葬儀2:シャリム・マシュー
「あの子、やっぱりローザの関係者のルーフスだったんだね」
淡々と進められる最高司祭の祈りにも何の関心も持てず、シャリムは隣に立つ異母姉に小さく話しかけた。
「つい隠しちゃったけど、こうなってみると言っても言わなくても同じだったね」
二人で迷い込んだ地下鍾乳洞で出会った、ルーフスのことだ。
騎士の血筋にはよくある名前であること、長兄からはザイン城に閉じ込めてあると聞かされていたことからその場ではピンとこなかったが、救出された後でハッと思いついた。ただしそれはシャリムだけであって、テレーゼはルーフスと名乗った時点で察していたらしい。
もしかしたらそうかもしれないよと伝え、平然と「そうだろうな」と応じられたときは驚いたし、兄さんには内緒にしておこうと提案したら理由も尋ねられず「ではそうしよう」と応じられたのにも驚いた。
そして、イラハル神殿から戻ってきたローザが伴っていたのは、やはりあのルーフスであったというわけだ。
「姉さん」
「うん?」
「なんであの時、理由も聞かずに受け入れてくれたの?
僕が、ルーフスと地下で会ったことを兄さんには内緒にしようって言った時」
異母姉はやはり平然としたものだ。
「兄上の話の中でもあの場でも、ルーフスは何も悪いことをしていないからな。彼が逃げ出すことで、大きく国益を損なうとも思えなかった。
彼が兄上の手から逃れることを選ぶなら、それでもいいだろうと判断したんだ」
「……姉さんらしいよね」
言ってることが正しいのか外れてるのかよくわかんないことも含めて。という後半は口に出さず、シャリムは小さく息を吐いた。
シャリム自身は、もう少し非合理な理由だった。
確かに、悪い子ではないと思った。協力し合おうと約束したら本当に協力してくれる、そんな純朴さを持った子に見えた。それも一つ。
しかしそれよりも、
――まぎれもなくルーフスには助けてもらった。あの場で叔父の手にかかって死ぬはずだった自分を。それから、化け物に侵食され自ら命を絶つつもりになっていたこの異母姉を。
助けてくれた彼は、礼を言うヒマもなく駆け去って行ってしまった。
礼すら言えなかった恩人を、兄に売るつもりになれなかったのだ。
――姉さんにはそんな感傷、ほんの少しもなかったか。もしかしたらと思ったんだけどな。
二人がルーフスと面識があったことを、イラハル神殿から戻ったばかりの長兄は敏感に察知した。ルーフスが「地下で会った」と口を滑らし、「どういうことだ?」となぜかシャリムがにらまれたが、
「ローザの友達のルーフスは、ザイン城にいるって聞いてたよ。まさか帝都の地下で会うとは思わないじゃないか。帝都の砦にいるって、ちゃんと教えてくれていたならともかく」
とりあえずそう言ってみたら、長兄は苦々しい顔で黙り込んだ。兄さんはどうも、自分が僕らを信用しない行動をとっていると指摘されると弱いらしい。気づいたのはその時だ。
「まあだからって、調子に乗るとガツンとやられるんだろうけどさ」
「うん?」
考えていることがつい小声で口から出て、横にいる異母姉が反応した。
「なんでもないよ」
「そうか」
テレーゼはいつもの微笑で、何の疑問もないかのようにうなずいた。シャリムはため息をつきたくなる。
「姉さんさあ。こんな時も笑顔なんだね」
テレーゼは、その言葉に込められた軽いイヤミになど気づく様子もなくうなずいた。
「人と話すときは、微笑むのがよいことだ。たくさんの本にそう書いてあるのを読んだから、確かなはずだ」
「姉さんはいつもそれだよね。よいことだのよくないことだのって」
テレーゼはまたうなずいた。
「私は良い子であるべきだからな。よいことをして、よくないことはしないようにしている」
「……良い子って」
僕らもう大人だよ? あきれ果てたシャリムに、テレーゼはいつもの口調で続けた。
「亡くなった母上は、私が良い子に育つようにと願ってらしたそうだ。おじい様が、昔よくそう言っていた」
シャリムは思わず、横に立つ異母姉の顔を見つめた。
「私が良い子でいないと、天国の母上が安心して眠れないのだそうだ。家庭教師たちもそう言っていた。
母上がよく眠れないのはよくないことだ。だから、私は良い子であるべきだ」
いつもとまったく変わらない優雅な笑顔とどこかしら平坦な声で、テレーゼはそう言って口を閉じた。
「……あのさ」
シャリムは少し迷った。
「無理しなくてもさ。姉さんはまあまあ良い子だと思うよ」
通じないだろう、それでもいい。そう思って言った言葉は、やはり異母姉には通じなかった。
「そうか。そんなふうに評されたのは初めてだ。なぜそう思うのか教えてくれ」
ほらね。異母姉と、何より自分自身にあきれながらシャリムはちょっと投げやりに言った。
「ダイナ公に聞いてみるといいと思うよ」
「君の発言の理由を、おじい様に聞くのか? なぜだ?」
「ダイナ公も、きっとそう思ってるからだよ」
そして付け加えた。
「そのうち兄さんにも聞いてみるといいよ。……僕が勧めたって、兄さんには言わないでね」
鉄鎗騎士団副長のマシューは、臣下としては一番といっていいほど祭壇に近い位置にいた。
もう一人、団長のツヴァルフが横にいて、そろって東宮フォルティシスの背後に控えている。葬儀の参列者としてではなく、東宮の護衛としてここにいるのだ。
……早く終わってくれないかな。
心底そう思いながら、顔だけは神妙に司祭の祈りを聞き流していた。正直、多少眠かった。
……殿下も、眠いだろうな。イラハル神殿に向かう前からずっと、休みなしで働いておいでだものな。
……それとも殿下のことだから、これからの仕事を考えて眠いどころじゃないだろうか。
前に立つ東宮の、まっすぐにのばされた背筋を見ながら考えても、本当のところはわかるはずがない。
ちらりと視線を横に向けた。ともに護衛にあたっている団長ツヴァルフは、案の定、東宮ではなく皇子ローザヴィのほうを見ている。正確には、その後ろに控える少年を。
イラハル神殿での戦闘任務についたあの日。
急に化け物たちの湧きが止まった後、神殿から出てきた東宮が警備兵や妹姫とともにルーフス=カランドを伴っていたときは本気で驚いた。
「君がどうしてここに?!」
答えようとしたルーフスの言葉を押しつぶすようにして、
「後にしろ。仕事がつみあがってるんだ、すぐ至天宮に帰るぞ」
東宮がそう言ったのでそれ以上だれも何も聞けず、そして帝都への飛空艇の中で、ルーフスは東宮から様々なことを強く口止めされたようだった。
「えっと……。東宮殿下に聞いて」
帝都についてからは、困った顔でそれ以外答えてくれなくなってしまった。
「それでいいさ」
言ったのはツヴァルフだった。
「無事ではいないかもしれないと心配していたんだ。無事でいてくれたならそれでいい」
そんなことを言って一人で深くうなずくツヴァルフは、どうもこの少年に妙な思い入れを持っているようだった。まるで、年の離れた弟にするような態度で接している。いつの間にそんなことになったのかマシューにはさっぱりわからず、それどころかルーフス本人にも身に覚えがないようで明らかに困惑していたが、ツヴァルフ本人は気にもしない様子で、
「話せないことを無理に話す必要はない。誰かにしつこく尋ねられるようなら、いつでも俺に言え」
「う……うん、ありがとう」
東宮の名が出たらそれ以上つっこめる者など至天宮にはいるまいに、まるで自分がルーフスの保護者であるような口ぶりだった。
マシューには、ルーフスにそこまでの親しみを感じることができなかった。
イラハル神殿よりさらに前、ルーフスを閉じ込めていた砦が化け物に襲撃されたとき、部屋を確認に行ったマシューの前で彼が見せた、常人とは思えない動き。あれが今でも目に焼き付いている。ぞっとするような違和感とともに。
……これは、本当に人間か?!
脳内にはじけたその考えが、今も鮮明だ。
イラハル神殿で再会したルーフスには、あの違和感はほとんどなくなっていた。
……ほとんど。
……ほとんど、か。
マシューはまたちらりと視線を横に向ける。祭壇に向かって立つローザヴィの後ろに、ルーフスが見える。
なくなったわけではない。そんな気がする。そうじゃない気がするときもある。でも、なくなってはいないと思う瞬間も確かにある……。
ルーフスはこれからどうするんだろう。マシューはそんなことを考えていた。考えるまでもなく、ローザのそばにひかえ、この帝都で暮らすことになるのではないかとは思っていた。
だとしたら、少し怖いな。
ふと、『彼』の意見を聞いてみたいと思った。東宮私邸の警備兵、烙印を押された反逆者、戦闘狂と呼ばれ、化け物の気配にはひときわ敏感な、通称『彼』。
――いや、彼は僕に名乗ってくれた。エドアルドだと。
エドアルドは今、この葬儀の場にはいないが、
……そういえばイラハル神殿ではルーフスとともに無警戒に歩いていたっけ。
マシューはそう思いだした。
……なら、大丈夫なのか? あのエドアルドが警戒しないのなら、ルーフスは……。
その時突然、けらけらと明るい笑い声が耳に届いた。
「お土産のクッキーを買って帰る!」
「フレリヒ! 黙れ!」
押し殺した声がわずかに届き、その場はまた静かになる。驚いて思わず途切れたらしい司祭の声が、遅れてまた響き始めた。
……まあ、いいか。
マシューはそう思った。
……本当に人間なのかわからない人なんて、そういえば今までもいたんだった。
……問題は、その力であの子が何をするかだ。
ローザの背後を守るように立つルーフスを横目に、マシューの耳を祈りの言葉が通り過ぎて行った。