表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
108/114

迫りくる光の奔流の中で:ルーフス

 ルーフスは目を開いた。

 そこにはローザがいた。こちらに向け右手を伸ばし、その手がルーフスの手と確かに触れ合っていた。

 そして、

「ああ、やっと会えた」

 長い髪を涼やかに揺らしたイリスが横手にいて、微笑むラフィンがその後ろにいた。

 周りはすべて、輝く力の奔流に取り囲まれている。――だが、ルーフスたちを囲むごく狭い空間だけがその光にのまれず残っていた。押し寄せる光はぴたりと止まり、まるで時間自体がそこで止まっているかのように見えた。

「人間の張る結界なんて、私には何の意味もないのよ。こうやって本気を出せばね」

 くすくす笑い、そしてこちらへゆったりと歩み寄りながら、

「私、ラフィン、ローザ、そしてルーフス」

 イリスはうれしそうにほほえんだ。

「やっと4人そろったわね。さあ、それじゃ行きましょうか」

 幼いころ浜辺の村の館で見せたのと同じ、楽しげな笑顔だった。

 ローザは戸惑うように姉の顔を見返した。

「どこに? 姉さま、私たちをどこに連れて行くの」

 イリスは優しくうなずいた。

「天へとよ。

 卑怯な手段で私たちを地底に堕とした者たちを討ち、取り戻した天界でまた一緒に暮らすの」

 ローザの手が、きゅっとルーフスの手を握りしめた。その唇から小さな声が漏れる。

「それが、私たち皇帝一族のもともとの目的だったのね?」

 ルーフスは驚いてローザの顔を見た。

「皇帝に聞いてたのか?」

 ローザは視線だけルーフスに向け、首を振った。

「いろいろ調べて、考えたの。帝都の宮殿の名が『至天宮』だから、きっとそうだって」

「そっか……」

 イリスは、二人の様子をほほえましげに眺めていた。

「そうよ。この世界は天に至る道。私たち落とされた神は、この世界を通ってまた天に帰る」

 ルーフスはラフィンを見た。執事はいつもの笑顔で、何を考えているのかわからなかった。

「一緒に行きましょう、ローザ。神の因子を強く持つあなたなら天に昇れる。ルーフスも、天へと昇れるようになれるわ。

 天へと攻め登り、取り戻した天上で、また4人で暮らしましょう」

 白く柔らかな手が差し伸べられる。

「さあ」

 イリスの美貌には、昔とまるで変わらない優しさと愛情深いほほえみがある。

 ――あのころと同じ。海辺の村で、毎日を共に過ごしたころのままのあたたかなイリスだった。

 イリスは変わらない。

 ルーフスは大きくなった。ローザもだ。イリスだけが、あの頃と変わらない姿で、変わらないほほえみをたたえ続けている。

 でも、本当に変わったのはイリスなのだ。

「一緒に行けないわ、姉さま」

 ローザが言った。イリスは手を差し伸べたまま、小首をかしげる。

「私、この世界で生まれて、この世界で暮らしてきたわ。

 姉さまとラフィンとルーフスと、4人で暮らした思い出があるのも、この世界よ。

 これからも、この世界で生きていくの」

 イリスはじっとローザを見つめた。差しのべた手が少し下がった。

「……ルーフス、あなたはどうしたいの」

 突然尋ねられ、ルーフスは「俺?」と聞き返した。

「そう。私たちと一緒に天に昇り、また4人で暮らしましょう。あなたも月の道を通れるように、」

 その言葉がふと止まり、

「ルーフス、あなた」

 イリスが目を細めた。

「降魔のかけら、一体どうしたの」

「降魔の……かけら?」

 ハッと思い出した。あの時、ラフィンが自分の心臓からつまみ出した黒い結晶を。

 ――姫様には内緒でございますよ。

 同時に、イリスがラフィンを見た。

「ラフィン、あなたね?」

 ラフィンはいつもの微笑みのまま、優雅に頭を下げた。

「申し訳ございません、姫様。つい」

「待ってくれイリス、これは……」

 とっさに思い浮かんだのは、切り裂かれたラフィンが血みどろで地に臥す姿だった。何とかラフィンをかばおうと駆け寄りそうになったルーフスの前で、イリスは苦笑した。

「仕方ないわね。あなたは昔から、ローザとルーフスのことには心配性になるんだから」

「面目ございません。小さいころをお育てした嬢ちゃまとぼっちゃまでございますから、ついつい」

 首を傾げた動きに合わせて、イリスの長い髪が揺れる。

「ルーフスが消えてしまうような浸食のさせ方はしないのに」

 薄い笑みのまま無言だったラフィンにかまわず、イリスはすいっと振り返った。ルーフスに向け、小首をかしげてみせる。

「……また、別のかけらをあげるわ。もっといい亜神のかけらを。

 ルーフス、私たちと一緒に、天に行きましょう」

 ルーフスはイリスを見つめた。優しげな微笑みだった。あのころと、本当に何も変わらない。幼く未熟だった自分に、いつも優しくしてくれた、あの暖かなイリスだ。

 だとしても。言うべきことは一つしかなかった。

「俺も、嫌だ。この世界で、人間として暮らし続けたい。ローザと一緒に」

 そして付け加えた。

「できるなら、イリスとラフィンも一緒に」

 イリスは瞬きし、ほほえんだ。こうなってから初めて見る、さびしげな微笑みだった。

「そう。残念だわ。……ああ、あのころは本当に楽しかったわね」

「まことに」

 ラフィンがうなずき返した。

 イリスの長い髪が揺れた。柔らかな動きで身をひるがえし、ルーフスたちに背を向ける。

「地底に戻るわよ、ラフィン。この世界とは別の、天に続く道を探しましょう」

「かしこまりました、姫様」

 ルーフスは目を見開いた。

「イリス、」

 人間を、俺たちを殺してでも、天に昇るんじゃないのか。

 そう尋ねたルーフスを、イリスはいたずらっぽい微笑みで振り返った。昔、ルーフスが幼さゆえに愚かなことを言ったときと同じ、暖かな笑いだった。

「仕方ないじゃない。ローザとルーフスと、ふたりがそろってそう言うんだもの。

 ……本当に、本当に楽しかったわね、あのころは。忘れることなどできないわ」

 そのほほえみの中に、ルーフスは懐かしいものを見た。再会してからは一度も見なかったもの。初めて浜辺の村で出会った時のイリスが持っていた、秘めた悲しみを。悲しみを深く胸に押し込めた、暖かいほほえみを。

 本物のイリスだ。そう思った。本当にあのころと同じ、あのイリスが今、ここにいる。

 イリスは口元にほほえみをたたえたまま、じっとローザとルーフスを眺めた。そして、すっと身をひるがえす。ふたりに背を向けるように。

 口を開いたのはラフィンだった。

「ぼっちゃま、嬢ちゃまをよろしくお願いいたします。嬢ちゃま、ぼっちゃまを大切になさいましねえ」

「姉さま、ラフィ――」

 ローザが呼んだ。しかしそれより早く、目のはしで瞬いた光が洪水のようにあふれ、一瞬で視界をおおいつくした。



 目を開けると、光はどこにもなかった。

 イリスも、ラフィンもいなかった。

 周りは静まりかえっている。

 大扉はどこにも見えず、無数の符も消え失せ、そこはごく普通の神殿内の広間になっていた。

 視界の端に、倒れている人影がある。東宮と、それをかばうように覆いかぶさった警備兵だった。意識を失っているようだったが、かすかに身動きするのが見えたような気がした。

 そしてそれよりずっと近く。ギュッと握った左手の先に、ローザがいた。

 恐る恐る目を開け、静まり返った室内にふいを打たれたように見回している。

「ルーフス。姉さまとラフィンは……」

 そこまで言い、ローザは急に口を閉じた。ルーフスも、答える代わりにつないだ手を強く握った。

 もうどこにも見えない結界の扉は、もう二度と開くことはないのだろう。

 分かたれた二つの世界は、二度と、会うことはないんだろう。

 その代わりに、つないだこの手を二度と離すまいと、そう強く思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ