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葬儀:ヨハネ、キーオ

 第11皇子ヨハネは、喪服に身を包み、人々の最敬礼の中を歩いていた。この帝都でもめったにいないほどのヨハネの美貌に、思わず見とれている者も少なからずいるようだったが、それ自体はよくあることなので気にならなかった。

 それよりも、

 ――いつかもこうだったな。

 そんなことを思い出していた。

 ついこの間のことだ。皇帝である実の父に帝都に呼びつけられ、至天宮の中で右往左往した。

 あの時、ともにいたのは義兄と義姉だけだったが、今回はちがう。背後に付き従うのは、義兄ジャムールと義姉ウィンビだけでなく、ムエズィ伯爵である養母ジワと、その夫である養父バハリも一緒だ。

 そして向かう先は至天宮ではなく、帝都の一角にある大聖堂だった。

 前回、向かうことのなかった立派な建物は、大きな両開きの扉が開け放たれており、中には人々が集っているのが見える。

「お急ぎください」

 扉の両側に立つ騎士が、こっそりとささやいてきた。ヨハネと伯爵一家がくぐるとすぐ、扉が音もなく閉められる。

 正面の祭壇には大きな棺がすえられ、周りは花で埋め尽くされている。その上には皇帝の肖像画がかかげられているが、ずいぶんと若く、りりしい姿だった。

「あれ、何年前のだろうな」

「よしなさいよ」

 義兄ジャムールの小声のつぶやきに、義姉ウィンビがやはり小声で返した、その声をかき消すようにオルガンの音が響いた。


 皇帝の葬儀が始まるのだ。


 ムエズィ伯爵の領地に皇帝の訃報が届いたのは、皇子ヨハネがジャムール・ウィンビとともに帝都を訪れてから、一か月も経ったないころだった。

 皇帝が他界したとなれば、国葬が盛大に行われる。

 田舎領主の伯爵一家は、非礼のないよう最大限の準備を必死に整え、今度は一家総出で帝都へとやってきた。急ぎに急いだが、結局ギリギリになってしまったのだった。


「殿下はこちらへ」

 皇子であるヨハネだけを壇上に連れて行こうとする文官に、伯爵一家はこっそり目配せをしてきた。

 ――1人で大丈夫か?と。

 ヨハネは危うく出そうになった苦笑を押し殺し、小さくうなずくだけにした。

 大丈夫だよ、この間のことで度胸もついたし、今回はほんの少しの時間だし。

 そのまま文官についていく自分を、伯爵一家の目が追っているのがわかる。

 皇帝の訃報が伝えられて以来、伯爵一家はこっそりと、だがひどく自分に気を使っている。

 皇子たちの集まる一角へと案内され、葬儀を開始する最高司祭の声を聞きながら、ヨハネはそのことを考えていた。

 ……僕が、ショックを受けているだろうと思ってるんだ。

 オルガンの静かな音が聞こえてくる。

 ヨハネは周りの者たちをうかがった。皇帝と、平民の女との間に生まれ、幼い間に地方に預けられた皇子たちに囲まれている。皇子たちはそれぞれに、じっと目を伏せていたり、かざられた花を見ていたり、何か考えている様子だったりしたが、だれの目にも涙はなかった。

 当たり前かもしれない。捨てられたも同然の子どもたちだ。中には、母親の人生をひどく狂わされたものもいる。

 重臣たちのほうに目を移す。彼らはみなうつむき、神妙な顔をしていたが、それがどこまで本気かはわからなかった。皇帝は晩年、ひどい政治をして都を混乱させたと聞いている。内心でほっとしているものもいるのではないかとヨハネには思えた。

 この場所に、皇帝の死を本気で悲しんでいる人は、1人でもいるんだろうか。

 そう思うと、ヨハネは少し沈んだ気分になった。

 ……だけど、僕もだ。涙のひとつも出ない。泣きたい気分にすらならない。

 たとえば、伯爵家の養父が亡くなって、葬式となったとしたら。

 ……泣かないかもしれないな。

 ヨハネはそう思った。

 ……葬式で、僕は泣かないかもしれない。

 父さんがもうこの世にいないということがよくわからなくて、ボーっとして、悲しくもなくて、そうやって葬式のときを過ごすのかもしれない。

 ……そうして何日か、何週間か、何ヶ月かしてから、急に父さんがもういないんだと理解する瞬間があるだろう。僕はそこで、やっと泣きわめくんだろう。

 ……母さんが。兄さんや姉さんが亡くなったら、僕はそんなふうになるかもしれない。

 ムエズィ伯爵家の者たちの姿は、壇上のここからは見えない。

 それでも、彼らが自分を気にかけてくれていることは疑いなく感じられた。離れていても、すぐそばにいてくれるように感じられた。

 ヨハネは顔を上げた。ヨハネたちのいる場所からかなり遠くにある立派な祭壇、その上にかかげられた皇帝の肖像画を見上げた。

 あんな顔の人だったのか。

 前に会った東宮の兄上が40歳くらいになったら、あんな顔になりそうだな。皇帝って何歳だったっけ。あれは何年前の姿なんだろう。そんなことを思った。思っただけだった。

 皇帝は、自分の父であり、自分の母を不幸に追いやり、自分と一度も言葉を交わさなかった男は、ヨハネにとってひたすらに遠い人間だった。




 辺境の在郷騎士ウィーウッド伯爵家のキーオは、皇子フレリヒの手をぐっと握りしめながら、皇子たちの並ぶ壇上の一番はしに立っていた。

 壇上に登れるのは皇家の血を継ぐ者だけのはずで、付き添いを連れている皇子など他にはいない。だというのにキーオだけは当たり前のようにフレリヒと手をつないで壇上に上がることを認められている。

 はたから見れば、10歳ほどの幼い皇子が、預けられた家の大人に手を引かれているほほえましい光景だろう。――実際は、何をしでかすかわからない神がかりの皇子をしっかり押さえておいてくれと、そういうことだ。

 皇帝の葬儀など、フレリヒには何の意味もないだろうと思っていたが、案の定。いつもと変わらない上機嫌で、きゃっきゃと無邪気な笑い声を上げるのをいちいち叱りながらここまで連れてきた。

 ……皇帝陛下か。

 ……フレリヒは、話したことくらいあるのだろうか。

 以前、別の皇子を預かる辺境貴族と話した際、

『うちの殿下は、一度も皇帝陛下と言葉を交わしたことがないんだそうだ』

 そう聞いて絶句したことがある。

 ……薄情にすぎる。

 そんな皇帝のことを、フレリヒがどう思っているのか。10年を共に過ごしていても、キーオには想像もつかなかった。

 それよりも思い出すことがある。


 もう、何年も前のことだ。


 夜遅くだった。真夜中を過ぎていただろう。ふと目が覚めて部屋をふらっと出たキーオは、伯爵邸のベランダに立つフレリヒを見つけたのだった。

 ベランダに立ち、柵にもたれて、フレリヒはじっと一方向を見ているようだった。

「何をしてるんだ、こんな夜中に」

 部屋の中から声をかけたキーオを、フレリヒは一度振り返った。そして顔を戻すと、すっとまっすぐに前を指さし、いつもの声音で言った。

「あっちに、僕のお母さんがいるんだよ」

 キーオは驚いた。フレリヒの子どものような指は、館を包む夜の闇の向こう、ずっと遠くを差しているようだった。

「お前の母上が? どこにだ?」

「あっちだよ」

 フレリヒは笑う。

 フレリヒの母について、キーオはよく知らない。知らされていない。帝都の者たちでさえよく知らないようで、旅の占い師か何かだったらしいと聞く程度だ。フレリヒを産み、10日もしないうちにどうやってか帝都から姿を消したと聞いている。大勢の兵士が捜索に出されたが、見つけられなかったそうだ。

 その母親がいる場所が、フレリヒには分かるのか。

「どこだ、フレリヒ」

 キーオは強く言った。

「あっちとかそっちじゃなく、どこにいるかわかるんだろう。言え。この屋敷にお迎えしよう」

 フレリヒはキーオを振り返った。そうして、小さく笑った。それだけで、返事をしなかった。

「この屋敷に住んでいただけばいい。朝になったらすぐ飛空艇を用意して、俺が連れてきてやる。

 いや、お前も来い、一緒に迎えに行こう」

 フレリヒの母は、皇帝の許しもなく帝都から消えた。公的には罪人だ。それがなんだ、とキーオは思う。この辺境だ、帝都の連中に見つかるはずがない。もし見つかってとがめられたとしても、母が子と暮らして何が悪いのかと言ってやる。

「ダメだよ」

 フレリヒが笑いながら言った。

「お母さん、もう死んでるんだ」

 キーオは愕然とした。

「亡くなられて……?」

 フレリヒは笑う。いつもと変わらない、何を考えているのかさっぱりわからない上機嫌な笑い声だ。

「……いや、それでもだ。お墓にあいさつに行こう。せめて花だけでも供えられれば。フレリヒ、墓の場所を言え」

 フレリヒはまた小さく小さく笑い、そうしてキーオが何度聞いてもそれ以上答えようとしなかった。


「ねえ、キーオ」

 急にフレリヒが口をきき、キーオは我に返った。

 実父の葬式で祭壇を前にしているとも思えないいつもの声で、フレリヒは続けた。

「お父さんは、どうしてお母さんに僕を産ませたのかなあ」

 キーオは思わずフレリヒを見下ろした。

 いつも通り。いつも通りの、笑ったような顔だ。

「何がしたいのかは分かった。でもそれがどうしてもわからなかったんだ」

 しばらく見下ろしていても、フレリヒの笑顔はいつもと全く変わらなかった。――それでも。

「皇帝陛下の御意など俺にはわからん」

 キーオはフレリヒとつないだ手に少し力を込めた。

「でもどうしておまえが生まれてきたのかはわかる。うちの領に来て、俺たちと一緒に暮らすためだ」

 そして小さく付け加えた。

「本当は、お前の母上もおいでいただければよかったんだがな」

 フレリヒは小さく笑ったようだった。だが、言葉に出しては何も言わなかった。つないだ手を握り返してきたりもしなかった。いつも通りのフレリヒだった。

「さ、もう静かにしろ。葬儀さえ終わったらすぐに帰るから。東宮殿下からも、必要以上に帝都にいなくていいと言われている」

「じゃあ、ピートとミアンにお土産のクッキーを買って帰る!」

 能天気にけたけた笑うフレリヒを、皇子らや喪章を付けた重臣たちがぎょっとした顔で見た。キーオはあわててフレリヒの手を強く引いた。

「城下町は喪に服してる。クッキー屋なんか開いてるわけないだろ。さっさと帰るんだ、うちで親父と母さんが待ってるんだから」

 そうしてもう一度、フレリヒを見下ろした。

「お前は無敵だからわかんないだろうけどな、親父も母さんも、お前が帝都で何かやらかさないか、本当に心配してるんだぞ。早く安心させてやりに帰るぞ」

 フレリヒはまた、のどの奥でだけ小さく笑ったようだった。

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