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ジーク砦にて3:コトハ

「あの娘がイリスリールの妹だというのは、本当かもしれん」

 鉄鎗騎士団の主要メンバー達を前に、東宮が宣言した。

「帝都に連れて帰る」


 ジーク砦の最深部、皇帝一族が訪れたときにだけ使われるエリアの、高級な応接室だ。

 奥の大きなソファに東宮フォルティシスがかけ、その前の三方の空に騎士団長ツヴァルフ、副長マシュー、そしてコトハがいる。

 部屋にいるもう一人は、騎士団員ではない。

 エドアルド――鉄鎗騎士団の中では『彼』という符丁で呼ばれる東宮私邸の警備兵だ。彼だけは椅子に掛けず、ドアのわきの壁にもたれて固く腕組みをしている。警備のつもりなのか、なれ合うつもりはないという意思の表れなのか、騎士ではないから遠慮しているだけか、コトハにはわからなかった。

 わからないといえば、自分がここに呼ばれた理由も、コトハにはわからなかった。東宮直属の騎士団である鉄鎗騎士団の中、ツヴァルフやマシューとよく行動を共にしているのは確かだが、小班の班長たちさえ呼ばれていないこの場に呼ばれる立場ではない。

「殿下」

 副長マシューが、少し女性的にも見える優しげな顔に疑問の色を浮かべた。

「これまでも、皇帝陛下の隠し子を騙る者はたくさんおりました。なぜ、今回のあの少女だけ、本物だとお考えになったのか、お聞きしたく」

 東宮はいつもの薄笑いを浮かべる。その内心は、コトハには全く分からない。

「まず、皇帝一族の紋章を持っていること。あれは本物だ。材質も、細かい意匠も完全に本物だ。それが一つ」

 マシューはうなずいた。

 ……本当だろうか?

 コトハには納得できなかった。ごく上手に作られた偽物ではないと、なぜ言い切れるのだろうかと。

「二つ目。イリスリールの存在を知っていること。

 あいつの存在は厳重に隠されていたからな。ごく限られた人間しか知らん」

 そこで小さな笑い声が挟まった。

「もし偽物だったら、イリスリールの存在を知る誰かの仕込みだ。黒幕を見つけ出して追い込んでやるよ」

 東宮の本心は、いつだってコトハにはわからない。だが、その笑い方が本気で楽しそうに見えて、背筋がぞっとするのを感じた。『追い込んでやる』がどういう行為を指すのかは、考えたくもなかった。

「イリスリール姫の名を知っているだけでは、信用できないと思っていましたが……。そう考えると、イリスリール姫の名を出したことは、確かに彼女を信じる材料となりますね」

 マシューはうなずいている。

 ……でも。

 コトハは思った。

 ……それでも、こんなにすぐに妹姫として扱うには、信頼材料が足りなくないだろうか。

 皇帝の二人目の子であるイリスリール。

 ごく一部の重臣以外には、存在自体を隠されている姫。

 その名を偶然だれかが知り、利用しようと考えたという可能性を軽々と捨てるほど、東宮は軽率ではないはずなのに。

「それに、何より……」

 不意に東宮の声のトーンが変わった。張り付いていた薄笑いが消え、室内に沈黙が下りる。

 口を開いたのは、今まで黙りこくっていた団長ツヴァルフだった。

「あの少女は、イリスリール姫によく似ています」

 銀縁の眼鏡を押し上げる。

「顔立ちも、空気も。正直、最初に目にしたとき、驚きました」

 東宮はうなずきも否定もしなかった。ただ、黙っているその瞳が、ツヴァルフと同じことを考えていたと物語っているように見える。

 ……そうだったのか。

 コトハは目を見開いて、うつむき加減の東宮の顔を見つめた。

 ……似ていると。そう直感したのだ。あの少女が、妹姫のその妹だと、直感したのだ。紋章だのなんだのは、後付けに過ぎないのだ。

 しばらく、妙に重苦しい沈黙が続き、

「よろしいのですか、殿下」

 ツヴァルフが再度口を開いた。

「帝都にお連れしてしまっても」

「ああ。親父に引き合わせる」

 ツヴァルフとマシューはちらっと眼を見交わした。今度はマシューが、

「……あの少年もですか」

 あの少女と一緒に連れてこられた茶色い髪の少年のことだ。確かルーフスと呼ばれていて、ずいぶん親しそうだった。

 ……今ごろあの二人、部屋で何を話してるんだろう。コトハはそんなことを思った。

「ああ。あれは絶対に連れて帰る」

 東宮はソファにもたれて足を組み、

「可愛い妹の大事なお友達だ。いつでも人質になってもらえる距離にいてもらわなきゃな」

「……クズだな」

 壁際でエドアルドが吐き捨てた。振り返ってその表情を確かめることなどコトハにはできないが、軽蔑をあらわにしているだろうことは疑いようがない。

 東宮がそちらに薄笑いを向ける。

「優しい兄貴だろ? 愛する妹を痛めつけるつもりはないんだから」

「…………」

 エドアルドの返事はない。おそらく、さらに強い軽蔑を顔に出したのだろう。この恐ろしい東宮に、よくそんなことができるものだと、コトハは思う。

「殿下、気がかりがございます」

 ツヴァルフが空気を断ち切るように言った。

「イリスリール姫と同じ母親から生まれたということは、もしかしたらあのローザヴィという姫も……」

 室内の空気が張りつめたが、東宮の返事は短いものだった。

「どうだろうな」

 そして、東宮の顔がこちらを見たので、コトハは内心で緊張した。

「コトハ。お前、あいつのお友達になってやれ。本心やら、秘密の打ち明け話やらをたっぷり聞き出せるようにな」

「……は、はい」

「……恥知らずが」

 またエドアルドの声がして心臓が跳ねたが、彼がつぶやいたのは東宮に対してのようだった。

「はは。可愛い妹にお友達をつけてやろうって兄心だよ」

「妹にスパイをつけて、人質を取る用意もして、それが兄貴のやることかよ」

 『彼』は分かってない。

 コトハはそう思った。

 この一族は、普通の家族とは違うのだ。妹も弟も、敵か味方かわからない存在なのだ。

 帝都の至天宮に入り、皇帝やその一族と会ったら、彼にもわかるだろうか。

 だが、彼は宮殿には入れないのだ。

 ツヴァルフが口を開いた。「あの少年と……」

 そこでちらっとエドアルドの方に視線をやり、

「……彼が遭遇したという銀髪の亜神ですが」

 マシューがうなずく。

「何度か報告に上がっている亜人に似ていると、僕も思っていました。イリスリール姫とともに目撃されている……」

「長い銀髪を一つにくくっていて、月の紋様の剣を提げていた、だったな、エディ」

 東宮がエドアルドに問いかける。

「ああ。ついでにヘラヘラ笑っていやがった」

 つぶやくような声が、すさまじい殺気を連れて続いた。

「……次は殺してやる」

 ……この人といると、本当に心臓に悪い。

 先ほど、東宮にたてつけるエドアルドをすごいと思ったが、このエドアルドと平気で一緒にいる東宮の方がすごいのではないかとコトハは思い直した。

 現に、思わず背後をうかがうようにしたマシュー、ほほに緊張がよぎったツヴァルフと違い、東宮の薄笑いには何の変りもない。

「ならば、イリスリールがあの場にいたことは十分に考えられるな」

「ローザヴィ姫を……連れ去るなり、殺すなりするためにでしょうか」

「何のためにかは分からんが、ローザヴィが目的である可能性は高いだろうな」

「では、この砦を襲ってくる可能性も……!」

 そう思いつき、コトハの胸に湧きあがった不安を、東宮が鼻で笑った。

「ないな。あいつらは、一度現れるとしばらく出てこない。

 ……もし来たらそれこそ好都合だ。返り討ちにしてやるよ」

 そして立ち上がった。

「なんにせよ明日だ。ローザヴィと、亜神が殺さず見逃したとか言うあの小僧からいろいろ聞き出してやる。――ああ、一応は友好的な態度を保てよ。特にコトハ」

「はっ」

「お任せください」

 騎士達も立ち上がり、「行くぞ、エディ」と声をかけて部屋を出ていく東宮を、礼を取って見送った。皇帝一族のための居室で、食事でもとるのだろう。

 ドアが重い音を立てて閉まると、ほっとした空気が流れた。

「降魔がいるときの『彼』は怖いね。殺気でピリピリしてるよ」

 マシューがソファに倒れこむようにし、ため息をつく。太平楽な様子の副長と違い、団長ツヴァルフは真顔だった。

「本当にあの少女を帝都に連れて行っていいのか……?」

「心配?」

 マシューはソファに座りなおした。

「ああ。イリスリール姫と同じ母親の子なんだろう?」

「……あの子も、同じようになるんじゃないかって?」

「ないと言い切れるか?」

 マシューは天井を仰いだ。

「言い切れないね。そもそも、イリスリール姫がどうしてああなったのかもわからないんだ。

 ……コトハ、十分気を付けて」

 そこでマシューも、ツヴァルフも、うつむき加減のコトハに気づいたようだった。

「どうした、コトハ」

「……ああ、脅すようなことを言っちゃったね。でも……」

「あ、いえ、そっちじゃなくて」

 コトハは胸の前で両手を振った。

「親しくなるようにってご命令が。

 ……あんまり、情を移すようなことしたくなかったのになって。殿下の敵になるかもしれない子ですし」

「……ああ……」

 二人は少し目を伏せた。

「……多分、大丈夫だよ。殿下の敵になれるような子じゃなさそうだ」

「……だといいんですけど」

 コトハは苦く笑い、二人の表情が暗くなったことに気付いた。しまった、と胸中でつぶやく。

「……あー、ずっと真面目な顔してたからおなかすいちゃいました! ご飯もらいに行きましょうよ!」

 大げさに言って、元気よく立ち上がる。マシューは苦笑し、ツヴァルフも少しほっとしたようだった。

「ここのご飯っておいしいんでしょうか? 副長知ってます?」

「殿下がおいでになってるし、いいコックがいるんじゃないかな」

「あ、やったあ!」

 明るくふるまいながら、コトハは内心で決めていた。

 ……どちらにしろ、自分は東宮の騎士団の一員だ。東宮のために、その命令に従うのが最善なのだ。

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