その後2:ルーフス
至天宮。
皇家の私的なスペースにある庭園を、世継ぎの姫と辺境領主の代理の少年とが連れ立って歩いている。
「こっちの庭も、だいぶ花が増えてきたね」
「うん。もっと増やしてもらえないか、庭師さんにお願いしてるの」
ローザは、辺りの花をうれしそうに見回している。
皇帝の葬儀が終わってからは、こうしてローザとともに歩くことも増えた。だがルーフスには、至天宮の仰々しい空気はまだまだ慣れないものだった。
今もまだ、たかが辺境領主の息子の自分がこんな場所を歩いていることが夢のように思える瞬間がある。
……ローザは俺よりも、だいぶ慣れているみたいだけど。
「私ぜったいたくさん功績立てて、みんなに尊敬される皇帝になるの! そしてフォルティシス兄さまがイヤミを言ったら思いっきりつねっていいって法律を作るの!」
そのローザはこぶしを握って力説している。至天宮ではおしとやかで毅然とした姫を貫いているが、最近ではルーフスと二人になると急に子供っぽいところを出してくるようになった。昔、浜辺の村で遊んでいた頃に戻ったようだ。
……やっぱりローザも慣れてはいないのかもしれない。かなり頑張って、お姫様をやっているのかもしれない。
「シャリム兄さまに言ったら、応援するよって言ってくださったの。コトハさんも頑張りましょうって言ってくれたわ」
「……良かったね」
二人とも、東宮にひとにらみされたらいきなり静かになりそうだと思ったが、言うまでもないことだとも思ったので言わなかった。
「テレーゼ姉さまには、人をつねるのは良くないことだと言われちゃったの。テレーゼ姉さまをどう味方に取り込むかが問題ね」
「変わった人だよね」
「そうなの。だからフォルティシス兄さまにも負けないの。テレーゼ姉さまにだけは、フォルティシス兄さまはイヤミを言わないの」
そんなことないわ良い姉さまよ、くらいの返事を予想していたルーフスは、力強く肯定されてちょっと面食らった。
イリスとラフィンとの別れを経て、ローザに連れられてたどりついた帝都。東宮とローザを出迎えたローザの異母姉兄という人たちは、見たことのある顔だった。
「あ」
アルトと二人、ぽかんと口を開けたルーフスに、東宮がスッと低い声になって「どういうことだ?」と弟のほうをにらんだ。確かにあの時も、テレーゼのほうには何も言わなかった気がする。
本名と身分を明かされ、二人には礼を言われた。無事でよかったとお互いにそう言い、言葉だけではなく本心からそう思ってくれているように思えたのだった。
……よかった。東宮みたいな人ばかりじゃなかったんだ。
その東宮は、ルーフスなどにかまっているヒマはないという態度があからさまで、ルーフスとしても皇帝の死によってまるで落ち着かない至天宮でできることもなく、仮の宿として与えられた一室で一人そわそわとすごし、葬儀の日を迎えた。――――ローザとゆっくり話せるようになったのは、そのあとからだった。
今、帝都は喪に服している。喪の期間が明ければ、ローザの戴冠式だ。だが、それまでは一息つくことができる。
「今はまだ、至天宮を離れて遠出するわけにはいかないけれど」
至天宮の広い庭園を歩きながら、ローザはそう言う。
「お父さまの喪が明けて、いろいろ落ち着いたら、ルーフスのお母さまにお会いしに行きたいの」
「うん。母上、きっと喜ぶよ」
両親へは、皇帝の葬儀の日までの間に手紙を書いた。今は帝都で元気にしている、あの懐かしいローザと再会したと、ひとまずそれだけを伝えた。返事はまだ来ていないが、きっと喜んでいるに違いない。
「お父さまにも。私、ルーフスのお父さまに会ったことない。おケガなさってるのよね?」
「うん。でもしばらく前だから、きっと良くなってきてるよ」
行く手に、目的地である小さなテーブルが見える。
「あと、ルーフスと別れた後、お世話になっていた館にも。
何年もお世話になって、執事さんにはあんなにかばってもらったのに、ちゃんとお礼も言えないままだったわ。顔を見て話したいことがたくさんあるの」
「俺も、その人たちに会ってみたい」
「うん。ルーフスも一緒に来て」
庭園のテーブルで話そうかと言ってここまで来たが、二人は何となくそのまま足を進めた。右手に赤い花が咲き乱れる小道をゆっくり歩いていく。
「そういえば、アルトちゃんってもう戻ってきた?」
「まだなの。走っていくって言ってたから、その日のうちにでもあっちに着いたと思うんだけど」
皇帝の葬儀の後、ローザはアルトにこのまま至天宮で働かないかと持ち掛けたらしい。この至天宮で、アルトに近くにいてほしいという気持ちは、ルーフスもわかる気がした。アルトはだいぶ悩み、
「とにかく、今つとめてるお屋敷の奥様に一度会って、相談してくる」
そう言って帝都を離れた。アルトはもともとどこかの屋敷の老婦人に仕えていて、東宮私邸のメイド頭に借りた金を返しに来たところで偶然ルーフスと会い、力を貸してくれたのだった。現在の雇い主に話をしなくては、なんとも答えられないだろう。
「アルトちゃん、至天宮で働いてくれるかしら」
「どうかなあ。アルトちゃん、宮廷の空気ちょっと苦手みたいだったよ」
「うん。私もそれは思ってたの」
ローザは少ししょんぼりする。
「東宮にも、行き会うたびにおびえてたし」
ルーフスからすると、東宮は別にアルトを嫌ってはいないように見えるのだが、アルトにとっては東宮は世界で一番恐ろしい生き物の一つであるようだった。
ローザはうなずき、またこぶしを固める。
「私、ぜったい兄さまより強くなるわ! アルトちゃんが何も怖くないようにしてあげるの!」
思わず苦笑いがもれた。
……いろんな意味で東宮より強くなったローザって、そっちの方が怖いな。
「ローザはそのままがいいよ。今のローザがいいよ」
思ったまま口にすると、
「えっ。……あ……うん……」
ローザは急にトーンダウンし、なんだかもじもじした様子でしばらく黙って歩いた。
「……もし、アルトちゃんが至天宮で働くことを選ばなくてもさ」
「うん」
「ずっと、友達ではいてくれるよ」
「うん。そうよね。ときどき遊びに来てくれるだろうし、私たちが訪ねて行ってもいいんだもの」
アルトちゃんには本当にお世話になった。ルーフスはつくづくそう思った。何の恩返しもできていないし、ちょっとやそっとで返せる恩とも思えないから、これから時間をかけて返していきたい。
そのためにも、ずっと友達でいられればうれしい。
歩く道ばたに、小さな青い花が咲き乱れる一角があった。二人は何となく足を止める。小さな花に手を伸ばしながら、
「実はね、コトハさんが、鉄鎗騎士団を抜けて、今度編成される私の騎士団に入ってくれることになったの」
ローザがひどくうれしそうに言った。
「すごく覚悟決めて、兄さまにそうしたいって言ってくれたんですって。もう、どんなひどい目に合うかと思ってたけど、一言『好きにしろ』って言ってもらえたんですって」
声を弾ませるローザに、ルーフスはちょっとためらった。
「言いたくないけどさ。あの人、東宮のスパイみたいなものなんじゃ」
ローザは少し苦笑する。
「はじめはね。私もそう思ってたの。でも、そんな器用な人じゃないのよ。私と兄さまのいたばさみになって困りながら、ずっと私を助けてくれたの。
だから兄さまに言ったのは、本当は『もうスパイはできません』ってことだと思うの」
確かに、コトハとの付き合いは浅いが、ルーフスにもそういう騎士だと思えた。味方といえる人間の少ない帝都で、それでも一人がんばっていたローザを冷たく利用するようなことはできない人に見えた。
「それ以外の人も、若い人を中心に編成される予定なの。フォルティシス兄さまの鉄鎗もそうだけど、長く仕えてもらえるようにって」
ローザはそう言って、しばらく手を触れた青い花を見つめた。
ルーフスはその横顔を見つめ、口を開きかけ、閉じ、また開いた。声を発しようとしたその瞬間に、
「ルーフスは」
ローザのほうが先に言った。花からこちらに視線を移し、
「兄さまのお屋敷の警備兵さんに、剣を習うんでしょ?」
「う、うん」
言おうとした言葉がどこかに落ちて行ってしまったようで、妙に落ち着かないままルーフスは答えた。
「一応、そういうことになった。でも、あっちもあっちで忙しいみたいだから、いつからとかまだ話せてないんだ」
ローザはくすりと笑った。また青い花に視線を戻し、
「鉄鎗の団長さんが、残念がってたの。自分が指導したかったのにって」
「あの人、なんか構ってくれるんだよな」
「立派な斧使いに育てたかったのにって」
「……そんなこと言ってるんだ」
俺、剣を極めたいんだよ……と続けようとしたルーフスは、青い花に向けられたローザの目が妙に遠くを見ていることに気づいた。
「ローザ?」
「……あのね」
できる限り何気なく聞こえるようにと、そんな努力を隠したような口調だった。
「私の騎士団ができて。鉄鎗騎士団は、兄さまに仕える騎士団で。それぞれ、だれ付きの騎士団なのかは違うけど」
「うん」
「でも、私も兄さまも……私の騎士団も鉄鎗騎士団も、この国のために働くのは同じだと思うの」
「うん」
ローザが何を言い出したのかわからず、ルーフスはうなずきだけを返した。
ローザは青い花を見つめたまま、
「だから、ルーフスが鉄鎗騎士団に入った後も、別々になるわけじゃなく、力を合わせていけたらって……」
「え?!」
思わず大きな声が漏れた。
「鉄鎗騎士団? 俺が? どうして?」
「え?」
ローザがはじかれたようにこちらを見た。
「そういうことになってるんじゃないの?」
「なんで? そもそも東宮が許可するわけないよ」
ローザはしばらくぽかんとした。そして、
「鉄鎗の団長さんが言ってたの。ルーフスを鉄鎗騎士団に推薦するつもりだって」
ルーフスはがっくりと肩を落とした。
「コトハさんの代わりに立派な鉄鎗の騎士に育てるって」
さらなる一言に肩だけでなく足の力も抜けた。思わずしゃがみ込みながら、
「どうせ東宮殿下に却下されるだろうが……とか言ってなかった?」
「鉄鎗に必要な人材ですと主張しますって言ってたの。……だ、大丈夫?」
うずくまるようにして頭を抱えたルーフスに、ローザもかがみこんだ。
「無理だよ。東宮が許可するわけないし。それに……」
ルーフスは頭を抱えていた手をおろし、視線を上げた。顔を覗き込んできていたローザと、まっすぐに視線が合った。
「俺、いつかローザの騎士団に入りたいよ。
今は無理なのはわかってる。
でもいつかそうなれるように、がんばるから、」
「え?」
今度はローザが言った。
「私の騎士団に入れないって、どうして?」
「え?」
ルーフスもまた言った。
「いや、だって。
ローザからなにも言われなかったから、落選なんだって。ローザは次の皇帝だし、俺はまだ皇帝直属騎士になれるような達人じゃないから」
ローザは目を丸くしている。
「私、ルーフスも鉄鎗に入りたいんだって思ってた……。団長さんが、鉄鎗に推薦することはルーフスにも伝えてあるって言ってたから」
「団長……」
いろいろ良くしてくれている相手ではあるが、次に会ったら真顔で抗議しよう。ルーフスはそう決めた。そして、
「俺は鉄鎗になんか入るつもりないよ。鉄鎗だけじゃない、他のどこにも」
ローザと視線を合わせたまま、強い声で言った。
「小さいころに言ったの、ずっと覚えてるんだ。
俺はローザを守るって。
俺がそばにいてローザを守るって、イリスとラフィンに約束した」
ローザの大きな目がまばたきした。
「その約束、一度は守れなかった。だから今度こそ、ちゃんと守りたいんだ」
ローザの目が揺れる。ほんの少し、涙が浮かんだようにも見えた。
「私、私も……」
つまずくように早口で言い、手で胸を押さえ、もう一度言い直した。
「本当は、本当はルーフスに私の騎士団に入ってほしいって、本当は……」
ルーフスはうなずいた。ローザに向け、無意識に手を伸ばしたその時、
「あの、どうなさいました?」
とつぜん横から声をかけられて、二人は驚いて顔を上げた。至天宮の文官の一人が、少し離れたところから戸惑ったような心配顔を向けてきている。
「もしやご気分でも」
気づかわれ、二人は一瞬面食らってから思わず苦笑しあった。そういえばさっきから、二人してしゃがみこんで話をしていた。
「いいえ、大丈夫です。ありがとう」
二人は立ち上がった。また歩き出す。
「あのね」
ローザが、さっきとは違った明るい声で言った。
「私、鉄鎗の団長さんに言うわ。ルーフスは私の騎士団に入ってもらいますって。兄さまの騎士団にはあげませんって」
「東宮に聞かれたら嗤われちゃうよ。あんな小僧、だれがいるものかって言われちゃう」
「後からほしいって言ってもあげないもの」
肩を並べて歩きながら、二人は声をそろえて笑った。まるで幼いあの日に笑いあった時のようだと思った。
ふと、腰に帯びた刀に手が触れた。皇帝の病室での戦いの後、ひびの入ってしまった刀の代わりにラフィンがくれた刀だ。
あのころとはいろいろなことが変わった。ローザとともに至天宮の庭園を歩きながら、ルーフスはそう強く思った。何もかも変わったのかもしれない。笑う自分たちのそばには、イリスもラフィンももういない。二人のことを思うたび、今もまだ胸に痛みが走る。
でもその代わりに、たくさんの人たちと出会うことができた。
そして今また、ローザがこうして隣にいる。またここから、肩を並べて歩いていける。
ローザと二度目に離れ離れになった時のことを思い出す。ザイン城を囲む夜の森で、自分をかばうためにローザは転移の符を使った。あの時、守ると誓ったはずの自分がローザに守られたのだった。
だからこれからは。
今度こそ、必ず。
幼きあの日に誓い、それから何度も胸の内で繰り返してきた言葉を、ルーフスはもう一度強く繰り返した。