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夜の森の中で、もう一度の別れ:ルーフス

 空からは月明かりが降ってきている。薄暗い森の中には、安楽椅子に座る人影も、いくつもの符もなく、それどころか天幕自体が消え失せていた。

 ルーフスはうろたえてして辺りを見渡した。むき出しの地面と木々があるばかりで、今の今まで天幕や椅子があったというのに、その痕跡はどこにもない。いるのは天幕に入ってこなかったフレリヒだけだった。

 つぶれたシルクハットを揺らし、子供用タキシードのすそをはためかせて、10歳にしか見えないローザの異母兄は笑う。

「あんなことがしたかったんだねえ。僕、わからなかったよ」

「おい、あいつ誰だよ?!」

 ルーフスは思わずくってかかったが、フレリヒはころころと笑ってステッキを回し、

「僕のやることはここまでだよ。

 さ、兄さんが来るから、逃げるなら逃げる、つかまるならつかまるで、早く決めた方がいい」

「兄さん?」

 聞き返し、あの冷たい薄笑いが頭に浮かんだ。東宮フォルティシスのことだ。

「符の力を感じ取って、こっちに来るよ。じゃ、ごきげんよう」

 ちょいとシルクハットのつばを上げてみせ、フレリヒはすたすたと暗い木々の合間に歩み入った。

「おい、待て!」

 追おうとしたルーフスは、すぐに地面に盛り上がった木の根につまづいて転んだ。顔を上げたその時には、フレリヒの姿は闇に消えている。

「なんなんだ……」

 つぶやいて立ち上がったルーフスは、そこでやっと、ローザが顔を覆ってうずくまっていることに気付いた。

「ローザ……! 大丈夫だから」

 駆け寄って肩に手を置くと、ローザの眼から涙があふれていた。

「ルーフス……。私……」

「ああ、わかってるよ。大丈夫だ」

 ルーフスはできる限り力強く言った。俺たちは誰を信じたらいいんだろうと思っていた。

 イリスは変わってしまった。

 ラフィンは亜神だった。

 ローザの異母兄たちは腹の内を見せようとしない。

 刺客はやってくる。

 刺客から助けてくれた者は、別の敵の前にローザを連れて行く。

 誰ともわからないものが、奇妙な術でローザを狙う……。

 ……なぜ刺客が現れたんだ。彼らはなぜローザの存在を知った。東宮のいる砦の警備が、どうしてそうやすやすと突破されてるんだ。東宮が一枚かんでいないと、どうして言い切れる。

 羽音が聞こえた気がして、ルーフスははじかれたように空を見上げた。

 ……翼獣だ!

 おそらく砦の方から、いくつかの影がこちらへと飛んでくるのが見える。

「ローザ、行こう。ここを離れよう」

 手をつかんでローザを立たせ、その頬の涙をぬぐった。

「さっきのやつはきっと敵だ。でも、あの東宮も信用できないよ。俺と行こう」

 ローザはためらうように身を引いた。

「でも……」

「行こう!」

 強く言い、手を引いて森の中を歩き出そうとしたとき――。

 月光をさえぎり、上空をいくつもの影が通り過ぎた。同時に、彼らを取り囲むように人間が降ってくる。武器を手にした一団が、一瞬で彼らを包囲していた。

「動くな! お前のことは、殺害許可が出ている!」

 ルーフスに向け戦斧を構え、鋭い声で言ったのは、砦で顔を合わせた男だった。

 ……銀縁メガネの、騎士団長とか言う……。

「ローザヴィ様」

 反対側から声がした。騎士団長に向かって身構えたまま、視線だけそちらに向けると、やはり砦で顔を合わせた騎士団副長の男がいて、右手で槍を構え、左手をローザに差し伸べていた。

「お助けに参りました。夜の森に連れ出され、さぞお辛かったことでしょう。ご安心下さいませ」

 なんだ、こいつら。ルーフスは唖然とした。俺が無理矢理ローザを連れ出したってことになってるのか。

「違います、私たち、逃げてきたんです」

 ローザがあわてたように声を上げた。

「私たちの部屋に、命を狙うものが来ました。ルーフスは私を連れて、逃げてくれたんです」

「なんと、そうでしたか」

 やけに白々しく、副長の男は言った。どういうつもりなのか、ルーフスにはわからなかった。包囲が解かれる様子もないのだ。

「ローザヴィ様、フレリヒ殿下は、どちらにおいでです?」

 さっきと変わらない、硬い声で騎士団長が尋ねた。

「お姿が見えませんが」

「知るかよ! あいつ、さっさと消えやがって……」

 その一言で騎士団長の表情が微妙に変わったのに気付き、ルーフスは歯噛みしたい気分になった。

 ……くそっ、カマをかけられた。

 ルーフスたちが本当にフレリヒと顔を合わせたという確証がなく、わざと尋ねてきたのだ。

「……とにかく、砦に参りましょう。ここは危のうございます。

 ……東宮殿下も、心配しておられます」

 副長がまた言った。付け加えた一言が、ルーフスにはやはり白々しく聞こえた。

 ローザが大きく息をするのが聞こえた。そして、

「その前に、ルーフスに向けている武器を下ろしてください」

 続いた声は、東宮の前に進み出たときのように、毅然としていた。

「ルーフスは、私を刺客から助けてくれた人です。その人に武器を向ける理由はありません。皆、武器を収めてください」

 さっと一同を見回した。彼らを包囲する者たちは一瞬たじろいだが、

「仰せの通りに」

 騎士団長の一言で、武器を下ろし、さやにおさめた。

「木の上から狙っている人もです」

 ローザが言い、騎士団に動揺が走った。ルーフスも驚いてその視線の先を見る。

 少し離れた木の枝に女が登り、木の幹にかくれるようにして銃を構えていたのだった。それと知って目を凝らさなくては、とても気づかないような位置だった。

 騎士団長がわずかにあごを上げると、女もまた銃を下ろした。彼はそれを見届け、丁寧に頭を下げる。

「失礼をいたしました、ローザヴィ様。いろいろと誤解があったようです。では……」

 その言葉の途中で、ローザが急にルーフスを見た。

「ごめんなさい。こんなことになるなんて。こんなことだとは思ってなくて」

「いいんだよ、ローザ。大丈夫だよ」

 勇気づけるために努力して微笑んだルーフスに、ローザも笑顔を向けた。今にも涙に崩れそうな笑顔だった。

「こんな事とは思ってなかったの。巻き込んでごめんね。これ以上、何もないようにするから」

 その手が、いつの間にか符を握っている。騎士団が息をのんだ。

「さよなら」

「ローザ?」

「お止めしろ!」

 団長が地を蹴ったのが見えたのと、符が光ったのが同時だった。

「ローザ!」

 吹き飛ばされるような感覚に思わず目を閉じ、ローザを求めて伸ばした手が空をつかんだ。


 目を開けたそこは、森の木々も騎士団もローザの姿もない、夜の砂浜だった。


「っ、ローザ?! ローザ、どこだ!」

 あわてて辺りを見渡す。人っ子一人いなかった。

 右手には、月を映して静かに波を寄せる海があり、左側にはなだらかな坂になった砂浜が続いている。夜の空気は冷たく、銀色の月光が彼の影をおぼろに砂浜に落としていた。

 背後から静かな声がした。

「ぼっちゃま、嬢ちゃまのお気持ちをくんであげてくださいましねえ」

 振り返った先、月光の落ちる砂の上を、ラフィンがゆっくりとこちらに歩いてきていた。

 くくった長い銀髪を潮風に揺らし、少し距離を取って立ち止まると、あのにこやかな笑みで顔を一杯にした。

「嬢ちゃまは、これ以上ぼっちゃまを危険にさらしたくないのですよ。ラフィンも同じですとも」

「ラフィン……。なんでここに。ここはどこだ」

 ラフィンは黙って右手を指した。砂浜の坂を上がったあたりにわだかまる黒い影だ。月明かりによく目をこらすと、それは人の背くらい大きな岩で、確かに見覚えがあった。

 幼い日、ローザと二人でよじ登った……。

「ぼっちゃまとよく一緒に遊んだ、あの浜辺ですよ。

 ……あのころは本当に楽しゅうございましたね、ぼっちゃま」

 過剰なまでににこやかに、ラフィンは笑う。ルーフスは急に力が抜けて、砂の上に座り込んだ。

「ぼっちゃま」

 ラフィンが歩み寄ってこようとする。ハッと思い出し、刀に手をかけた。ラフィンは小首を傾げ、足を止めた。

「あちらに宿が一軒あるようです。村を出る乗合馬車は朝にならないと来ませんから、宿で朝までお過ごしなさいませ」

「……ラフィン」

 ルーフスは刀にかけた手の力を抜き、それでも柄から手を離す気にはなれないまま言った。

「王冠を持つものってなんだ? イリスは、王冠を持つもの、だったんだろ」

「おや。それをどなたから」

「王冠ってのがあると、イリスみたいになってしまうのか。人間が、亜神になるのか」

 そこで思いついた。

「もしかして、ラフィンももとは――――」

 ラフィンはにこやかなまま首を振った。

「わたくしは最初から亜神でございますよ」

「そう、なのか……」

 深い失望に襲われた。

 共に過ごしたあの日々も、彼は自分たちと違う、亜神だったのだ。人を襲い、無造作に殺すもの。それを隠して、自分とともに笑っていたのだ。

「それにさて、王冠を持つものが、人間であるのかどうか……」

 小さくつぶやき、そしてまた過剰な笑顔になった。

「なんにせよ、ぼっちゃまはこれ以上かかわってはなりません。おうちにお帰りなさいまし」

 銀の髪が月光を映している。それ以上に、彼の髪そのものが硬質の光を帯びているように見えた。

「ぼっちゃま、ラフィンはいつもぼっちゃまの幸せを願っておりますよ。嬢ちゃまも同じ気持ちですとも」

「ラフィン!」

 その姿が揺らいだ。思わず手を伸ばした瞬間、銀髪の影はほどけるように消えた。

 ――――ですから、お気持ちをくんであげてくださいましねえ……。

 その声だけが、どこかから小さく響いてきた。

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