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ムエズィ伯爵家、帝都へ:ヨハネ

 帝都から遠く離れた片田舎、ムエズィ伯爵の領地に、一人の皇子が住んでいる。

 名を、ヨハネという。

 平民出身の母親を亡くして地方貴族に預けられた、皇帝の第12皇子だ。

 12皇子なのだと、ヨハネも周りも、信じ切って生きてきた。


 ムエズィ伯爵家の家族の居間で、皇子ヨハネは帝都からの手紙を広げて黙りこくっていた。

「ヨハネ、なんて」

 右に座った義兄の、褐色の顔がのぞき込んでくる。左側の義姉もだ。

 ヨハネは、白皙の美貌とたたえられる顔を情けなくゆがめ、カの鳴くような声をしぼり出した。

「なんか、帝都に来いって書いてある……」

「ホントか? ちょっと見せろ」

 義兄が手紙をひったくった。そのまま読もうとするのを、

「ジャムール、私たちにも見せてちょうだい」

「そうだ。みんなで見よう」

 伯爵である養母と、その夫である養父が向かいで言った。義兄ジャムールは、皆で囲んでいる丸テーブルの中央に手紙を差し出す。

「皇子位を持つものはすべて、至急、帝都至天宮へと来るべし、と」

 義姉ウィンビが、テーブルの上に身を乗り出して読み上げた。

「まあ、本当だわ」

 養母が褐色の手を頬に当てる。養父も、むうというような声をもらし、腕組みしてしまった。

「母さん父さん、僕、どうしよう……」

 『頼りない末っ子』がうろたえる姿に、義姉が冷静に口を開いた。

「この感じだと、ヨハネ一人が特別に呼び出されたってわけじゃなさそうね」

「だな。心配するなよヨハネ。お前がどうこうってわけじゃないさ」

 義姉と義兄が両側から肩をたたいてくれる。

「言っちゃなんだけど、お前はしょせん12人目だし」

「そうよ。上に11人もいる上に、しょせんうちは田舎の小さな伯爵家だもの。陛下は気にも留めていないでしょう」

 伯爵である養母がうなずく。

「でも、なんだろうなあ、全皇子が集められるって」

 養父が手紙を手に取ってながめた。

「皇子は、十何人かいるんだろう?」

「僕を入れて、17人」

 義兄があきれ笑いをもらした。

「……作ったなあ~」

「よしなさいよ兄さん」

 ウィンビがたしなめる。

「でも、よっぽどのことかもしれないわね。たとえば」

「たとえば?」

「……陛下がもう、亡くなってる、とか」

「あるいは遺言の公開?」

 ジャムールも言う。

「東宮殿下の廃嫡は? 陛下は今、好き嫌いで重臣の首をすげかえてるって言うじゃないか。それが東宮の身に及んでも……」

 養父も参加した。この一家はとかく討論が好きだ。そしてヨハネは、彼らがあれやこれやと話すその中に座っているのが好きだった。

 皇帝が政治の一線を退いているのではないか、病床にあるのではないかという推論が出たのも、この家族の討論の場だ。

「なんにせよ、陛下の名前で呼ばれた以上は行かないわけにはいかないでしょう」

 養母が判決を下すように言った。

「えっ……!」

 ヨハネは左右を見回し、

「一人じゃいやだよ! 誰かついてきて!」

 とりあえず隣の義兄の腕にすがると、彼はわりと簡単に「仕方ないな~」と折れた。

「母さん、俺ついてくよ。別にダメじゃないよな」

「お供を許さないとはどこにも書いてないしな」

 養父の方が、手紙をひらひらさせながら答えた。義姉ウィンビも、

「大事な皇子殿下に、伯爵家の人間がお供するのはおかしくないと思うわ。というわけで、私も行く」

 びしっと手を上げた。

「ほんと?! 姉さんも来てくれるの?!」

 さらに情けない声を出す末弟に、

「兄さんとヨハネだけじゃ心配だし、都を見てみたいもの」

 姉は冷静に言った。

「それじゃ、すぐに支度なさい。なにかいるものはある? まずは飛空艇の手配かしら」

「急いだ方がいい。うちは特に帝都から離れてるし、よその名家みたいに高速艇は持ってないからな」

 両親がさくさくと算段をし始めるのをよそに、右手に兄、左手に姉の腕を抱えたヨハネはほっと安堵の息をついた。

 ……兄さんと姉さんが来てくれるなら、安心だ。



 ヨハネがこの地に来たのは、4歳の冬だった。

 それまでの召使たちを供につけることを許されず、見知らぬ者たちに囲まれて高速艇に乗せられ、丸一日の空の旅ののちに降り立った田舎町で、待っていたのが彼ら4人だった。

 まずその外見にびっくりした。母親も自分も、帝都で自分たちに仕えていた少数の者たちも、みな白い肌に薄い色の髪だった。なのに彼らは、褐色の肌に真っ黒な髪をしていた。

「ヨハネ皇子殿下でいらっしゃいますね。わたくしたちが、新しい家族でございますよ」

 微笑み、ひざを折って話しかけてきた中年の女は、伯爵のジワと名乗った。

「おそれながら、これからは殿下のお母さまの代わりをさせていただきます」

 彼女の後ろには、立派なあごひげの男と、自分より少し年上の少年少女がいた。

「わたくしの夫のバハリと、息子のジャムール、娘のウィンビでございます」

「みな、殿下にお会いできるのを楽しみにしておりましたよ」

 あごひげの男が優しい目で言った。子どもたちもにこにことヨハネに微笑みかけた。

「私、ウィンビ! よろしくね」

「俺はジャムール」

 名乗った少年が、ふとヨハネが持っているものに気付いた。

「なに持ってるんだ?」

 ぱっと手から取り上げられ、ヨハネは「あ」と声をもらした。

「くしか。なんだかすごくボロいなあ。

 こんなのもう捨てて、母さんに新しいの買ってもらえよ。ピカピカのをさ!」

「兄さん!」

 少女が注意するより早く、

「返せよ!」

 ヨハネは彼の手からくしをひったくろうとした。反射的によけた少年は、それでもかなり驚いたようだった。ヨハネは再度くしに手を伸ばしながら、

「これ、これ、母上の……」

 そこでついに限界が来て、いきなり大声で泣き出した。

 少年はしまったという顔になった。その手からくしを取った男が、そっとヨハネの手を取ってくしを持たせた。

「そうですか、殿下のお母さまは、このくしに宿って殿下と一緒にいらっしゃったのですね」

 女が、優しく頭を撫でてくれた。

「大事なものを入れる、きれいな箱を差し上げましょうね。殿下の枕もとに置いて、いつもお母さまと一緒にいられるようにしましょう」

 少年はしゅんとなっており、少女がその肩を小突いていた。


 後になって分かったことだ。第12皇子の引き取り先に指定されたムエズィ伯爵家は大あわてで情報を集め、彼の母が平民のメイドの出身であること、その美しさから一気に皇帝の寵姫となったこと、子を産んだとたんに遠ざけられ、失意のまま病に倒れ、帝都のかたすみの小さな屋敷で世を去ったことなどを調べ上げていた。

「ひどいわこんなの。かわいそうよ」

「そうだな。私たちは暖かく迎えてあげよう」

「ジャムール、ウィンビ、弟として親切にしてさしあげるのですよ」

「わかった! 俺、弟も欲しかったんだ!」

 そうやってはりきった結果、帝都を追われる前日に実母のメイド仲間からこっそりと渡された、亡き母のたった一つの形見をひったくることになったのだった。



「帝都に行くなら、俺たちも立派な服を持ってったほうがいいよな」

「しわになるから、飛空艇に乗ってる間は普通の服ね」

 家族会議の場から出たジャムールとウィンビは、そんなことを言いながら、当然のようにヨハネの部屋に直行し、勝手にクローゼットを開けて礼装を取り出した。

「こんなこともあろうかと、あつらえといてよかったな」

「何事も予測と準備が大事よ」

 兄と姉はうなずき合っている。公式には、恐れ多くも皇帝陛下のご令息だが、この所領内ではいくつになっても頼りない末っ子扱いだ。

「他に何がいるかな。ていうか、皇子ってこういうときどうするの?」

 そしてヨハネ自身も、その扱いに気持ち良くなじんでいる。

「どうすんだろうなあ」

「宮廷での貴族のふるまい方は一応わかるけど、皇子様だとどうかしらね」

「よし、とりあえずほかの皇子たちを観察しよう」

「あと16人もいるのだものね。誰か一人くらい、堂々とうまくやってくれる人がいるはずだわ」

 兄と姉は、そんなことを言いながら末弟の荷物を作っていく。

「ほら、お前も、いるものつめとけよ」

「あ、うん」

「何日ぐらいかかるかしら」

「長期になったら困るね」

「そしたら、あっちでいろいろ調達するしかないかな」

 2人と話しながら、ヨハネは枕元の箱を開けた。

 中には、きれいな貝や、すき通った石や、美しく赤い紅葉などとともに、古びたくしがおさめられている。

 ……帝都か。

 くしをながめながら、考えた。

 もう何年ぶりになるだろう。実母と暮らした場所ではあるが、悲しい思い出ばかりだ。本当なら一生、足をふみ入れたくなかった。

 少し考えてくしを取り、胸ポケットにおさめた。

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