くか?」

「近くに花屋さんあったわ。私たち、そこで買ったのよ」

「じゃあ、僕ちょっと走って花買ってくるよ。兄さんたちここで待ってて」

 領地にいるときと同じ気分で、ヨハネは兄たちに手を振った。思いがけず2人と合流して、安心してすっかり気が抜けていた。兄たちも「ああ」と返してきたので、そのまま墓地を出て教会の小さな門をくぐって表の道に出たとき、

 ふと、頭上に影が差した。

 あれ、曇ったかな。見上げたヨハネは、そこに巨大な昆虫の足を見た。

「危ない!」

「!」

 鋭い声と、体当たりされるのが同時だった。体当たりしてきた人の体ごと道に倒れた一瞬の後、振り下ろされた昆虫の足が地面にめり込んだ。

 クモを人より大きくしたような化け物が、道に立ってヨハネを見下ろしていた。

「立って!」

 声がした。自分を突き飛ばし、ともに倒れこんだはずの人物が、すでに体勢を立て直し、強く自分の腕を引っ張っている。

 ヨハネよりいくつか年下の少年だった。茶色い髪に、元のつくりはしっかりしていそうだがあちこち破れている服を着込んでいる。そして、抜き払った刀を右手に持っていた。

「立って! あれは化け物だ、逃げて!」

 刀を巨大な昆虫に向け、一歩も引かない姿勢をとりながら、背後のヨハネに声を投げる。

「あっ……」

 とっさに声が出なかったヨハネの耳に、新たな声が届いた。

「おい! どうした、何があった!」

「ヨハネ! ヨハネどこ!」

 兄たちが騒ぎに気付いたのだ。こちらに駆けてこようとしている。

「兄さん! 姉さん! 来ちゃダメだ!」

 叫んだヨハネと、刀を構えた少年の注意が一瞬そちらに取られた。大グモの足が鋭く振り下ろされ、

「うわっ!」

 少年はとっさにその足を受け止め、受け止めそこねて体勢を崩した。その彼のかたむいた上半身をかすめるように、灰色のものが吹き付けられた。

 えっ。そう思うのがやっとだった。灰色のものはヨハネの目の前で、一瞬にして大きく広がった。

 クモの巣だった。灰色の糸でできた、網のようなクモの巣だ。頭からヨハネを包み、髪に、肩に、背中に、べったりとへばりついた。

 体が浮いた。クモの巣がものすごい力で引かれたのだ。ヨハネの体はクモの巣ごと宙を舞い、大グモの胴体の上に墜落した。落ちたその瞬間、ぐにゃりとした嫌な感触があってヨハネは全身に鳥肌を立てた。

「その人を放せ!」

 少年が叫び、斬りつけた。刀が大グモの足に命中し、陶器がにヒビが入るような音が響く。クモの別の足が少年に振り下ろされ、彼は大きく一歩後退してそれを避けた。そのスキに、大グモはぞわぞわと8本の足を操り、すばやく体の方向を変えた。

「! 待て!」

 少年の声が聞こえるなり、大グモの足が再度動く。高速で、少年とは反対方向に移動を始めた。

 逃げるのか? どこへ? ……巣?

 ヨハネはぞっとした。とらえた獲物をゆっくり食べるつもりとしか思えなかったからだ。

 どっちにしろ、このままだと確実に死ぬ!

「待て!」

 まとわりつくクモの巣の外はよく見えないが、少年の声が追ってくる。ヨハネは少しほっとした。だが、彼がどれだけ頼れるのかはよくわからない。

 自分で何とかしないと!

 ベタベタした網にまとわりつかれてうまく動けない中、何とかポケットから符を取り出した。自分で作ったものではなく、領地の符術士に作ってもらったものだ。ヨハネには符術の才能があまりない。

「えい!」

 気合とともにかかげた符が、こともあろうにその場で火を吹き上げた。ヨハネを包む網と、大グモの背中を炎が焦がす。

「うそ! あつっ!!」

「ちょっ……!」

 ヨハネの悲鳴と、少年の半悲鳴が重なり、大グモもまたガラスをこするような声とともに足を止めた。横倒しになり、更なる悲鳴を上げながらのた打ち回る。化け物ごと地に倒れ、ぶよぶよした体の下敷きになりかけたヨハネは、

「動かないで!」

 鋭い声とともに、目の前に刀が振り下ろされるのを見た。ついで、地面の上をすばやく引きずられる。少年が自分と大グモの間にふみ込んできて初めて、体を包むクモの巣が化け物から切り離され、安全なところまで引き離されたのだと気付いた。

 少年の刀が、大グモの柔らかな胴を串刺しにする。ヨハネはそれを、べたべたしたクモの巣を引きはがして地面の上に起き上がりながら見た。

「何とかなったか……」

 大グモが砂のように崩れ去るのを見届け、少年がため息をついた。そしてこちらを振り返る。

「びっくりしたよ。燃え広がらなかったからよかったけど、すごい度胸だなあ」

「……あはは」

 少年は、自爆覚悟で攻撃したものと思い込んでいるらしい。あとさき考えてなかっただけとは言えず、ヨハネは笑ってごまかした。

「ケガはない? やけど大丈夫? 治癒の符とか持ってる?」

「あ、うん、僕は平気。きみのほうこそ」

「俺はなんとも」

 少年はヨハネの横にかがみこみ、体にへばりついたままのクモの巣を取るのを手伝ってくれた。

「ありがとう、おかげで助かったよ。本当に死ぬかと思った……」

 ため息とともに礼を言ってから、気づいた。

 しまった、素で話しちゃった。帝都では皇子らしくしなくちゃダメなのに。

「え、ええっと、……きみ、お城の人?」

「俺? 違うよ」

 よし、ならキラキラモードじゃなくてもいいや。

 安心したヨハネを、少年は急にじいっと見た。

「……何?」

 ポーっとみとれられることはよくある。だが、この時の少年の視線はそうではないように思えた。

「そっちは、お城の人だよな? 貴族だよな」

 少年は急に両手でヨハネの肩をつかみ、

「頼む、教えてほしい」

と言った。

「今、あのお城の中に、ローザって子はいるか?」

「ローザ?」

 ヨハネには首をかしげるしかなかった。

「ごめん、僕、今日初めて帝都に来たんだ。いるかいないか、わからない」

 少年の顔が目に見えて曇った。

「……そっか……」

「ごめん」

「いや、謝ってもらうことじゃない」

 少年はそう言ったが、ヨハネの肩から外された両手にはひどく力がなかった。

「どんな子?」

 つい、ヨハネは言葉をついだ。

「その、ローザって子。僕、しばらくお城にいることになるから、もし見かけたら教えるよ」

 少年の目が輝いた。

「いいのか?! ローザは……」

 そこで急に口をつぐむ。横手から金属音が耳に届いた。

 武装した一団が、こっちに走ってくる?

 ヨハネが思う間に、

「ごめん、俺、行かなきゃ」

 呼び止めるひまもなかった。少年はすばやく立ち上がり、金属音が迫るのとは反対方向へ、あっという間に走り去った。

 その姿が建物の角に消えるのと、騎士らしき者たちが路地を曲がってくるのが同時だった。

 ……騎士団だ。

 抜き身の剣をさげて現れたのは、至天宮の廊下ですれ違った一団だった。ヨハネが一目で気付いたのと同じく、彼らもまた、一目でヨハネを見分けたようだった。

「もしや、城においでだった皇子殿下では」

「まさか化け物に襲われましたか」

「おケガは? 誰か馬車を」

 彼らに助け起こされ、ようやく座り込んでいた地面から立ち上がったヨハネの耳に、

「ヨハネ! ヨハネ!!」

「どこ! 返事して!」

 兄と姉の悲鳴に近い声が届いた。

「ケガはない。家の者が私を探して……」

 ヨハネが言い終わる前に騎士が1人、兄たちの声のほうへと走って行った。

 一番格上らしい騎士が、うやうやしく礼をとる。

「殿下、城下には他にも化け物が出ているようでございます。我らとともに、至天宮にお戻りください」

 うなずきながら、ヨハネは今駆け去った少年のことを考えていた。

 見ず知らずの人なのに、追いかけてきて助けてくれた。命の恩人だ。

 ……ローザって、言ってたな。

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