森の中で、2人:ルーフス
以前は、ごくたまにしか現れなかった化け物が、帝国全土にやたらと出現するようになったのは、数年前のことだ。
巨大な虫や獣の外見を持つ化け物たちは、一頭倒すだけでも兵士数人がかりになる。どこかで現れるたび、帝都の騎士団が動くさわぎになるとうわさにはきいていた。
ルーフスの父は、領主を兼ねた地方住まいの騎士だ。その小さな田舎の領には、ほとんど化け物は現れず平和なもので、化け物さわぎもルーフスたちにはどこか他人事だった。
だが、化け物たちの出現は加速度的に増え続けた。
ついに、領地を持つ騎士たちに討伐軍の結成が命じられ、ルーフスの父もそれに参加した。それが2年前だ。
母もルーフスも、領を旅立った父の身を案じていた。その不安が現実になった。大けがをして所領に戻ってきたのが10日前だ。
「俺、代わりに行くよ」
ルーフスは父母にそう宣言した。
「父上が行けないなら、俺が騎士の役目を代行しなくちゃ」
父とともに動いていた討伐軍に合流するため、一人街道を急いでいた途中で、山から逃げてきた民に出会ったのが今さっき。
「山の中で化け物に会ったんだ。この山には、俺の親戚が住む村があるのに」
がっくりと座り込む男の肩に、ルーフスは手を置いた。
「わかった。助けに行ってくる。俺、騎士なんだ」
そしてそのまま、山の中に駆けこんだ。男の言った方角に来たはずが、化け物の姿は見当たらない。
早く見つけなくては。こうしている間にもどこかの村が襲われていたら。
……民を守るんだ。そうすることがきっと、どこかでローザのためになる。なのに。
そう思ってあせりを募らせていた時だったのだ。
「ギャーッ!」とすごい声で叫びながら、猛スピードのメイド服が目の前に現れたのは。
「ケガはない? 大丈夫?」
『かわいいメイドのアルトちゃん』と名乗ったメイドに、ルーフスはもう一度問いかけた。
……危ないとこだったな。ここでこの子と出会えなかったら、化け物を見つけられず、ケガ人や死人を出してたかもしれない。
「うん、私は大丈夫」
高い位置で一つに結った栗色の髪を直しながら、アルトはうなずいた。
「そっか、良かった。化け物より早く走るなんて、すごいね」
化け物を倒せた安堵で笑顔になったルーフスに、アルトの方も照れたように笑った。
「大したことないよ。だって私、東宮殿下のお屋敷で働いてるくらいだもん!」
そして胸を張ってこっちを見たアルトとルーフスの間に、一瞬しんと沈黙が落ちた。
「…………」
アルトから、あれ?リアクションは?という空気が漂ってくる。
「……ええっと」
「うん?」
ルーフスは頭をかいて時間稼ぎをし、それから、考えてもやっぱり思いつかないとわかったので仕方なく質問した。
「とうぐう……ってなんだっけ」
……まずいなあイナカ者丸出しだ。
馬鹿にされるかなあと思っていたルーフスに、
「!!」
アルトは予想外にも、大きなこげ茶の目を輝かせた。
「うんっ、あのね!
東宮っていうのは、都の皇帝陛下の一番上の息子さんのこと! 次に皇帝になる皇子さまの宮殿は至天宮の東側にあって、そこに住む方だからそう呼ばれるの!
あ、それでねそれでね! 至天宮っていうのは、帝都の真ん中にある、皇帝陛下と皇子殿下たちが住んでる宮殿のことだよ! それでね……」
勢い込んで話し始める。
人に何か教えられることがうれしくて仕方ない様子だった。イナカ者とはいえ、皇帝の住む宮殿・至天宮くらいは知っていたが、目をキラキラさせて早口に話すアルトを止めるに止められず、ルーフスは黙ってその説明を聞いていた。
「……で、その東宮殿下が至天宮の外にお屋敷を持ってるんだけど、行き方はまずね、」
「う、うん」
アルトが一瞬息継ぎをした瞬間に、ルーフスは必死で自分の言葉を差し込んだ。
「あのさ、その、東宮殿下のおうちのメイドさんが、どうしてここにいるの?」
輝いていたアルトの目が、突然大きく泳いだ。
「どしたの?」
「う、ううん別に。
……お、おつかい? みたいな?」
「何で疑問系なの?」
「…………」
「あ、ごめん、もう聞かない」
そこで、こんなことをしている場合ではないと思い出した。
「とにかくさ、化け物は倒したし、俺、街道に戻らないと。アルトちゃんここからどっち行くの? もし方角いっしょなら……」
アルトは目を見開いてさえぎった。
「街道に戻る?! ルーフスくん、ここの化け物を討伐に来たんじゃないの? ほかの人は?」
ルーフスが驚くほどの剣幕だった。
「ほかの人ってのがわかんないけど、俺はあの化け物を討伐に来たんだよ。それで今倒したから……」
「違うよ!」
アルトはもう一度さえぎった。両手を握りしめ、
「化け物、たくさんいるんだよ。あっちの村の方に。
……騎士団が来てくれたんじゃなかったんだ……!」
さあっと血の気が引くのが分かったその時、
ガサリ。
背後の茂みが揺れた。
振り返ったルーフスの目に、巨大な昆虫の足が映った。