ジーク砦にて4:エドアルド
同じころ、東宮のために用意された部屋で、壁に押さえつけられてのかみつくようなキスからようやく解放されたエドアルドが、自由になった腕でこれ見よがしに唇をぬぐっていた。
「……あれはお前の妹なんだろ? なんでそう冷たくできるんだよ?!」
にらみあげたフォルティシスは、薄笑いを浮かべている。
習慣的に浮かべている薄笑いと、本当に愉快な時の薄笑いと、激怒したときの薄笑いと、彼にはいろいろあるが、これはあざけりの薄笑いに見えた。
「世の中、単純にかわいい妹だけじゃないってことさ」
「だからって、初対面からそれかよ。人質を用意して、親切面したスパイをあてがって」
「さっき言ったろ。可愛い妹への兄心だよ。バカ犬の脳では覚えておけないか?」
エドアルドは背後の壁を拳で叩いた。
「お前はまたそうやって……!」
ノックの音がし、二人は口をつぐんだ。
「失礼いたします、お食事をお持ちいたしました」
緊張した顔で入ってきたメイドは、素早く張りつめた空気を消した二人に、何も気づかない様子でテーブルに料理を並べた。
「これ以上の給仕はいらん。食事が終わったら呼ぶから、下がれ」
そう言ってメイドを追い出した後も、しばらく沈黙が続いた。フォルティシスは椅子に掛けたが、エドアルドは壁際で顔を背けた。
「エサが出てきたんだ、食べろ、エディ」
「お前、そのうち、本当に敵だらけになるぞ」
エドアルドは、テーブルのフォルティシスから視線を外したままつぶやいた。
「……別に見境なく敵視してるわけじゃない。それ相応の理由があってだ」
エドアルドはようやくフォルティシスと視線を合わせた。
「……あれはイリスリールの妹だ。この意味が分かるか、エディ」
「亜神の仲間になったもと人間と、同じ母親から生まれた子どもだ」
「それもあるが、それ以上に重要なことがある。
親父の子の中で唯一、同じ女から生まれた二人目だってことだ」
エドアルドは目を見開いた。
「どういうことだ」
フォルティシスは手で向かいの椅子を示した。
「座れ、エディ。冷める」
一瞬、ためらったのち、おとなしく向かいに座り、一応フォークを取ると、それを待っていたように東宮もグラスに手を伸ばした。
「親父は山ほどの女に子を産ませたが、どの女も、子は一人だけだ。一人産ませたら興味を失ったかのように見向きもしなくなった」
エドアルドは眉根を寄せる。
「それが、イリスリールの母親にだけは、もう一人産ませたってことになる。
しかも、だ。皇子の証拠の紋章は渡してるくせに、第一皇子である俺や重臣たちにさえその存在を隠していた。なんでだと思う、エディ」
「俺にわかるわけねえよ」
「俺にもだよ。イレギュラーだらけだ。警戒するに如くはない。そういうことだよ」
沈黙が落ちた。
「それにな」
フォルティシスは右手のグラスに口もつけず、じっとその水面をみつめている。
「何もなかったとしてもだ。これからもそうとは限らん」
「何だよ、これからって」
フォルティシスの手がグラスをテーブルに戻したが、目は揺れる水面を見つめたままだ。
「あの娘が帝位を狙い、そのために俺が邪魔だと考え始めん保証はあるか?」
「そんなこと……!」
「ないと思うのか。犬よりも単純な脳みそだな」
反射的に反論しようとした言葉に、東宮の顔に嘲笑が浮かんだが、エドアルドは怒る気になれなかった。じっと黙ってその顔を見返していると、フォルティシスは目をそらし、またグラスを手に取った。
「カズツェ家に預けられた小僧に、セーハ伯の娘の子、モルガ家の孫……」
揺れる水面を見つめ、一つ一つ挙げていく。それらの名前には覚えがあった。どれもフォルティシスの異母弟妹、皇帝の子らだ。そして、
「妙な欲を出して、俺の存在を邪魔に思ったやつは何人もいるよ」
それは皇子本人であったり、その皇子の後ろ盾である名家の者たちであったりした。
ある者は宮廷内に手を回し、フォルティシスを東宮の地位からひきずりおろそうとした。
ある者はもっと直接的に、血筋からいって当家の皇子こそ皇帝にふさわしいと皇帝に吹きこもうとした。
そしてある者は、東宮の乗る飛空艇を墜落させようと、細工をたくらんでいた、らしい。送り込まれた工作員がその場で己ののどをかき切ったので、証拠はつかめなかったと言う。
そして、フォルティシスはその皇子と家を許さなかった。そう聞いている。
「あいつ本人がそう考えるかもしれん。あいつにそんな欲を出す頭がなくても、帝都にはぽっと出の皇子を利用しようとする奴がいくらでもいる。いくらでもな」
そう言ってグラスを一口あおる姿に、何かしらのいら立ちが見えた。
……こいつは、皇帝一族のことになると冷静でなくなる。エドアルドにはそんな気がした。
共に暮らすようになって、4年目になる。その間、父親である皇帝のこと、その弟である叔父のこと、異母弟妹のこと、それらをぽつりぽつりとしか聞いていない。
あまり語りたがらないのだ。
口を開くときは、やけに馬鹿にしたような言い方で、それでケンカになることもあった。
「……でもさ」
エドアルドは皿の表面を見るようにしながらぽつりと言った。
「最初から信頼しきれないのは仕方ねえよ。だからって、相手が信頼するように仕向けた上で、自分は裏切る気ってのはどうなんだよ。
……相手が知ったら、信じてた分、ひどく傷つくだろ」
フォルティシスが急に笑い声をあげ、エドアルドは心底驚いて顔を上げた。
「なんだ、お前、自分の恨み言を言ってるだけか」
「お前……!」
エドアルドの目が殺気をはらんだ。
「ムダ吠えはその辺にしておいてさっさと食え。今日はよふかしする予定なんだ。グダグダしてると、寝るのがどんどん遅くなるぞ」
「そうやって人を踏みつけにして楽しいか?」
「必要だからやってるだけさ。特に、分をわきまえない犬のしつけはきちんとしないとな」
エドアルドは椅子を蹴って立ち上がった。
「お前を見てると食欲が失せる。中庭で刀でも振り回してくる」
身をひるがえしてドアに向かおうとした、その腕を背後からつかまれた。
「主人を待たせる気か? 昼にも言ったろ、お前を抱きたくて仕方ない気分だって」
「放せ!」
壁に押し付けようとしてくる体を押し返す。つかまれた手を振り払おうとした。
「ほう。苦痛で身動き取れない状態で抱かれるのが好みか? ……それとも」
はっきりと、嘲笑が続いた。
「故郷の連中のことがどうでもよくなったか」
ハッと、忘れかけていたことを思い出した。悔しさに震えが走るのを止められなかったが、それでも抵抗しようとしていた腕から力が抜ける。笑い含みに唇がふさがれ、ふみにじるようなキスをされた。
「いつか絶対、殺してやる……!」
「勝手にしろ」
壁に押さえつけられ、にらみつけた相手は、もうすでに首筋に唇を押し付けていて彼の目を見ていなかった。