鉄鎗騎士団の日常1:マシュー
鉄鎗騎士団って、あんまりかっこい名前じゃないよな、というのが団員たちの総意だ。
ほかの騎士団の名前も似たようなものだ。
銀盾騎士団とか、金鎚騎士団とか。
なぜかこの国の騎士団は、金属の名前と武具の名前を組み合わせた名前になっている。
しかももれなく、あまりぱっとしない。
「よその国じゃ、『光を浴びて天を舞うペガサスの騎士団』なんてのもあるらしいぜ」
「そっちはそっちではずかしいだろ」
西にある隣国の騎士団がかっこいい。特に「赤き竜の騎士団」なんかが。
東宮直属の騎士団として、若者ばかりで構成された鉄鎗騎士団の面々で集まって飲むときには、酔いが回ったあたりでだいたいそんな結論になるのが常だった。
「でもまあ、いいんだよ。騎士団のメンバーってだけで胸が張れるね、俺は」
その日も、ほろ酔い加減の部下が隣のテーブルでそんなことを言いうのを聞きながら、鉄鎗騎士団の副長マシューは、静かにつまみを口にしていた。あまり酒が飲めないのだ。
向かいでは、女騎士のコトハが、食い尽くしたあんかけチャーハンの皿を横に押しやり、コロッケの皿とゲソ天の皿を自分の前に引っ張ってきている。相変わらず、気持ちのいい食いっぷり……を大きく超えた何らかの現象だ。とりあえず上司として部下の健康を気遣い、グリーンサラダも目の前に置いてやった。
「そもそもあんまり名前のグチを言うもんじゃないだろ。殿下のお耳に入ってみろ、大変だぞ」
「『お前に口はいらないようだな』とか言われるよな」
物まねに笑いが起こった。そのセリフこそ、東宮の耳に入ったら大変だと思ったが、目くじらを立てても仕方ないので黙っていた。
「言いたいやつには言わせとけよ。騎士団に入れないやつのやっかみだろ?」
「ああそうだ、俺らは誇り高い東宮殿下の騎士団なんだよ。ほかの連中とは違うんだ」
マシューは渋い顔になるのを抑えられなかったが、酔った連中はそうだそうだと盛り上がる。
「『彼』にだってなあ、俺は言ってやれるぞ。俺らは実力で東宮殿下のおそばにいるんだ。閨で取り立てられたお前とはちがうんだって――」
ちょっと待て。マシューが思うより早く、
「……おい!」
左手から怒声が上がり、マシューは思わずつまみを取る手を止めた。向かいで、流れるような早業でゲソの天ぷらを食いつくしていたコトハもまた、びくりと動きを止めた。
「お前たち、何馬鹿なこと言ってる!」
ジョッキを掲げて盛り上がっていた隣のテーブルが、しんと静まり返った。赤い顔の団員たちが、こちらを見ている。マシューの左側に立ち上がった、団長のツヴァルフを。
彼は銀縁メガネの奥から、ただでさえ鋭い視線をさらに尖らせ、隣のテーブルをにらみつけていた。
「恥ずかしくないのか。お前たちのうちで、たった一人で亜神に立ち向かえるものが、一人でもいるのか?」
彼らは気まずそうに視線をそらすばかりで、自分はできると名乗り出るものは一人もいなかった。
「確かに、僕はできないな。『彼』は、間違いなく、僕らより剣の技量は上だよ」
静まり返った場の空気に、マシューは割って入った。だいたいいつもそうだ。生真面目な団長が叱責し、自分がたしなめてその場を収める。そういう役割分担なのだと思っていた。
「でも、僕はいつかあいつを超えてやろうと思ってるし、誇り高い鉄鎗騎士団の団員なら、そう思って励んでるものだと思ってたよ。下品な悪口を言って勝った気になるのは、敗北以下じゃないか?」
静かに続けると、隣のテーブルの者たちはうなだれた。酔いもすっかり冷めたようだ。
よし、これでいい。
そう思ったとき、
「いつかどころじゃない! お前たち、もっと危機感を持ったらどうだ!」
ツヴァルフが再度怒声を上げ、一同を驚かせた。
マシューは思わず絶句し、コトハは口から半分出たゲソを噛み始めることもできないまま、ツヴァルフの銀縁メガネを呆然と見上げている。
「東宮殿下は、俺たち鉄鎗騎士団より、『彼』一人を信頼しておられるんだぞ! 俺たちは全員そろっても、『彼』一人より下だ、殿下はそう思っておられる!」
「いや、それは」
驚いて、マシューは再度割って入った。
「殿下は、僕らを高く評価してくださってると思うよ?」
向かいのコトハが、口からゲソをはみ出させたまま一生懸命にこくこくうなずいた。
騎士団長の眉が、キッと吊り上った。
「……お前たちは何もわかっていない!」
ツヴァルフは叫ぶと、足音も荒く部屋を出て行った。後には、酒のにおいと、静まり返った空気だけが残る。
4年前、突如彼らの前に現れた『彼』は、どうにも扱いづらい存在だった。
「戦闘狂」とおそれられ、東部戦線の戦況をひっくり返した英雄にして、烙印を押された反逆者。
親しく愛称で呼び合うことを許され、東宮の私邸に住み、噂では同じ寝室で寝起きしているという、東宮の大のお気に入り。
時に亜神をも一人で斬り捨てる剣豪にして、階級は最下位の私邸警備兵。
そんな矛盾だらけの存在をどう扱っていいのか、東宮直属の騎士団の者たちにはわからない。
東宮は「エディ」と呼んでいるが、それは愛称であり、私邸の使用人は「エドアルドさん」と呼んでいると私邸執事からの情報だ。当然、東宮と同じ愛称で呼ぶことははばかられる。かといってさん付けで呼ぶのもためらわれる。東宮が本心で彼をどう思っているのかわからないので、呼び捨てにするのも少し怖かった。そんなこんなで、いつの間にか『彼』と伏せて呼ぶことが騎士団員の暗黙の了解になっていた。
『彼』は、結界で守られた王宮に入れない。宮殿内で東宮を補佐し、戦術会議に出て意見を述べ、護衛をするのは彼ら鉄鎗騎士団の役目だ。『彼』と彼らが顔を合わせるのは、ほとんどが戦闘に出向くとき。『彼』は彼らに見向きもせず、口をきこうともせず、東宮の斜め後ろをうつむき加減について歩き、――そして降魔が現れると豹変する。
「団長、どうしたんでしょう」
盛り下がったまま、ほかの団員たちが退出していった酒盛りの部屋で、コトハが枝豆をつまみながらつぶやく。
「あんなこと言うなんて」
「うーん……」
マシューにも、答えが返せなかった。
「副長のセリフも、ただの気休めと思ったみたいでしたよ」
「だね。思ったままの本心だったんだけど」
「私も副長と同感です。というか、あたしたちと『彼』じゃ仕事が違うんですよ」
『彼』は確かに卓越した剣の技術を持ち、たった一人でどんな敵とでも渡り合ってみせる。だが、『たった一人でなら』だった。『彼』は、降魔を見ると人格が変わったようになる。目をぎらつかせ、「死ね」「殺してやる」と叫んで突っ込んでいく。団体行動も事前の作戦もまるで構わず、東宮の制止さえ何の意味も持たない。東宮は『彼』を苦痛でひざまづかせるすべを持っているが、化け物たちの目の前でそれをやるわけにもいかず、時にかなりもてあましているのをマシューは見て取っていた。
対して鉄鎗騎士団は、それぞれが剣の達人であるとの自負はあるが、それ以上に集団作戦のエキスパートだ。事前に立てた綿密な作戦をもとに、完璧なチームワークを発揮し、確実に、一匹残らず降魔を殲滅する。とにかく走って会ったはしから切り刻むという『彼』とは、まったく役割が違うのだ。
そんなこと、みんなわかってると思っていたんだけど。
「そもそも、閨で成り上がったとしても、バカにする理由にならないと思うんですよね」
コトハがやけにきっぱりとそう言ったので、マシューはかなり驚いた。コトハは若い娘だ。そういうことに、だれより生理的嫌悪を示しそうだと思っていたのに。
「びっくりするようなこと言うね」
「だって、相手はあの東宮殿下ですよ?」
コトハは枝豆を持った手を何度も振り、
「想像してみてくださいよ。あの殿下に気に入られて、閨に引っ張り込まれて、毎日一緒に暮らすんですよ? あたし、三日で胃に穴が開いて死にます。どんな見返りを約束されても無理です」
うわあ、確かにとマシューは思った。マグマの上に張られた薄氷を歩かされるよりも恐ろしい。
「それに、相手はあの殿下ですよ? ベッドでどんなこと要求されるのか、考えただけで背筋が寒くなりませんか?」
「こ、コトハ」
あわててマシューは熱弁を遮った。
「あのね、そういう想像はなしにしよう。殿下にも『彼』にも失礼だよ。それに、殿下と『彼』がそういうのだって、決まったわけじゃないからね」
「とにかく、あの立場が務まるだけでも尊敬します。うちの女騎士、みんなそう言ってますよ」
もうやめろとマシューが叫ぶ前に、
「これも食べちゃいますね」
話はそこで終わってくれたらしく、コトハはすごい勢いでサンドイッチの皿を引き寄せ、三ついっぺんに口に放り込んだ。
マシューは内心でため息をつき、思考を元に戻す。戸を叩きつけて出て行ったツヴァルフの姿がよぎり、やっぱりほっといたらまずいな、という結論に達した。まだ料理が残っている皿を枝豆の横に集め、
「コトハ、これとこれも片付けといて。食べ終わったら、厨房にあいさつしといてね」
「了解です。おやすみなさい」
敬礼を受け、マシューは内心で苦笑した。
おやすめないな。ちょっと団長閣下の様子を見てこなくちゃ。
ここに違いないとのぞいた修練場で、案の定、騎士団長はダンベルを持ち上げていた。
ツヴァルフは何か嫌なことがあると、修練場でダンベルを持ち上げ始めるのだった。何か嬉しいことがあってもダンベルを持ち上げるし、特に何もなくてもダンベルを持ち上げているが。
修練場に一歩踏み込むと、あちらもマシューに気付き、顔を背けてまたダンベルを交互に持ち上げる作業に戻った。
マシューは黙って、腕を組んで壁にもたれていた。ツヴァルフも黙ったまま、ダンベルを上げ続ける。が、先にしびれを切らせたのは団長の方だった。
「何か言いたいことがあるなら言え、マシュー」
「どうしたのかな、と思ってただけだよ」
彼がダンベルを下ろすのを確認し、壁から背を離す。
「さっきの発言、一体どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもない、そのままだ」
「……確かに、彼らのセリフは恥知らずだと思うけど、鉄鎗騎士団を卑下することはないんじゃないかな」
「卑下じゃない、事実だ」
団長はぐっと奥歯をかみしめ、やたらにダンベルを上下させ始めた。
「『彼』は俺たちのずっと先にいる。全力で走らなきゃ追いつけない。お前たちはなんで、そんなのんびりしてられるんだ」
マシューは眉根を寄せた。
「確かに、剣の技量に関して言えば『彼』は僕らのずっと先だ」
ツヴァルフはすっかり息の上がった様子で、顔は血の気で真っ赤だ。それなのにダンベルを持ち上げ続けている。
「だからって、やみくもに駆け回るのは逆効果だよ。とにかく、そのダンベルを一度置いてくれ。逆に体を痛める」
「『彼』は俺たちを歯牙にもかけてないんだぞ?!」
「ツヴァルフ、聞いてくれ。君と同じことを新入りがしてたら、君はそれでいいと言えるのか」
「…………」
彼はようやくダンベルを下ろした。
そこへ――。
「あの、団長、ここですよね?」
そっと、戸口から顔をのぞかせた者がいた。
ツヴァルフとマシューの部下である女騎士だった。茶色の髪を一つに編み、何年たってもどこかあか抜けない彼女は、名をショコラという。
胸に小さな包みを抱え、もじもじとうつむきながら一つせきばらいした。
「その、私、お夜食つくってもらって……。一緒に、食べませんか?」
そこで、横の壁にもたれているマシューと思い切り目を合わせた。
「ふ、副長!」
叫び、持っていた包みをぱっと背に隠した。
「ショコラ? ええっと……」
「何でもありません! おやすみなさい!」
若い女騎士は猛ダッシュでその場を去った。
……あれ?
マシューは口を半開きにして考え、
「ねえ、ショコラってさあ」
言いながら視線を戻した先には、なんだかひどく呆然とした顔をショコラの消えた方に向ける団長がいて、続きが一切言えなくなった。
やがてツヴァルフはぐっと厳しい目になって顔を戻し、
「マシュー」
「うん」
「止めてくれたことは礼を言う。だが、俺たちはもっと焦らなくちゃならない。後がない」
「僕はそうは思わない」
ツヴァルフはただ、強く首を振った。