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暴走少女の相手は面倒だ 1

 夏休みが始まり、三日が過ぎた。

 補講も今日まで。今日からはのんびりとした夏休みがやってくる。やってくるのだが……

「はあ」

 隣でため息を零している信也。

 その顔には疲労の色が濃い。

 何かあったのか。そう問われたならば、綾が原因と答えることが適切だ。

「ここ数日。大変だったからな」

「ああ。なぜか綾の俺に対するヘイト値が上がってる気がするんだ。特に、この数日は謙虚だよな」

「まあ、な」

 なんで、そこまで敵対しているのか……分からない。分からないけど、綾が真剣に信也を嫌っていることだけは分かる。

 原因の一端は俺が泊まるるようにお願いしたからなのだろう。だとしても、その程度で嫌うとは思えない。雪さんの彼氏になったからだけとも思えない。

 思いのほか根は深いのかも……

「何かやったのか?」

「俺が何かしたと思うか?」

「綾があそこまで嫌ってるのは、何かあったから……としか思えないんだが?」

「確かに、な」

 そのこと自体は、信也も納得しているのだろう。父の持つ正義に憧れ、正義を愛する綾が正義に反して信也に対して冷たい行動や言動をする。馬鹿と称するのもその一つだろう。

「それを見つけないと、どうすることもできないだろうな」

「まあな。夏休みの宿題以上に辛くなりそうだぜ」

「合宿の宿題。だろうね」

「うわっ! 馬鹿野郎。それこそ不可能ミッションだろうが!」

 驚き、のけぞっている。

 凄く嫌そうにしているのは、それが成功しそうにないことだと分かっているからなのだろう。

 まあ、俺だってこの宿題が簡単に終わらせられるものだと考えてはいない。相談部総出でやってなんとかなるかなレベルだ。正直な話をすれば、綾が信也に対して普通の対応をする未来が想像できないのだ。

 この間解決した事件よりも難解かもしれない。あれは、まだ可能性のビジョンはあったのだ。その未来にするために綾にはずいぶんと辛い目に合わせてしまったが、なんとか丸く収まってくれて助かった。

 あのままこじれたら大変なことになっていただろう。こじれなくて本当によかった。

「くそっ雪穂のことだけじゃなくて、綾ちゃんのことまで……試練多すぎだろうが!」

「そうか?」

「そうか? って、他人事すぎだろ!」

 実際他人事だ。

 疑問には感じるけれども、そのことで俺が害を得ることなんてないのだ。それならば、特に悩むことなんてないと断言できる。

「あっ」

 視線の先には綾が居た。

 家の前に立ち、待っているようにも見える。

 まだ日も高く。かなり暑い日差しが照り付けているにもかかわらず、外に出て待っていることが不思議だった。

 昨日まではそんなことしなかった。

 家の中で宿題をしていたり、由佳ちゃんの家に遊びに行ったりしていた。俺が家に居なかったから暇だったのだろう。暇ならば家に帰ればいいのにと考えることは少なくなったが、家に帰って「おかえり」と言われるだけで嬉しいと感じる自分が居たのだ。

「どうした?」

「今日は早いと聞いたので、待っていた。迷惑。だったか?」

 珍しくしおらしい態度を見せる綾だが、これもきっと演技なのだろうと思えば、心配する必要がない気がした。

 最近は毎日違うキャラを演じては反応を確認するのが日課になっているようで、こうした行動に関しては気にしない方向で考えることにしている。

「へえ。そんな心配そうな顔もできるんだな」

「貴様には関係ない」

 不用意な一言をばっさりと切り捨てる。相変わらず信也には厳しく。演技をしていてもその態度に変化はない。

「なあ、俺って……」

「嫌われてるだけだろう」

 この夏の宿題として綾と仲良くなる。は、とても重要な要件なのかもと思えてしまう。

「何を言う。別にわたしは嫌っていない」

「どの口が言うんだよ」

 思わず呆れてしまう。

 嫌っているのは明らかだ。そんな中で嫌っていないなんて誰が信じるか。少なくとも、俺も信也も信じない。

 その証拠に、俺たちは互いに目線を合わせてため息をついた。

「なんだそのため息は! わたしを信用できないのか?」

「今。この時においてはな」

「何を言う。わたしはそこの馬鹿を嫌ってはいない。生理的に受け付けないだけだ」

「それを嫌ってるって言うんだろうが!」

 思わずなのか絶叫してしまう信也の気持ちは分かる。俺だってなにを言いたいのかを百パーセント理解はできない。生理的に受け付けないイコール嫌う。その図式が目の前にあるのに、それを肯定しない理由がよく分からないのだ。

 まあ、綾には綾なりの理屈があるのだと考えられるけど、どう考えてもとんでも理論が来るとしか思えないのだ。

 だが、当の本人である彼女は、叫びの意味が分からないのか首を微かに傾げるだけで説明しようとしない。

「はあ、はあ」

「なにを息荒く興奮している。落ち着くべきだ」

「誰のせいだと思ってる!」

 相当興奮している様子の信也。とりあえず説明しないことには話が前に進みそうにない。なにせ、綾にはなんで信也がここまで怒っているのかが理解できていないのだ。嫌われていなかったことを喜ぶべきなのか、それとも別の可能性を鑑みて無言を貫くか難しいところだ。

 俺はどう考えても蚊帳の外なので、気にしないことにして家の中に入ることは可能だ。

 可能だけど……

 ちらりと信也を覗き見る。

(ふるふる)

 首を横に振っている。

 一人残して逃げるなと願っているのが丸分かりだ。

 その姿を見ていると、話している相手が本当に小学生なのか不安になってくるが、間違いなく綾は小学生だ。

 高校生と同じレベルの授業を受けても軽くこなすだろうし、俺たちよりもテストで軽くいい点を取れる実力があるけれど、それだけは確かだ。

「はあ」

「ため息などついてどうした?」

「いや、二人とも仲がいいと思っただけだよ」

「馬鹿を言うな。わたしがこの馬鹿と仲がいいわけがない」

「どう見たら仲がいいんだよ!」

 互いに言い分があるようで主張しているが、そこまで言い合えるならば仲良しと言ってもいいのではと思えるのだ。

 まあ、そのことをそのまま言うつもりは毛頭なくて、頭を軽く掻きながらため息を再び零した。

 その間も、二人は……いや、正確には綾が信也に対して色々と文句を言っている。それを延々と聞かされているためか、げっそりとした顔で明後日の方向を見つめている。

「そろそろ落ち着け綾。それで、なんで待ってたんだ。」

「馬鹿者の相手をしていたら本題を忘れてしまっていた。買い物に行くぞ」

「はっ?」

 いきなりの言い分に思わず口を開けて固まる。

 言いたいことは分かる。早く終わり夏休みなのだから買い物に行きたいとのことだろう。合宿も近い。話し合って八月の上旬。登校日の後にしようと決定している。

 それの買い物をしたいのだろう。なにせ、食材は一週間は有に持つ量を買い込んでいるのだ。まだ買いに行く必要はない。

 だが、合宿は登校日の後。八月上旬を予定している。それまで一週間近く時間があるのだから、今日慌てて買い物に行く必要はないのだ。

「えっと、分かってるのか?」

「何をだ?」

「合宿。もとい旅行が一週間後ってことだよ」

「無論知っているとも。しかし、だ。高い買い物をする可能性がある場合は直前ではなく事前に確認し、財布と相談してから買うものではないか?」

 小さな。だが、明らかに雪さんよりかあるであろう胸を張り、自信満々に自論を披露する。

 だが、確かにと思う自分も居るので反応し辛い。

 何を買うのかまでは不明だが、その買い物が高額であるなら、財布との相談は必須だろうし、即決するのは危険。直前だとバタバタしてしまい、無策で買って失敗。なんてこともあるだろうから、その前に確認しておくのは正しい。正しいのだが……

「俺たちも行くのか?」

「別に翔だけで構わない。馬鹿者は留守番で十分だろう。駅前で由佳と待ち合わせしている。ウドの大木も来るだろうな」

「待て待て待て!」

「なんだ?」

「留守番ってふざけんな!」

「なら、着いてくるのか?」

 慌てて制止するように前に出て主張する信也。それに対して冷静に対応している綾はとてもどうでもよさそうな感じをしている。返事をするのも面倒そうに見えた。

「それでは、決定したところで……」

「えっと、綾と信也で行くんだな?」

「何を言っている? 行くのは、わたしと翔だ。ついでに馬鹿も行くようだがな」

「ついでは酷いだろうが!」

「ついでだ。わたしたちに着いてくるだけだろう?」

 本当にどうでもよさそうに手を振っている。

 その態度に目元を抑えて天を仰ぐ。

「まあいい。とりあえず着替えよう。信也」

「そうだな。時間は何時だ?」

「二人の帰りが遅かったからな。二時の予定だったが三十分ずらすようにメールしてある。二時半に駅前オブジェクトの前だ」

「残り三十分じゃねえかよ!」

「ここから二十分かかるのに、ギリギリだ!」

「待たせることになったら二人のせいだな。早くするといい」

 携帯を取り出して、時間を確認している綾を玄関前に残して家の中に駆け込み、急いで着替えて飛び出した。

               ○

「着いた」

「時間ギリギリだな。もっと早く出れば走ることもなかったのに」

『誰のせいだ!』

 信也と声を揃えて叫ぶ。

 事前にメールで伝えていてくれていたらこんなことにはならなかった。完全な計画ミスで責められるのは筋違いだろう。

 亮太だけならば何時間待たせても問題はないけど、由佳ちゃんも居るのであれば話は別だ。

 真面目な由佳ちゃんを待たせるのは流石に忍びない。約束を交わしたのは俺たちでないとしても約束は守るべきだ。

 それにしても、どこにいるのだろうか?

 夏休みだからだろうか、駅前には小学生っぽい子や中学生っぽい子が幾人も見え、親子で買い物をしている様子が目立つ。昼を少し過ぎたばかりだからか、飲食店の賑わいも上々に見えた。

 そんな中で二人を探すのは大変だ。

 一通り見回すが、目に入る範囲にはいない。

 亮太はガタイがいいから目立つはずなのに、視界に入らないのはまだ来ていないからなのだろう。

「まだ来てないみたいだな」

「そんなはずはないだろう。ウドの大木はともかく由佳は時間に正確だ。遅刻などするはずがない」

「だな。亮太ならあり得るけど、由佳ちゃんは遅刻しないだろう。常に十分前行動を心がけてるし」 

 幼い頃から知っているからこそ、確信を持っていうことができた。

「連絡取れないのか?」

「もうしている」

 携帯を操作してから周りを見回した。

 その視線を追いかけると、喫茶店のテラスで大きく手を振るあほ面が目に入る。どうやらあそこで休憩していたようだ。

 それにしても不思議なのは、亮太が未だに制服姿と言うことだろう。

 由佳ちゃんの姿も見えるが、こちらは可愛らしいタイトスカートに涼しげな水色のブラウスを着ている。気合が入っているように見えるのは俺だけだろうか?

 疑問を抱いていると、会計を済ませたのかこちらに近づいてくる。

 小さなピンクのバックを肩にかけ、にこやかに駆けている由佳ちゃんと大股でのんびりと歩く亮太の姿はやけに目立った。

「遅くなったな。待たせて悪かった」

「ううん。別にいいよ。御飯食べながら待ってたし」

 だからあそこに居たわけか。

 納得して幾度か頷いた。

「それで、亮太が制服の理由は?」

「それがっすね。バスに乗って帰ろうと思った瞬間に由佳からメールで集合させられたっす。結果、制服のままっすね」

 曖昧な笑み浮かべる姿に微かな同情心が沸くのは綾に同じようなことを去れたからなのだろう。

 由佳ちゃんも大分積極的になってきたようで、成長していると言えるけど……それはきっと亮太が兄だからだろう。兄妹だからこそ、言いたいことを言える。その関係は綺麗なものだ。

 喧嘩ばかりして互いに嫌う兄妹よりもよっぽどマシだ。

 まあ、これで亮太にシスコンの毛が無ければ最高なのだが、父親が居らず、母親が遅くまで仕事をして面倒を見なければならないせいか、自分よりも妹を優先させてしまう嫌いがあるので気を付けたほうがいいだろう。

「お前も苦労してるんだな」

「頑張れ」

 トンっと肩に手を置いてやる。

 その意味を理解できていないのか首を傾げる亮太を無視して手を二回叩く。

「それで、買い物ってどこ行くんだ?」

「店は決めている。暇だったので、由佳と散策したからな」

「うん。値段が手ごろで可愛いのが売ってる店。見つけたよ」

「そうか」

 それなら二人で買い物して欲しかったな。とは口に出さない。そんなことを言えば余計な波紋を生むことは容易に想像できる。最悪綾と口論に発展する可能性もあるから、ここは大人しくしておくことにして……

「なら、なんで二人で行かねえんだよ」

 はできなかった。

 信也が不用意にこぼしたからだ。

 信也の口を閉ざそうかと考えたが、覆水盆に返らず。吐いた唾は呑めぬと言うように、一度出てしまった言葉をどうにかすることはできない。聞こえなかったのであればそれでいいのだが、数メートルどころか、数十センチしか離れていない距離にボリュームは普通よりも大きめ、会話していても普通に聞こえる声量だ。

 聞こえないはずはない。

 現に、綾は立ち止まり不吉なオーラを纏っている。

 漫画でしか見たことないオーラを纏ったように感じる綾は笑顔をこちらに向けた。満面の笑みだ。満面なのに朗らかに見えず。般若を思わせるのは確実に綾自身から放たれるプレッシャー故だろう。

「あっ……」

 失言に気づいたようだが、時はすでに遅い。

 一歩。また一歩と確実に俺たちとの距離を潰していく綾から逃れる方法は全力でこの場を離脱することだが、そうしたら小学生。それも女の子に敗北を喫することになる。

 それを危惧してか、信也は少しだけ腰を落として踏ん張る体勢を取った。

「では、帰るといい。わたしたちは行くからな」

「っておい!」 

 信也を無視して俺の手を掴むとさっさと歩き出す。その後ろを由佳ちゃんと亮太がついてくる。

 取り残される形になった信也も慌てて追いかけてきて前に回り込むが、そのたびに鬱陶しそうに右に左に避けるので着いて行くのが大変だ。

「ストップ。止まれ!」

 必死声を出して体を動かして行く手を阻もうとしているが、そんなこと関係ないとばかりに移動歩いていく。

 気に留めているようにも見えない。歯牙にもかけないとはまさにこのことだろう。

「くそっ!」

「帰っていいと言っているのになぜ幾度も行く手を阻む?」

「置いていくからだろうが!」

「当然だ。着いて来たくないのだろう?」

「そうは言ってねえ」

 確かに言っていない。

 ただ、二人で行かないのかと聞いただけだ。

 その結果として無視が始まった。それだけのことだ。

「俺が言いたかったのは……」

「さあ、この店だ」

 着いたのは一軒の服屋だ。結構高いが横幅が狭い。少し高そうな店に見えた。

「聞けよ!」

 信也の言葉など聞こえていないかのように中に入っていく綾。それに由佳ちゃんが着いていき、こちらを一度振り返る。

「亮太さん。行きましょう」

「お兄ちゃんが遠のいてるっす」

 泣きながら中に入る亮太を見送り、頬を一度掻いてから視線を動かした。

「行くか?」

「いや。外で待っとく。俺の心はボロボロだ」

 ふらふらとその場を立ち去る姿に哀愁を感じる。どうするのか分からないがとりあえずしばらくそっとしておくことが大切だろうと感じたので中に入ることにした。

「遅いぞ」

「悪いな」

 中に入れば女性が多く見えた。他にも女性用の服が多く置いてある。階段の法にはメンズやボーイズは二階と書いてあるので一階は女性物なのだろう。

 どうやら服の専門店らしいことだけは理解した。

「場所は四階だ。由佳たちはすでに向かっているぞ」

 どうやらこの建物すべてが一つの店舗のようだ。

 各階で並べている種類が違うのは見ての通りだろう。階段を上がっていけば落ち着いた雰囲気の店内が広がる。

 本当にここでいいのか疑問に感じるが、綾と由佳ちゃんが選んだ店なのだ。とりあえず気にしないで先を急ごう。

「ここだ」

 まだ階段は続くが、四階で階段を下りて中に入っていく。

 目の前にはひらひらとした布がたくさん鎮座している。夏の特集やフェアの文字が色々なところに見え、「この水着で憧れの彼を悩殺!」とでかでかと書いてある文字の下にはマネキンがきわどい水着を着ている。

 普段は入らないエリアのせいかやけに緊張してしまう。

「由佳はどこだろうか?」

 周囲を見回しながら平然と奥に歩いていく姿に覚悟を決めて着いて行く。

 ただ、店員の瞳は痛い。

 本人は優しい笑みを浮かべているのかもしれないが、見られるだけで凄い罪悪感がある。いや、普通にどんな関係か不思議に感じているのかもしれないけど、出来れば注目しないでほしいのが俺の本音である。

「あそこか。独活の大木が居れば探しやすくていいな」

 でかいからかやけに目立つ亮太。それを目標にすれば二人とはすぐに合流できた。亮太の手にはすでに幾つかの水着が握られていて、試着に行く前であることを示していた。

「待たせたな」

「ううん。あたしは平気だよ。綾ちゃんのも取っておいたから試着しよ?」

「ありがたいな」

 にこやかに笑うと試着室に移動を開始した。

 そんな二人の後をまるでマネキンのように感情を乏しくした亮太が水着を持って着いていく。

 この短時間に何があったのだろうか?

 声をかけるのも面倒だ。どうせ、すぐに回復するだろうからしばらく様子を伺うとして、問題はこれから開かれるであろう水着のファッションショーか。

 亮太の腕には十着近い水着が握られている。

 つまり、最低でも五回は着替えるつもりでいることが予測できてしまい少しげんなりだ。

 五着が多いのか少ないのかまでは分からないが、俺の心境としては多い。

 どの水着でも似合うのだろうから自分たちが好きな水着を選べばいいのにわざわざ俺たちに見せようとするのが分からない。どうせ、旅行に行ったら見ることになるし、こんなところで見る必要性がない。

 だが、こうして来てしまい。やる気満々の二人に水を差して怒られるよりはマシかもしれない。下手なことをすれば信也のようになりそうだし……

「では、行ってくる」

「少し待っててください」

 二人は同じ試着室へと入っていく。荷物持ちから解放された亮太は大きく息を吐きながら壁に背中を付けた。

 試着室の前に陣取るのは迷惑だと考えたのだろう。その考えに同調するように壁に背中を付ける。五個ある試着室は全て空いていたが、自分たちはそこまで大きくないから一つで二人行ける判断なのだろう。そこそこあるから、一つずつ占拠して他の人に迷惑をかけないようにする算段だろう。仲がいいのはいいことだ。

「何かあったか?」

「特になかったっすよ。ただ、入ってすぐに店員に訝しげの視線を浴びただけっす」

「……そうか」

 店員に怪しい人物かもしれないと認識されたと思ったから自重してるんだな。なんだか納得してしまうが、酷としか言えない。

 何もしていないのに疑われるなんて、どうしろと言うのだろうか?

 一応男子用の水着も置いてあるのだからそんな目で見ないでちゃんと客として見てやれよと店員に言ってやりたいが、敵を作りかねないので無視しておこう。

 大きな事件を起こさなければ普通に水着を買って帰るだけだ。

「待たせたな」

 試着室のカーテンが開かれ、水着を着た二人が出てきた。それを確認してから前に向かうと由佳ちゃんは快活そうな黄色のワンピースタイプでフリルがついている。綾も同じワンピースタイプだが、こちらはパレオがついており色も藍を基調としていて大人し目だ。

 よく似合っていると素直に感じた。

 それに、ウケや過度な露出を考えておらず自分の身の丈にあった服を選んでいるのもいいポイントだろう。考えたくはなかったが、綾ならばきわどいビキニタイプを選ぶのではないかと内心でひやひやしていたので、このタイプで出てきてくれたのは救いだった。

「似合ってるっすよ。可愛いっすね」

 素直な褒め言葉に由佳ちゃんは恥ずかしそうに顔を下に向けた。逆に胸を張る綾は俺からの反応を待っているように見える。

 これで終わるかもしれない。

 そんな考えが頭をよぎり、

「いいんじゃないか。可愛いと思うぞ」

 素直な感想を告げた。

「ふむ。次だな」

「はっ?」

「何を呆けた声を出している。当然次に行くに決まっている。一着で決定。などと甘い考えをもってはいないだろ?」

「似合ってるんだからそれでいいじゃないか!」

「甘い!」 

 ズビッと指が俺に向かって突き出される。

 芝居がかったその姿に出るのはため息だけだ。

「えっと、つまり、何が言いたい?」

「せっかくたくさん候補があるのに一着二着で決めるなど愚の骨頂。多数の候補を試してから最終的に選ぶべきだろう」

「えっあっ」

「一時間以上は覚悟してもらおう」

 にこやかな笑顔で、宣言された。


「疲れた……」

 外に出るころにはすでに日が傾いていた。あれから二十着を超える水着姿を見せられて感想を求められた。すでに知識を使い切り煙が頭から出るのではないかと思えるほど脳を回転させて答え続けるのは精神的に疲弊が強い。

 そして、選んだ水着が最初のだった辛さが酷い。

 ならなんでそんなに着たんだと突っ込むこともできずに決まったことに歓喜し、先に外に出た。

 会計は亮太がやってくれるとのことなのでもう気にすることはない。いくらなんでも会計するだけで警察を呼ぶような騒ぎにはならないだろう。

「まあいいか」

 心配しても仕方がない。なるようにしかならない以上は起こってから考えるべきだ。今は帰る前に信也に連絡を入れるほうが優先だろう。

 遅くなったから先に帰っている可能性もあるが、確認だけはしておいたほうがいいだろう。

「んっ?」

 携帯を取り出すと着信が五件とメールが八件入っていた。サイレントマナーにしていたから気付かなかった。誰からかと思って確認してみればその全てが信也からであった。

 電話する前にメールを確認しようとメールボックスを開いてみれば全て同じ件名が入っていた。

「助けてって。あいつ何してるんだよ」

 呆れてしまうが、中を確認しないことには何とも言えない。

 危険なことに巻き込まれてはいないだろうとは思う。と言うよりもそう信じたい。あいつならば俺と違って危険なことと判断したら首を突っ込まないと……

 メールを開けばこれまた助けてしか書いてない。

 よほど急いでいるのか連続変換したように見える。

 電話する以外に現状の確認はできないだろうが、同時に電話してはヤバイ状況と言う場合もある。

 悩みどころだ。

「おっ?」

 電話画面にしたところで着信が入った。

 信也と書いてあるから、ちょうどのタイミングで着信を入れたのだとわかる。

「もしもし」

『やっと出やがったな! なんで無視するんだよ』

 今にも泣きそうな声が飛び込んでくる。

 切羽詰まって居る様子だ。

 本当に何をしているのやら。

「サイレントマナーにしたままだったんだよ。それで、どんな状況なんだ?」

『追われてるんだよ』

「誰に? つうか、追われるようなことしたのか?」

『あいつだよ。言わなくても分かるだろうが! 名前なんて読んだら飛んできちまう』

「ああ」

 理解した。

 あの暴走少女。夢見に追われているのか。

 一人で居ることを見つかって追いかけっこの始まりってところかな。色々な店があるこの場所はこの近くに住む人ならば誰でも利用する。その中に彼女が居たとしても不思議ではない。

 だが、だ。

「なんで逃げるんだよ。逃げなければ追わないだろ。あいつ」

『逃げるに決まってるだろうが! 雪穂と舞華が来てるんだよ!』

「なるほどな」

 そりゃベタベタされているのを見つかって変な誤解されるよりも逃げるだろうな。それに、夢見が説明するとしたら誤解ですまない状況になりかねない。

 それを理解しているからこそ全力で逃げることを選んでいるのだろう。そして、逃げるのが厳しいと思ったからこそ俺に幾度となく救難信号を出しているってことか。

 でも、助けを求めることができるのであれば逃げられそうな気がする。あんなに電話をかけたりメールしたりしていたのだ。そんな時間があるならこの場から離れてもおかしくないはずなのに……

 いや、もしかしたらすぐに合流できるように考えて離れなかったのかもしれない。だとしたら、逃げきれていない現状は俺にも原因があるのかもしれない。

「それで、逃げられそうか?」

『今はどうにか身を潜めてる。だが……(信也様~)かけなおす!』

「ああ」

 電話が切れたことを確認してからマナーモードを解除した。

 すぐそばで聞こえていた以上はもうだめかもしれない。携帯で話をしていたのにあんな大声が聞こえたのだ。近くに居ると仮定して間違いないだろう。

「大丈夫かよ」

「どうかしたっすか?」

「ああ。信也が追われているらしい」

「そっすか。大変っすね人気者も」

 平然に話に入り込んできたが、特に気にすることはなかった。

 追われている状況にも理解があるようで、したり顔で頷いている。中学時代から追われることが多かったから慣れてしまったのかもしれない。

「助けに行くっすか?」

「迷い中だ」

 相手が夢見でなければまだ助けに行くことも考えられたかもしれない。だが、相手が悪すぎる。

 まともに話を聞かない暴走少女相手にしても不毛な時間を過ごすだけだし、なにより疲れる。

 こちらの言葉をまともに聞かないくせに無視や適当な返事をすると怒り出す。会話をしていれば信也のことばかり。注意も忠告も一切聞かずに自分の思った通りに行動する。

 正直、わがまますぎる。それなのに中学の生徒会長をやったり、テストで上位を取り続けたり、スタイル抜群で告白は毎日の来ているらしいと言う壊れステータス。良いところだけをピックアップしていけば完璧超人なのに信也を思う一途な心が病的なまで酷い。

 最初の頃はまだ相手をしていたようだが、卒業する頃にはすっかり苦手意識がしみ込んでいた。付きまとわれすぎたせいだろう。見た目は凄く可愛いがあまりにもしつこいとだめになるのだと感じた。

 プルルと携帯が音と共に震えだした。

「もしもし」

『はあ、はあ、俺だ』

「まだ無事なのか?」

『ああ。はあ、はあ。ぎりぎりだったが、なんとか、はあ』

「それで、今はどこだ?」

『なんとか、隠れてる。だが、ここも……』

 すぐにバレるだろうな。こうして電話しているだけであいつは恐らく居場所を察知するだろう。どこかで電波を察知しているのではないかと疑うほどの正確さは舌を巻くほど。元が優秀であるからこそなのだろうけど……優秀すぎるのも考え物だろう。

「それで、何してほしいんだ?」

『助けろよ!』

 どうやってだよとツッコミを入れたいところだが、信也も必死なのだろうからそこまで鬼にならないほうがいいだろう。

 とりあえずは隣に居る亮太に相談。向こうでは綾や由佳ちゃんが待っては居るけどこっちを優先にしないと信也が帰ってこない事態になりかねない。そうなった場合困るのは俺なのだ。

「亮太」

「なんっすか?」

「信也を助ける方法。思いつくか?」

「見捨てる以外にっすか?」

『おいこら!』

 会話が聞こえたのか怒りが飛んでくる。

 そりゃ、俺だってできるのであれば見捨てたい。そうしたほうが楽であることは確かなのだ。けれども、それができない理由が現在の家には存在している。問題を何とかできるのであればいいのだが、それが不可能だと分かっているので助けるしかないのだ。

「とりあえず合流するか?」

『盾になってくれるのか?』

「絶対嫌だ」

「拒否するっす」

 目の前に来たら確実に差し出すだろう。容赦も遠慮もなしに文句が飛ぼうと差し出す。

 なにせそれが絶対の安全策なのだ。

『助ける気ゼロじゃねえか!』

「そういやそうだな」

「そっすね」

 反射的に自分が助かる最適を言ってしまった。これが長年の積み重ねによる弊害なのだろう。あいつとは過去にいろいろあったせいで体が拒絶反応を示している。できることなら関わりあいにならないようにしようと思考が働いてしまうのもそのせいだ。

『頼むからって、見つかった!』

「ご愁傷様っす」

『ざっけんな。すぐ行くから逃げんじゃねえぞ!』

 一方的に電話が切られ、ため息がこぼれた。

「どうかしたのか?」

 傍観に徹していた綾が近づいてきた。俺たちの変化に気づいたのかもしれない。

「いや、信也がこっち来るから待っとけ。だそうで」

「では帰るとしよう。馬鹿者の相手などする気がせん」

「そうしたいのは山々だけど、無理だな」

 声が聞こえる。

 怒声や驚声だ。視線をそちらに向けると人混みを押しのけて必死に走ってくる人影が見える。

 信也だろう。

 人の間をすり抜けるのではなく押しのけているせいでスピードは出ていないし、移動が凄く大変そうではある。それでもこちらを見据えて走る姿は戦車のようだ。

「必死に見えるが、あれは平気なのか?」

「怖い、ですね」

 小学生二人は戦々恐々としている。

 俺だって信也のあんな必死な姿を見るのは久しぶりだ。雪さんに告白するときだっとあそこまで必死な姿は見せなかっただろう。

「はあ、はあ、着いた」

 息も絶え絶えに俺たちの前で膝に手を置いている。今は息を整えることを優先しているのか荒い息を繰り返した。

「もう、逃がさない、ぞ」

 服の裾を掴んで宣言している。どうやら離す気がないだろう。

 後方に視線を送れば明らかに人が近づいてきている。ロリータ調の服に身を包んだ女の子がゆっくりと歩いてきている。急ぐ様子はない。にこにことした笑みを浮かべながら人を器用にすり抜けてくる。

「あの笑顔。怖いっすね」 

「否定はしない」

 ただ、笑顔を浮かべているだけ。こちらに向かってきているだけなのに背筋に冷たい汗を感じる。

 物凄い怒りを感じ取っているようにも思えるが、あいつの雰囲気に圧倒されているのだ。

「これが、追いかけっこの結果か」

「なるほどっす。怒りが溜まりすぎると笑顔になるっすね」

「恐怖だな」

「怖い。です」

 周りに恐怖が伝染している。

 これは状況的に不味いかもしれない。

「そこに居ましたか! 信也さま~」

「うわああああああ!」

「ストップ。ストップ」

 俺を盾にしようとする信也を必死に押しのけようとするが、俺よりも力が強い信也を押しのけることなど出来ずに夢見と信也の間に挟まれてしまう。

 凄く面倒くさい。

「どきなさい。このお邪魔虫! 信也さま。信也さま~」

 必死に手を伸ばしているが俺の体を無理矢理に動かしてそれを防いでいく。盾にされているせいで物凄く面倒な状況になっている。正直なところ……早く止めて欲しい。

 助けを求めるように亮太に視線を向けるが無理であることを示すようにそっぽを向かれた。だからと言って綾や由佳ちゃんに助けを求めるわけにもいかずされるがままになってしまう。

「あっ」

 だが、均衡は唐突に夢見の方に傾いた。

 信也の動きが止まったのだ。

 その隙を見逃さず。素早い動きで俺を避けると信也に抱き付いた。

 だが、信也はそんなこと気にすることなく一点を見つめ続ける。

「雪、さん」

 ヤバイと頭の中で警鐘が鳴り響く。この近くに居ることは知っていた。なにせ信也が目撃していたのだ。

 その上で、なんらかの騒ぎが起こったら見に来てしまうのは人としての性と言える。持ち前の野次馬根性を持ってやってきてみたら知り合いが中心だった。なんて最悪すぎる。

 それだけではなく。信也は彼女たちにとって見知らぬ子に抱きしめられている状況。

 ここだけを切り取れば微笑ましい恋人のふれあいに見えなくもない。見たくはないけど、そう思えば見えるだろう。

 つまり、現状において雪さんが誤解している可能性は十分にあると想定できるのだ。

「えっと」

「っ!」

 話しかける寸前。人ごみの中に飛び込んでいく。

「えっ?」

 泣いているように顔を押さえて走っていく雪さん。一応。無駄かもしれないが事情を説明しようと伸ばした手は空中で固定してしまって動かない。

「状況は分からないが、雪はボクに任せてもらおう」

「あっああ」

 わざわざそばに来てそれだけ言うとさっと身を翻して雪さんを追いかける。

 そんなことをしている後ろでは、泣き崩れている信也にしっかりと抱き付いているこの状況の元凶が嬉しそうに頬を胸元に埋めていた。

「翔。これは、どういう状況だ?」

「言っていいなら最悪」

 こうならないように信也は必死に逃げていたはずなのに……まあ、これをどうにかしろって言われてもどうしようもない。俺にできることは見守るくらいだろう。


               間章

「えっぐ。ひっぐ」

 ようやく雪を見つけたのは路地裏だった。

 暗い路地裏で一人泣いている姿を見ていると昔を思い出してしまう。中学に入学する前。それも、ボクと友達になる前はよく一人で泣いていた。

 それが無くなったのは一人ではない意識ができたからだと思う。

 優秀な妹分。あまり家に帰ってこない両親。色々なことを抱えて、抱えきれない時は一人学校で泣いていた。

 それを偶然見てしまってからだろう。雪を気にするようになり、友達になろうと思ったのは。

 最初はただの好奇心だった記憶がある。それから、仲良くなるにつれてもっと知りたいと思い。高校に入って信と付き合うようになったことを嬉しそうに語る姿に寂しさが芽生えたのは互いが成長したから感じたのだろう。

 自分から離れていき、少しずつ大人になる雪。

 信と一緒に成長していく。そう考えていた。いや、今でもその考えは揺るがない。やつは信頼できる。信頼しても大丈夫だとこの数か月で見極めることができている。ボクたちではできないことでもやりきることができるのだ。

 たとえば部活だ。一年のうちから部活を作るのは大変だ。

 知り合いが居て、すでに必要人数が揃っているならまだしも、そうではない状態から、部活動の雛形を作り、先生に納得させて同好会を作り上げ、ついに部に昇格させた。

 無理矢理ではあったが、信の熱意が無ければ成し遂げられなかったことであり、ボクみたいに少し冷めてしまっている人には不可能なことだ。そして、人を信じようとしない雪にも同じことが言える。

 もしも相談部を作ると信以外のメンバーが考えた場合。完成したかと言えば否である。亮太にはそもそもみなを引っ張る気概がなく。翔は手を引かれなければやる気を出さない。むしろ、引っ張られても心の琴線に触れなければ動くことをしない。バラバラのメンバーをまとめることができるのも信だけだろう。いくら嫌われても、疎まれても、怒られても、正しいと思ったことをやることのできるのが信である。

「雪」

 声をかけるとビクッと体が震わせてこちらを振り向いた。

 その瞳は泣いていたためか真っ赤になっていて見ているボクのほうが痛々しく感じてしまうほどだ。

「何を泣いている?」

 理由なんて当然分かっている。それでもこの問いかけを投げたのは確認のためだ。

 ボクの考えと現実が合っているのか。それを知らなければならない。もし、考えが違うのであれば対処が変わってくる。

 もともと内気で臆病な性格の雪だ。自らの気持ちを言うくらいならば自らの胸に秘めてしまうのが悪い癖で、ボクにさえ本心を言わないことがあるのだ。

 だからこそ、家に泊めることにした。

 日々を同じように過ごすことで少しでも仲良くなれるようにと考えたが、長年の付き合いがあるせいかなかなか進展しない。少しずつ前に進んでいるのかもしれないが、一気に進んだ感覚がなくて少々もやもやとした感覚が広がっていた。 そんな中で泣き出すほどの事態。

 予測を超えて負荷がかかっていたのか。もしくは、あの状況が衝撃的過ぎたのか、それは今から雪が教えてくれると考えている。

 口を開かずに泣き続けるならば待つことだっていとわない。なにせ、時間は大量にある。

 夏休みなのだ。

 もうすぐ夜が来るとしても、執事を呼べば飛んでくるだろう。Ⅿならばこの近くに潜伏していても何ら疑問を抱かない。

 だからこそ、答えを待った。

 一分か、五分か、それほど時間は経っていない気もすればかなりの時間が経った気がした時。雪は涙をぬぐった。

 ハンカチなどではなく。服の袖で乱暴にだ。

 そのまま立ち上がる。

「ごめん。ね。見苦しい。ところを見せて」

 未だに赤くなっている瞳を隠すこともなく笑みを浮かべた。

 だが、その笑みは今まで見たどの笑みよりも儚く。今にも消えそうなくらいだった。

 無理をしているのが丸分かりなその笑みに出てくるのはため息だけだ。

「雪」

「なっ何?」

「ここには二人しか居ない。他者の目はボクの執事が押しとどめよう。だから、本音を吐くべきだ」

「本音って、どういうこと?」

 分からない様子だ。

 すっとぼけているようには見えない。いつも通りに振舞っているように感じるけれど、どこか違和を感じるのはさきほどの涙のせいだろう。

 あの涙は、本気で悲しんでいると見るべきだ。

 ならばこそ、ここで引くわけにはいかない。

「涙の意味だ。なぜ泣いていた?」

「あれは……」

「その意味を知るまで帰らない。そのつもりで居ろ」

「えっと、もしかして……怒って、る?」

「なら、逆に問う。怒っているように見えるか?」

 メガネのズレを直してから胸の下で腕を組んだ。

「絶対。怒ってる。よね」

 雪を怒っているつもりは一切ない。だが、怒っているように見えるのであれば、それは自分に対して怒っているだけに過ぎない。友達のために何もできないふがいない自分に……

 だが、雪からしたら自分が起こられていると勘違いしてもおかしくない状況であることは確かか。

 なら答えるべきは、

「雪に対して怒りはない」

 である。

「嘘。でしょ?」

「嘘ではない。ボクは雪に対しての怒りはない。あるのは、自らとこの状況を作り出した元凶に対してだけだ」

 その元凶を明言しないのは、誰なのかわからないからだが、そこまで律儀にいう必要はないはずだ。今は、雪に対する怒りがないことを理解してもらえればそれで十分。それ以上は高望みしない。

「そう。やっぱり……信也くんは……」

「涙の理由はやはり信か?」

「そっそんなこと、うん。そう、だね」

 否定しようと振った手を下げて、力なく笑う。

 やはりトリガーは先ほど起こっていた状況のようだ。

 ボクとしても驚いたことは確かだが、何らかの事情があるのだろうと感じていた。だが、雪はそうではなかった。その程度の違いなのだろうが、それによって心に小さくはない傷をつけたのは確かで、涙を見せたのは現実だ。

 厄介なことになった。

 一言で表せばそれだけ。それ以上はないだろう。しかし、それを言ったところで何も変わらないのは目に見えている。

「信也くん。どうして、なんだろう」

「その話が聞きたいのであれば本人に直接聞くほかないだろう。恐らく。聞けば教えてくれる」

「でも……」

 気にはなるが、真実を知るだけの勇気はないのだろう。

 雪らしいと言えば雪らしい。だが、今の状況はそれを許しはしない。ここで何もしないで放置したならば、きっと後で後悔することになるだろう。

「もしも、選択を誤ればキミは信と別れることになるぞ」

「それは、嫌。だよ。でも……」

「でも、なんだ?」

「怖いの。すごく。すごく。怖いの」

 自らの体を抱きしめて、幼子のように首を横に振る。

「もし、裏切られていたら。そう、考えるだけで、心が、痛いよ……」

「信じられないのか?」

「無理だよ。だって、だって。私なんだよ」

 そうか「私なんだよ」ときたか。それは、信がではなく自らに自信がないからこそ出てきた言葉なのだろう。

 雪が自信ないことなんて昔から変わらない。いつも通りだ。

 でも、いずれは変わらなければならない。人は成長する。成長することは変わることと同じだろう。変わらないことなんてありえない。変わらないと思っていても、なんらかの形で変化する。

 その変化を与えるのがこの状況であるのならば、都合がいい。

 翔は、この状況を意図そて整えている節があるが、ボクにはそんなことできないので、このイレギュラーは助かる。

 だからこそ、全力で挑む。

「雪。それは諦めか?」

「っ!」

「諦めなら、ボクはそれを許さない」

「でっでも、だって、私……」

「すでにボクたちは高校生だ。小さな子供ではない。違うか?」

「そう、だけど……」

「なら、自信がない程度で諦めるな!」

 少しだけ声音を強める。

 ボクの気持ちを伝えるためには必要だろう。

 一歩前に足を出した。

「ひっ!」

「何を驚いている?」

「だって、怖いし、怒って、る」

「先ほども言ったようにボクは雪に対する怒りはない。怖がらせるつもりも毛頭な。だが、必要であるならそれを行使するだけだ。翔がそうであろう?」

「そう、だけど……舞ちゃんは翔くんじゃないよ!」

「当然だ。ボクが真似をしているだけなのだからな」

「なんで、そんな、ことを……」

「言ったはずだ。必要。だとな」

「ううっ。舞ちゃんが、鬼に、なってる」

「はあ、自信を持て。などとは言わない。だが、少しは人を信じてみたらどうだ?」

「えっ?」

「ボクのこと。信のこと。少しは信頼してみろ。ちょうどいいことにもうすぐ合宿だ。真意を知るために使うことも可能だろう」

「でも、そんな私的な、こと」

「許されるさ。ボクが許す」

「あっはは。さすが、舞ちゃんだね」

 嬉しそうな笑みに、少しだけ気持ちが和らいだ。どうやら少しだけでもボクを信じるつもりになったらしい。

 これでいいのだろう。頭の中に浮かぶのは相談部として活動した日々。その日々を夢想し、空気が落ち着いたからなのか、一つの疑問が浮かんだ。

 雪と信の関係を思い出す。

「気になることがある」

「なに、かな?」

「なぜ今回は信を怒らずに泣き寝入りしたんだ? いつもなら、怒っていただろう」

「それは……」

 自らの体を見下ろして、再び泣きそうな顔をした。

「まさか、自信がないのか? 自分の体に」

 すらりと細く。背が高い。なめらかな白い肌。長い黒髪。完璧に計算された体は、万人を魅了するだろう。

 しかし、肉付きが薄いのが難点で、雪が一番気にしているところだ。

 一方で先ほど見た信に抱き付いていた少女は身長こそ低かったものの肉付きはよく。ボクと同じくらいだと思えた。

 性格も積極的のようで雪とはまるで正反対と言える。

 幾度か追いかけっこしている姿を目にしたが、人混みの中でも信についていくだけの運動能力を有していた。

 色々な点で雪は敗北しているといっても過言ではない。

 現に物凄く落ち込んでいる。泣き寝入りした大きな理由は完全敗北したと思っているからなのかもしれない。

「はあ」

 ため息しかでないレベルだ。

 まさか、そんな理由で泣き寝入りしたなんて思いもしなかった。まあ、ボクにとってみればそんなレベルであるが、当人である雪にしてみれば深刻な問題なのだろう。今にも泣きそうな顔をしている。

 しかし、ボクのため息が不服なのか少しだけ頬が膨れているようにも見えた。

「文句があるなら聞くぞ」

「ないよ。でも、そんな、あからさまに……」

「仕方がないだろう。勝負から逃げて、自分を卑下して、他人の気持ちを考えない親友の態度にはため息しかでない」

「うぐっ。舞ちゃん。ちょっと、酷い」

「図星であるなら、それは悪点だ。少しは改善できるように努力しろ」

 頬に右手を置いて考えながら雪に背中を向けた。

 翔のマネをしようとしたけど、これは成功なのか失敗なのか分らない。一つ分かったのは、自分よりも優れていると感じる人に対しては嫉妬しないことだろう。明らかに自分よりも劣っている。正確に言えばⅮの問題か。手が届くことはない世界にある場合は嫉妬で信に説教をするが、それ以外だと逃げて泣きに入るのだろう。

 色々と例外もあるようだが、雪の中には確固たる意志があり、その通りに動いているはずだ。

「舞。ちゃん?」

「何を呆けている。帰るぞ」

 動かない雪に声をかけると路地裏を出る。近くには執事たちやメイドたちの姿がある。

 どうやら少しばかり面倒をかけたようだ。彼らには個人的に何かを払うことにしよう。

 グッと伸びをしながらそんなことを考えるのであった。 

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