1.薄闇の中
のんびり書いていきたいと思います。
ファンタジーな街並の中に、そこだけぽっかり穴が開いたかのような黒い穴があった。
その穴は急に大きくなり、俺の足下まで広がった。
周囲の風景は黒く塗りつぶされ、唐突に地面の感覚がなくなり落下していく。
体にやけにリアルな衝撃が走って、俺は気を失った。
────────
…………!
何か物音が聞こえる。
「ぐ……ぁ……」
急速に意識が覚醒していく。
土の上に倒れ込でいたのか、口の中に砂が混じって気持ちが悪い。
砂を吐いて体を起こす。
気を失っていたようだが……、ここはどこだ?
周りは岩に囲まれていて薄暗い……どこかのダンジョンの中みたいだ。
壁はゴツゴツとした岩肌を見せているが、床だけは均されたように平らになっている。
近くからは水の流れる音も聞こえている。
辺りは薄暗いが見えないほどでもない。
ダンジョンの壁に明かり代わりの苔が着いているからだろう。
そこまで考えて気づく。
──ここってゲームの中なのか?
さっきまで俺はVRMMOをやっていたはずだ。
とはいえ目に見えるダンジョンの壁は全く偽物っぽさを感じさせない。
気絶していたときに入ったのか、口の中が砂っぽい感じがする。
ここまで細かな感覚はゲームではなかったはずだ。
それに体にはまだ落下した時の痛みが残っている……。
そういえば、俺はあの黒い穴に飲み込まれて……あれってなんだったんだ?
記憶は確かに残っている。けれどもどう考えても辻褄が合わない。俺はいったいいつゲームからログアウトしたんだ?
──今までの事は夢か? けど、この感触はゲームじゃありえないぞ……。
試しにゲームメニューを開こうとするが、やはり何も起こらない。
──どうなってるんだ……クソッ、訳が分からない。
信じられない気持ちで、壁を触ってみようとして気づく。いつのまにかグローブをしていた。
それだけじゃない。着ている服が全部変わっている。
着ているのは麻のような丈夫な布でできた簡素な服だ。
下着は着けていないようで腰周りがスースーする。
腰にはナイフが下がっていた。取り出して見ると、切れ味の良さが見て分かる。
これってゲームの中の初期装備か?
でも俺のキャラクターはもっと良い装備を身につけていたはずなんだが。
ナイフを丁寧に仕舞い、他に変わった物はないかと周囲を見渡す。
今いる場所は開けた空間で、空間の先は通路のようになって奥まで続いている。
恐らくどこかのダンジョンの中だ。
微かな苔の明かりに照らされたダンジョンは、少し現実離れした光景に見える。
おかげで真っ暗闇でないのは助かった。
ゲームでも現実でもどっちでもいい。
何にせよここから出よう。
こんな誰が来るとも知れない洞窟にいるのは御免だ。
────────
数日経っても、俺は未だに出口を見つけられないでいた。
探索し始めてすぐに、ここが死と隣り合わせの危険な場所だということがわかった。
ダンジョンという推測はやはり間違いないようで、そこらじゅうに魔物がいるのだ。
最初に遭遇した魔物は、俺の身長を超えるほどに大きい虎のような四足獣だ。
ピチャピチャと音を立てながら、何かの動物の死骸を食べていた。
そいつが食事中だったこともあり、気付かれることなくなんとかその場から逃げられた。
それからは魔物を避けるため、神経を張り詰めながら進んだ。
ゲームの中ならまだしも、現実と見紛うばかりのこの世界では生身で戦おうとは思えない。
もっともゲームだとしてもこの貧弱な装備では勝てないだろう。
もしかしたらゲームと同じで死に戻りができるのかもしれないが、
確信も持てないし試す気にはなれない。
それになんとなく死んだら終わりなのではないかと思うのだ。
魔物のことを考えなくてもこのダンジョンは厄介だ。
ダンジョンの構造は意地の悪い迷路のようになっている。
目印を付けながらも慎重に歩いたのだが、魔物を避けるうちにすぐに方向感覚は失われた。
気のせいか出口ではなくダンジョンの奥に向かっているような気もしてくる。
それでも進んでいけばどこかに出られるだろうと、体を休めるのもそこそこに歩き詰めた。
水はそこらの岩の間から染み出ているのでいいが、食料もないし体力的にも精神的にもそろそろ限界だ。
歩いているうちに人のいた痕跡も見つかったので、人の出入りが全くないということもないはずなのだ。
早いところ外に出れないものか。
──キィ。
どこからか物音が聞こえる。
眠気でぼうっとしていた頭が覚醒した。
何かがぶつかり合っている音だ。
それに、動物の息遣いも聞こえる。何匹分も。
近くで魔物同士が争っているのか。
いつのまにか開けた場所に出ていた。
周囲は山間の道路のように崖と岩壁に挟まれている。
岩壁をのぼれれば上にも道がありそうだ。
温かく湿った空気が流れている。
もしかしたら地上が近いのかもしれない。
さっきの音はなんだったのか。
俺は静かに大きな岩の影に身を寄せると、周囲を観察した。
進行方向の左から何か聞こえる気がする。結構近い。
まだ見えていないけど、隠れるところが少ないこの場所はかなり危険だ。
すぐさまこの場を離れよう。
音の方に気を配りながら、そこから離れようとする。
その時疲れのせいか、地面の荒れに足を取られた。
「……っ!」
音に意識を取られ過ぎていたのが悪かった。
転んだ先。通路の崖側は急な斜面になっている。
そこを転がり落ちた俺は、必死に体を丸めて耐える。
しばらくして斜面の下についたが、その後も一緒に落ちてきた石に暫く耐えていた。
「いってぇ……!」
目を開いた俺は己の運の無さを呪った。
目の前に、黒に白い斑の模様をした蜘蛛がいる。
蜘蛛と言っても普通の大きさじゃない。高さが俺の腰程もある魔物だ。
その蜘蛛が二匹。
赤い目を光らせて、間抜けな獲物を嘲笑うかのようにこちらをじっと見ている。
その視線を睨み返して身を起こそうとするが、
やはり見逃すつもりはないのか、その巨体に似合わぬ速度で襲ってきた。
「クソッ!」
咄嗟に横に転がって、腰の短剣を構える。
すぐに襲い掛かってきた蜘蛛をあわてて避わす。
走れば避けれないこともない。
次に来た奴を飛び越すように思い切って避け、その黒い体毛の生えた背中に向けて、両手で短剣を突き立てた。
「……ッ!? なんでッ!」
突き立てた短剣は、しかし鈍らのように蜘蛛の体表を滑るに終わった。
体を覆う甲殻が異常に硬いようだ。
それならと思い、甲殻の隙間を狙うがそれも弾かれた。
そうこうしている内にもう一方の蜘蛛が襲ってきたので、慌てて後ろに下がる。
いざという時に頼りになると思っていた短剣がまるで通用していない。
それどころか蜘蛛の鋭い体毛で引っ掻かれて傷を負ってしまった。
何か毒でも持っているのか、傷ついた部分ジクジクとうずいている。
痛みを我慢しつつ走り回って、蜘蛛の攻撃を避け続ける。
安全なタイミングを見計らって斬りつけてはいるが、一向に効果が無い。
どうする。敵の動きは決して速いわけではない。だが、走って逃げ切れるほどだろうか。
そんなことを考えていると、避けるときに足がもつれてしまった。
なんとか避けたものの、もう一匹の蜘蛛に体を吹き飛ばされる。
慌てて起きようとするが、その時には蜘蛛に体を押さえつけられていた。
死が近づいてくる。
だけど、ここで諦めるつもりはない。
「……背中が駄目だっていうなら!」
斑蜘蛛の赤い目を目掛けて、振りかぶっていた短剣を思い切り突き立てる。
振り下ろした腕は自分のものではないのではと思うほどの速さだった。
狙い通り、短剣は斑蜘蛛の頭深く、根元まで突き刺さる。
相当に深くまで刺さったのか、蜘蛛は体をうまく動かせなくなって倒れる。
短剣を引き抜くと、思ったよりもすんなりとした感触だった。
ドロりとした体液が手を濡らして気持ちが悪い。
「くそっ、ざまあみろ!」
急いで蜘蛛の下敷きになっている下半身を引き抜こうとするが、その時になって俺は自分のミスに気付いた。
蜘蛛の糸に似た粘着質の物体が足に付いている。のし掛かられた時にやられたのだ。
やられたのは膝から下あたりだけだが、容易には取れそうにない。
もう一匹はすぐそこまで来ていた。
仲間の亡骸を邪魔そうにどかして、餌である俺へ鋭い顎をひらいてみせる。
咄嗟に短剣を刺そうとするが、あっさりと前足で払われた。
そして蜘蛛が噛み付いてきた。咄嗟に左腕で防御する。
蜘蛛の鋭い牙が腕のプロテクターを突き破って穴を開けた。
「ぐぁっ……!!」
歯を食いしばり右手で短剣を振り下ろす。
奴はあっさりと腕を放したが、その時の動きで俺は短剣を振り払われ遠くに落としてしまった。
──ここまでか。
諦めにもにた感想が思い浮かぶ中、唐突に怒りが沸いて来る。
──こんな訳の分からないまま死んでいいのか?
──今まで生きてきたのはここで終わるためじゃない。
──絶対に生きて帰ってやる。
怪物を殺せるくらいの怒りを視線に込めて、蜘蛛を睨みつける。
無事な右手に石を握り込む。
また噛み付いたら左手をくれてやろう。そしたら拳が壊れたって構わない。腕ごとこの石をぶち込んで殺してやる。
そうして覚悟を決め、一秒、二秒、と待っていると、唐突に蜘蛛が倒れる。
よく見たら蜘蛛の頭には細い矢が生えて、そこから体液を流していた。
「********!」
崖の上から声が聞こえる。
上から呼びかけている人がいるのだ。
しばらくすると、少し離れた場所にロープが伸びてきた。どうやら助けてくれるみたいだ。
「助かった……」
ロープを伝って斜面を降りてくる人の姿を目にして、ようやく俺は安堵の息を吐いた。