鉄鎗騎士団の日常2:マシュー
この帝国の騎士には二種類いる。
一つは、小さな領地を持ち、平時はそこを治め、すわとなったときに剣を取ってはせ参じるもの。在郷騎士と呼ばれる。
もう一つは、騎士団に所属する騎士だ。領地は持たず、皇帝のいる至天宮に仕え、日常的に戦闘任務に出向く者たち。
少なくとも帝都では、弱小領主扱いの在郷騎士より、誇り高い騎士団のほうがずっと上という空気がある。在郷騎士が治める辺境地方ではどうか知らないが。
ツヴァルフは、その騎士たちの中でも特に名家の出だ。
彼の父もまた、騎士団長だった。と言っても今ツヴァルフが団長である鉄鎗騎士団ではない。彼の父は『銅剣騎士団』の長をしていた。どれもこれもパッとしない名の騎士団の中でも、抜群にぱっとしないと有名な「銅剣」の。名前のぱっとしなさを補うためか、銅剣騎士団の士気はやたら高く、なみいる騎士団の中で1・2を争う実力を持っている。
東宮直属の鉄鎗騎士団はともかく、銀盾騎士団あたりが名前をからかいのタネにすれば、銅剣騎士団の者たちは皮肉に笑ってこう返してくる。
『名前がよほど自慢のようだな。実力はどうした?』
2年前、南部に大量の降魔がわいたとき、たった数日で降魔を制圧したのは彼らの功績だ。ツヴァルフの父は、その功績を最後の栄冠とし、たたえられて勇退した。
騎士団長ツヴァルフの真意が見えないまま、数日が過ぎた。
あれから騎士団の空気は引きしまり、団員たちは黙々と訓練にはげんでいた。
雨降って地固まるだ。
マシューはこれで良かったのだと思おうとしていた。
しかし、一向に変わらないツヴァルフの、やけに思いつめた瞳を銀縁メガネの奥に見出すと、いささか気が重くなる。一体どうしてしまったのかと。
そんなある日、騎士団に緊急招集がかかった。
「月の道が開く気配がある」
完全武装で集合した騎士団に、東宮がそう告げた。
壁にはられた巨大な地図をゆびさした第二皇子テレーゼが、目的地までの所要時間から現地の地形、気象状況から周りの人家の様子まで、よどみなく説明してみせ、望ましい作戦を二つ、すらすらと述べた。
「現地について、実際の状況を見て、柔軟に切り替えてくれ。君たちの実力であれば、難しいことではないと思う」
「はっ」
いつもの微笑みを浮かべたテレーゼに応えると同時に、飛行船の準備ができたとのしらせが入る。
「狩猟場にて、いつでも出発できます」
「よし……。鉄鎗騎士団、出るぞ」
東宮の号令に、一同は立ち上がった。
マシューはふと思い出した。ほかの騎士団はみな至天宮内のポートから出立できるのに、彼ら鉄鎗騎士団だけは、至天宮を出た郊外に広がる平野から飛空艇に乗るのだ。
ただ一人、至天宮に入れない『彼』を乗せるためだけに。
ちらりと団長をうかがった。ツヴァルフは、思いつめた顔で壁の地図をにらんでいた。
東宮と『彼』が2人で話しているのを、遠目に見たことがある。
声は聞こえなかった。だがそのとき彼らは2人きりで何かしら話をしていて、東宮が、いつもの調子で馬鹿にするようなことを言ったのだろう。『彼』が目を吊り上げて何か言い、東宮は笑って何か言い、『彼』はさらに目を吊り上げた。東宮は声を上げて笑ったようだった。
……あんなふうに、心底楽しそうな顔ができたのか。
仕えてこの方、本心を隠すための笑いしか見たことがなかったのに。
「団長、怖い顔してる」
飛空艇の中で、隣に座ったコトハがささやいてきた。
「うん」
ななめ前に座る本人の耳を気にしつつ、マシューもささやき返した。
「さっきの会議でも、テレーゼ殿下も、あたしたちのこと頼りにしてくれるって思ったのに……」
マシューはまたうなずいた。ちらりと振り返り、飛空艇の最後方、団員たちから少し離れた位置に一人座る『彼』をうかがう。
エドアルドはじっと押し黙り、ひざの上に置いた愛刀を見つめていた。王都郊外で合流してから、一言も口をきいていない。それがいつものことだった。
符術師からの報告を受けていたフォルティシスが「そのまま聞け」と声を上げた。
「降魔の反応が現れた。配置もだいたい予想通りだ。第一の策で行く。化け物どもを一匹も討ちもらすな」
「はっ!」
団員を代表して、ツヴァルフが意気込んだ声を返す。
「エディ、お前は騎士団の邪魔にならんようにやれよ」
東宮からにらむような視線を投げられた最後尾の彼は、返事をしない。それもだいたいいつものことだった。
「わかったな」
「……お前の腰抜け騎士団にこそ、俺の邪魔をさせるなよ」
念を押されて初めて、小さく口をきく。その一言で団員たちは明らかに気色ばんだ。彼らが腰を浮かす前に、
「だまれ。作戦を台無しにしたら許さんぞ、バカ犬が」
東宮がにらんだが、身を縮こまらせたのは団員だけで、『彼』は鋭くにらみ返して「死ねよ」とつぶやいた。
ベッドをともにしているとうわさされる二人だが、彼らの前ではまったくそんなそぶりはなく、互いに暴言を吐きあうのがいつものことだった。
「殺気、ふりまいてますね」
コトハが小声で言った。
確かに、彼の目が変わっている。
「戦闘狂」とおそれられる彼の一面が、降魔の出現を聞いて現れ始めたようだった。3つ離れた席に座る団員が、明らかに逃げ腰になっている。
……『彼』に大口たたいてやると盛り上がってたのはどこの誰だい。
マシューはそう言ってやりたい気分になった。
そういえば、『彼』が殺気を振りまいていない時でさえ、団員から『彼』に話しかける姿を見たことはなかった。そのくせ、裏では陰口をたたいて笑っている。その空気が伝わらないわけはないだろう。
……そりゃ、『彼』だって僕らと仲良くする気にはなれないよな。
ため息をつく。そして思い出した。あれは、彼が現れて2年くらいたったころだったか。
あの時も、湧き出した降魔の討伐任務だった。目的の群れを倒しつくし、撤収しようかというところで別の降魔の群れに遭遇した。
「どこから湧いた?!」
叫びながら刀を振るうツヴァルフの声を聞きながら、マシューは気が付いて叫んだ。降魔たちがやってきた方向は。
「この先……確か小さな村が!」
「村?!」
意外にも、反応したのはエドアルドだった。そしていきなり走り出した。
「エディ、止まれ!」
叫ぶ東宮の声など何の意味も持たない。正確無比にして神速と、東部戦線でたたえられたその刀で、右に左に降魔を斬り倒し、彼はほぼ全速力の勢いで降魔の群れを突っ切り始めた。
「待て!」
騎馬の東宮がそれを追う。同じく馬に乗っていたマシューもあわててそれについていった。『彼』が切り開いた道を、横手の降魔を倒しながら、東宮と二人追った。
ほどなく行く手に小さな家々が見えた。と、その前に立つ、人間の姿が見えた。いや、足音を聞きつけて振り返ったその顔は、溶けて流れたようにゆがんでいた。
……上級降魔!
「ニンゲ、」
言い終わる前にその首が飛んだ。『彼』は全く減速せず、横をすり抜けざまにその首を落としたのだ。
……まさしく神速!
味方のはずのマシューでさえぞっとするほど、その剣の軌道は見えなかった。『彼』はそのまま村に駆けより、そして急に足を止めた。
「エディ」
おいついた東宮がその横で馬を止める。マシューもそれにならった。
村は、静まり返っていた。
どこかから煙が流れてくる。
血のにおいがする。
降魔の姿は見えない。
……殺しつくして、移動したのだ。
『彼』が感じ取ったことをマシューも思い知り、寒気が足元からはいのぼって来るのを感じた。
「……誰か」
『彼』が絞り出すような声を出した。
「誰か、いないか! 帝都の軍だ! 助けに来た! 誰か……!」
あちらの家の方で、かたんと音がした。『彼』ははっとそちらを見、「無事か!」と駆け寄ろうとして、その足を止めた。
倒れた戸板の向こうに、胴がまっぷたつになった、小さな肉体が転がっていた。
その前には小さな犬が一匹、主人を守ろうとするかのように、マシューたちへと歯をむき出してうなっている。
「あ……」
『彼』はつぶやき、絶句した。マシューもまた、何を言うこともできず、馬上でただ刀を握りしめた。
「エディ」
東宮が、馬の首を返した。
「引き上げるぞ。ここは符術士たちに任せて弔わせる」
化け物たちに殺された者は、きちんと弔わないと化け物になるという説がある。本当かどうかマシューは知らないが、東宮はそういうことをきちんとしたがるところがあった。
声を掛けられた『彼』は動かない。背中越しでも、彼が呆然と凍りついているのが分かった。
「エディ」
東宮はまた呼ぶ。そんな声も、立ち尽くす『彼』の耳には届いていないようだった。
彼の背をまじまじと見ていたマシューは、
「マシュー」
急に東宮に呼ばれ、我に返って「は」とそちらを向いた。馬上の東宮はいつもとまるで変わらない冷たい目だった。
「先に戻れ。ツヴァルフに報告して、符術士団を手配させろ」
「は……」
マシューは馬の首を返し、元来た道をゆっくり戻り始めた。途中でちらりと『彼』の方をうかがうと、東宮が馬を『彼』のすぐ後ろまで進めるところだった。
そのまま、『彼』に何か声をかけたらしい。『彼』からの返事はなかったのだろう。東宮は馬を下りた。左手に手綱を持ち、空いた右手で『彼』の手を取り、引いた。
「帰るぞ、エディ。……お前のせいじゃない」
そう言ったように聞こえた。『彼』が無言のまま、東宮に手を引かれてよろよろと歩き出すのを視界のはしに確認し、マシューは進む方に顔を向けた。
あの時の『彼』の様子を見て、思ったのだ。『彼』は戦闘狂などではない。何か、苦しみを抱えて夢中で剣をふるっている。
……僕らを歯牙にもかけてないんじゃない。『彼』は必死なんだ。
飛空艇の中、硬い表情の団長の横顔を見ながら、マシューは思った。
……僕らは、『彼』と和解するべきなんじゃないのか。僕らも『彼』も、化け物どもを倒して民に平和をもたらすために動いているんだ。