葬儀3:ローザ、コトハ
ローザは、黙って祭壇の上に掲げられた亡き父の肖像画を見ていた。
葬儀の場に響く司祭の声は、あまり耳に入ってこなかった。それよりもずっと思い出していたのは、イラハル神殿での役目を終え、イリスとラフィンとの別れた後のことだった。
気が付けばルーフスと二人、手を取り合ってイラハル神殿の一室にいた。ともに皇弟と戦っていた東宮と警備兵も、折り重なるように倒れてはいたがそこにいて、ゆすってみるとすぐに意識を取り戻した。
「……何があった。イリスリールと化け物どもはどうなった?」
姉の言葉を伝えると、東宮と警備兵はひどく複雑そうな顔をした。
「……本当か? やっぱり気が変わったとか言い出すんじゃないのか」
神殿の床に座り込んだままそう言ったのは警備兵だった。
「いえ、そんな気まぐれではないと思います。姉さまは本当に」
ローザは確信を持ってそう言った。そして、そういえばこの人と言葉を交わすのは初めてだと思っていた。
うなり声をあげるオオカミのような、近寄りがたい空気を持った人だと思っていた。しかし今、東宮と二人、静まり返った神殿の床に座り込む警備兵は、陰のある紫の瞳を伏せがちにして、妙に小さく見えた。
「俺もそう思う。そんな軽い言葉じゃなかったと思う」
ルーフスも強い声でそう言った。警備兵は二人がかりの言葉にも確信を持てない様子で、隣に座る東宮に視線をやった。
「どうなんだ」
東宮はちらっと合わせた視線をすぐ外し、「さあな」とだけ言った。
「俺にはあいつのことはわからん」
東宮のその表情に、ローザはふと、この異母兄は自分と離れていた間のイリスと一緒にいたのだと思いだした。
「だが、新しい結界は無事に張れたようだしな」
辺りはひどく静かだった。神殿の外で、わき続ける化け物たちと騎士団が戦っていたはずだったが、その音も伝わってこない。
亜神たちはこの地を去った。ローザにはそう感じられた。それはこの場にいる全員が感じていることのように思えた。
「帰るぞ」
突然東宮が立ち上がった。
「結界を張りなおせたし、イリスリールも消えたようだ。もうここには用はない。仕事はほかにも山ほどあるんだ。さっさと至天宮に帰るぞ」
警備兵はやはり複雑そうな目でしばし東宮を見上げ、しかしそれ以外どうしようもないと思ったのか同じように立ち上がった。
そして、ルーフスがそっと動き、部屋の床から何かを拾い上げたのがローザの視界に入った。
守り刀と、切り裂かれた長衣のように見えた。
「ルーフス、それ何?」
少年は振り返り、「えっと」と言葉を探すようにして、
「説明すると長くなるんだけど、人の遺品みたいなものだから、持って帰って弔ってやりたくて」
ローザと、東宮のことも見ながら言った。
東宮がちらっと警備兵をうかがうようにしたが、警備兵はそれにも気づかぬ様子で、何となく力のない表情でルーフスを眺めているだけだった。
それはもしかして。
ルーフスにそう切り出そうとしたその時、ローザは感じ取った。
「……兄さま」
異母兄の目がこちらを向く。
「いま、帝都でお父さまが」
東宮は少しだけ目を見開き、それから、
「……そうか」
とだけ言った。ルーフスが、拾い上げた守り刀と長衣をぐっと抱え込むのが見えた。
「やることがまた増えたな」
感情をのせずにつぶやいて外へ続く扉に向かう異母兄の背に、
「兄さま」
ローザは声をかけた。
「帝都について落ち着いたら……。小さいころのイリス姉さまの話を聞かせてください」
異母兄は足を止めた。しかし、振り返りも、何か言いもしなかった。少し待ち、それでも黙っている東宮に、ローザが言葉を重ねようとしたとき、
「俺も聞きたい」
言ったのはルーフスだった。
東宮がちらっとそっちを見て、ルーフスは急に慌てたようだった。
「いや、俺が一緒に行ってもいいならの話だけど。……あ、ダメ……だよな」
「ううん、ルーフス。一緒に来て」
ローザは言った。なぜここにいるのかわからないルーフスからも、たくさん話を聞きたいと思った。異母兄が何と言おうと押し通そうと腹を決めたが、
「ヒマになったらな。……ロクな話はできんぞ」
帰ってきた言葉が、その前の自分への返事だと気づく前に、彼はまた扉に向かって歩き出していた。
そして帝都へと戻り、その途中で行き会った急使から、父帝の死を伝えられた。イラハル神殿で感じ取った通りだった。
東宮の言った通り、皇帝の死によって至天宮はひどく忙しくなった。次の皇帝に指名されたローザも目の回るような忙しさの中でいつの間にか皇帝の葬儀の日を迎え、大聖堂の奥で、フォルティシスやテレーゼら帝都に住む皇子らとともに、司祭の唱える祈りの言葉を聞いていた。
――結局、一度もお顔を見てお話しできなかった。
直接話したのは一度だけ、父のベッドを覆うベールの外から、会話とも言えないやりとりをしたあの時だけだ。
ひどく残念ではあった。ルーフスから、父がなんと話していたかを聞き、父が母や自分たちを愛してくれていたこと、皇帝の務めを果たそうとしていたことなどを理解した。それだけに、父ともっと話したかった。話せなかったことが残念だった。
――でも、涙が出るというのとは違う。
虚脱感や疲労感。そんなものが身を包んでいるように感じられ、ぼんやりとした現実感のなささえあった。涙はずっと奥の方に引っ込んで、流れ出てくる気配すらなかった。
横にいる東宮もシャリムも、涙を浮かべる様子はない。テレーゼに至ってはいつもの微笑みだ。
代わりに、
「アルトちゃん、しっかり」
「うう……ごめんね、ルーフスくん、うう……」
ローザは斜め後ろを振り返った。一歩後ろに立つルーフスが、ローザのほうを気にしながらメイド服の肩を支えている。
葬儀が始まってからずっと、アルトは押し殺した嗚咽とともに涙を流し続けていた。
「わ、私のことはいいから、ローザちゃんを……」
「私は大丈夫。アルトちゃんを支えてあげて」
「う、うう……。ごめんね、私なんかが……」
何度も涙をぬぐうアルトに、ローザは首を振った。アルトは、皇帝の言葉をルーフスとともに聞き、その最後の願いを東宮に届けてくれたという。
イラハル神殿から帰る道すがら、陛下は頑張っていたのだと、ローザちゃんのお母さんを愛していたのだと、一生懸命に教えてくれたのがアルトだった。
そうして今、亡くなった皇帝のために一人涙を流してくれている。
「最期にお父さまのそばにいてくれたのが、アルトちゃんでよかった」
つぶやくと、ルーフスがうなずいた。アルトの嗚咽が大きくなる。
ローザはそのメイド服の腕を軽く握り、優しくゆすった。アルトは涙をぬぐいながら何度もうなずく。うなずき返し、父帝の肖像に目を戻した。
父の葬儀が終わり、喪が明けたら、自分が皇帝として即位することとなる。重責だ。だが、異母兄や異母姉、たくさんの臣下がきっと助けてくれる。その中で、父の心がわかることもあるだろう。
――姉さま、ラフィン。私、ここで頑張る。
――私に何ができるのかわからないけれど。
――ルーフスもいてくれるもの。
場が場だけに一歩下がって控えているルーフスを振り返った。泣き続けるアルトと、父の葬儀にいるローザと、どっちを優先すればいいのかわからないらしい優しい幼馴染は、アルトの肩を支えながらローザのことも気にしていた。ローザと視線を合わせ、大丈夫?と目で問いかけてくる。
――私は本当に大丈夫。今はアルトちゃんをお願い。
本当に大丈夫かと、ルーフスは考えているようだった。本当に大丈夫よと、ローザは少しだけ微笑んで見せた。
これからもずっと、支え合っていけるってわかっているもの。だから、きっと大丈夫よ。
ルーフスやアルトのさらに後ろで、鉄鎗騎士団のコトハはちょっとあきれていた。
――実の娘であるローザヴィ様をさしおいて、なんでどっかのメイドがボロ泣きしてるのよ。
ただ、そのメイドがいるいないにかかわらず、ローザは泣いたりはしない気がしていた。
見渡しても、ほかの皇子たちも誰一人涙を流してはいない。神がかりのフレリヒに至っては隠そうともしない無邪気な笑顔だ。まあそうだろうなあ。コトハは冷静にそう思った。
――それにしても、改めて見るとたくさんいるな、皇子殿下たち。
――これで全員じゃないんだからすごいよね。さすがにあの一族は誰も来てないし。
東宮フォルティシスが今ほどの立場を確立する前、幾度か命を狙われている。皇子本人か、その母方一族のものかが帝位をねらい、東宮を排除しようとしたのだ。そして、そのすべてが手痛い反撃にあった。
皇帝の第13子をかかえる、没落侯爵のモルガ家はその筆頭だ。皇子がまだ5歳にもならないころ、祖父のモルガ侯爵が東宮の暗殺を企て、失敗に終わり、決定的な証拠はつかませなかったものの、財産の大部分を放棄して帝都を遠く離れた領地へと逃げざるを得なかった。
それから十数年。
『当家の皇子はあまりに病弱で、屋敷からすらお出になることができません』
そんな理由をつけ、彼らは一切帝都に顔を出していない。皇帝の葬儀にすら、やはり来なかった。
モルガ侯爵は権力欲の強い男だ。決してあきらめてはいないだだろうと言われ、ひそかにきびしい監視がつけられているが、一切の動きはない。それどころか、所領の領民ですら何年もモルガ家の皇子の姿を見ていないらしかった。
皇子さま、屋敷に閉じこもって暮らしてるのかな。そんなに東宮殿下が怖いんだろうか。そう思うと、多少気の毒な気はする。何しろ皇子本人に何か否があるわけではないのだから。
気丈に前を向くローザ、その後ろに控えるルーフス、そして涙にくれるアルトの背を眺めながら、コトハは何となく考えた。
いまごろどうしているんだろうか。モルガ侯爵の孫、第13皇子アルティールは。