表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/114

皇子の集まる帝都にて:シャリム・エドアルド

 各地の貴族に預けられた皇子たちが集まってきているせいで、至天宮の空気がいつもと違う。

 ……どうも落ち着かないなあ。

 自分の執務室に戻ったシャリムは、ため息をついて椅子に座り込んだ。

 ……始末の悪いことに、いつまでこれが続くかわからないんだよね。

 皇子たちが集まって……全員は集まらない。帝都に顔を出せない皇子が何人かいる……その上で父が号令をかけなければ、話は前に進まない。

 父から聞かされたのは、あの大きな決定だけ。

 さまざまなことがひっくり返ることになるのに、表だって動くことは今はできない。

 その上、やることは山積みなのに、次から次へと雑用が入ってきて仕事が前に進まない。

 表面上は平静を保っている兄フォルティシスも、内心では何を考えているかわからず、その機嫌も常にうかがってしまう。

 ……テレーゼ姉さんのほうは本当に何にも考えてないだろうけど。

 また、今の決定が突然ひっくりかえされる可能性だって、ないとは言えない。色々なことに備えておく必要があった。

 ……ああ、もう。面倒くさいなあ。

 長いため息をついたとき、

「かわいそうね、シャリム」

 シャリムは目を見開いた。部屋の向かい、ドアの前に、長い髪を揺らした少女の姿がある。口元に手を当てて微笑み、大きな瞳でシャリムを見ていた。

「……やあ、イリスリール姉さん」

 シャリムは唇をゆがめて笑った。

 あれは本物ではない。背後のドアがすけて見えているし、この4年間で実物ではない事はさんざんに確かめてきた。

 ……だからこれは、姉さんが僕らの心にまいていった何かなんだ。僕たちの何かを養分にして芽吹こうとする、何かなんだ。

「あの子たちは国政なんかに関わらず気楽にやってるのに、あなた1人がわずらわされて、かわいそう」

 フフフッと、たまらなく魅力的な、いたずらっぽい笑い声を上げた。シャリムも、姉に合わせて少し笑った。

「本当にかわいそうに。

 あなたには、兄さんや私やテレーゼのような才能はないのに。八方美人だけがとりえの凡人なのに。たまたま侯爵家の出だっただけで、重たい荷物を押し付けられて、かわいそうね」

「……ああ、知ってるよ」

 シャリムは、この数秒間でカラカラになっているのどに気付き、唇をなめた。

「それは僕自身が思っていることだ。僕は国政を負うような能力のない、ただの八方美人じゃないかってね。

 仕方ないよ。あの兄さん姉さんたちに囲まれてたらそんな気にもなるさ。

 でも、劣等感抜きなら僕、よくやってるほうだと思うよ」

 煙のように揺らめきながら、イリスリールは笑い声を上げる。

「さっきのあの子は、あんなに悠然と、帝都のつまんない政治なんか、関係ありませんって顔していたのにね」

 胸の奥に氷を差し込まれた気分だった。

 今しがた正門前で出会った、宮廷でもめったに見ないほどの美貌を持つ異母弟。

 ……母君はさぞ美しい方だったんだろう、そりゃあ父上も手を出すさ。

 そんな風にあきれるほど感嘆した。第3皇子である自分との対面に驚いたようではあったが、終始悠然とし、宮廷になど何の興味もない顔で、さっさと城下町に出て行ってしまった。

 ……気楽なもんだ。そう思ったのは確かだ。

「嫉妬ありならそうだね。

 でも、冷静に考えれば、彼は彼でたいへんだと思うよ。平民出身の母親の子への父上の態度はひどいもんだし、預けられた貴族の家で、どんな扱いを受けてるか知れたもんじゃない。

 表面だけ見てうらやむのはおろかなことだよ」

 そう言いながら、自分が一生懸命に息をしていることに気付いた。

「もう消えてよ、姉さん。僕いそがしいんだ。自分の薄汚い部分くらい、姉さんに突きつけられなくても知ってるよ」

 イリスリールは――イリスリールの幻影は、明るい笑い声を残して消えた。シャリムは大きく息を吐き出し、足に力が入りすぎて突っ張っていることに気付いた。数度足踏みした後、隣の部屋に控えている補佐官を呼び、

「お茶と、あと何か甘いものほしいな」

と言いつけると、補佐官が部屋を出ていくなり椅子の背にひっくり返った。

 ……兄さんや、テレーゼ姉さんのところにも、あれは現れているんだろうか?

 聞いてみる勇気はなかった。

 ……あんなものにささやかれてるのは、僕だけじゃないのか。

 そんな気がしてならなかったし、それが確かめられたら、あまりにみじめな思いをしそうだったからだ。



 エドアルドは、至天宮前の広場のベンチで、ぼんやりと町の様子をながめていた。

 いつもより人通りが多く、活気がある。皇帝の命令で、各地から皇子たちが集まってきているからだろう。

 皇子によっては、お供を山ほど引き連れてきている。その中にはかなりの数の貴族が含まれていて、宮殿には泊まらせてもらえない彼らのために、城下の大きな宿やら有名なレストランやらが、あっちこっちで貸しきられていると言う。さっきも、山ほどの食材を載せた荷馬車が、大急ぎの様子であちらのレストランに向かっていった。

 ……さっきのやつは、お供の貴族のほうだろうな。

 エドアルドは思っていた。やたらきれいな顔をした、ごく身なりのいい男に道をきかれて教えてやったが、あれは皇子とは思えなかった。

 ……フォルテに似てる要素が1つもなかったもんな。皇子が預けられた先の、大貴族なんだろう。

 ……あいつ、ちゃんとたどり着けたかな。

 思わず背伸びするようにして通りの向こうを見てしまったが、ずいぶん前に歩き去った彼の背が見えるはずはない。ここから数ブロック先の教会がこの近くだと思っていたあたり、帝都の地理にくわしくないのだろうが、道に迷ってはいないだろうか。

 雲がかかり、日がかげった。

 ……もう、昼すぎだな。

 フォルティシスに「見送りに来い」と言われ、城門前までつれてこられたのは、もう数時間も前のことだ。

「しばらく、帰れんかもしれん」

 夕べ彼はそう話し、今朝はやけに念入りに別れのキスをして私邸を出た。この城門前広場での別れ際、

「忙しいからって、ぶっ倒れるような無理すんなよ」

 そう一声かけたが、それが通用する状況なのかはわからない。

 フォルティシスに聞かされた現状が頭をめぐる。

 新しく名乗り出た異母妹のこと。

 そして、その少女についての、皇帝の決定。フォルティシスから聞かされた時は耳を疑い、すぐには信じられなかった。

 ……こんなことになるなんてな。あいつ、大丈夫なのか。

 ……俺がぐだぐだ考えてたって、どうしようもないんだけどさ。

 頭を振ったエドアルドは、ベンチの正面に人が立ったことに気付いた。

「もし、お若い方」

 ロングコートを着た、みなりのいい老紳士といった様子の男だった。

「少しお頼み申したいことが」

 そこまで言った声が、のどに突き刺された短剣によってすり切れるような音で消えた。彼が腰に帯びていた短剣をエドアルドが瞬時に抜き取り、間髪入れず突き刺したのだった。

「何の用だ、化け物」

 男の上体だけががくんと横に倒れたが、足はそのまま立っている。そして、クククククッと押し殺したような笑い声がした。コートのポケットのあたりからだ。

 地に身を投げ出すようにして横に跳ぶのと同時に、座っていたベンチが真っ二つになった。1つ転がった勢いで身を起こし立ち上がったエドアルドの目前で、男のロングコートが不自然に波打つ。

「そのお腰の刀、ずいぶんと良いものの様子。おゆずりいただけないかと」

 笑い含みの声が聞こえるコートのポケットめがけ、エドアルドは思い切りナイフを投げつけた。コートがそこだけ別の生き物のようにうごめき、ナイフは避けられて地に突き立つ。

 市民の悲鳴が耳に届いた。

「化け物だ!」

 くそ、騒ぎになる前に始末したかった。ちらっとそちらに目をやったエドアルドは、そこにアメンボを大きくしたような異形の姿を認めて息を飲む。

 化け物は、一体ではなかった。

 下級の降魔が、見えるだけで3体。上級降魔か、もしかしたら亜神かもしれない人の姿をしたものが1体。広場に現れていた。

 アメンボの巨大な足が、露天商の男をふみつけようとするのが目に映ったとたん、血が沸騰したようになった。

「その刀、」

 言いかけたロングコートのふところに一足で踏み込み、斜め下から一刀の元に切り捨てる。今度こそ砂のように崩れ落ちた化け物の本体が何であったかなど、気にもならなかった。

 ……くそ、遠い!

 広場のアメンボを振り返る。ナイフではとどかない。ポケットに手を突っ込み、フォルティシスから持たされている符を投げる。放たれた炎は、降魔に何のダメージも与えなかったが、その注意がこちらに向いたのを確かに感じ取った。ざかざかと6本の足を動かして、こちらに向き直るのを待たず、エドアルドはそちらに走り出した。

「来い、化け物。殺してやる」

 刀のつかにかかる手に、力がこもった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ