ジーク砦にて:ルーフス
ジーク砦は、ルーフスがこれまで見てきたどの砦より大きかった。
「周辺の化け物は狩りつくしたな?」
「はっ!」
途中で合流した、東宮直属騎士団の団長だという若い銀縁メガネが、砦の兵士と鋭い声で話し、
「1から5班は再度周辺の巡視を行え! 6班7班は砦で殿下の警護に当たれ!」
副長だという優男が、騎士団の者たちに命令を飛ばしている。
「大きな砦ね……」
ローザもまた、馬の背の上で圧倒されたように口を覆っている。
暮れつつある赤い空を背景に、黒一色の巨大な砦が視界をふさぐ光景は、理由もなく不安をかきたてるものだった。
「東宮殿下や皇子の方々がおいでになることもある砦でございます。ここには、たとえ亜神と言えど、やすやすとは攻め込めません」
自分の馬をローザにゆずってくれた若い女騎士が、かしこまった口調で説明してくれた。金色の長い髪を片側でまとめ、ぴしりと背を伸ばしたその手は、ローザの乗る馬の手綱を取っている。
ルーフスは、女騎士とは反対側のローザの隣に陣取り、そんな騎士たちの様子や東宮と警備兵の動きを観察しつつ、襲撃に警戒していた。
ローザは自分一人が馬に乗ることを渋ったが、ルーフスに馬を貸そうというものはなく――多分、東宮の表情がそう命じていたのだ――ローザが馬に乗らないことには何も始まらなさそうだったので、ルーフスが言って馬に乗せ、しばらく森の中を進み、本格的に日が暮れかかるころにようやく砦についた。
「騎士団の人は、みんな若いんですね」
ローザが言った。確かに、団長も含めたほとんどが20代に見えるし、彼らの指示を受けて走り回っている者たちの中には、はたち前に見えるものもいた。
「東宮殿下の直属の騎士団でございますので、特に若手が集められました。
帝位を継がれた後も、長くお仕えできるようにと」
なるほど、とルーフスは納得し、そしてちらっと女騎士の横顔を眺めた。
……この人は、ローザを東宮の妹として扱っている。
わざわざ馬が貸されたこと、うやうやしく世話を焼く騎士が一人つけられたこと、それ以外の騎士の態度も、完全に皇子に対するものだ。
森の中で突然現れ、皇帝の娘だと名乗った身元の分からない少女。普通に考えれば怪しいはずのローザが即座に信用されたことに、ルーフスは少し戸惑っていた。
……あのペンダントは、それほどの証拠になるものなのか。
……それとも、ほかにも何か理由があるのか?
まだ10代に見える騎士が一人、女騎士のところに駆け寄ってきて、何事か耳打ちした。女騎士はうなずいて、馬上を見上げる。
「ローザヴィ様」
「……は、はい」
女騎士にそう呼ばれることに、違和感があるようだった。
「東宮殿下から、とりあえず本日はお食事をとってお休みいただくようにとのことです。このままお部屋にご案内いたしますが、よろしゅうございますか?」
「お兄様との話し合いは、明日ということですか?」
「殿下はそのように仰せとのことです」
ローザがちらりとこちらを見た。
「その方がいいと思うよ」
うなずくと、ローザもうなずき返した。
「では、そうお願いします」
中庭で馬を降り、建物の中を右へ左へと歩いて、奥まった一室に案内された。
砦の部屋という言葉からルーフスが想像したものの、倍は広い部屋だった。さらに、奥には別に寝室が続いていると聞いて、ルーフスはすっかり圧倒されてしまった。
「俺んちも騎士だけど、こんなすごい部屋、初めて見た。金って、あるところにはあるんだなあ……」
女騎士が呆れた目をむけた。
「案内する前に言っておきますけど、あなたが泊まるお部屋は、こんないいものじゃありませんよ」
「え?」
とローザが声を上げ、ルーフスも思わず、
「俺、ローザと別の部屋なのか?」
と言った。
「当たり前でしょう」
女騎士は、二人の驚く顔こそ驚きだと言いたげだ。
「待ってよ、俺、ローザを近くで守らないと。そこのソファで寝るよ」
「ローザヴィ様は私たち騎士団がお守りします。そもそも、この砦の守りは万全ですから、心配はありません」
女騎士はルーフスには取りつく島もない返答だったが、
「待ってください。私、ルーフスと一緒がいいです」
とローザが言うと、少しうろたえたようだった。
「……では、少しお待ちを。こちらに食事をお運びするついでに、殿下におききしてまいります」
女騎士が部屋を出ていくと、二人はほっと息をついた。
「兄さまが、いいって言ってくださるといいんだけど」
「ダメって言われたら、俺、出たとこの廊下で寝るよ。クッション借りてさ」
ローザはそれにも困った様子で、「ルーフスにそんなことさせられない」と言った。
「一人だけソファで寝かせるのも悪いわ。ベッド、広いみたいだし、昔みたいに一緒に寝ましょう」
「そ、れ、は、さすがに……」
ルーフスは思わず赤面して口ごもり、
「いや、このソファすごく座り心地良いぜ! ローザも座ってみろよ!」
と話をそらした。
そうこうするうちに、ワゴンを押すメイドを伴って、先ほどの女騎士が戻ってきた。
「殿下は、お二人同じ部屋でいいと仰せです」
ほっと顔を見合わせた二人に「ただし、」と続け、ルーフスの目をまっすぐ見る。
「……まあわかってるだろうな、とのご伝言でした」
「? 何がですか?」
「ろ、ローザ、俺は分かるからいいよ」
そんなことを言っている間にメイドがテーブルに食事を並べる。砦だけに簡素ではあったが品数は豊富で、ルーフスはここでも財力の違いを感じた。
「それでは、何かありましたらそちらのベルでおよびください」
一礼して退出しようとした女騎士を、「あの、」とローザが呼び止めた。
「あなたの名前を教えてもらえませんか?」
女騎士は面食らったようだった。
「鉄鎗騎士団団員、コトハと申しますが」
「コトハさん。どうもありがとう。お世話になります」
ローザが丁寧に頭を下げたので、ルーフルも同じように頭を下げた。コトハは戸惑ったように自分も頭を下げ、退出していった。
食事の間は、遠慮したにもかかわらずメイドが横について、水を注いでくれたり、皿を入れ替えてくれたりした。本当にしたい話をするわけにもいかず、二人は、
「これ、おいしい」
「これなんだろう。魚かな」
と料理の話をし続けた。
……昔みたいだ。
そう思ってルーフスはひどく切なくなった。あの浜辺の村の屋敷で、ルーフスとローザと、イリスとラフィン。4人で食卓を囲み、わいわい言いながら食べたものだ。
……またローザに会えたのに。ラフィンとイリスにも会えたのに。
そんな内心を押し隠して、
「こんなうまいもの初めて食べた! 偉い人んちのコックさんてすごいな!」
などと明るく言いながら料理を平らげた。
メイドは何も知らされていないらしく、ルーフスの能天気なセリフに笑いをかみ殺していた。そのことに少しほっとした。
食事を終え、メイドが出ていくと、ルーフスはほどよく満たされた腹を抱え、ソファにひっくり返った。
……気の重いことだけど、いろいろ話さなきゃな……。
「ルーフス、あのね。今日のうちに、いろいろ話しておきたいの」
ローザの方が口火を切った。ルーフスは起き上がる。
「手紙、出せなくてごめんなさい」
ローザはまずそう言った。
「いいよ、それはさ。それより、俺からも話したいことがあるし、ローザに聞きたいことがある」
「うん」
ローザは苦しげにうなずいた。
「話したいこと、だいたいわかる」
息が苦しくなった。
「……イリスと、ラフィンのこと、わかってるのか」
ローザはうなずいた。