ウィズ、缶コーヒー
吐く息は白かった。
吹きつける風が僕達を冷やしている。
でも、僕は暖かかった。
彼女はコートを羽織っているから直接の体温は感じてない。
けど、それでも。
僕は暖かかったのだ。
いつもは風のよう、いやザルを通る水のように耳から通り抜ける校長の言葉が、今日は珍しく僕の頭に残っていた。
曰わく、
「中学生は大人と子供の間。皆さんは自立の時期に直面しているのです」
と。
僕は声を大にして叫んでやりたかった。
そんなことあるもんか、と。
大人は何でも一人で決められる。自らの金で生活し、自らの意思でいつ何をするか決められる。
はっきり言おう。程遠い。
中学生なんて子供のままだ。バイトも出来ないし。少ないお小遣いしか自由に扱えるお金もないし、それだって散財すれば怒られる。
僕の家庭はもっと特殊だから自分のパソコンもスマホも、もってない。スペックの低いメールとカメラのついたガラパゴスフォンを大事に大事に使うしかない。
門限もある。午後六時だからそんなに破ることもないがそれでも友達とずっと遊びたいこともある。
そんなわけで不自由なのだ。
自立できる要素はない。
来年になれば高校生だから、バイトができる。志望校のバイトの可否はちゃんと調べてある。第一から滑り止めまで、全部大丈夫だ。
でも親が何て言うかは分からない。その場になって簡単に否定されてしまうかもしれない。
そんなに頭はよくないから成績を武器に叩きのめされるのかもしれない。
不安定で不確定で未定な将来を僕は生きてる。
今日は金曜日だった。
明日は学校がない。両親は毎週末出張に行くからいない。母親の帰宅する土曜日の夕方までは僕の時間だ。
レトルトのシチューにひと手間加えたスープシチューのようなものを作り、スーパーで買った肉を焼く。
この週末は自分の好きなものが買って、食べられる。
自由なのはこの毎週の金曜日だけ。精一杯の贅沢。
食事も程ほどに英語のテキストを開く。
今は十二月、受験まで時間はない。焦りが勉強が好きでもない自分のことを焦らせる。
どれくらい勉強しただろうか。
気づけば時計の短針は真上を向いていた。日を跨いでいる。
「この時を待ってたんだ」
僕はダッフルコートを羽織り、百五十円を持って深夜の町を飛び出す。
携帯は置いていった。あの携帯にGPS機能がついていることを僕は知っている。
風をきって進む。冬の乾燥している空気が肌に痛い。しかし酷使した頭が急激に冷えた気がして、悪くない。そう思った。
こんな時間に中学生が一人、警察官に見つかれば補導だろう。
しかしこの近くは深夜になると人通りが途端に少なくなる。
僕はコンビニに辿り着いた。
今日も深夜にいる目の細い大学生程の店員が一人。この人は安全だと知っている。
いつも通りだ、ホットの缶コーヒーを買って外にでる。最近だと食事スペースがコンビニ内にあるところがあるらしいけど、生憎ここはそんな洒落た店舗じゃない。
暗がりの中で冬場の冷えた手にはいささか熱い缶コーヒーをお手玉みたいに転がす。
ようやく手が暖まってきた。じんわりとした温かみが指先から神経を通って猛烈につんざく。全身を夜空を仰ぐ、冬は星が綺麗に見える、と理科の教科書は言っていた。
「いつまで天体観測を続けるんだい?」
柔らかなソプラノの声が聞こえた。
「よ」
「よ」
二人して片手を上げる。
小さな挨拶もいつものことだ。
僕が毎週金曜日の深夜に、わざわざ外に出るわけ。
それは毎週金曜日の深夜にだけ会える人がいるからだ。
濃い茶髪の髪をボブカットにして、いつもコートを羽織っている彼女。
彼女の名前を、僕は知らない。
それどころか彼女について僕が知ってることなど彼女の年以外ほぼない。
それでも、こうして毎週金曜日の深夜に二人で缶コーヒーのプルタブを開けて語り合うのが毎週末の癒しなのだ。
「寒いね。こうも寒いと夏なんて季節があるのかどうか疑わしい。どうせ冬は寒いし夏は暑いからどっちも微妙だけど」
「冬は鍋が美味しいし夏は流しそうめんが美味しいだろ? 僕は季節ごとに美味しい物が食べられるのは得した気分だ」
「なんだ食べ物か」
「じゃあ他に何があるんだよ」
僕の問いに彼女は少し考えて、言った。
「……じゃあファッションというのはどうだろう」
「ファッション?」
急な女の子らしい話題にドキッとした。
「冬はコートやニットみたいに沢山の小物でおしゃれ出来るし、夏は涼しげなワンピースを着ることが出来る。なんなら水着も着れる」
「まぁそれは、たしかに」
「見たい? 水着に隠された私のグラマラスボディ」
僕は飲んでいた缶コーヒーで咽せた。
そんな光景が彼女にはツボだったらしい。
「あははは、面白い面白い! 最高のリアクションだ」
「なんだよ、同学年の癖に」
「たしかにそうだな、あははは!」
深夜のコンビニに少女の笑い声が響く。勿論、深夜の野外が許す限りで。
僕は楽しそうな声の中で、彼女と初めてあった日を思い出す。
十月にして初めて、僕は初めての非行を犯した。
それこそが真夜中に外に出ることだった。
深夜零時、おおよそ中学生が歩いていい時間ではない。
部屋着にコート、外出の服に見えなくもない格好で外に飛び出した。
最寄り駅は閑散としてる。急行が止まるようなイカした駅じゃないけど普段は割と賑わっているのだけど、この夜は人がいなかった。
そのままぶらぶらと歩き回る。補導されないように注意を払って。
たどり着いた先は、コンビニだった。
そのまま入店する。大学生位の店員が「らっしゃっせー」とやる気のない返事をする。
財布の中身を調べた。百五十円だった。
……迷った末に僕は缶コーヒーを買った。
眠気を覚ましたかったからだ。
なんだかんだで早寝早起きな生活を送ってる僕にとって歩き回った末の深夜一時は疲れることだったのだ。
「まぁ、そういう日もあるよな」
レジでコンビニの店員が喋りかけてきた。
「マニュアルだとこんな時間にコンビニに来る少年は補導しなきゃ行けないんだが……」
その言葉に心臓が止まるかと思った。
「まぁ、息抜きは大事だ。バレないようにな」
しかし、あっけらかんと許されてしまった。
僕は初めてコンビニの店員に物凄い感謝の念を抱いた。
迷惑にもなるだろうから立ち読みはせずに外に出る。この前まで残暑残暑と言っていたのが嘘のように冷たい風が吹いた。
コンビニのガラス張りの壁に寄りかかりプルタブを開けた。
湯気が見える。冬みたいだ。
「寒いね」
最初、その言葉が誰に向けられたものか分からなかった。
そしてあたりを見渡し、心臓はまたも停止の危機にあうこととなった。
厚手のパーカーを着た女性が横にいた。
大人びた出で立ちに良識ある大人が然るべき場所に連れて行くつもりなのかと思い、僕の体は硬直した。
「あらら、時候の挨拶じゃだめだったかな? じゃあ改めて、こんばんは」
「……こ、こんばんは」
次には「君こんな深夜に外に出るのは悪いことだって分かるよね? お姉さんと一緒に行くとこ行こうか」などと言われるのではないかと恐怖でいっぱいだった。
しかし彼女の言葉は違った。
「そんなに硬くならなくていいよ。あぁ大丈夫大丈夫。別に補導しようって訳じゃないから」
その言葉に緊張が解ける。よく見たら彼女もそんなに年が離れてないように見える。
「歳いくつ?」
「十五」
「中三か、じゃあ、同学年だね」
驚くべきことに彼女もまた同学年だったのだ。
「君は、どうしてここに?」
「多分君と同じだよ。疲れたんだ」
「……それは勉強に?」
「まぁ、色々さ」
確かに勉強だって問題だが実は悩み事はそれだけじゃない。
彼女と缶コーヒーを飲みながら話続けた。
彼女は同じ会社の缶コーヒーで、微糖だった。
好きなコーヒーの種類とか、いつの季節が好きかとか。とりとめのない話題を続けた。
十数分位話してから彼女は言った。
「君はいつもこの時間に?」
「いや、初めてだけど」
「そうかなら無理強いはしないんだけど……」
「……何を?」
彼女は息を吸い込んで、言った。
「またこうしてこの週のこの時間に、私と話をしてくれないか?」
魅力が詰まっていた。
深夜に女子と外で待ち合わせる 。いかにも大人びたその行為は魅惑的なものだった。
「勿論毎週じゃなくていいんだ。これない日だってあるだろうし私にもある、だから……」
「大丈夫。僕は毎週この時間は暇なんだ。それに……」
「それに?」
僕の一瞬の返答を待つ彼女に非常に魅力を感じた。
でも土壇場になって、この時間が楽しかった、とは言えなかった。本当に、天の邪鬼な自分に腹が立つ。
「まぁ、深夜にやることもないからね」
僕たちは解散した。
それ以来僕の週末は楽しみな時間になった。
僕たちの会話はいつの間にか英語の話になっていた。
「私は英語、好きだよ」
少し誇らしいのか彼女は胸を張った。
「そりゃうらやましい」
「We talk various things in midnight.」
深夜をmidnightとちゃんと訳すあたり、やはり得意なのだろう。僕じゃあそうやすやすと訳せない。
「ウィズ、缶コーヒー?」
「With can of coffeeかな」
「なるほど」
「でも、ウィズ缶コーヒーだって良い響きじゃないか」
「そりゃどうも」
投げやりな僕の言葉を聞いてか彼女は少し戸惑ったようだった。
「……どうしたんだい?」
「心配になったんだ」
「心配?」
「これから僕たちは受験を迎える。けどこんな英文一つ作れないんじゃ心配にもなるだろ」
「そんなこといったら私だって数学は苦手だよ。テスト用紙みる度、嫌になる」
「……」
「だから頑張るんだろう。今日は帰るよ。また来週ね」
なんだか怒らせてしまった気がする。
気まずい空気の中夜が更けていく。
「え、母さん今日は家にいるの!?」
母親の言葉を僕は反射的に言い直してしまった。
「えぇ、先方にトラブルがあったらしくて」
今日は金曜日だった。
気まずくなっちゃった後だから今週は謝ろうと思っていたのに。
どうにかして外に出られるだろうか。いや母親は深夜までずっと起きているから無理だろう。つまり今日彼女に会うことは出来ない。
目の前が真っ暗になったような気がした。どうしようもなく困った状況に僕はどうしようもなかった。
結局僕はこの日外に出ることはできなかった。
その次の週の夜、僕は外に出た。来るまでの時間が長く感じる。
缶コーヒー片手にずっと待っていた。結局、時計の針が二時をさした頃、大学生くらいのコンビニの店員が外に出てきて言った。
「今日は来ないんじゃないか?」
「……」
何も答えない僕にもかまわず大学生はコンビニから持ってきたらしい缶コーヒーのプルタブを開けた。
「まぁ、そういう日もあるよな」
いつの日かと全く同じことを彼は言った。
彼は僕と彼女の何を知ってるんだろう。コンビニの自動扉を開けたことはないから会話を聞かれたこともないはずなのに。
……じゃあ僕は彼女の何を知っているんだろう。
彼女の身元も、通ってる学校も、名前も血液型も電話番号もメールアドレスもどんな生活をしてるのかも、何もしらない。歳以外、何も。
僕は彼女の何を知ってるのだろう。
彼女の、何を。
結局、その次の週も彼女は現れなかった。
いつかは終わると思っていた。こうやっていつの間にか彼女の事を忘れていくのか、これも思いでの一つになっていくのか。いつの間にか、習慣は習慣ではなくなるのだろうか。
僕はそんな思考を吹き飛ばしてコートを羽織った。
今日は携帯も持った。GPSが怖いから電源は切ってあるけど。
ラストチャンスのような気がした。
これ以上この僕だけが待つ状況を耐えられるのか怪しかった。傷つきたく無かった。
靴を履いて、僕は外に出た。
……彼女は、そこにいた。
缶コーヒーを片手に夜空を見上げていた。
僕はコンビニ入って缶コーヒーを買った。
扉を出たとき、彼女は僕のことを見つめていた。
いつも通りのコートと見慣れた茶髪。
「よ」
「よ」
静かに挨拶した。けどその後に続ける言葉がない。本題に入るべきなのかここで一度閑話を挟むべきなのか、迷う。そしてそれは彼女もそうみたいだった。
「あの……さ」
結局僕から話すことにした。
「この前、来れなくてごめん」
「いやそれは私だってそうだし、初めに約束したろ。来れなかったら来なくていいって」
「それと。メアドを交換しない?」
僕は勇気を振り絞って、そう伝えた。
自分から女子の連絡先を聞いたことなんかない。初めての経験と発言に心臓がドキドキと動いた気がした。
……しかし彼女は俯いていた。
「あ、いや、こんな風に来れるのかどうか、分からないと不便だから、連絡先が分かってたら便利かなって。ほら先週とかその前とかどっちが都合悪いとかって……」
あわてて補足する。あまりにも唐突な言い出しに困ったのかもと期待しながら。
「すまないけど」
僕の言葉は彼女に遮られた。
「それはできない」
「……え」
拒否されたのだと、すぐに理解した。
でも、受け止められはしなかった。
「違うんだ。君と連絡先を交換したくないわけじゃない。そうじゃなくて……私携帯を持ってないんだ」
慌てふためいたように彼女は言った。
「この際だから私の話したかった事も言うんだけど。実は私、中三じゃないんだ」
衝撃的な言葉が二つ、続いた。
「私が言いたかったことは。私についてだ」
彼女は滔々と、語り始めた。
「私の家はひどく貧乏でね。父子家庭だからそういうのも必要なくて、それと学校にも行けてない」
今の僕には想像もつかない生活だった。
「私本当は十七歳なんだ」
……年上だったのか。
「なんで、歳を……?」
「ほら、年齢差って私たちの頃だと大きな差だろ。あくまで友達だから、対等でありたいんだ」
僕はこれに何と答えれば良いのだろう。何て言えばいいんだろう。
「……正直私みたいなのは特殊で、珍しいってわかってるんだ。だから嘘をついてでも対等に話せる関係になりたかった。君がそうだったんだ」
冬の冷たい風が彼女の茶髪を靡かせた。
「……引くだろ? 私だってこんな話、するつもりじゃなかった。けど、もしかしたらこれからこういう風に君と会えないことがあるかもしれないから。これからは隠さずに会って話がしたい」
僕の知ってる彼女は、こんな風に話さない。大人びた話し方と態度で僕のことをからかったりカッコいいことを平然と言ったりする。こんな風に感傷的に自分の過去を話したり恥じらうように人との繋がりを確認しない。
……でもそれは決してマイナスな勘違いじゃなかった。
むしろ、年相応な反応が彼女という存在をぐっと近づけた気がした。
言いたかったことを、言おう。
彼女は、こんなにも近づいた存在になったのだから。
「実は、これから受験だからここにはこれないかもしれない。……でも、終わったらここにまた来るから!」
「……待ってる」
彼女は、微笑んでくれた。
その時これまでで一番強い北風が吹く。
その時僕は、彼女の事を抱きしめていた。
考えなしの行動だった。
彼女は本当に驚いたように声を上げた。
「……寒いから」
僕はここにきて何の説得力もない事を口走った。
「暖かいよ」
少し体が密着した。
吐く息は白かった。
吹きつける風が僕達を冷やしている。
でも、僕は暖かかった。
彼女はコートを羽織っているから直接の体温は感じてない。
けど、それでも。僕は暖かかったのだ。
彼女の髪の毛が目の前にあって、今頃になってそんなに身長が変わらないことを実感する。
「恋愛ってしたことあるかい?」
「ない。付き合ったこともない」
唐突な彼女の質問の意図はよくわからない。
「私もいつかはするべきだと思う……でも、今じゃないと思うよ」
「……どうして?」
「受験後が一番いい時期だと思わないか?」
その言葉の意図に驚いて彼女の顔をまじまじと見る。
彼女の顔はいつもの達観したような余裕そうな顔だった。
……でも頬は少し赤かった。
数ヶ月後。
僕は彼女と再開した。彼女は缶コーヒーを持ち上げて言った。
「祝杯を上げよう」
「ウィズ、缶コーヒーで?」
「それが私たちっぽいだろ?」
深夜のコンビニ前、僕たちは抱擁を交わした。う
大学受験や高校受験、最近では中学受験や小学受験もメジャーな世界へ変貌しています。そんな中でも今回は高校受験を間近に控えた中学生がメインの話です。いろんな社会的欲求が心の中で跋扈するような年頃で不自由から逃げ自由を手にしたいという思いを詰め込みました。ヒューマンドラマなのか現実世界の恋愛なのか、ここにひとつの難点があって結局恋愛にしました。合ってるよね? 合ってないかな。
言い忘れてましたが自由を手にしたいという思いが合致するのかは人それぞれですがね。
そしてこれからの二人がどうなるか、敢えて語らないエンディングを取り入れましたがどうでしょう。
そしてあまり僕に関する表現を書かないようにしました。感覚としては時代背景というか舞台というかの「ハコ」に脚本をおいた感じ、僕の外見については触れないで設定だけ。感情移入できたらうれしい限りです。
ではこの辺で。
読んでいただきありがとうございました。