帝都、文官の異母弟、変人の異母妹、家で待つ飼い犬:フォルティシス
同じころ、フォルティシスは異母弟シャリムだけを呼び、廊下を歩きながら今後の指示を与えていた。
「一番警戒しなくちゃならないのは、ローザヴィがイリスリールのようになることだ。俺が戦場に出ている間は、気を付けて見ておけ」
「テレーゼ姉さんには、そういうことわかんないものね……」
シャリムはため息をついている。
「俺からと偽ってお前たちを砦に呼び出したやつのことは、調べはついたか」
「まず、あれを受け取ったのは、姉さんの家の門番の兵士なんだ。ふたりで番をしてて、両方とも身元がしっかりしてる」
シャリムは足を止め、いつもそうであるように、腰に片手を当てて話し始める。
「ところが、その門番いわく、『手紙を持ってきたのは兄上の騎士団の人だった』と」
シャリムは鉄鎗騎士団の一人の名を上げた。
「そいつはずっと俺についてたぞ」
「でしょう。
つまり、幻術を見せてあざむいたわけだ。門番くらいじゃ、幻術を見破るなんてまず無理だからね」
「ふむ」
「手紙そのものは、姉さんがちゃんと持ってた。調べたけど、特に術がかかっている様子はない」
「筆跡は」
「とりあえず疑わしいあたりの人たちの筆跡を、従僕まで含めて照合したけど、僕が持ってるものとの一致はなかった」
「……シャリム」
フォルティシスはすっと腕を組み、薄笑いを浮かべた。
「お前は戦場では役に立たん。後方でも役に立たんようなら、お前を生かしておく理由はなんだろうな?」
「文官として役に立ってるでしょ!?」
異母弟は顔の前で両手を振り、必死の形相だ。
「とにかく、調査は継続してるよ。でも、犯人の特定は正直どうでもいいんじゃない?」
「つまり?」
「どうせ叔父上か、そのへんだろってこと」
フォルティシスは舌打ちを抑えられなかった。
「対策の方を優先した方がいいと思うよ。とりあえず、僕と兄上と姉さんの間での符丁を決めとこう」
「……それと、叔父貴を殺す算段もな」
「それだけど……あ、」
シャリムがフォルティシスの方の後ろに視線をやったので、フォルティシスも振り返った。てくてくとやってきたのはテレーゼだ。
「兄上、シャリム。二人一緒にいたのか。ちょうどよかった。
ローザヴィが、私と一緒に住みたいと言うんだが、兄上もそれでいいだろうか。おじい様にも、私から聞いてみるつもりだが」
異母兄弟は、二人そろって口がぽかんと開きかけた。
「ローザヴィが?」
「姉さんと一緒に?」
「住みたいと言ってきた」
「なぜだ?」
と聞いてからフォルティシスは思い直した。
「……待て、ローザヴィが何と言ったか、正確に伝達しろ」
「私、テレーゼ姉さまと家族になりたいんです。会ったばかりですけれど、姉さまと家族になれたらうれしいです。だ」
やっぱりなと言いたい気分だった。シャリムも頭を抱えている。
「家族とは、同じ家に住んでいる者のうち、使用人ではない人間のことだ。そうなりたいとローザヴィが」
「姉さん、違う。違うよ」
シャリムが思い余ったように声を上げた。フォルティシスも、
「違う。テレーゼ、あの娘が言ってるのはそういうことじゃない」
「いや? 確かにこう言ったと記憶している。私の聞き間違いなのか? 兄上はどこかで聞いていたのか」
「いや、お前の記憶なら確実に合っているだろうが、お前の解釈は確実に間違っている」
テレーゼはいつもの笑顔を全く変えないまま、ふむとつぶやいた。
「私はまた間違えたか。よくないな。
どのように間違っているのか教えてくれ、兄上」
「家族になりたいとは、同じ家に住みたいという意味じゃない」
「ではどういう意味なんだ?」
「家族になりたいとはな、……」
そこまで言って、フォルティシスは言葉につまった。
「家族になりたいとは?」
テレーゼが先をうながす。才女として有名なこの異母妹ほどではないにせよ頭の回転には自信があったのだが、しばらく考えてもこれだという案が浮かばない。
ちらりと目をやったシャリムは、僕には姉さん向けの説明など無理ですと言わんばかりだ。こいつ本当に生かしておく理由がないかもなと本気で思った。
「考える。しばらく時間をよこせ。
とにかく、ローザヴィはお前の家に住みたいわけじゃない」
「わかった」
平然とテレーゼは答える。どのように説明しても、この異母妹は「そうか」と受け入れるだろう。
しかし、この妹にどう説明すれば、ローザヴィの言いたいことを理解させられるのか、フォルティシスには全く思いつかなかった。
深夜までかかって遠征の後始末を終え、私邸へとたどり着くと、出迎えた執事が「エドアルドさんももうお戻りです」と言った。
ローザヴィをすぐに帝都まで連れてくるようにとの連絡は、小型の高速艇によって運んでこられた。その高速艇で、フォルティシスとローザ、そして騎士団の主要メンバーだけがまっすぐ帝都まで飛んできたのだった。
小型艇には乗せ切れない騎士団のメンバーと、高速艇がそのまま至天宮に突っ込むと烙印ののろいで死にかねないエドアルドは、砦に向かうときに使った、速度は遅いが輸送力のある飛空挺で帰ってくるはずだった。
「意外と早いな」
「風がよかったそうで」
そのエドアルドは、私室に入ってすぐの暖炉前にいた。
すぐ床に座りたがる彼のためにフォルティシスが敷かせたラグに座り、暖炉前のソファの間に置かれたローテーブルに突っ伏してうたた寝していたらしい。ドアの開いた音で目を覚ましたか、
「ああ……おかえり」
顔を上げ、少しぼんやりした素の表情で言った。
「ああ」
と返し、近寄っていつも通りあいさつのキスをした。エドアルドはいつも通り受け入れ、顔が離れた後で、ハッとケンカ中であることを思い出したようだ。気まずそうに不機嫌な表情を作って顔を背ける。フォルティシスはかまわず、どさっとソファに腰を下ろした。
「ローザヴィはテレーゼとシャリムに引き合わせた。親父はまだ何も決定していないらしい。あの小娘については待ちの一手だ」
「そうか」
眠たいらしく、不機嫌な演技が続かない。エドアルドは目をこすり、ローテーブルに頬杖をついた。
執事が茶を運んできて、2人分をローテーブルに置くと、そそくさと退出していった。久しぶりに、私邸での二人の時間を持つつもりなのだと思ったらしかったが、こちらも疲れていて色っぽい気分にはなれなかった。
飲めよ、とカップを押してやると、彼はカップを取り、眠そうな幼い表情で一口すすった。
室内は暖炉以外の火が落としてある。夜に皓々と灯をともすのが好きではない自分のために、灯りをつけずに待っていたのだろう。眠くなるのも当然だ。
真夜中を過ぎている。屋敷の中も寝静まり、部屋の中には火の燃える小さな音がするばかりで、二人は静寂の中でしばらく黙ってすごした。
「……なあ、エディ。『家族になりたい』ってどうなることだ」
エドアルドはぼんやりと目を上げた。
「なんだよ、急に」
「テレーゼが聞いてきた」
「ああ、有名だもんな、……」
有名だもんな、変人だって。と言いそうになったなこいつ。
そうは思ったが、異母兄である自分に気をつかって言わなかったことは分かったので指摘しなかった。
薄暗い部屋だった。炎が揺れるたび、二人の影がぼんやりと壁に踊った。
「俺は家族というものを持ったことがないからピンと来ない。家族ってどういうものだ、教えろよ」
「……お前、父親も母親も生きてるんだろ? 弟も妹も、たくさんいるんだろ」
「あいつらは家族じゃない。家族が何かは分からなくても、家族じゃないものは分かる」
エドアルドはしばらく黙ってフォルティシスの顔を見ていたが、やがてテーブルの上へと視線を外し、
「大事なものだよ。絶対に失いたくないものだ。存在するってだけで心を支えてくれて、失ったら、手足をもぎ取られるくらい苦しいものだ。それが家族だろ」
「ふん……」
フォルティシスは鼻で笑った。
「なら、やはりあいつらは家族じゃない。親父にも母親にも、弟妹の誰にも、そんな感情は持ったことがない」
「持てばいいじゃないか」
エドアルドがつぶやくように言った。彼はテーブルの上に腕を置き、半ばその上に身を伏せながら、
「家族を作れよ。妹に、家族とは俺にとってのお前だって言ってやれよ。とても大事で、愛してるんだって。そうして可愛がってやって、どういう気分になるか試してみろよ」
「俺が、あのテレーゼをか?」
エドアルドはテーブルにもたれかかってうなずいた。まぶたがひどく重そうだった。
「新しく出てきたあの子供も、お前を苦手がってるあの弟もさ。お前はそういうの作るべきなんだよ。信じて、支えあえる相手をさ。そうして……」
言葉が途切れた。しばらく待ったが続きが聞こえてこない。のぞき込むと、腕の上に顔を伏せたエドアルドのまぶたが閉じていた。
「おい、起きろエディ。そうして、の後は何だ」
エドアルドは少し目を開けようとし、眠気に負けたようにまた目を閉じる。
「おい、起きろ。その辺で寝落ちるなって、お前がいつも言ってることだろ」
肩をゆすぶると、「あー」と小さくつぶやいて起き上がった。
「ダメだ、起きてられねえ。寝るわ、俺」
大あくびをし、立ち上がる。話を続ける気はないようだった。
「……枕、あっためておけよ」
「へいへい」
振り返らず手だけ振って寝室に消えて行った。残されたフォルティシスも立ち上がり、暖炉に薪を放り込むと、ソファに座りなおした。火がばちばちと燃えて、揺れる影と、暖かい空気を振りまいている。
『家族を作れよ』
エドアルドの言った言葉が、頭の中で繰り返される。
『お前はそういうの作るべきなんだよ』
テレーゼ。シャリム。フレリヒ。そのほか、各地の貴族に預けられた弟妹たち。
……あのイリスリールと、ローザヴィ。
多くの顔が、一つ一つ過ぎて行く間、暖炉の前でぼんやりと天井をあおいでいた。
気づくと、ずいぶんと時間が立っていた。暖炉の火を始末し、寝室に向かうと、エドアルドは言いつけどおり、こちらの枕を抱きかかえて眠っていた。
「エディ、枕よこせ」
彼は薄く目を開け、
「ああ……」
と枕を放した。それをベッドに置き直し、横にもぐりこむ。
軽く抱き寄せて口づけると、彼は寝ぼけたような動きで肩に顔をこすり付けてきた。
「お前の体、あったかいな。気持ちいい……」
かすれた声で言い、そのまま眠りに落ちたらしかった。
さっき彼が言った言葉が、また頭に戻ってくる。
『大事なものだよ。絶対に失いたくないものだ』
『失ったら、手足をもぎ取られるくらい苦しいものだ』
眠り込むひたいに唇を押し当て、体に腕を回し、柔らかい髪に顔をうずめて目を閉じた。