兄妹の相手は面倒だ 3
翌日になり、経過報告を聞こうと舞さんを待っていたが来ることがなかった。、舞さんだけでなく、信也も来なかった。電話で聞いてみたがどうやら気分が悪いらしく、遅刻してくるそうだ。昨日あった時にはそんなことはなかったから、何か悪い物でも食べたのではないかと想像する。
「もしかして……」
頭に浮かぶ危険物。
その製作者を見ると、顔を青くして俯いている。
声をかけようと思ったが、その姿で原因が分かってしまい、大人しく席で二人が来ることを待つことにした。
だが、昼が過ぎても放課後になっても、二人は現れることはなく、時間が経つにつれて、雪さんの顔色が悪くなる。今では、絶対に体調不良だろうと断言できるほどに真っ青で、今にも倒れるのではないかと思うほどだった。
「雪さん。大丈夫?」
「あっ翔、くん。私は、平気だよ」
明らかに元気がない。
家に帰る前に、天に帰ってしまうのではと心配しそうなほどに、元気がない。一人で返すのは明らかに危険だ。バスに乗るのではなく、バスの前に体を放り出してしまいそうである。
二人が来てくれれば、元気になってくれるだろうけど、二人がいつ来るのかなんて分からない。いや、むしろもう放課後なのだから来ないのではと思える。学校ではすでに欠席扱いになっているはずだ。それなのに、来るとは……
「まっまだ、残ってたか」
「ほう。二人とも、こんな時間に逢引か?」
ガラッと前と後ろの扉が開かれ、同時に信也と舞さんが入ってくる。
クラス内には、すでに生徒の姿はない。部活があったり、帰宅したりしてみんな出ていったのだ。結果として、教室には俺と雪さんだけになっていた。見方によれば逢引だろうけど、そんな気持ちは欠片ほども持ち合わせていない。雪さんが信也の彼女なのだから、親友である俺がとる気はない。そもそも、雪さんの相手なんて、俺に務まる訳がない。信也だってギリギリで、今の辛そうな姿も、恐らく雪さんの手料理でこうなっているのだ。
そんな危険物創造主と恋人になれるほど、俺は人間ができていない。
「まあ、冗談は置いて、結果だけ教えよう」
舞さんがふらふらになりながらもこちらに近づく。その姿は、フルマラソンをした後のように見える。それほど辛かったのだろう。
信也も舞さんも、お疲れ様以外に言葉が出てこないが、言われたくないだろうと思い、別の質問をぶつける。
「美味し、かったのか?」
「一口で天に上りそうだった。と表現しておこう」
「なるほど」
死にかけたのか。確実に美味しくてではないことだけは分かるけれど、その結論に至るために、欠席したのだろう。
「って、違う。ボクが言いたいのは、そっちではない」
「えっ?」
絶対に、感想を言いに来たと思ったのに、違うのだろうか?
とすると……
「亮二さんの、こと?」
「そうだ。彼はとりあえず拘束はせずに、部屋に軟禁してある。家族とも連絡を取らせた。無論、亮太のほうではなく、現在の家族のほうだ。聞くところによると、再婚しているらしくてね。子供は居ないようだが、奥さんが心配するのはいただけない。そう考えた。内容もこちらで確認し、居場所が特定されそうな言動は避けさせた。だが、長くは持たないだろう」
それは理解している。
むしろ、その状態が長く続けば舞さんに迷惑がかかることが目に見えているので、できることならば、早めに解決したいと考えている。
今日も、由佳ちゃんや綾と相談会しないダメかな。
そんな風に考えながら、携帯を取り出して、綾に電話する。
プルルと一回コール音が聞こえ、
『どうした?』
すぐに綾が出た。
予想以上の速さに、目をぱちくりとしながらも、速いほうがいいのかと納得させて、口を開いた。
「ちょっと昨日のことで、由佳ちゃん含みで相談したい。いいか?」
『無論だ。すでに由佳をスタンバイさせている。学校が終わったら飛んでこい』
「あっああ」
予想よりも早く行動していた。どうやら、俺の考えはすでに勘づかれていたようだ。まあ、綾が友達の進退にかかわることに対して無頓着でいられる訳がないか。俺と由佳ちゃんの関係を根掘り葉掘り聞こうとしたのだ。転校するかもしれないような事案に、介入することなく無視するなんてできるわけがないか。
「すぐに行く」
頷き、電話を切ると、後ろを向いた。
「美味しかった。さすが、雪穂だ」
現在は、信也が雪さんを褒めるターンのようで、必死に言葉を紡いでいる。しかし、顔が青く、体調がいいとはとてもではないが言えなかった。
「あの、私、その……」
雪さんも不安なのだろう。そっと、信也の顔に手を置いた。
瞬間、青かった顔に赤みが増し、元気になっていくように見える。恐らく、照れとか恥ずかしさが原因なのだろうけど、ここまで過剰に反応するんだなとしみじみ感じた。舞さんは面白くないのか、二人の邪魔をしたくないのか、少しだけ距離を取っている。
このまま見ていたい気持ちもあるのだが、急いで綾のところに向かわなければならないため、気持ちを入れ換える。
「じゃあ、俺は先に帰る。綾の所に行くことになったから」
「ふむ。ならば、送らせよう。バスの時間は過ぎているだろう?」
時計に視線を送ると、確かにバスが出ている時間で、次のバスは一時間後だ。それならば、舞さんの言葉に甘えるのが正解な気がする。
「ありがとう。舞さんは来ないの?」
「二人を連れて行く。このままにしてたら帰らないかもしれないからな。こんなところで運動会を始められても困る」
「そっそう」
運動会が示す意味は分からないが、きっとろくなことではないだろうと勝手に解釈すると学校を出る。
外にはいつも雪さんが乗っている黒塗りの車が止まっていて、運転手らしき人が恭しく頭を下げている。
スラッとした長身に執事服のよく似合う青年だった。端正な顔立ちで、テレビに出るアイドル顔負けなイケメン。このレベルでないと雇われないのかと驚愕するほど。
「えっと、舞さんから連絡……」
「もちろん。承っております。翔さま。どうぞ、車にお乗りになる前に、わたくしめの背中にお乗りください」
「はい?」
訳の分からない宣言をすると、地面にうつ伏せで寝転がる。
これを踏めと言うのだろうか? いや、乗れってことはこの上に立つのか……
どちらも嫌なので、とりあえず無視で車に乗ろうとドアに手をかけた。
「甘いですよ翔さま。無論、鍵はしています」
砂まみれの顔で爽やかな笑みを浮かべるている。その笑顔に小さな苛立ちを感じて、背中にジャンプで飛び乗る。
「ごぶっ!」
ガチャ。
明らかにヤバい声を漏らし、ピクピクと震え始める。
だが、鍵が開く音が同時に聞こえたため、とりあえず車に乗り込むことにする。隣に立ちたくはなかった。
「イヤーいい蹴りでした。わたくし。思わずイッてしまいそうでしたよ」
「えっ!」
何事もなかったように車に乗り込んでくる運転手に目を丸くしてしまう。
結構な勢いで踏んだはずなのに平然としてる上に喜んでいる。明らかに変だ! この人大丈夫なのか?
「ですが、お嬢様には届きません。お嬢様でしたら、トドメとばかりに脇腹を蹴って仰向けにし、みぞうちにまで蹴りを入れ込んだでしょう」
「あの、舞さんが!」
本気でキレてるとしか思えない。それなのに、それを喜ぶって……
「もしかして、Mですか?」
「いかにも、わたくしは、末房無劾でございます」
ハンドルを握り、エンジンをかけるて、ニヤリとほくそ笑む末房さん。だが……
「名前は聞いてない!」
性癖を聞いたはずなのに名前が返ってきたこと驚き、立ち上がろうとしてしまう。
とは言え、車の中で立ち上がることなどはできずに、すぐに座り大きく息を吐く。
「わたくし。通称Mr.Mと申します」
「だから、いかにもかよ!」
後部座席から思わず頭目掛けて平手打ちをかましてしまう。まだ動いていなかったから手加減は一切せずにおもいっきりだ!
「すっ素晴らしいツッコミ! もっと、もっとわたくしめに苦しみを!」
確定。こいつは変態のドMだ!
「いえ、すいません。興奮しました。出発いたします」
「降ろしてー!」
こんな車に乗っていたくないのに、動き出した以上は乗っていなければならないのであった……
「着きましたよ」
「生きてる。俺。生きてる」
車に乗っていて辛いと思ったは初めてだった。本当に死ぬかと思うような運転をするとは……
「いかがでしたか、わたくしめの運転は」
「殺す気か!」
「そこまで褒められるとは、光栄です」
駄目だ。この男には暴言すら快楽として受け取ってしまう。
面倒すぎる。
つうか、あんな走行していたら絶対に事故を起こす。今日、事故を起こさなかったのが奇跡な気がする。
なにせ、法定速度五十キロの道路を二十キロで走り、クラクションが鳴るたびに身をくねらせてもっともっとと叫び、後ろの車が抜かそうと反対車線に出ようとした瞬間に急ブレーキを踏むのだ。いつもは後部座席に乗ったらシートベルトなんてつけないのに、思わずつけてしまうほどの運転だ。
本当に命日になるのではと思った。
しかも、それだけではなく、五分に一回は反対車線を走ろうとハンドルを切るので体を伸ばして頭を叩かなければならなかった。車が横を通り過ぎるたびにわざと近づこうとするので、運転手が驚いて反対にハンドル切って事故を起こしそうになり、安全な交通を完全に阻害していた。警察が来たら、飲酒運転の容疑で捕まっただろう。実際には飲んでいないので、どうしようもないけれども、切符を切られる覚悟が必要であると思えた。
そもそも、よく運転免許が手に入ったと感心するほどだ。
まあ、一言で現すならば、二度と乗りたくないだった。
だが、過ぎたことを気にしても仕方がない。聞きたいことがあるから、それをとりあえず聞くとしよう。
「あの、末房さん。一つ、いいですか?」
「どうぞ。何でも、答えて差し上げましょう」
「なら、亮二さん。どうなりました?」
舞さんの家で預かり、軟禁していることだけは分かった。けれども、分からないこともあるのだ。電話をしたり、結構自由を与えてもらっているようだが、昼に何をしていたのか。それを聞かずに出てしまったので、現状を理解していないのである。
「亮二、さんとは、昨日お嬢様が連れてきた男性ですね?」
「ああ」
「彼は、なかなか才能があります。わたくしめに対し、即座に鞭で叩き付け、サンドバックにしてくださいました。お嬢様ではなかったので、興奮は半減でしたが、叩きかたは、様になっていて、ダメージを残すような打撃方法も理解していましたので、それはもう素晴らしかったです」
聞かなければよかった。
心の底からそんな風に感じるほど、どうでもいい内容であった。まあ、ストレス解消に殴れる相手が居るのはいいことだろう。なんだか、殺しても死にそうもない。舞さんが雇っている理由はいまいち分からないが、この精神と肉体の頑丈さだけで雇っているのかもしれない。
もしも、この頑強な体が、あれに耐えられるのであれば……亮二さんにお仕置きをしてやれるかもしれない。人に向かってナイフを振り上げようとすることが間違いであり、それをしてはならなかったことだと知らしめるためには、痛い思いをしなければならないだろう。それが、肉体なのか精神なのかまでは分からないけれども、あれならば、確実にダメージを与えてくれるだろう。すでに、実証も出ているし、後は、騙し役として耐えられるかが問題になる。
後は、亮太ないし由佳ちゃんが決めることだ。俺が勝手を押し付けていいはずはない。俺ができるのは場を整えてあげることと、覚悟を決めさせることだけだろう。そうと決まれば、舞さんたちがやってくるのを待つだけだ。具合悪そうだったから、信也は来ないだろうけど、舞さんと雪さんが居てくれれば、話を進めることは難しくない。俺の考えた作戦のキーとなるのは、二人だろう。了承を得られなければ、どうすることもできない。
ただ考えただけで終わってしまう。
折角思いついたのだから、実践したいものである。
「舞さんに電話しないとな。えっと、携帯、携帯っと」
カバンに入っているはずの携帯を探していると、キーッとブレーキ音が轟いた。 その音に驚いて視線を向けると、黒塗りの高級車がドリフトを決めて止まり、中から舞さん。雪さん。信也が降りてくる。女子二人組は平気そうだが、信也は今にも死にそうなほどに顔色が悪くなっている。こっちはこっちで相当酷い運転だったのだろう。それも、信也のみがダウンするような走り方。恐らく、超高速で来たと推測できる。
スローペースの馬鹿執事が居ると思えば、スピード狂の危険人物まで居るだなんて、舞さんの雇っている執事は少しおかしな人ばかりのようだ。
「着いていたか。Ⅿはどうだった?」
「死ぬかと思った」
「正常な反応ができるのであれば問題はないだろう。さて、ここでのんびりしていた理由を聞こうか」
「ちょうどよかった。電話するつもりだったんだ」
「そうか。ならば、ちょうどよかったのだろう。運転手どもは帰っていていいぞ」
「ストップ。Ⅿだけは、帰さないでくれ」
視線を末房さんに向けると、少し興奮したのか、頬を上気させて体をくねくねと動かせた。非常に気持ちが悪いが、彼の耐久値を知るためには残っていてもらわなければならない。
「ふむ。考えがあるのであれば残そう。とはいえ、あいつだけはボクも苦手だ。今日だって学校まで頼んでもいないのに着いてきたんだ」
……あれ?
じゃあ、なんであそこで待ってたんだろうか?
いや、聞かないほうがいい。苦しみだけが生まれる気がする。彼のことだけは気にしてはならない。
それが、彼と付き合う一番楽な方法だろう。
「それで、あいつに何をさせる?」
「雪さんの手料理を食べてもらう」
「ほう」
面白いと思ってくれたのか、微かに口角が歪んだ。
ダメージが何もない男ではあるが、それは単にタフであるだけであり、内臓や舌に直接来るようなダメージは耐えられないかもしれないと考えたのかもしれない。なにせ、そんなことを鍛えるのは普通は不可能だからだ。そこが心配だから、試すことにしたのだが、なぜか舞さんの表情は俺の考えていることとは別のことを考えていそうに見える。
「雪。昨日のは残っているか?」
信也の看病をしている雪さんに向かって声をかけると、にこりと微笑んで頷いた。きっと、雪さんの中ではその危険物が美味であるとなっているのだろう。だが、そうであったのならば、信也も舞さんも今日欠席することはなかったはずだ。そうなったということは、相当ヤバイ味だったのだろう。
自分で食うのは勘弁したいなと思いながら、雪さんに近づくと信也が手で制する。
その意味は、確実に止めておけだろう。
残っているかと舞さんが聞いた時点で、食べた料理だと判断し、俺が食わないように止めようとしている。犠牲者を出さないようにしているだけだろうけど心遣いはありがたかった。
「えっと、翔くんが食べるの?」
「俺じゃなくて、あの人がね。ちょっとしたお礼がしたくて」
「やつに翔を送らせたからな。非番だと言うのに出てきたのだ。そのくらいの役得があってもいいだろう」
非番うんぬんは初耳だが、俺に合わせてくれているのだろう。
これならば不自然ではない言い訳を即座に思い付ける舞さんに心の中で拍手しながら視線を雪さんに向けると、
「分かった。用意するね」
先に行ってしまった。
その後を信也が追いかけて行くので、舞さんを振り向き、
「Mを頼んでいい? 俺は綾を連れて行くから」
「了解だ。しかし、やつの反応次第では窓から捨てるかも知れんが、いいのか?」
「捨てないように頼む」
雪さんの部屋は八階にあるので、落ちたらただじゃすまない。普通に即死、運が良ければ生きるだろうけど、骨折は確実と思うそうなられたら困るので、食べる前には舞さんを拘束しておくべきかもしれない。
頭の中で考えをまとめると、綾の居る場所を目指して駆け出した。
それから、二分ほどでドアの前へ、隣は雪さんの家なので、移動に困ることはない。
どうせ、来ることわかっているだろうから、チャイムもノックもせずにガチャっと扉を開く。
「わっ! ひっ人誰か!」
「静かにしていろ。すぐに終わる」
奥が騒がしい。何かしているようだ。まあ、勉強か何かだろうと高をくくる。
「綾、来たぞ」
靴を脱ぎ、声をかけながら奥へと向かう。
「かっ翔お兄ちゃん! ダメ、来ないで!」
由佳ちゃんらしくない大声で制そうとする。その声に不振を抱き、確認したほうがいいと頷いて前へと進む。
「綾ちゃん止めて!」
「後少しだ。もう終わるから、我慢しろ」
廊下まで聞こえる声はかなり慌てている。一体何をしていたらここまで慌てるのか少し興味を持ってしまう。
「入るぞ」
「ダメー!」
叫び声。
由佳ちゃんのものだとすぐわかりながらも、俺はその場から即座に動くことができなかった。
一心不乱に手を動かす綾の手には布……というよりも服が握られている。それは、誰かの制服のようで、綾は普通に制服を着ている。その正面には、体を丸くしている由佳ちゃんの姿、その上半身は下着姿でいつもは見ることができない白い肌が目に入る……
「ごめん!」
三十秒ほど頭がついていかずに硬直したが、解けた瞬間バッと後ろを振り向き、目を閉じる。
ここまでしなくてもいい気はしたが、勢いでやってしまった。
「気にすることはない。わたしの隣に座るといい」
「由佳ちゃんが気にするわ!」
「だから、ダメって……」
今にも消え入りそうな声が俺の耳に届いた。今回は、ノックもチャイムもせずに、ましてや忠告すらも聞かなかった俺のミスだ。今すぐ消えてしまいたいぐらいだ。
「よし、できたぞ。ほら」
「ううっ……」
衣擦れの音が聞こえ、それが服を着ているのだと分かると、少しホッとした。今日が五月にしては暖かいとは言え、あの格好ではまともに話もできない。
「着、ました」
「あっああ。できれば、説明を頼む」
綾の隣に座り、状況説明を求める。なぜああなったのか分からないが、最低限の状況を知っておきたい。
「ふむ。簡単に言えば、ほつれていた由佳の制服のボタンを直していた。そこに来ただけの話だ」
「なんで、代わりの服を着ていなかった?」
「時間がかからない作業であったことと、今日は体育がなく、体育服がなかったからだ」
「いや、綾の服もあっただろ?」
それに、家が近くなのだから、帰って着替えるのも一つの手だったはずだ。それなのに、どうして下着姿のままだったのだろうか?
「すぐ、終わるからって……それに、翔お兄ちゃん。まだ来ないって」
「なんで分かるんだよ」
「簡単だ。翔が電話をしてきたのはバスが出る時間帯だった。つまり、すぐに来るとしても徒歩か一時間ほどバスを待たなければならない。どちらにしても、時間がかかるのは必須。その時間で終わらせれば問題ないと考えた」
「もしかして、バスの時間を覚えてるのか?」
「当然。と言いたいが、翔たちが利用する時間帯だけだ。バスの本数が少ないから大体の時間を覚えておけばおおよそ合う」
「なるほど……」
電話した時間で合わせれば、何時に到着するかが分かる訳か。つまり、急がなかった場合は即座に分かると暗に言いたいのだろう。
これは……気を付けないと大変なことになるかもな。
「まあ、服を着ていない理由は分かったし、どうしてそうしたのかも分かったけど、なんで制服のままなんだ?」
家に帰っているのであれば着替えるのが当然だろう。それなのに、着替えていない理由がよく分からない。
「それか。それは……」
「言わないで、綾ちゃん」
綾の服を引っ張り、必死に口止めしようとしている。何らかの理由で由佳ちゃんが着替えなかったから綾も着替えなかったのだろう。
その内容が気にならない。と言えば嘘になるが、由佳ちゃんが言いたくないのであれば、聞かないのがいいはずだ。
「ふむ。仕方があるまい。推測は自分でしてくれ」
「ああ。そうするよ」
考えないことにしよう。
話せるようになったらきっと話してくれるだろう。由佳の顔が赤くなっているし、深く考えると泥沼にはまりそうだ。
「それで、何の用だ?」
「ああ。由佳ちゃんの件でな」
「早いな。昨日の今日でもう進展したのか」
いろいろな意味で進んだと言える。まあ、考えも大分纏まったし、後は詰めていくだけだ。もう少し手札を増やしておきたい気持ちだけど、こればっかりは俺一人ではどうしようもない。みんなと頑張るしかないだろう。
「そうだな。今から、一つ実験して、今後の予定を考えるから二人にも居て欲しい」
「ふむ。わたしは別にいい。由佳もいいだろう?」
「うっうん」
「よかった。ありがとう」
これで心配ごとはなんとかなるな。
後は、実験がうまくいけば、油断させられるだろう。ここで失敗したら……まあ、別の手を考えよう。考えればいくらでもあるだろうしな。
「それはそれとして、翔」
「なんだ?」
「由佳の下着姿はどうだった?」
ニヤリといやらしい笑みを浮かべて問いかけてくる。その正面では、あわあわとしている由佳ちゃんがいて面白い。けれども、そっちに反応することができなかった。
綾の質問で、俺の思考が完全に停止し、代わりにさっきの映像が写し出される。細く、華奢に見えたが丸みをおびていて、女の子らしい体つきをしていた。少し見ない間に大分成長したんだなと嬉しくなる反面、少しドキドキと……って、ダメだろう!
「わたしが言うのもなんだが、由佳の肌はかなり綺麗だ。白くてきめ細かくて、柔らかくて、気持ちいいぞ」
「ちょ! 綾ちゃん」
「いや、一瞬だったから詳しくは見てないし、そんな馬鹿正直に答えるとでも?」
ポーカーフェイスで感情を必死に抑え込む。
綾相手に演技勝負で勝てるとは思わないが、堪えなければ俺の威厳に関わる。
「ふむ。背中だけだと足りないとは言え、由佳の胸はわたしと同じで貧困だ」
「大きくなるもん。大丈夫だもん」
胸元を幾度か触りながら涙ぐむ。
まあ、小学生ならば平均的だと思うけど、成長は人それぞれだし、気にしても仕方ないだろう。
由佳ちゃんは人一倍小さいし、中学、高校で一気に伸びるかもしれない。時を待つしかないだろう。
「あの、なあ、その話は……」
「よし。由佳。脱げ」
「えっええ!」
「待てー!」
いきなり、爆弾発言は止めろ!
びっくりするだろう。
それに、俺以上に由佳ちゃんがびっくりしてるし!
顔真っ赤にして、服押さえて後ろに下がってる。それだけで相当驚いたのだと分かる。
「いきなり大声を上げるな。近所迷惑だ」
「お前の行動にびっくりだよ。なんで軽い気持ちで脱げなんだよ」
「誘惑するのに体を使うのは基本だろう?」
確かにテレビとかでは誘惑するのに体を擦り付けたり服を脱いだりするけれども、
「誰を誘惑するつもりだよ」
「無論。翔だ。由佳は、ふごふぐ」
慌てた様子で由佳ちゃんが綾の口を押さえる。耳まで真っ赤にしながら必死に首を横に振る。
話すな。
そう体全体で表している。どうやら、俺には聞かれたくない内容らしい。
「由佳ちゃん。そろそろ、離してあげよう。ね」
肩に手を乗せて、できるだけ優しくささやくと、綾にも聞こえたのか、高速で縦に首を振る。息が苦しいのかもしれない。早く解放してあげないとマズイかも。
「あっはい」
「はあ、死ぬかと思った。口は災いの元とは本当だな」
余計なことを言おうとしたのが分かっているからなのか荒い息を吐きながら額の汗を拭う。
「次からは気を付けるとして、感想を述べよ」
「何の!」
「無論。由佳の下着姿のだ」
なぜ、無論なのか分からないが、それを聞くまでは動かない方針であるようだ。ジッと俺を見つめている。
あんな姿を見るのは幼稚園児くらいで、小学生のましてや高学年の下着姿を見たのは初めてだから、どう返事をしたらいいのか分からない。まあ、言えるとすれば……
「可愛いんじゃないのか」
程度だろう。
だが、俺の答えに由佳ちゃんは恥ずかしそうにもじもじとし、綾は満足げに頷いている。答え方を間違えているような気がしないでもないが、ここで時間を取りすぎるのは危険だろう。
そろそろ雪さんの準備も終わっているだろうし、Mも来ているだろうから移動することにしよう。
「んじゃ雪さんの家に行くか」
「雪姉の? そこで実験するのか?」
「あっああ」
不安そうにしているが、詳しく話さずに移動を開始したのであった。
そして、移動時間三十秒もかからずについた雪さんの家のリビングにはすでに役者は揃っていた。
なぜか、椅子に腰と足を縛られているMを除けばいつも通りだ。
「翔。遅かったな」
「お前は大分回復したな」
「それは言うな」
どうやら、カラ元気のようだ。まあ、元気は元気なのだから気にしなくてもいいだろう。
「あの、この人。たちは……」
由佳ちゃんが俺の服を引っ張り不安そうにしている。
信也とは面識があるだろうが雪さんと舞さんは初対面だろうから少し怖いのだろう。
少し人見知りなところは昔から変わっていない。変わらない部分を嬉しく思いながら、軽く肩を抱き締める。
軽いし、小さい。
お人形みたいな少女の由佳ちゃんは強く触れたら壊れてしまいそうだ。
「翔。紹介。頼めるか?」
「あっああ」
なぜか、怒り模様の舞さんに促されるように由佳ちゃんを前へと送り出す。
「亮太の妹の由佳ちゃんだ。今回の依頼人だな」
「よっよろしく。お願いします」
ペコリと頭を下げる由佳ちゃんに対して舞さんと雪さんは驚愕の表情を浮かべる。
それが意味するとこが分からずに首を傾げてしまう。由佳ちゃんを知っている信也と目配せするが向こうも分からないらしく、首を横に振った。
仕方がない。
「えっと、二人してどうしたの?」
「いや、一つ聞いていいか?」
「どうぞ」
「本当に、亮太の妹……なのか?」
「いや、うん。信じられないと思うけど現実」
全く似ていないので、信じられないかもしれないけど本当に、妹なのだ。
正直、似ないでほしいと思うほどだ。
「ここまで、似ない、んだね」
雪さんが由佳ちゃんの頭を撫でる。
まあ、嫌われなくてホッとしたのは内緒にしておこう。
「とりあえず、自己紹介したほうがいいだろう。M以外」
「そうだな。ボクは、四條 舞花だ。名字でなければ好きに呼べばいい」
「私は、火波 雪穂、です。よろしくね」
「俺は、知ってるだろ?」
「はい。土浦 信也さん。ですよね?」
「そそっ久しぶりだな」
和気藹々とした雰囲気が流れる。落ち着いた感じがするし、溶け込めた感じがして助かる。
このまま、のんびりとした雰囲気が流れてくれれば、由佳ちゃんも場に慣れていくだろう。
「翔お兄ちゃん。みんな、優しい人。ですね」
「まあな」
信頼している大切な仲間だからな。誰に紹介しても恥ずかしくはない。
「翔、お兄ちゃんか。大分好かれているようだな」
「えっ?」
和やかな雰囲気に亀裂が入った気配がする。何が機雷になったのかも分からないけれども、舞さんの機嫌が最悪にまで落ちたのは間違いないだろう。
これは、ヤバイ気がする。
「えっと、舞さん?」
「いや、翔のことはよく分かっているとも。小学生や中学生に鼻の下を伸ばす変態だとね」
「待って! 伸ばしてないよ!」
明らかな批判に思わず反応してしまう。そんな、迷惑極まりない評判。立って……ないよね?
「由佳。ちょっとこっちに来い」
「なに、綾ちゃん」
「信也。俺、伸ばしてないよね?」
「さっさあ」
止めて、そこで目を逸らされたら真実としか受け入れられない。まさかの長年の親友にすら裏切られると誰を信頼すればいいのか分からないじゃないか!
「えっと、こう?」
「そうだ。それで、ジッと相手の目を見つめて、言うんだ」
「うん」
向こうは向こうでなんかの練習してるし、
「はあはあ。これぞ放置プレイ。忘れ去られるの最高です。もっと、もっと蔑んだ目を、わたくしめに!」
あっちはあっちで自家発電して楽しそうにしているし、俺はロリコン疑惑をかけられるし、もう最悪じゃねえか。さっきの空気はどこに行った!
金で帰ってくるなら買ってやるから値段を言えや!
「はあ」
疲れた。なんだかものすごく疲れた。このまま家に帰って眠りたいくらいだ。でも、まだ目的の半分も達成していない。早くⅯに雪さん特製料理を食べさせて、みんなにこれからの予定を話さなくちゃいけないのに……
「んっ?」
がっくりと肩を落とした俺の隣を由佳ちゃんがとてとてと歩いていき、信也の前で立ち止まり、上目遣いで信也を見上げる。その瞳には微かに涙が溜まっている。
そして、小さな口が微かに動き、
「信也、お兄ちゃん」
俺と同じような呼び方を始める。
「えっ……」
場が完全に凍り付く。
その空気を理解してないのか、はたまた分かった上で無視しているのか、綾は不敵に笑い。由佳ちゃんは可愛らしく首を傾げる。
「いっいきなり驚くだろうが、不意打ちはやめろよ」
声を上ずらせ、曖昧な笑みを浮かべながら、言葉とは裏腹に由佳ちゃんの頭を撫でる信也。その様子は喜んでいるようにも見える。
「しっ信也くん!」
「雪の前で大胆だな!」
「ふむ。効果はありそうだ」
冷静なのは、もしかしたら綾だけかもしれない。舞さんはともかくとして雪さんは怒る一歩手前だ。早く手を打たないと、大変なことに、とう言うか、話せる雰囲気ではなくなる。
こうなった原因は恐らく綾だ。止めさせなくては……
「次だ」
「はっはい」
俺の考えを先読みしてか、指示が飛びだす。それに反応して由佳ちゃんは信也の前から雪さんと舞さんの前へと移動し、さっきと同じポーズになって、
「怒らないで、雪穂お姉ちゃん。舞花お姉ちゃん」
「うっ」
「かっ可愛い」
綾の策略が分かった気がする。これは、ただの実験だろう。周りの反応から、由佳ちゃんの可能性を見出し、試そうと思った。その程度のことなんだろうけど、周りが過剰に反応しているだけなんだろうけど……この状況は、流石に不味いだろう。
「綾。この後を考えてるのか?」
「知りたければ、この後をしっかり見ているといい」
考えているのか考えていないのか分からないけれども、傍観に徹することにしよう。
「怒ってないよ。私。怒ってないからね。何か飲む?」
「ボクも怒っていないとも。これは日常茶飯事だ」
こんなのが日常だなんて最悪でしかないけれども、事実。そうであることを知っているので、何も言いたくない。
「よかったね。信也お兄ちゃん」
太陽よりも眩しい笑顔を浮かべて信也のほうを向いた。
いつもの由佳ちゃんと違う態度に、少しだけ驚いた。恐らく綾の指導だろうけど、ここまで変えられるとは思わなかった。いや、ここまで変貌できる由佳ちゃんの演技力が凄まじい。素人のはずなのに……これが、女と言うことだろうか?
「ありがとう。由佳ちゃん。好きな物を作ってあげるから、リクエストして。腕を振るうぞ」
「待て待て! 信也。暴走しすぎだ」
「はっ! 俺、何してた?」
由佳ちゃんを抱き上げたポーズで固まる信也。どうやら正気に戻ったようだ。このままお持ち帰りするのではと錯覚するほどの勢いだ。
「信也くん。ちょっと、いい?」
「えっあっ……」
青ざめる信也に、覚醒してしまった雪さん。これを止める方法などは俺にはなく、場が過ぎるのを待つしかないだろう。
「あっ舞ちゃん。あれはできてるから振舞っておいて。綾ちゃん。部屋借りるね」
とてもつもない重量感を持った笑みを浮かべる雪さんに二人は頷くことしかできない。もし、俺が同じ立場でも同じ行動をとっただろう。
「ちょ、雪穂。翔、助け……」
必死に手を伸ばすが、誰一人としてその手を掴むことはせずに、引っ張られる信也を眺めることしかできなかった。
「翔。君はやはり凄かったのだな。あの威力に耐えていたとは」
「そうだな。俺も初めて知ったよ」
俺は感じていなかったが、ここまで威力があるとは……亮太に兄を付けない理由がよく分かる。あいつが暴走したら本当に大変なことになる。
「ふむ。まだまだ改良が必要そうだな。だが、ひとまずお疲れだ」
「恥ずかし、かったよ~」
耳まで真っ赤にして小さくなっている。相当無理をしたのだろうけど、あそこまで自分を偽れたら一つの才能と言えるだろう。
それに、一つ思いついた。由佳ちゃんの才能を別方向で伸ばすことができたならば、亮二さん対策に使えるはずだ。それも考慮に入れてこれから行われる実験を静観しなければ。
「舞さん。お願いしていい?」
「無論。ここに雪が居ないのならば、遠慮はしないさ」
台所に消えたかと思うと、鍋ごと何かの液体を持ってきた。物凄く甘い匂いを放つその液体は、飲まずとも甘味が下に再現できそうに感じるほど。一体何をしたらそこまでになるのか分からないけれども、危険物であることだけは頷ける。
「まっまさか、フルーツジュースか!」
「はい?」
驚いた声を上げるのは綾であった。今まで火にかけていたのかぐつぐつに煮えている茶色の液体を見つめながら、真剣な瞳で睨みつける。
「えっと、甘そう。だね」
「ああ。甘い。普通のジュースの十倍は甘いだろう。それほどまでに煮詰め、汁が無くなったら果汁やら蜜やら砂糖やらを加え続けた一品だ」
茶色なのは、いろいろな物が混じった結果なのだろうか?
つうか、普通そこまでやらないだろうと叫びたいくらいだ。何の執念で雪さんは作ったのだろうか?
「さて、飲め」
Ⅿの前に鍋ごとどんと置かれる。家庭用の深鍋に半分ほど入っているのに、コップに入れるでもなくそのままだ。
鍋の縁からは煙が出ていて、明らかにまともな状態では飲むことが出来ない。ストローやスプーンもついていないので、そのまま飲めと言いたいのだろう。
「ありがたき幸せ。では、頂きます」
確実に舌を火傷するし、唇がやばいことになるだろうに、Ⅿはそんなことを気にすることなく、両手で鍋の端を握ると、一気に口の中に流し込む。
「んっ!」
ごくごくと普通のジュースを飲むかのように飲み始める。
明らかに異常な光景。
いくら、ドⅯの変態でもあんな得体のしれない飲み物を平然と、しかもおいしそうに飲めるなんて、どんな化け物だ。
俺だったら全力で逃げるだろうに、むしろ、ウェルカムって……死ぬ気か?
「ふう。流石、お嬢様のご学友が制作した飲み物。とてもおいしいですね」
「えっあっ……体に、異常はないか?」
「平気ですとも、舌が焼けるような熱さも、唇を溶かそうとするほどの飲み口も、果てしなく甘いあの飲み物も、すべてがわたくしにとってものご褒美でございます。こんな幸福。他ではなかなか味わえませんとも」
「そっそうか」
感性が全く違うが、どうやら飲むこと自体に全く問題はないらしい。これなら、手札としても大丈夫だろう。
よし。なんだかんだで手札は増えた。後は練度を高めればそれで何とかなるはずだ。
「これなら、勝てるかもしれない」
「絵は見えたのか?」
「絵って、まあ、完成はした。俺の理想が現実になれば、由佳ちゃんは平気だ。頑張ろう」
由佳ちゃんに視線を落とすと、茫然と固まっている。その隣では綾が興味深そうにⅯを見つめている。どうやら、さっきの光景が酷すぎて硬直してしまっているようだ。
まあ、さっきのはやりすぎ感が半端なかったし、普通の人では絶対にできない境地だろう。それに驚いて茫然としてしまうのも仕方がない。雪さんたちが帰ってくるまで放っておくことにしよう。
そして、数分後。
信也にいろいろなことを言ってストレス解消したのか、つやつやした雪さんとげんなりと肩を落とした信也が帰ってくる。
こっちも、鍋を片づけ、由佳ちゃんが復活したちょうどいいタイミング。
みんなには床に座ってもらい、俺一人が立って説明する形をとった。
「さて、まあ……手札が揃ったので、作戦を立てようと思う。まず、今回の亮二さんの一件。対峙するのは由佳ちゃんと亮太だ」
「ちょっと待て。翔は共に話し合いの場に立つのではないのか!」
綾が思わず立ち上がる。その隣では青い顔をする由佳ちゃん。
「不安だろうけど、ここで俺が間に立っても亮二さんは止まらない。だから、家族で話してもらう。ただ、母親である由依さんは、血が飛びそうだから話し合いには参加させたくない」
「うっうん。あたしも賛成。お母さん。お父さんのことになると、鬼になるし……」
ああ。あのときは俺が死ぬんじゃないかと思うくらいの形相だった。普段は優しくおっとりとしているので、ギャップでヤバかった。
あの姿を見たら、亮太と親子なんだなと思うくらいだ。
「さて、それでだ。みんなに頼みたいことがある。異論がある場合は遠慮なくいってほしい」
みんなを見回すとMを含めて全員が頷いた。
由佳ちゃんを助ける。この気持ちで一体となれたなら、心強い。必要なことを遠慮なく言える。
「まずは、雪さん」
「はっはい」
「雪さんは、舞さんと一緒にさっきのジュースを強化して」
「翔!」
「舞さん。どうかした?」
「ふざけてるのか?」
必死の形相で立ち上がる。あれを飲んだ経験から危険だとわかっている。だが、それの強化と言われて驚いたのだろう。
まあ、想定内。
「あっあの、強化って……なにしたら?」
「ああ。強化は言い過ぎ、正確に言えば、飲みたくなるような色にして欲しい。茶色だと、ね」
せめて、もっと美味しそうな色にして欲しい。そうすれば、会話がヒートアップした時に飲みたくなるだろうし、
「あっうん。それなら……」
「もしかして、ボクは食料調達と場所提供か?」
「無理、かな?」
正直、この中なら舞さん以外に適任は居ない。試飲はしてほしくないけど、そのくらいならと考えたのだ。
「雪の手伝いだけでいいのか?」
ちらりと俺を見る瞳にはまだ仕事があるのかと問うているようにも感じる。
「いや、できるなら、話し合いの場もセッティングして欲しい」
ある意味、一番の難関。だけど、舞さんならばきっと応えてくれると思っている。
「要望は?」
「テレビみたいに別室で状況を確認できる部屋。流石に見てないと止めにも行けないからね」
「了解した。手配しておく。今日を含めて三日ほど待ってもらいたい」
「それでいいよ」
これで準備期間が三日で確定か。
よし、次。
「次は信也」
「おう。何するんだ?」
「信也には亮太の監視と亮二さんの今の暮らしとかを調べて欲しいと思ってる」
「後者は分かるが、亮太の監視?」
疑問に思うのも無理ないか。
説明をはしょってるし、
「亮太には、この件を話さないことにする。だからこそ、監視して欲しい。俺たちが動いてることを三日間バレないようにしてほしいんだ」
「理由は?」
「亮太を怒らせたい。正確には、あの状態にしたい」
亮太の裏モード。
怒りで前が見えない状態にしたいのだ。それは、過去に信也がいじめられていた時のやつで、今の亮太とは似ても似つかない最悪のモード。
「マジかよ。でも、だったら普通に話せば……ってあいつ鳥頭だから、怒りを忘れるのか」
「そう。亮太は怒りを溜められない。一回で全部出すからな。だかるこそ、そのタイミングは亮二さんの前にしたい」
「なるほど。で、監視役の理由は、他に仕事がないからじゃないよな?」
鋭い。
確かに、信也に頼む仕事は、調べる以外になくて暇を持て余すだろうからついでに……と言う気持ちも確かにある。だが、それ以上の理由があった。
「信也を信頼してるから頼むんだよ。信也なら口を滑らせないって思うから、だから、頼む」
「分かった。そこまで言うなら受ける」
「助かる」
よし、次は、と
「えっと、え……じゃなくて末房さん」
「わっわたくしめにも何かあるのでございますか?」
椅子に下半身を固定されながらこちらに身を乗り出そうとするMを手の動きで制する。
ここまで、過剰反応されるとは思わなかった。
「あっえっと……完成した雪さん特製フルーツジュースの試飲と亮二さんのストレス解消に付き合ってあげて欲しいなと」
今まで頼んだ中では一番損な役回りだが、これをこなすことができるのはⅯ以外に居ないだろう。試飲は雪さんでもできるだろうけど、ストレス解消はどう考えたところで誰にもできない。喜んでするのは、Ⅿだけだろう。
「喜んでお受けいたします」
「いや、あの……舞さんの命令じゃないんだよ?」
「お嬢様のご学友の切なる願いは、言わばお嬢様の願いと同等。なればこそ、断る理由はございません」
執事として正しいのか分からないけれども、人としては正しいと思う。ただ、尊敬は全くできないし、見本にしたいと思わないのはⅯの性癖が最悪だからだろう。こうはなりたくないと切に願う。
「じゃあ、お願いします。後は、綾と由佳ちゃんだな」
「そうだな。わたしたちは何をしたらいい?」
「綾と俺で由佳ちゃんの相談と成長の手助け、かな。これからのことを話し合いたい」
「これから、ですか?」
「ああ。正確には、亮二さんの言葉に乗るかどうか。それを相談する」
『はっ?』
全員が目を点にして茫然と口を開いた。場の空気が一瞬で重くなる。
まあ、今の今まで由佳ちゃんが亮二さんのところに行かない方法を考えていたのに、行くかどうかの相談をするなんて言われたら驚くのは当然か。でも、これは大切なことでもある。俺たちが行かせないようにしているから行かない。ではダメなのだ。本心から亮二さんのところに行きたくないと思ってくれなくては困る。周りに流されるだけで過ごして、決断をしないで大きくなったら、何も決断できずに周りに頼るダメ人間になってしまう。だから、ちゃんと話し合うのだ。これからどうするのか、自分の考えはどうなのかを見つめなおす。
まあ、簡潔に言うならば、
「必要なんだ。どうしてもな」
「翔が言うならば、そうなんだろう僕は好きにすればいいと思う」
「そう、だな。どうせ三人の問題だし、任せる。ただ、話し合いの結果亮二さんのところに行くようなら、先に言ってくれよ。無駄なことはしたくないからな」
無駄なこと。
それは、亮二さんのことを調べたり、亮太の観察をしたりすることなのだろう。
確かに、意味がないから必要ないなら無視してもらってもいい。ただ、恐らく、調べてもらうことになる。
由佳ちゃんが行きたいと思ったならば、最初から悩んだりしない。悩む理由があるのであれば、それを掘り下げる必要がある。
それが、どんな内容であろうと俺は笑ったりはしない。本気で悩んでいることを冷かしたりはしない。共に悩み、解決へと導くつもりだ。それに由佳ちゃんと綾にはほかにやってほしいこともある。そのためには、やはり三人のほうがいいだろう。もしも、使えない結果にあるならば、即座に計画を変えなければいけない。その判断のためにも、頑張るとしよう。
「んじゃ、さっそく始めよう。時間もないし」
今日を含めてあと三日。それだけしか時間がないのであれば急ぐべきだ。
「なら、わたしたちは家に戻るとしよう。由佳行くぞ」
「あっうん」
俺を置いて行ってしまう。
恐らく、全て終わってから来いと言いたいのだろう。
「気を使わせたかな?」
「多分、ね」
雪さんが曖昧な笑みを浮かべて、扉を見つめる。
さて、俺がやるべきことをやるしかないか。せっかく綾が時間をくれたのだ。その時間を有効に使わなければならない。
「さて、悪かった」
「いきなり謝るって、どうした?」
「巻き込んだんだから、謝るのは当然だろ。実際、これは相談部には関係ないことなのに、な」
「翔。お前、馬鹿だろ?」
「そうだな。ボクたちのこと、見くびるのか?」
「うっうん。そうだよね」
「はい?」
どういうことだろうか?
なんで馬鹿にされているのか分からないが、みんなが優しいことだけは確かだろう。
「えっと、あのさ。どういうことだ?」
「お前が持ち込んだ時点で、相談部としての活動に決まってるだろ。俺たちは仲間だ。たとえ、それは何があっても変わらない。もし、俺が何かを持ってきても、お前は頑張っただろう?」
確かにそうだろう。
相談内容を聞きたくないと思うだろうけど、聞いたらそれを全力で手伝った。助けるために、力を尽くした。
「それに、最初の仕事があれだと……やっぱり悲しいからな。これを最初の仕事にしたい」
「だな。あの無意味な依頼よりも、この依頼のほうが、楽しそうだ」
楽しい、か。
確かに、そうだな。
「ありがとう。って、いつの間に、俺は相談部に入った?」
「そりゃ、最初から」
「ああ」
「うん」
「だから、部に……って、まあいいや。亮太入ったなら、俺が入れば部昇格。部になったら入部すると決めたからな。入るよ」
諦めた。
頑張るのだ。由佳ちゃんのために……
「じゃあ、後は頼む。ホウレンソウは守ってくれな」
「お前もな」
拳を当てると、綾の部屋に移動した。
ホウレンソウ。報告、連絡、相談。どんな些細なことであっても、怠ってはいけないことだ。特に、今回はみんながバラバラに行動する。それぞれの進捗具合が分からなければ、最後の詰めで失敗するかもしれない。
だからこそ、頼んだ。
部屋の中に入ると、二人の談笑が聞こえる。のんびりと待っていてくれたのだろう。
「さて、始めるか」
「何をする? いや、何をさせたい?」
「綾は分かってるのか?」
「何。までは分からないが、何かをさせたい気がする。企んでいる感覚があるんだ」
企んでるとは人聞きが悪い。由佳ちゃんのためにできることを考え、必要だろうことを実行しようとしているだけだ。
ただ、由佳ちゃんは苦労するだろうけど、そこは乗り越えるべき壁と受け取ってもらいたい。
「えっと、あたしに……何を?」
「ああ。一つは、さっきも言った通り相談だ。もう一つは、綾から演技を学んでもらう。さっきみたいに、演技の仮面を纏い、戦ってもらうつもりだ。まあ、相談の結果次第だ」
「ほう。面白いことを考えたな」
「えっ? あっあの、えっ?」
「まあ、その話は後だ。由佳。お前はどうしたい? これから」
「それは、その……」
「俺が邪魔なら、一度出るが?」
「いえ、そんなこと、は」
しどろもどろになりながら、周りを見回している。
考えが纏まらず、言葉に窮しているのかもしれない。けれども、俺が言えることなんて何もないのが現実。
顔を赤くしたり青くしたり、コロコロと表情を変えながら逃げようとしているように見える。だが、逃がすことはしない。
これは、由佳ちゃんが考えなければならないこと。これからのことは、由佳ちゃんが決めなければならない。
とはいえ、何もなく話し始めるのが難しいなら、何かで気を紛らわせるべきか?
「いや、それも無理か」
独り言ち、否定する。
今の由佳ちゃんに何を言っても気休めにはならないだろうし、時間を置くべきかもしれない。いろいろなことを目の前で起こしたり、話したりした。精神的には結構堪えているのかもしれないし、少しゆっくりしたほうがいいのかもしれないな。
「綾」
「んっ? どうした?」
完全に聞く体制に入っている綾。
仕方ないか。
相談するように、言っていたのだから、聞く体制になって貰わなければ困る。しかし、現状では話なんてできないだろう。
こんな状況で、
「俺は、必要か?」
「当たり前だろうが。お前がやろうとしていることだ。必要ないと思っているなら、最初から関わるな」
「お前が誘ったくせに、関わるな。か」
面白いことを言う。けど、必要かと聞いた俺にも非はあるのだろう。まあ、助かるな。綾がこういうやつだと、逃げることをしなくて済む。
「だが、そうだな。必要かを問う必要はないな」
必要かそうでないかなんて関係はない。やると決めたなら、突き進むのみだ。
「由佳ちゃん。一晩。しっかりと考えて答えを出すんだ」
「えっ?」
「急いでも答えは出ない。頭を冷やすのも大切なことだ。だろ?」
「お前の頭の中で、どんな化学反応があった?」
「いろいろとな」
まあ、俺たちが頑張ろうとも、由佳ちゃんが行動しなければどうしようもない。突き進むと決めたのならば、由佳ちゃんをしっかりと見るべきだ。
まとまっていないのに無理をしても意味がない。ならば、時間を置くのが大切だろう。ならば、
「それで、いいかな?」
「はっはい」
笑顔で頷く由佳ちゃん。
「仕方ない。これでは、見送るしかないな。翔。こっちに来い」
「なんだ?」
綾に近づき、耳を貸すために腰を落とした。
その瞬間、首に手を回してきたせいで、無理矢理に顔が近づく。
「由佳は、わたしに任せろ。相談相手には不十分かもしれないけど、わたしがなんとかしてみせる。友達、いや、親友へと至るために」
「そうか」
綾は、友達を得て変わったんだな。少し前の綾ならば、こんなことは言わなかっただろう。自分には関係ないと突き放していた可能性もある。不良に立ち向かったのは、向こうがマナー違反をしていたから。それを見過ごせなかった。つまり、目に入ったから突っ込んだけで、目に入らなかったら無視してだろう。
けれども、今回は自分から積極的に関わり、関係がなかったのに、正義のためではなく、自分の気持ちのために行動を起こしている。
その成長を嬉しく思う。
「頑張れよ」
「言われるまでもない。だから、作戦を完璧に煮詰めろ」
「了解」
頷きあい、離れた。
そして、由佳ちゃんを送って、俺は帰宅することにした。今日は何もしなかったが、綾がやる気を出した。このまま、由佳ちゃんがやる気になれば凄く忙しくなろうだろう。
そのための英気を養う時間。そう思いながら、夜は更けていく。
間章
「さて、由佳はどこかな?」
給食が終わり、昼休み。
翔に偉そうなことを言ったのに、由佳にあの話を切り出すことができなかった。朝から由佳と話をしていたが、どうしても本題に入ることができずに、ズルズルと引っ張り、昼休みになってしまったのだ。
そして、教室を見回すが、すでに居らず、どこかに行ってしまっているようだ。
一人になりたい。
そんな理由だろうが、わたしがなんとかすると宣言してしまった手前、早く由佳と話をしなければならない。
困った。
友達になって日の浅い由佳の行くところが全く想像できないのだ。いつもならば、図書室に直行していたが、恐らく、今日は行っていないだろう。
一人になりたいと考えているのであれば、人が多い図書室は避けるはずだ。漫画やドラマならば、屋上が解放されていてそこに居る。なんてこともあるだろうが、この学校は屋上の解放はされていない。前に確認したから間違いない。
となりと、校舎裏や、校庭の隅などが有力だが、由佳の行動を鑑みるに、ないと断定する。あくまで、人に目立たない場所だ。
後、あるとしたなら空き教室くらいだが、いつもは鍵がかかっていて入ることは不可能。
「ふむ。八方塞がりか」
ここまで、推測のネタがないとなると足で探すしかない。由佳が利用するのは、保健室。職員室。飼育小屋くらいのはず。
だが、どれも、条件に当てはまらない。
仕方なく、窓の外を見た。
正面にあるのは理科室。
ギターを持った先生が準備室に居て、コーヒーを飲みながらみんなに聞かせているともっぱらの噂だ。
だが、理科室のほうは人が居ないかもしれない。
藁にも縋る思いで、理科室に足を向ける。
「ここ、か」
扉を前に立ち止まる。
正面と右側にある扉。右を開けば準備室で、扉の外からでもギターの音色が聞こえる。どうやら、そっちには誰かが居るらしい。だが、先に調べたいのは正面の扉。
息を吸い込み、扉に手をかけて力を入れて引く。
すると、想像よりも軽く開き、拍子抜けしてしまう。
「由佳、居るか」
中に入り、声をかける。
一通り見回し、一か所で目を止める。
「ここに居たか」
「あれ、綾……ちゃん?」
下を向いていた由佳が顔を上げる。手には文庫本を持っているが、開かれている形跡はない。
どうやら、ずっと下を向いて考え事をしていたようだ。
「何をしている?」
「えっと、あの……その、ずっと、考えてたの。あたし、どうしたいのかを」
「答え。出たか?」
隣に座り、顔を覗き込む。
由佳が浮かべるのは曖昧な笑みだけで、答えを言おうとはしない。
つまり、まだ出ていないのだろう。
「そうか。では、私の話を、聞いてくれないか?」
「綾ちゃん、の?」
「ああ。まずは誓いだ。わたしは、由佳には嘘を吐かない。どんな辛い現実だろうと、苦しい事態だろうと、わたしは、オブラートに包むことなく、由佳に伝えることを宣言する」
「できれば、オブラートには、包んでほしいな」
「無理だな。曖昧なことを宣言しては誓いにならない。わたしは、由佳と友達でいたい。だから、隠し事はしない」
「秘密のない、友達って、少ないと、思うよ?」
確かにそうだろう。
わたしが知っている友達と言う概念でも、隠し事の一つや二つ存在するし、互いのことを全て知っているなんて夢のまた夢だろう。
けれども、わたしの正義が、由佳に秘密を作ることを許さないし、嘘を許さないのだ。
「これは、わたしの覚悟だ。由佳は乗らなくてもいい。それだけ、わたしは感謝しているのだ。由佳に」
「感謝……でも、なんで?」
「わたしは、嫌われている。そんなことは分かっていた。馴染もうと努力もせずに、理不尽を無視して、みんなに嫌なことをたくさん言ってきた。そんな中で、友達になってくれる人なんて、居ないと思っていた。それなのに、由佳は友達になってくれた。ほんの一週間ほど前のことだから、覚えてはいるだろう?」
「うん。覚えてる。隣に座っていた綾ちゃんが、いきなり話しかけてきたんだよね。自習の時間に」
「ああ。問題が難しいなら教えようか、と。そう問いかけた。あの時に見せた驚愕の表情は、今でも、わたしの脳裏に残っている。それだけ、わたしは嫌われていたのだと、理解した」
「そんなこと、あれは……ただ、理由が……」
「分かっている。わたしのことを警戒した。それだけだろう?」
「うっ……」
わたしは、昔から変わらない。
人が嫌がることだろうとそれが悪いと思えば平気で口にしたし、他人が目を背けるところに、土足で踏みにじった。そんなわたしを快く思う人なんてクラスには居なかったし、わたしもそれでいいと思っていた。見下していたとも言っていい。
でも、ある変化があった。
「わたしは、翔と出会って変わった。あいつがわたしを変えた。由佳と友達になれたのはあいつの心意気を見習ったから……いや、翔たちを羨ましいと思ったからだ。由佳に声をかけたのは隣だったからと、悩んでいるよう見えたからだ」
「えっ、えっ?」
「実際、問題解けずに悩んでいただろ?」
「うっうん。でも……あの時は、ごめんなさい」
「気にするな。何度も謝られるのは気分が悪い」
そう。声をかけたのだ。そこまではよかったが、周りから睨まれた由佳は萎縮してしまい、返事を返さなかった。だが、帰り道が一緒だったことが幸いして、帰宅中に何度も謝れてしまった。
そのままのノリで勉強会をわたしの家で開催した結果。今のような関係を築くことができたのだ。
「最後は逃げずにわたしのところに来た。それで十分だとも」
笑顔浮かべると、由佳は反対に顔を真っ赤にして恥ずかしそうにする。一つ一つの仕草がとても可愛く、わたしが真似しても同じようにはならないだろうと思う。 わたしよりも小さな体に、たくさんの悲しみと苦労を抱えて、それでも、それを気づかせないようにするのは、かなり大変だ。
実際にやっていたので、その辛さは分かる。
それに、追い討ちをかけるような父親の出現。由佳はきっと混乱しているのだ。自分の道が分からなくなっている。
だが、それだけである。分からないなら一緒に探してあげればいい。辛いなら寄り添ってあげればいい。楽しいことなら共に楽しむ。友達なら、当然のこと。
そして、友達だからこそ、決めなければならないこともある。
「それで、由佳」
「なに?」
「由佳は翔のこと、好きだろう」
「えっ? ええっ!」
耳まで赤くして狼狽え始めた。
どうやら、図星のようだ。それを嬉しく思えるわたしは、少しおかしいのかもしれない。
「あっあの、いや、だって、あたし、小学生だし、翔お兄ちゃんはお兄ちゃんだし」
「実の兄ではなく、由佳が呼んでいるだけだろう。それに、小学生だから自重するのは間違いだ」
「えっ?」
「小学生だと言っても、それは今だけの話だ。四年も経てば高校生になる。そうすれば、翔も大学生、もしくは社会人となっていることだろう。そうすれば、付き合うのも不思議ではない」
「えっと、そうだとしても……あたし、無理だよ。相手にも……」
「されないとしても、最初から諦めるなら、誰にも勝てない。恋愛も仕事も勉強も諦めることを選択したら、前には進まない」
由佳の手を握ると少し冷えていて、少しだけ震えていた。緊張か、不安か、それとも、一度拒絶したから恐れているのか、そこまで深い感情を読み取ることはできない。それでも、怖がっていることだけは確かだろう。
「それとも、逃げるのか?」
「っ!」
「どうした、図星か?」
由佳の目をジッと見つめる。
目を逸らそうと顔を動かすが、手で押さえて逃がさない。頬が柔らかくて気持ちがいい。
「綾、ちゃん。あたし……」
「今は逃がさない。由佳。わたしの質問に答えろ」
「あっ綾ちゃん。ちょっと、こわ、怖い、よ」
怖くてもいい。
わたしは翔ではないから、翔のような対応はできない。まっすぐ相手に向かうことでしか対応できないのだ。
「あの、ね。あた、あたし、逃げ、たいよ」
「そうか。逃げたいか。わたしは、怖いだろう?」
「うっうん。翔お兄ちゃんとの関係を、聞かれた時、みたい」
「そうか。では……」
手を離して、目を閉じる。
どんな話し方ならば、緊張しないだろうか?
柔らかい印象になるように考えよう。
「由佳ちゃん。逃げないで、ね」
にっこりと笑みを浮かべながら、少しだけ声を高くして、手を握る。
「えっえっ? 綾、ちゃん?」
「どうしたの?」
少しだけ首を傾げる。
由佳の目が丸くなり、硬直したまま動かない。
「えっと、誰?」
「何言っているの? 綾だよ」
「知らないよ。あたし、こんな綾ちゃん。見たことないよ!」
どうやら、驚きすぎて動けなくなっていたようだ。いつもとは確かに違うかもしれないけれども、この程度のことならば、容易にできるはず。
昨日、由佳も雪姉たちにやっていたことと変わらない。ちょっとした仕草を変えて、声音を変えた程度のことである。誰だってやる演技の一つだろう。
「これなら、話しやすくない?」
「えっと、あの、前ので。ちょっと、それは、慣れない」
「そうか。では、こっちにしよう」
笑みを消して、真剣な表情を浮かべる。
「うっうん。それで、お願い。そっちのほうが、まだ慣れてる」
「ふむ。難しいな」
前、翔に同じことをして止めてくれと頼まれたし、どうやらこの特技はうまく働かないようだ。
まあ、おかげで由佳の緊張もいい具合にほぐれたようだ。
「それで、逃げるとして、その後どうする? 逃げ続けるのか?」
「えっと、綾ちゃんは、どうしたいいと、思う?」
「わたしか? わたしなら正面から正々堂々勝負を仕掛ける。そうしても、勝負にならないとしたら、翔とのことだろうな」
「えっ?」
「キスしても相手にされなかった」
「ええ!」
「そんなに驚いたような声あげてどうした?」
わたしは特に変なことを言っているつもりはない。いつも通りのはずだ。
それなのに、由佳は想像よりも驚いている。
不思議だ。どうしてこんなに驚いているのだろうか?
「あの、キス。したの?」
「ああ。お礼と言ったらそれで終わった。いろいろなところに連れまわすために朝から家に突撃しても意味はなかった。まあ、その程度は他もしているのだろう。何気に翔は人気だからな」
「あっそれは、うん。分かる。昔から、そうだから……」
昔からの知り合いである由佳はそのことを知っている。だから、無理と決めつけたのだろう。だが、そんなことは関係ない。
「由佳。人とはいつ知り合おうとも、時間が経っていなくても、最後に選ばれればそれで勝利なんだ。勝負を投げなければ、その可能性が少しであることになる。逃げたら、その可能性すらない。諦めたら、その資格がない。それを、由佳にも理解してほしい」
それが、わたしの本心であり、考えだ。
すべてを理解しろ。とまでは言うつもりはない。でも、気付かないフリをするのは止めて欲しい。
「えっと、あの、そのう……」
「ん?」
「それより、あの」
「どうした?」
「これ、何の話。だったっけ?」
「んっ? 由佳が答えを出しあぐねているから、会話しながら考えてもらおうとしただけだろ? 恋愛や過去話を交えれば考えやすいと思ったが、違ったか?」
答えが出ていないならばと考えていた。
迷惑だっただろうか?
わたしは空回りが多いようなので、気を付けなればならないのかもしれない。まあ、そう簡単に治らないだろうから、雪姉たちに手伝ってもらいながら、頑張ることにしよう。
「あ……綾ちゃん。あたしの、ために?」
「当然だ。由佳が考えを出せるようにいろいろと教えようとしただけだ。わたしはどうやら不器用らしい」
「そう、だね。全く、分からなかった。責めてるのかと、思ってた」
「責める? 何を?」
「あたしが、決めない、から」
「考えるのは人が生きる上で大切なのことで、選択することは、その人の一生を決める。だから、難しいのは当然だ。時間を翔が指定したことにより、思考時間が限られている。その中で、人生を決めるのは、大変だろう?」
「うっうん。でも、決めないと、無理、なんだよね?」
「ああ。由佳が決めるべきことだ。わたしは、何も言えない。だが、わたしが言いたいことは、さっき全て言ったとも。恋愛であろうと、人生であろうと、何も変わらない。何を決めるかは、由佳にしか分からない。わたしは、見守るだけだ」
「んっ」
頷くと、そっと、わたしを抱きしめる。
その唐突な行動に、意味が分からずに思わずポカンとしてしまう。
力を入れている訳ではなかったが、それを振り払うなんてことはできなかった。由佳のしたいようにさせる。わたしは、気が済むまで、由佳に抱きしめられる。その体温を肌で感じる。
「ねえ」
「なんだ?」
「いつまでも、友達でいて、くれる?」
「ああ。由佳が望むなら、わたしは、ずっと友で居よう。たとえ、喧嘩しようとも、道がたがえようとも、わたしは由佳の友であり続ける」
「喧嘩とか、道がたがえるとか、まあ、ありそうだね。でも、あたし、逃げるから喧嘩は、ないよ」
「なら、わたしが喧嘩してやろう。喧嘩の無い友はぶつかることをしないから、簡単なことで脆く壊れる。わたしたちは、同じ相手を狙っているしな」
翔。
今は無理だろうけど、あいつもいつかは誰かを選ぶのだ。それが、わたしか、由佳か、それとも……知らない誰かなのか、それは分からないが、わたしは、その結果に目を逸らすつもりはない。由佳も、そうしてほしい。どんなに辛くても、それが現実なのだから……
「うん。ありがとう。あたし、離れたくない。綾ちゃんとも、翔お兄ちゃんとも、ここに、居たい。亮太さんやお母さんが好き」
「そうか。なら、翔にそう言ってやれ。それが、由佳の答えだ」
「うん。それで、綾ちゃん」
「なんだ?」
由佳がわたしを離し、ジッとわたしを見つめる。
憑き物が落ちたような清々しい表情をしているのは、きっとわたしの気のせいではないだろう。由佳の中で、何かが決まった。そう考えるのが、正しいはずだ。
「負けないから、ね。絶対に、諦めない。逃げない。それで、いいんだよね?」
「そう決めたなら、それでいい。わたしも、正々堂々挑むだけだ。その結果に、後悔しないようにな」
「うん」
由佳の心は決まった。これならば、文句はないはずだ。
それに、ここまで決断したのであれば、わたしも遠慮をする必要は欠片もないだろう。本気で、わたしのできることをぶつけることができる。どんなに喚こうとも嫌がろうとも、必要なことをやらせることができる。
「今日の夜から、頑張るぞ」
「うん。よろしくね!」
綺麗な笑顔を浮かべ、頷く由佳。
翔のようにはできなかったが、今できる最低限のことはできただろう。
後は、最後の時まで全力を尽くすだけ。
そう。もう道は決まったのだ……




