再会、警備兵と少女:ルーフス
「何? ルーフスくん、怪我してるの?」
アルトはメイド服のスカートを握り、目を丸くしている。警備兵は素早く辺りを見回し、
「くそっ……」
吐き捨て、刀を握りしめていた。
ほどけるように消えたラフィンはもう、どこにもいなかった。
「……アルトちゃん、無事だった? 怪我は?」
ルーフスはそう問いかけることで、かろうじて自分を保った。
ラフィン。
イリス。
血を噴き上げて倒れる人の体。
混乱で崩れ落ちそうな自分に、俺は民間人を守りに来た騎士だと言い聞かせることでふたをしようとしたのだ。
「私は大丈夫。ルーフスくんは……」
その時、周囲を見回していた警備兵が、すっとこちらに向き直った。気づいたアルトもそちらを見、
「あれ……エドアルドさん、だ」
さあっと青ざめた。
「誰?」
「東宮殿下のお屋敷の警備の人で、」
おびえたように一つ息をし、
「何年か前に東部であった化け物との戦争に行ってて、『戦闘狂』って呼ばれてたって……」
消え入るような声でつぶやいた。
ルーフスは改めて警備兵の制服を着た、その彼を見た。
大人の年齢はよくわからないが、はたちは超えているだろうと思えた。剣士としては細身で、着ているものも刀も、装飾もないごく簡素なものだが、服はともかく腰の刀は良いもののように見えた。
その刀の柄に手がかかる。瞳は異様な光を放っていた。
「貴様、化け物どもの仲間か」
「えっ……」
「今の亜神、お前を殺さず見逃した」
その眼はすでに、ルーフスを敵だとみなしていた。
「違うんです違うんです!」
いきなり、アルトが両手を大きく振りながらルーフスとエドアルドの間に割り込んだ。
「この子、私を助けてくれた子です! 悪い子じゃないです!」」
「どけ。邪魔をするならお前も斬る」
冷たい声と、押し寄せる殺気にアルトは一瞬息を飲み、青ざめたが、
「化け物の仲間なんかじゃないです! 本当です!」
必死のに手を振り回して主張した。
相手は、怒りと殺気に満ちた目を変えようとはしなかった。刀にかける手に力が入る。
「選べ。3秒以内にそこをどくか、4秒後に斬られるか」
警備兵の突き刺すような視線が、まっすぐにアルトをとらえている。スカートから伸びるアルトの足が震え始めた。
「ご、ごめんルーフスくん……。やっぱ怖い……」
「いいよ、アルトちゃん」
ルーフスは手を伸ばし、アルトを脇へ押しやった。暗い目をした警備兵に向け、声を張り上げる。
「アルトちゃんは関係ないから。たまたま降魔に襲われてるとこを俺が助けて、恩に着てくれただけで……」
瞬間、ルーフスは反射的に刀を抜き払った。高い金属音と重い手ごたえに一瞬遅れて、目の前に現れたエドアルドの刀を何とか受け止めたことを知覚する。
左にぞっとする感覚が走った。意識するより先に上がった左腕に強い衝撃があり、右へ吹き飛ばされ地面に転がった。
……頭を狙った蹴りを、なんとか受け止めた?!
理解したと同時に、痛みが襲ってきた。
……立つんだ、追撃が来る!
即座に駆け寄ろうとしてきたエドアルドが、「ギャーッ!!」というわめき声に足を止め一歩引いた。あのとんでもない高速でエドアルドを追い越し、アルトが割って入ってきたのだ。倒れ伏すルーフスにすがりつき、
「ごめんなさいごめんなさい違うんです! この子本当に悪い子じゃないんです」
「どけ」
エドアルドが殺気そのものの声で言った。
「違うんです! ほんと違うんです! 信じてください、エドアルドさん!」
彼はわずかに目を細めた。
「誰だ、お前。なんで俺を知ってる?」
「えっ」
アルトは一瞬固まった。
「ひどい! 覚えてないんですか?! 殿下のお屋敷のメイドです! 前にコーヒーお出ししたこともあったのに!」
「…………」
「ひどい! おやつを持ってったことだって……」
重ねてわめこうとしたアルトは、エドアルドの背後の木立から低い笑い声がしたとたん凍りついた。
「俺は覚えてるよ。歴代のメイドでも一番のウスノロだ」
「でっ……殿下……」
木立の中から音もなく進み出てきた男は、エドアルドと同じくらいの年齢に見えたが、彼より少し背が高く、がっしりとした体を立派な軍服で包んでいる。胸元に、不死鳥の紋章をつけているのが目を引いた。
「誰?」
痛みに耐えつつささやくと、
「東宮のフォルティシス殿下……。この国のお世継ぎで、すっごく怖い人……」
震えた声が返ってきた。
東宮は、精悍な顔立ちに意地の悪そうな薄い笑いを浮かべて、エドアルドより少し後ろで立ち止まった。
「名前は……アルト、だったか? 働き始めたその日に、屋敷で一番古い壺を割ってくれたっけな」
「あ……あれはその……」
もごもごと言い訳するアルトにかまわず、東宮はさらに意地の悪い薄笑いになり、
「次に何かしたら手足を切り落としてやろうと思っていたが、いつの間にかいなくなっていたな。4年前だったか」
ルーフスはちょっと目を見開いてアルトを見た。
「辞めてたの? 東宮殿下のお屋敷のメイド、じゃなかったの?」
アルトは気まずそうに、うへへ、というような妙な笑い方をした。
「ゴメン、見栄はってました……」
警備兵はそんなやり取りに興味がない顔で東宮を振り返った。
「あれは本当にうちにいたメイドなのか?」
最下級の一兵士から第一皇子への言葉だというのに、敬意もおそれも感じさせない口調だった。東宮もまたそれにかまう様子もなく、
「お前がうちに来たのと同じ時期にいたやつだよ。とても表に出せんとメイド頭が泣いていたくらいだからな。あのノロマが亜神の仲間ということはないだろう」
のどの奥で少し笑い、ルーフスを見た。
「だまされて利用されてる可能性はあってもな」
警備兵の目がこちらを向き、ルーフスは反射的に起き上がろうと腕に力を入れた。左肩が強く傷み、思わずうめき声がもれる。
アルトがまた騒ぎ始めた。
「待ってください殿下! この子、そんな子じゃないです。化け物に襲われてた私を助けてくれたんです!」
「ほう? 化け物に殺されなかったことはどう説明する?」
「え……。ええっと、ほら、めんどくさかったとか……」
東宮は声を上げて笑った。
「かもしれんな。まあ俺はお前を信じてやってもいいよ」
「本当ですか?!」
アルトの声が一気に弾んだ。東宮はふっと笑い、
「だが……俺の飼い犬はしつけが悪くてな」
いきなり、アルトの体が横に吹っ飛んだ。「えっ」という声だけ残して横合いの茂みに背中から突っ込む。同時にルーフスは地面を転がり、寸前まで右腕があったところに突き刺さる刀の切っ先を視界の端にとらえ、転がった勢いだけで立ち上がった。
一瞬で距離を詰めたエドアルドが、片手一本でアルトを横手に投げ、ルーフスの右腕を串刺しにしようとしたのだ。
身構えようとした瞬間、刀を持つ右手を下から蹴り上げられた。刀が手からこぼれる。あっと伸ばした手が刀に届くより早く、こめかみに蹴りが入った。叩きつけられるように地面に倒れる。
「ルーフスくん!」
茂みから起きようともがきながら、アルトが悲鳴を上げる。
「言え。あいつらは何をしにここへ来た? お前は何のためにここに残った」
刀の切っ先の冷たさが、首筋に押し付けられた。不用意に動けば、簡単に命を失う場所だ。そしてそれ以上に、
……これ……起き上がれないぞ……。
血がどくどくと体内を巡るのが感じられる。狙いすました蹴りはとてつもなく重かった。左腕の痛み、頭の痛み、それに、体のどこにも力が入らない。
「エディ、とりあえずは殺すなよ」
東宮の嘲笑じみた声が遠く聞こえた。
「やめてあげてください! 気を失っちゃってます!」
叫ぶこれはアルトの声だ。
「意識はある。答えろ。タヌキ寝入りが通じると思うな」
つぶやくようなのによく通るのは、警備兵の声だ。
そして――――。
「やめさせてください、兄さま!」
もう一つ、少女の声が届いた。
ルーフスは目を見開いた。「動くな」と鋭く声がかかったが、それがなくても起き上がることはできなかった。
倒れたままの視界に、ブーツの足が見える。
「亜神が見逃した理由は、私が説明します。だからその子を手当てさせてください、兄さま」
その声は、まっすぐに東宮に向かっていた。
フォルティシスは薄笑いをひっこめ、眉をひそめていた。
「誰だおまえは。記憶にない顔だ。俺が誰かわかった上で、口をきいているか?」
「はい」
背筋を伸ばし、東宮の視線を受け止める少女は、ローザに見えた。
あの小さかったローザが、自分と同じ年月、成長した姿に見えた。
「フォルティシス兄さまでしょう?
私はローザヴィです。
皇帝レオラケウスお父さまと、ティトリーお母さまの間に生まれた、イリスリール姉さまの妹、ローザヴィです」
東宮の表情が変わった。
「イリスリール?
……バカな」
そのまま押し黙り、見定めようとするかのような視線をローザに注いだ。ローザもまた、微動だにせずその視線を受け止めていた。
「お父さまからいただいたこれを、母から受け取りました」
胸元から取り出したペンダントを東宮に差し出すのが見えた。
「ローザ……」
「動くな!」
大きく息を吐き、なんとか身を起こそうとした目の前に、鋭い声とともに刀が突き付けられる。
「だめ、ルーフス!」
ローザの声より早く、
「やめろ、エディ」
東宮の声が飛んだ。エドアルドは東宮をにらみつける。
「なんで止める。一体どういうことだ」
「だまれ。やめろと言っている。下がって刀を収めろ」
「この状況で出てきた小娘が妹? 信じる気かフォルテ」
「命令だ。逆らうつもりか? お前も地面にはいつくばりたいらしいな」
アルトが小さく悲鳴を上げ、はっとローザが息をのんだ。
フォルティシスの言葉にこたえるように、エドアルドの首から頬にどす黒い紋様がじわりと浮かび上がったのだ。ぐっと苦しげな息を漏らしたエドアルドは、フォルティシスをにらむ視線はそのままに、よろめくように数歩後退して刀をさやに戻した。
「ルーフス……!」
ローザがすぐに駆け寄ってきてひざをついた。ポケットから、何かの文字が書かれた紙を何枚も取出して掲げた。
……これは、符だ。紙に呪術を込め、炎や雷を生み出したり、人のケガを癒したりできる術。
……ローザ、そんなことができたのか。できるようになったのか。
「しっかり。まだ動かないで。すぐ大丈夫になるから」
「ローザ……」
痛みと、ぐらぐらしていた頭と、力の入らなかった手足が、あっという間に軽くなる。ルーフスはやっと身を起こし、
「本当にローザなのか」
目の前にいる少女を、つくづくと眺めた。
「なんでここに。妹って」
ローザは少しうつむいた。
―――ああ、覚えがある。小さいころ、こんな表情を何度も見た。
どこから来たのかとか、今までどんな場所で暮らしてきたのかとか、そんなことを聞くと、こんな顔をしていた……。
「ローザ、ごめん。答えられないことなら、もう聞かない」
「ううん、違うの。ごめんなさい、今までいろいろ黙っていて。今なら、話せるから……」
「その前に、場所を変えるぞ」
東宮の声が割って入ってきた。彼は、怒りに唇をかみしめているエドアルドに何か言うと、こちらに数歩だけ歩み寄ってきた。
「俺の騎士団が、森の中の雑魚を狩りつ尽くしている。そいつらと合流して、この近くのジーク砦に向かう。
そこから先、どうするかは、お前の話次第だ」
ルーフスは思わずローザの手を握りしめた。フォルティシスは元の薄笑いに戻り、
「心配ならお前も来い、小僧」
無造作に背を向けた。
「ローザ、俺も行くよ」
ローザは迷うように目をそらした。握った手に力を込める。
「俺も行く。一人では絶対行かせない」
「……うん」
うなずき、立ち上がって歩き出そうとしたとき、
「ルーフスくーん。助けてー……」
情けない声が耳に届いた。エドアルドに投げ飛ばされたアルトが、いまだ茂みから起き上がれずもがいていたのだった。
「わっ、ごめんアルトちゃん、忘れてた」
「そーかなって思ってたー……」