鉄鎗騎士団の日常4:マシュー
エドアルドが亜神を斬ったことを、東宮はほかの騎士たちに伝えようとはしなかった。
当の本人は、みずから騎士たちに言うことなどありえない。
コトハは、『彼』のこと言わないんですかという目でツヴァルフをうかがっていたが、そのツヴァルフは帰りの空路の間、ずっと虚空をにらんで何かを考え続けているようだった。
いつも通り、至天宮外の野原に飛空艇が下り、あとは歩いて城へと向かう。城門前の広場で、エドアルドはものも言わずに列から離れ、城門をくぐる東宮を振り返りもせずに広場を西に横切る道を取った。東宮の私邸に帰るのだ。
そこで突然ツヴァルフが、彼の背を追うように広場西側へと走ったのでマシューは驚いた。
「団長?」
騎士たちも気づき、数名がそのあとを追う。マシューも思わずそれに続いた。
「待て!」
ツヴァルフの声に、エドアルドが足を止め振り返る。ツヴァルフは互いの剣が届かない位置で立ち止まった。
「なんだよ」
紫の目がツヴァルフと、マシューを含む後方の騎士たちをひとにらみする。
「お前ら、俺に用なんかないだろ」
ツヴァルフはそれをにらみ返し、
「きみ、俺と勝負しろ」
はっきりと言った。団員たちが息を呑んだが、『彼』は動じた様子もなく、
「先にフォルテに許可とって来いよ」
冷たい視線をよこしただけだった。
「警備兵に一方的に斬り殺されてもいいですかってな」
団員たちが気色ばんだ。武器に手をかける彼らの中で、『彼』も殺気を放ち始める。まずい。マシューが割って入ろうとするより早く、『彼』がまた口を開いた。
「そういうことらしいぜ。フォルテ、こいつ斬っていいか」
その視線の先、団員たちの人垣の後ろに、こともあろうに東宮の冷笑を見つけてマシューは肝を冷やした。
いつも無駄な存在感を放ちまくってるのに、何でこういうときだけきれいに気配を消してるんだ。
東宮は鼻で笑う。
「やめておけ。お前も無事にはすまないぞ」
「…………」
『彼』は冷たい目で主を見返すと、すっと身をひるがえし、東宮の登場ですっかり怖気づいた団員たちを無視して去っていった。
「ツヴァルフ」
唇をかむ騎士団長に、東宮が冷笑とともに言う。
「よほどヒマなようだな。今回の作戦の後始末、お前が全部やっておけよ」
ツヴァルフの顔がさっと青ざめたが、マシューにはそれ以上に『彼』が気がかりだった。
いや、ダメだろう、これ。ほっといたら修復不可能だろう。
マシューは東宮の私邸へ帰るのだろう『彼』を追った。ツヴァルフのやつ、ほんとうに何をしてくれるんだ。
「……待ってくれ!」
建物の角を曲がると『彼』の背が目に入り、声をかけた。無視されるかもと予想していたが、『彼』は立ち止まってくれた。……が、その目が、ケンカの第二ラウンドを売りに来たかと言わんばかりの敵意を放っている。あまり近づくと恐いので、彼の間合いぎりぎりで立ち止まった。
「その……お礼と、謝罪をしに来たんだ」
『彼』は少し目を見開いた。心底、予想外だったようだ。
「さっきの戦いで、部下を助けてくれてありがとう。あれがなかったら、彼女は死んでいた」
「……化け物を斬っただけだ。お前らを助ける義理なんかない」
そういう返事が来るかなとは思っていた。
「いや、でも助かったのは事実だ。感謝してるよ。
あと、さっきの団長の振る舞いはすまなかった。団員がこそこそ言っていることも知ってる。
みな、君のなみなみならぬ剣の腕をわかっているからこそ、ライバル視して妙な敵対心を持ってしまっているんだが、申し訳ないと思っている」
思いついて付け加えた。
「……僕自身は、できれば君に団員の指南をお願いしたいくらいなんだけれど」
騎士団に彼に勝る技量の者がいないことには悔しさもあったが、本心の一端ではあった。
『彼』はいつになく幼い表情でぽかんとしている。それに笑いかけ、
「……ああ、申し遅れた。知ってるかもしれないけど、僕は騎士団副長のマシュー=ウォリーだ。よろしく。それじゃ」
背を向けて歩き出そうとしたら、「あ……待ってくれ!」と声がかかった。
彼は首に手をやり、
「エドアルド=イースターだ。
俺のほうこそ、あんたらのこといろいろ言っちまって……。フォルテにケチをつけたかっただけで、あんたらがどうこうってわけじゃないんだ。引き合いに出して悪かった」
ひどくばつが悪そうにそう言った。
なんだ、悪いやつじゃないじゃないか。マシューはそう思った。話せばわかるんだよ。やっぱり話し合いだよ。人間同士なんだからさ。
「いや、僕らのほうでも、君の実力をやっかんでるやつらがいたから。不愉快にさせていたと思う」
「別にそんなの気にしねえけど」
いつもの、近づくだけで切り裂かれそうな殺気を放つ彼とはまるで違う。きまり悪そうに目をそらし、もごもごと言い続けるエドアルドを見て、これが『彼』の素ではないかとマシューには思えた。
「立場はちょっと違うけど、お互い、東宮殿下の御為に剣を取る身だ。協力していけたらうれしい」
「いや、俺はあいつのためとか全くないけど」
むしろ死んでほしいし、と続けたのはスルーした。
「じゃ、民のためだ。国民を化け物から守るため、協力していこう」
エドアルドはごく不器用に、気まずそうに視線をはずしたままうなずいた。マシューはうれしくなる。少なくとも、僕と『彼』とは和解できたのだ。
「仲良しごっこは終わったか?」
冷笑まじりの声に驚いて振り向くと、東宮が薄笑いを浮かべて立っていた。
まずい、殿下の目の前で、『彼』と2人で仲良さげにしてしまった。
マシューは一瞬足元が寒くなったが、
「別に仲良しごっこなんかしてねえよ」
ぶっきらぼうな『彼』のセリフに、東宮が少し笑いを深めたのを見て安心した。不興を買ってはいないようだ。
「終わったんなら帰るぞ」
「ん」
エドアルドはいつになく無防備な態度で返し、マシューに目礼を残して東宮についていこうとしたらしかったのだが、
「お待ちください!」
突然の怒鳴り声がその足を止めさせた。
叫んでいたのは、息を切らしたツヴァルフだった。
「殿下! お帰りなら我らが警護いたします」
走って追いかけてきたらしかった。なんなんだ、一体。マシューは頭を抱えた。
「警護はこいつにさせる。お前はさっさと王宮に帰って後始末をしろ」
「殿下の警護は、我ら騎士の役目です」
ツヴァルフは一歩踏み出す。二人で仲良く帰りたいんだろ、そうさせてあげろよとマシューは思ったが、東宮の目が冷たくなったのはそれとは違う理由だったようだ。
「お前を騎士団長にすえてるのは、そんなつまらん仕事をさせるためじゃないぞ。自分の立場をわきまえろ」
東宮の厳しい声に、マシューはハッと姿勢を正した。
「さっきのおふざけもだ。
騎士団長の身で、騎士たちの前でバカげたマネはするな。次はないぞ」
そうだ、東宮は罰のように言ったが、任務の後始末をしておけというのは、任務の責任者の仕事を果たせと言ったのと同義だ。東宮は、決して『彼』にはそんな仕事は任せない。
ツヴァルフ、そういうことだよ。殿下は僕らに望むのは、『彼』のようにあることじゃない。彼には彼の、僕らには僕らの役目がある。
ツヴァルフもまたぐっとつまり、歯を食いしばって何か考える様子だったのだが、
「ですが!」
と食い下がろうとした。
おい、もうよせよ――マシューがまた割って入る前に、
「団長、もうやめてください!」
いきなり、ショコラの声がした。
全員がそちらを見た。沈もうとする大きな夕日、その鮮烈な赤を背にして、息を切らせたショコラが立っていた。
「どうなさったんですか……! 最近の団長、なんだかおかしいです」
ツヴァルフは息をのみ、顔を背けた。
「君には関係ない」
「関係あります! 私は鉄鎗騎士団の騎士です!」
マシューはちらりと、横にいる二人の顔色をうかがった。『彼』はいったい何が始まったのかと面食らった顔をしているし、東宮はさていつ叱ってやろうかという顔だ。ともあれ二人とも、しばらくは静観するつもりのようだ。
ショコラは哀願するように胸に手を当て、
「元に戻ってください。私たちの尊敬する、いつもの団長に戻ってください」
ツヴァルフはぐっとあごを引いた。
「そうだ……。今の俺では、君の尊敬に値しない」
「えっ……! 何言ってるの」
思わず声を上げたマシューに、ツヴァルフはちらりと視線をよこし、顔を背けて唇をかんだ。
「騎士団長でありながら、俺は『彼』の剣の腕に届かない。東宮殿下の信頼も得られない……! 何もかもが『彼』に劣っている」
マシューは唖然とし、また二人の顔色をうかがった。『彼』はさらに混乱しているようだし、東宮はそんなことを考えていたのかという顔だ。
「……くっ」
ツヴァルフはうめいてショコラから顔を背ける。
「君が『彼』に心を奪われるのも道理だ……」
「……え?」
マシューは言った。エドアルドも言ったようだった。そしてショコラも、一瞬目を丸くした。
「女騎士同士で話しているのを聞いてしまったんだ。君は『彼』はすごい人だと言っていた。あんなことは騎士団の誰一人できないだろうと」
それってあの、ベッドうんぬんの話のことじゃ。
コトハの言っていた、『東宮とベッドを共にしてずっと一緒に暮らすなんて、三日で胃に穴が開く』という話を思い出し、マシューは心底青ざめた。
ツヴァルフはまるでそんなことを思いつきもしない様子で、
「確かにその通りだ。俺には『彼』のような戦果を挙げることも、殿下の信頼を得ることもできない……!」
ふるえる拳を握りしめていた。幸いなことに東宮も誤解してくれたようで、
「おまえたちまで後先考えないバカ犬になられてたまるか」
とつぶやくのが聞こえた。
「そんなこと考えて、おかしくなってたんですか……」
ショコラが口を手でおおい、目に涙をためた。あれこの子、自分たちが何についてすごいと言ったか絶対忘れてるな。マシューはそう思った。
「馬鹿です! 団長は馬鹿です! 尊敬なんてしません!」
わっと涙をこぼす。
「そうだ、俺は……」
「『彼』なんかより、そのままの団長の方がずっと素敵だったのに!」
ハッとツヴァルフが顔を上げた。
「えっ……。き、君……」
「いつだって堂々として……自信を持って私たちを引っ張ってってくれる、私にはそんな団長の方が、『彼』なんかよりずっと……」
「……君、『彼』より俺の方が……」
「『彼』なんかどうでもいいんです! 私は、私は団長が……」
ツヴァルフの顔がみるみる赤くなった。
「泣かないでくれ……。その、俺も、君のことが……」
「えっ……」
ショコラも顔を上げた。二人は見つめあい、黙り込む。
「……なあ、フォルテ」
『彼』がぽつりと言った。
「あいつら斬っていいか」
東宮は声を上げて笑った。
「いいぞ?」
「ヒトをイチャつきのダシにしやがって……!」
ひたいの青筋とともにカチャリと刀に手をかける『彼』の右手に、
「謝るから許してやって!」
マシューは両腕ですがりついて止めた。
それから、騎士団と『彼』の仲は壊滅的になった。
今までは無関心を装っていた『彼』は、今ではすれ違うたびはっきりとした殺気を向けてくるようになり、それに反応した騎士団員も『彼』をあからさまににらんで対抗している。
……僕、けっこう頑張ったはずなのに、どうしてこうなったんだろう。
「……なんだか最近、あったかくなってきましたね……」
城下の屋外カフェで、カフェラテを飲みながらショコラが言う。いや、あったかいのは君の脳みそだよ? 騎士団と『彼』の亀裂、半分くらい君のせいだよ? マシューはつっこみたい気分になった。
「あのさあ、ショコラ」
「はい?」
「……いいや」
どうせちゃんと聞いてもらえる気がしない。
至天宮前の繁華街での一休みタイムだ。マシューは東宮私邸へのお使いの帰りで、ちょうどこの店の前で城下巡回中のコトハとショコラに遭遇し、一緒にお茶でもと誘われた。
「ずうっとふわふわしてるんですよ。あたしの言うことも聞こえてるんだかないんだか」
コトハがささやいてきたとおり、テーブルの向かいに座るショコラはなんだかぼうっとし、空を見上げたり雲を目で追ったりして、ずっと夢見る瞳になっている。
と、コトハが、「あ」と小さな声を上げた。
通りの向こうを、ツヴァルフがやけにきょろきょろしながら歩いている。
しばらくその姿を呆然と見ていたショコラは、さっとうつむいてやたらカフェラテの水面を見つめ始めた。コトハの方はあきれたように息を吐いてベーグルサンドをかじり始める。4個めだ。
ツヴァルフがこっちに気付いた。ハッとし、居住まいを正すと、やけに遠回りしてカフェの売り場に近づき、すぐにコーヒーカップを持って近寄ってきた。
「……やあ、マシューとコトハじゃないか。そ、それにショコラも。奇遇だな。
俺もちょうどコーヒーを買ったところだったんだ。あまりにのどが渇いて一休み入れようと思って、何だかコーヒーが飲みたくて仕方なくなってちょうどこの店が」
いつになくべらべらと言い訳並べなくていいよ。マシューは内心でげんなりした。
「テーブル二つにわかれるのも迷惑だし、その、一緒に座ってもいいか?」
なんだか頬など染めて言ってくる。こちらもやたら頬の赤いショコラが「どうぞ」と答えた。あれ、僕とコトハの意思は?
「で、では、失礼する」
騎士団長はやけに椅子をがたがた言わせながら着席した。曇り空をあおぎ、
「いや、実にいい天気だなあ!」
などと言いだす。ショコラは頬を赤らめてもじもじし、コトハは二人に目を向けず、やたらとベーグルサンドをかじっている。5個目だ。
「……仕事に戻るね」
マシューは小声で断り、気配を消して席を立った。コトハも6個目のベーグルサンドをそそくさとハンカチに包み、音もなく席を立つ。そんなことしなくても二人は気づきそうになかったが。
……あの時、斬ろうとする『彼』を止めるんじゃなかった。
とりあえず壊滅的になったエドアルドと騎士団と、仲をどう修復するかに頭を悩ませながら、マシューは至天宮への道を歩き始めた。