帝都、異母姉で変人で才女で:ローザ
フォルティシスとシャリムが去り、2人きりで残された執務室で、
「おいで、君の住むところに案内しよう」
テレーゼがひどく気さくに言った。
「たどりつくまでの廊下は入り組んでるが、中庭に面した場所だ。居住性は悪くない」
それから、座ったままのローザを見て、首をかしげた。
「顔が青いな。疲れた?」
「あ……はい」
さっきから、異母姉のほほえみは全く崩れない。
「無理もないな。空路の長旅だ。部屋に行って休むといい。
食事が早い方がいいなら、私が厨房に言いに行こう」
「え、いえ、そんな」
「疲れているのに無理に動くのは良くないことだ」
ローザは目の前の異母姉を見つめた。
この人は、少なくとも、腹の中で何か考えているようなタイプには見えない。
だが、その直感を、自分で信じられなくなっていた。
「あの……」
「うん」
「あの、何とお呼びしたらいいですか?」
「そうだね、わかりやすい呼び方がいいだろうな」
会ったばかりの異母姉は、ピクリとも変わらない笑顔のままそう言った。
「テレーゼと名前で呼ぶか、姉上なり姉さんなりと呼ぶか。
ほかの人の名前で呼ぶとか、兄上とか妹よとか呼ぶのは、わかりにくいから良くないだろう」
冗談で言っているのではないようだった。本当に不思議な人だとローザは思った。
「では、テレーゼ姉さまと」
「ああ、わかりやすくていいな。
私は名前でローザヴィと呼ぶよ。ほかの弟妹のことも、名前で呼んでいるからな」
「はい。そうして下さい」
「では、君の部屋に行こうか。兄上の騎士団のコトハがいるはずだから、何か足りないものがあったら頼むといい」
それでコトハの存在を思い出した。
兄さまの部下であるあの人は、きっと監視として私にはりつく。
この機を逃したら、この人と二人で話す機会は、もうないかもしれない。
「テレーゼ姉さま」
ドアに向けて歩き出そうとした異母姉を呼び止めた。
「フォルティシス兄さまから、イリスリール姉さまは、じわじわとおかしくなっていったと聞きました」
「ああ、シャリムや家臣たちがそう言っていたな」
「姉さまからご覧になって、どうでしたか?」
重く、答えにくい話であるはずなのに、テレーゼは平然としていた。
「私にはわからなかった。私には、わからないことが多いんだ」
わからないことが多い?
引っかかったが、それよりも聞きたいことがまだあった。
「あるとき急に、決定的に変わったと聞きました。姉さまは、その場にいらっしゃいましたか?」
「いたよ」
「どういうふうだったのか、教えていただけますか」
「ああ」
なんの抵抗もない様子でうなずく。微笑はやはり変わらなかった。
「姉さんはまず、
『ではお父さま、私がこの国を好きにしていいのね?』
と言った」
「え?
待ってくださいテレーゼ姉さま。イリス姉さまが、この国を好きにしていいって?」
「ああ、そう言った」
異母姉はそこでうなずいた。
「そうか、君は知らないか。
その直前に父上が、イリスリール姉さんに帝位をゆずると言ったんだよ」
ローザは息をのんだ。
「姉さまが皇帝に?!」
テレーゼはほほえみをまるで変えずにうなずいた。
「君は、姉さんが二度目に帝都で暮らし始める直前まで、一緒にいたんだったな?」
「はい」
「姉さんは君たちと別れ、一人帝都に戻ってきた。
戻るその直前に、東宮である兄上が、父上の命令で遠くの寄宿舎つきの学校に放り込まれたんだ」
「それは……姉さまが帰ってくるから? 兄さまを遠ざけて、姉さまを東宮にするために」
「だろうなと、私は思った。シャリムも同じように言っていたよ。
だが、しばらくして兄上も帝都に呼び戻された。
兄上と姉さんと、どちらが帝位を継ぐのかわからない状態がしばらく続いて、最終的に父上はそのように決めた。イリスリール姉さんに帝位を継がせるとね」
「あの、姉さま」
ローザは混乱しながら尋ねた。
「私たちの母親は、平民です」
「そうらしいな。私は会ったことがないが」
「平民の子で、上には兄さまもいて。
なのに、どうしてイリス姉さまが皇帝に」
「さあ。父上は理由を言っていなかった」
理由を知りたいという気持ちは、この異母姉にはないようだった。ローザにはそれが不思議だった。
「イリス姉さまの存在は、国民だけでなく、至天宮の中でも隠されていたと聞いたことがあります」
「ああ、そうだな。父上直属の重臣たちと、兄上、私、シャリムと、それぞれの母方一族の主だったものにしか知らされていなかった」
国の重要人物のみということだとローザは理解した。
「その理由をご存じですか?」
「知らないな。どうしてなんだ?」
「いえ、私にも」
ローザはそこで黙り込み、考えた。聞いてみるべきかみないべきか。
異母姉は、黙り込んだ異母妹に疑問を持つでもなく、次の質問が来るのをおとなしく待っているようだ。
「姉さま。……私たちの母が……」
「うん」
「……いえ、なんでもありません」
「そうか」
何を言いかけてやめたのかなど、かけらも気にしない様子だった。不思議なひとだと、ローザは改めて思った。
「ああ、迎えが来たよ」
ふり返ると、少し離れたところにコトハがひかえめに立っていた。
話ができる時間が、終わったということだ。
「後はコトハに任せよう。ゆっくり休むといい」
「はい。いろいろ、ありがとうございます」
うなずいて去っていこうとする姉の背に、
「テレーゼ姉さま」
ローザは声をかけた。振り返った異母姉に向かって、頑張って思い切った。
「あの、私、テレーゼ姉さまと家族になりたいんです。会ったばかりですけれど、姉さまと家族になれたらうれしいです」
ローザがかなりの勇気をふりしぼった一言にも、テレーゼの笑顔は全く変わらなかった。
「わかった。ではそうしよう。
おじい様や兄上にも、私から頼むよ」
「! ……は、はい! お願いします!」
テレーゼは最後まで優雅に微笑んで去っていった。ローザはほっと胸をなでおろす。
拒否されるかもしれない、甘えるなと叱られるかもしれない。そんな不安を押し殺して、言ってみてよかった。あの人は不思議な人だけれど、きっと優しい人だ。
皇城とは怖いところだと聞く。
姉も自分も、皇帝である父に振り回されてきた。
同じような思いをして、皇帝の血を分けた相手に暖かい気持などもてない人もいるんだろう。
ローザがローザであるというだけで、どうしようもなく拒否する人もいるだろう。
それでも、血のつながった人たちのうち、一人でも二人でも、家族と呼べる関係になれたらいい。
……だって、せっかく会えたのだもの。