小学生の相手は面倒だ
オープニング
「はあ、暇だ」
日曜の昼頃
辺りを見渡せばカップルがいちゃつき、子供連れの家族がほほえましく買いものをしている。そんな中、俺こと水澄 翔は一人寂しく散歩していた。本当ならば横には親友で悪友の土浦 信也が居るはずだった。一時に駅前集合でカラオケにでも行こうと誘ってきたので面白そうだと受けたのが昨日の話。それが今日。さっきになって「来れなくなった」と連絡があった。
俗に言うドタキャンだ。
その結果、俺は一人寂しく駅前を散歩するはめになっていた。
「暇だな~」
周りを見回すたびに楽しそうにする人を見てため息。一人であることをありありと感じさせた。
都市開発によって、綺麗になった駅前には大型ショッピングモールが多数並び、ゲーセンやカラオケなどの娯楽施設も増えた。
そのために人が集まるようになったことはいいのだけれど、一人でぶらぶら歩けば虚しさが胸の中で増大する一方だ。最初から一人のつもりならばこんなことはなかっただろうけど、予定が急になくなり、補填するような用事がないのであれば仕方のないことだろう。
「はあ~」
自然と出るため息を止めることが出来ない。
空を見上げれば快晴が広がり、もうすぐ来る大型連休が待ち遠しく感じさせる。
「休日に考えることじゃねえよなー」
伸びをしながら、ゲーセンにでも寄ろうかと歩く方向を変える。
「えっ?」
少し遠くで小さな人だかりが出来てる。
「どうかしたのか?」
疑問が沸いた。
この近くで今日イベントがあるなんて聞いていない。それに、イベントにしては人の動きが多く。どんどんと人は離れていく。
「まっどうせ暇だし、野次馬に混ざるかな」
どうせ、やることはない。
暇を食い潰すよりは、何か楽しいことがあった方がいいに決まっている。明日、あいつに自慢できるような出来事ならば嬉しい。違うならばゲーセン一択だな。
「ふざけんなよ!」
おうおう。怒鳴り声が聞こえる。
喧嘩か何かなんだろうか?
まあ、誰も怪我しなければ面白いだけなんだけど……
すぐに人が離れる理由はなんだろうな?
「このガキが! 大人なめんな!」
「なめてはいません。悪いことは悪い。そう告げているだけです」
「えっ?」
目の前の光景があり得ずに目をパチパチと合わせる。けれども、光景は変わらず。頬を引っ張るが痛いだけで夢ではないらしい。
ならば、目の前にあるのは現実。
駅前の目立つ場所で、大学生くらいの三人組が小学生らしき女の子を睨み付けていた。
「それに、わたしは子供ですがあなたみたいな大人にはなりたくないです」
男たちの半分ほどの身長しかないのに、堂々と主張を述べているが、彼女の瞳の端には涙が浮かび、微かに震えていた。
対する男たちはにやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべ、耳にあるピヤスを弄ったり携帯で写真をとったりしている。
どっちがつっかかったかと言えば恐らく女の子からなのだろう。
見過ごせるようなどうでもいい話ならば、笑って聞き流すのだろうが、そうでなかったからこそ未だに口論が続いているのだろう。
「つうかさ~君なになの~?」
「俺たちに興味あるのかな~?」
気持ちの悪い笑みだ。
獲物を追いつめた狩人の瞳に見えるのは、俺だけだろうか?
「興味はありません。ただ、悪いことを悪い。良いことは良いと言いたいだけです。あなたたちは悪い行いをしているから、注意してるだけです」
正義感の強い子だ。
でも、どんな正論だろうと耳を貸すはずがない。その事くらいはすぐに理解出来た。このまま話がヒートアップして男たちの頭に血がのぼってきたらあの子が危険だ。
正義感に駈られて突っ込むのは悪くないだろうけど無茶と無謀はわきまえるべきだ。
女の子も男たちの態度にヒートアップしてるみたいだし、ここらで止めないと大変なことになりそうだ。
周りを見回すが、誰も止めようとしない。誰もが見学はするが、巻き込まれるのはごめんだ。と考えているように見える。
そりゃ、俺だって巻き込まれたくはない。
でも、
「見過ごせないよな」
これが、高校生とか大人が突っかかっていたのならば無視していた。でも、今は年端もいかない少女。震えながら、必死に正論で頑張るその子を放っておけなかった。
よし、やろう。
でも、普通の方法で割り込んでも相手にされないだろうし、どうしようか。
王道ならば恋人。だが、小学生の恋人は世間体で致命的だ。もし、知り合いがいて明日の学校で噂になったら最悪。
ならば、もう一つの王道を進もう。
「あーすいません。妹が迷惑かけたみたいですねー」
へらへらとした笑みを浮かべながら右手で後頭部を押さえ間に割り込んだ。
妹設定ならばよくあるはず。後は、この芝居に女の子が乗ってくれれば、逃げ出すことは容易のはずだ。
いける!
内心ニヤリと笑みを浮かべた。
「あなたは誰だ? わたしに兄はいない」
瞬間に全てが吹き飛んだ。俺の描いたシナリオが泡となって消えていくのを肌で感じながら、あははと乾いた笑みが浮かぶ。
「よおよお。君。何か用なの?」
「そこの子の知り合い?」
「兄妹じゃないなら、彼氏とか~?」
違いますと答えたくなるほど詰め寄られ、笑みがひきつった。
ヤバい。完全に終わった。
もし、俺にフラグを見る目があったのならば絶望フラグが見えているだろう。
このまま、地面に膝を折り土下座に持っていきたい衝動を必死に押さえて、一歩後ろに下がる。
「変な勘違いをするな。わたしはこんなやつを知らない。今日が初対面だ」
空気読め!
この空気で、その一言は爆弾でしかない!
俺一人がこの場から逃げる分には簡単かも知れないけど、二人で逃げるのは不可能。これならば、強引に手を引いて逃げるんだった。
いや、した瞬間に手を振りほどきそうで危険だな。
なら、この状況が最善?
「絶対違う!」
「何か言ったか~?」
「いえ、独り言です。はい!」
格好悪くても問題ない。
問題あるのは、俺と女の子の両方が殴られることだ。俺一人ならば、まあまあ許容範囲内だろう。痛いのは嫌いだが、ここは我慢だ。
と、その前にやることがあるな。
「頼むから空気読めよ!」
少女を振り返り限りなく小声で話しかける。
話を合わせてくれないと、演技のしようがない。
「空気を読めとは、窒素や酸素の量を見ろ。と言うことですか?」
「なっ!」
なに、この返し方。
予想の斜め上を行き過ぎてどう答えるべきか分からない。
「どうなのですか? それとも、アルゴンですか? 二酸化炭素ですか? ネオンですか?」
「うっえっ? アルって何?」
ヤバい。聞いたことあるけどよく分からない。確か、理科で習った気がするけどテスト終わったら忘れた。大学に行くならちゃんと覚える必要があるな。もっと、勉強しよう。
「それで~なにしに来たの~?」
しまったと背筋を伸ばした。今は、馬鹿やってる場合じゃない。とりあえず、話を合わせることだけはお願いしないと……
「彼は関係ない。わたしとは無関係。だからさよならしたい」
おいいい!
勝手に何言ってるんだ?
確かに無関係だけど、このタイミングで言うべき台詞ではないだろう!
終わった。もう、俺が入った理由が何一つなくなった。むしろ、野次馬で止まっておくべきだった。
「はぁ~」
後悔先に立たず。まさに言葉通りだ。
「ため息ついて~余裕だねー」
「へ?」
いつの間にか、囲まれていた。その中の一人に肩を抱かれている。
顔が青ざめる。
状況的に、ヤバい。
「だから、彼は関係ない。何をしている!」
「流石に嬢ちゃんを殴るのはな~って思ってたし、ちょっとこっち来ようか?」
「あはっあはは」
空笑いで頷いて、連れられるままに歩き出した。
一人二発の六発で終わればいいな~
「まさか、三倍とは……」
一人六発はキツイ。
すでに満足した男たちは路地裏から居なくなり、ボロ雑巾のようになった俺だけが残っていた。
唯一の幸運はあの子が巻き込まれなかったことだろうがあの感じから、手を出す気はなかったようだし、完全な殴られ損だ。
「痛えなー」
口の中がずきずきする。血の味も若干するから切ってるかもしれない。体中痣だらけだし、最悪だ。骨を折るまではないが明日は激痛を味わうこと間違いなしだろうからかなり辛い。
暇だからと言って変なことに首を突っ込むもんじゃないな。
「なんで、ですか?」
「んっ?」
顔を上げると、さっきの女の子が俺を見下ろしていた。
腰に届く黒の長髪を揺らし、睨みつける瞳は若干つり上がり怒っているようにも感じられる。まだ、夏前だからか黒基調の服装はフリルが多くつけられてフリフリだ。ゴスロリ。と言えばいいのだろうか?
さっきはパッとしか見てなかったが中々可愛い子だ。喋りがキツイ部分もあるけど、モテるだろうと思えた。
しかし、なんで目の前に居るのかが分からない。もう、終わったからとっくの昔に帰ったと思っていた。
「なぜ、逃げなかったのですか?」
「見過ごせなかったから。じゃ変?」
「はい。赤の他人のわたしを助けるメリットがありません。賢明な人ならば、野次馬になり自分に被害が来ないようにするはずです。なのに、どうしてですか?」
「う~ん。子供を守るのは年上の役目だからかな~」
上手く言葉に出来ないけど、多分そう言うことなのだと思う。守るのが当然だから前に出た。そう思うのは、子供と接する機会が多かったせいかもしれない。歩いてすぐと言うよりも、ほぼ真正面に保育園があり、小学校も近かったから小さな子は沢山いた。保育園には卒園してからも何度も遊びに行ったし、将来の夢もそっち関係を目指している。
それらが絡み合って俺に行動を起こさせたのだと感じる。
「ナンセンスです。ありえません」
「即否定っすか」
参ったな。
即否定されたら何を言えばいいのか分からないではないか。
「わたしは、自分の身は自分で守れます。それなのに、余計なことしないでください。傷だらけになりたい理由でもあったのですか?」
「それを知らない他人だから助けた。それだけだよ」
足に力を入れて無理矢理に立ち上がる。
激痛が体中に響き渡り、悲鳴をあげそうになるのを必死に押さえると、背中を向けた。
「じゃあな。無鉄砲も悪くないけど、自分の身ももっと案じろ。何を注意したか知らんが正しいことだけでは回ってないんだ」
立ち去ろう。もう二度と会わないだろうし、名前を名乗る必要もない。
「なら! あなたは見過ごせと言うのですか! 歩きタバコにゴミのポイ捨て。人にぶつかっても悪びれのない態度。通行の邪魔になる歩き方。そんなことをする人を見過ごせと、言うのですか……」
「ああ」
短く。答えた。
世界は、正しくは回ってない。悪いことだろうと、力があれば押し通されてしまうのが現実だ。非力にしか見えない。小学生の少女が気にやむことではないのだ。
「そんな……」
「悪いが俺は力になれない。今も姿を見たら分かるように、無力なんだ。自分が傷つかないと何も出来ないやつだ。だから、お前のことも何も分からないし、力にもなれない。現実を受け入れるしか、ないんだよ」
痛む体に鞭打ち。一歩ずつ歩いていく。
振り返れない。もし泣いていたら。そう考えると少女を見ることが出来ないのだ。
「じゃあな」
声が聞こえる前に、別れを告げ、雑踏の中に消えた。
第一章
「まだ、体中痛いし」
朝起きるのも億劫になるほどの痛みだったが、どうにかこうにか動かして学校までは到着した。後は、教室まで頑張れば椅子に座れる。そこまで持っていければもう大丈夫。
幸運なことに今日は体育はないし、移動教室もない。昼休みが少しキツイかも知れないけど、最悪は信也に事情を話して何か買ってきてもらえば済む話だ。笑われるだろうけど悪いことをしたつもりはない。後悔がないとまでは言い切れないけどよかったとは思っている。
「おっはよ!」
バンッと思いっきり背中を叩かれ、涙が溢れそうになる。
かなり、痛かった。
全身が悲鳴をあげたのがよくわかるほどだ。
「何すんだ。信也」
振り返れば予想通りの男が意外そうな顔で固まっていた。
ツンツン頭に理知的な眼鏡をかけ、整った顔立ちはイケメンと呼ばれる部類になるだろう。実際に小学校、中学校の時はかなりモテていた。恩恵に預かりたいから友達。などではなく、ずっと同じクラスで何となく気が合ったから友達やっていた。表立って行動するのが大好きで誰彼構わず話を聞いて相談に乗るので毎回のように巻き込まれていた。
最近は、彼女も出来て落ち着いているほうなのだが、その分だけ行動する時間が減ったとも言える。
そんな男が、なぜ硬直してるのか分からずに首を傾げてしまう。
「その怪我、どうした?」
「あーこれか」
原因を察して、小さく笑みを溢した。
なんだかんだで心配してくれる。それを嬉しく感じたのだ。
「昨日喧嘩に巻き込まれて、ボロボロにやられた結果」
肩をすくめる。
正直、中間服でよかった。夏服だったら腕にある痣が目立つところだ。包帯巻いたら中二病みたいだし、説明が面倒だ。
とはいえ、顔はどうにも出来ないから他のやつにはぶつけたとでも言っておこう。信也はどうせ信じないだろうから真実を話すのが一番だ。
「お前が巻き込まれた、ねーまた幼稚園児絡みか?」
「なんで、そこ限定だ?」
なぜ決めつけられるのかが不明だ。つうか、幼稚園児絡みの喧嘩ってなんだよ。子供同士のいざこざでここまで怪我することないってわかるだろうに……
「だって、お前ロリコンだろ?」
「はあ!?」
「違うのか? だってお前の守備範囲零歳から五歳までだろ?」
「超インコース!」
人間として、完全にアウトコースだ。むしろ、そこを守備範囲にしてる時点で捕まりかねないレベルだ!
「ああ、悪い。十二歳までだったか?」
「変わんねえよ!」
つまり、小学生までじゃねえか!
俺をどこまで変態にしたいんだよ。この親友は!
「それで、原因はなんだ?」
「馬鹿げた理由だよ」
肩を落としてとぼとぼと歩き始めた。もう、ここで体力を消費出来ない。
「それで分かるかよ。詳しく話せよ!」
肩を掴んで無理矢理目線を合わせられると、睨み付けられた。
相当気になるのか、ご立腹の様子だ。
これは、話さないとずっと言い続けるな。もしくは離してくれない。そうして、変な噂が流れでもしたら色々な意味で終わりを迎える。
仕方ないか。早く教室に移動して休みたいし、
「歩きながら話すよ」
洗いざらい話すとしよう。昨日のことを……
「ってことがあったわけだよ」
話終えた頃には教室に着いてしまった。それほど長い話ではなかったが、何分口下手のせいで上手く話がまとまらなかったのだ。
「やっぱり、原因は年下か。それにしても、そんな小学生がねー」
「まあ、断定はしない。年齢を聞いたわけじゃないし、背の低い大人は山ほど居るからな」
だけど、間違っていない気がするのはなぜなのだろうか?
まあ、いいか。
気にしても仕方がない。どうせ、もう二度と会わないだろうし。
「んで、可愛かったか?」
「ああ。かなり可愛かったよ。お前なら惚れたんじゃないのか?」
「そんなことあるわけないだろ。オレには雪穂って恋人居るからな」
爽やかに親指を立てる姿に若干の苛立ちを覚える。
そもそも、その雪穂こと火波雪穂と信也が付き合うことになったのは俺の協力があったからだ。
もし、一人ならば付き合うことはなかったと断言出来る。
意外にもシャイなやつだからな信也は……とはいえ、色々な好奇心は旺盛だ。
それは、高校生ならば所持していてもおかしくない。本なども含まれた。
「雪さんの尻に敷かれて、大変だな」
「尻に敷かれる? 何言ってんだよ」
あははと乾いた笑みを浮かべる信也。その姿は、明らかに同様していた。
「あの本は、バレてないのか?」
「本? 何言ってんだよ。あっあるはず、ない……だろ?」
視線をあちこちに動かして、教室内に居ないことを確認する。
「あっ雪さんだ」
ビクッと背筋が伸びたのが見ただけで分かった。相当怯えているようにも見えるが、その意味は、あの話を聞かれたかどうかを気にしてるんだろう。
「おはようございます。どうかしたの?」
薄い茶色の長髪を風に揺らしながら近づいているのは、ちょうど話題になった信也の恋人の雪さん。
スラッと背が高く。スレンダーな体型はモデルでも通用するのではないかと思うほどである。勉強も出来て入試ではトップの成績だったらしく新入生代表として入学式でも壇上にあがったほどだ。
容姿端麗、成績優秀。これで、スポーツ出来たら完璧だけど、そんなことはなく。運動は苦手だ。
「翔くん! その怪我は?」
「ちょっと、喧嘩してね。ボロボロにやられまして」
愛想笑いを浮かべて、傷を隠す。
「喧嘩? 翔くんが喧嘩したの?」
びっくりしたのか目を丸くしている。
どうやら、俺が喧嘩することはおかしなことらしい。
まあ、確かに暴力ごとは好きじゃないけど一度も喧嘩したことないわけじゃない。
「何か事情があれば俺だって喧嘩だってするさ」
「事情?」
「喧嘩してた小学生を助けるためだってよ。翔らしいよな?」
「翔くんらしいね。傷痛くない?」
「痛いけど、もういいよ」
昨日よりも少し腫れた頬を押さえながらため息をついた。
「昨日、お前が用事出来なければこうならなかっただろうな」
「確かにな。見なければ、突っ込むことはないし」
「ごめんなさい」
「へっ?」
いきなりの謝罪に間抜けな声をあげてしまった。なぜ、雪さんに謝られたのか分からなかったのだ。
「昨日、翔くんと遊ぶ約束してるなんて知らなくて信也くんに相談を持ちかけちゃったから……」
雪さんに呼び出されてたのか。そりゃ、俺よりも恋人が大事だよな。
それに、相談ごとか。
解決は無理だけど聞くだけならばいくらでも出来る。信也はそういうの好きだから仕方がないか。
「なんか、納得」
「それで、話を聞いてお前が適役だと判断した。ってことで、な?」
「何が、な? なんだよ」
「お前の出番ってことだ」
爽やかな笑みを浮かべて、サムズアップ。
そんな信也の腕を下ろさせ嘆息をついた。
「一言いいか?」
「おう」
「やらないし、聞かないぞ?」
信也と違って俺は相談を聞くのが嫌いだ。
嫌いなのだが……
「えっと、放課後は時間あるな。じゃあ、放課後に話をするか」
「お願いね。翔くん」
周りが話を聞かないでどんどん進めて、聞かざる終えない状況に追い込まれる。
「だから、聞かないって」
机にうずくまりながら小声で呟く。
「ほら、行くぞ」
俺の願いは聞き届けられることはなく。放課後になった瞬間にやってきた信也は、動く気のない俺の腕を掴んで無理矢理に立たせると、昇降口に向かって引っ張り始めた。
「だから、俺は帰る!」
「校門で雪穂が待ってるぞ」
「だったら、裏門から帰るから離せ」
抵抗を試みるが、引っ張られ続ける。かなりの力なのか、逃げることが出来ない。
「離せ~俺は、帰る~」
叫びも虚しく。そのまま校門まで引きずられていった。
そこには、信也の言う通り雪さんが立っている。
涙を瞳に潤ませて下を向く仕草は、憂いているように見え、十人が見たらそのうち八人は守ってあげたい衝動に駈られるだろう。だけど、残念なことに俺はその守ってあげたい衝動に駈られない二人のほうであり、雪さんのその顔を見てもなんとも思わない。
「帰るか」
「なに言ってる! こんな顔してる雪穂を放って置けるのかよ!」
「ああ」
別段興味はない。何せ、相談ごとがあると事前に聞かされているのだ。聞くのが嫌いな俺としては、ここで興味が沸く理由が分からない。
だが、肩にしっかりと腕を回され、移動することが出来ない。振りほどくことも出来ない。その理由が、信也の力が強いことならばいいけど、純粋に俺の力が弱い可能性があるので、確認するのが怖い。
「ここは、人通りがあるから移動しようぜ。兄弟」
「誰が兄弟だ」
押し退けようとするが、やはりびくともしない。引きずられるように近くの喫茶店に運び込まれた。学校帰りの高校生や中学生の溜まり場になっているこの喫茶店は、ここいらでは少しだけ有名な店の一つだ。純粋にデザートがおいしいってこともあるので、ここに来ることに不満はない。
だが、それ以上に体がメチャクチャ痛い。
「もう少し、ゆっくり歩いてくれよ」
「よっしゃ、急ぐぞ」
「はい」
「お願い。俺の体を労って!」
意見は無言で、無視され逃げられないように肩を抱かれたまま椅子に座る。
店員が水を持ってきて、お辞儀をした瞬間に信也は一つ頷いた。
「雪穂。昨日の話をしてやれよ」
「うん」
「帰してくれよ」
「話を始めよう」
「えっと、うん」
二人揃って、全く遠慮がない。
それは、俺の性格をよく知っているからなのだろう。ここで遠慮すれば全力で逃げることを理解しているのだ。
気心が知れている仲はこれだから厄介だ。
「私の家がマンションだって知ってるよね?」
「ああ。遊びに行ったしな」
雪さんの家は、都市開発の一環で立てられたマンションの一室にあった。信也と交際する過程で遊びに行ったことがあり、そこで家族三人で暮らしていることを知っていた。
それだけでなく、共働きの両親は夜遅くまで帰ってこないことも聞いている。
「それが、どうかした?」
「うん。それで、隣の部屋に女の子が一人暮らしていてね」
「ああ」
「私はその子の世話を頼まれてるの」
「雪さんが、世話?」
「わっ私だって家事出来るもん。ただ、人より不器用なだけで……」
「そうだぞ! 雪穂はちゃんと家事出来る。例え、掃除が下手でも、料理に幾度と失敗しても、洗濯で服を縮ませたり破いても、ちゃんと出来る!」
「信也。それ、貶してるから」
「えっ!」
本人は必死にフォローしようとしてるんだろうけど、むしろ逆効果だ。雪さん。今にも泣きそうな顔してるんだけど……
「ちゃんと出来るもん。勉強だけの頭でっかちじゃないもん」
むしろ、いじけ始めた。
「なんか、面倒な状況になったし帰っていいか?」
「駄目だ。ほら、雪穂。続き、続き」
肩に手を回して動けないようにしている以上は、動けない信也は必死に雪さんに声をかける。それが効いたのか、立ち上がり深呼吸一回すると俺を睨み付ける。
「で、その子が最近何か悩んでいるようなの!」
「それで?」
「それだけだよ?」
「はっ?」
その、悩みの内容で、悩んでいるんじゃないのか?
だからこそ、相談しようと思ったと考えたけど……実際は違うみたいだ。まあ、なんにせよこれで話が終わったのなら、それでいい。帰るだけだから。
「なら、話聞いたし、これで……」
「まだ、途中だぞ?」
「えっ?」
まだ、終わりじゃないのか?
雪さんの反応を見ると、それが事実なのか未だに俺を睨み付けている。
「えっと、何?」
髪と同じように色素の薄い瞳を見つめて、問いを投げ掛ける。
終わらないことには帰れないならば、聞く以外に選択肢はない。
「翔くんには、その子の悩みを聞いてあげてほしいの」
「断る!」
即座に切り捨てる。
普通に、出来るはずがない。初対面相手に心を開いて、何でも話をするとは思えない。それにだ……
「雪さんが聞くのが一番だろ?」
「うん。それは分かってるし、何度も聞いたよ。でも、話してくれなかったの。一ヶ月くらい前から私と話もしたくない感じになって、一応家には来るけど、ご飯を食べるだけって感じで……」
「雪さんの、ご飯食べるんだ……」
信也以外で、食べられる勇者が居たなんて予想外だ。あの、メチャ甘料理。砂糖と味醂しか調味料を使ってないんじゃないかと錯覚するほどで、材料も果物のみなんじゃないかと疑いを覚えるほどだが、肉やら野菜も入っているので、純粋な味付けに問題なのだろうと確信を得ている。
だが、雪さんが悲しそうに下を向いた。信也に視線を向けると、フルフルと首を横に軽く振った。
触れるなと、そう示していた。
「あ~とりあえず、話をまとめよう。雪さんの言いたいことは、その子の話を俺に聞いて解決しろ。そう言うことか?」
「うん」
「無理」
即答。
そりゃ無理だろう。話を聞くのも難しいのに、その上解決までなんてどう足掻いても不可能だ。俺がその道のプロであったのならば出来るだろうが、実際は素人でしかない。
「どうしろってんだよ」
会ったこともない他人のことなんて何も分からねえよ。
「なあ、翔」
呆れて下を向いた俺に信也がいきなり声をかけてくる。
「なんだよ」
「聞いたか?」
「ああ。不可能って回答に行き着いたぞ?」
それがどうしたと言うのだろうか?
「その子が雪穂に反抗するようになったのは、一ヶ月頃だ」
「ああ。それが?」
「その時期にあったイベントは?」
イベントか、確か……
「信也と雪さんが付き合い、始めた……」
あれ?
もしかして、それが原因で反抗期に入ったのか?
ってことは……
「原因の一部に俺が入ってる?」
「ああ。お前が俺の背中を押さなかったら、こうならなかっただろう」
「あっ……」
そりゃ、信也と雪さんが付き合うことにならなければ、こうなってなかっただろう。
だが、まさかこんな結果になるなんて想像もしてなかった。
「やるか、やらないかじゃない。やるしかない。お前に拒否権はない。分かったか?」
この場に居て脅迫紛いに相談を受けている時点で、拒否権はすでにないのは明白なのだが、必死に断れば諦めてくれると思っていた。だが、気づくべきだった。
信也が話を持ちかけた時点で逃げることや断ることは不可能だと……
「分かった。だが、本人に会うまでは結論を先伸ばしにさせてくれ。そいつ次第だ」
逃げることは不可能でも先伸ばしには出来る。呼ぶにしても時間がかかるのは必須。その間に打開策を考えれば……
「あっちょっと待っててね。綾ちゃ~ん」
大声をあげると、俺たちが座っていた場所から少し離れたところから、一人の女の子がとことこと歩いてきた。
赤いランドセルを背負い、制服らしいシンプルなデザインの長袖のブラウスと赤いスカートに身を包んだ、どう見ても小学生としか思えない女の子。
その顔には、見覚えがあった。
きつめの目付きに腰まで届くだろう長い黒髪。目付きの割りに幼い顔立ち。
それ以上に……
「昨日の男ではないか。どうしたんだ?」
この口調だ。人を見下したようなこの口調と内容。それが示すのはただ一つの事実。
「喧嘩してた小学生!」
そして、俺が怪我した原因。もう二度と会うことがないと思っていた少女。それが、再び目の前に現れて、驚かない訳がない。
「知り合いか?」
「こいつだよ! 昨日喧嘩してた馬鹿は!」
「綾ちゃん。喧嘩したの?」
雪さんは、肩に手を置いて目線をあわせ、優しく問いかける。
「雪姉には関係ない。そこの阿呆と乳くりあって、無い胸を大きくしたり、子供でも作っていろ」
「なっ……」
本当に小学生なのかと問いかけたくなる内容だった。
ビックリして硬直してしまうほどである。
「わっ私だって、少しは……」
自分の胸元に手を置いてから、綾と呼ばれた少女の胸元を確認する雪さん。
服の上からだからちゃんとは分からないけど、同じくらいに見える。小学生と同じくらいって、高校生にはキツい事実なのかもしれない。
「だっ大丈夫だ。俺はそのくらいがちょうどいいぞ!」
慌ててフォローに入る信也だが、俺は知っている。
最近集めているのが巨乳系統であることに……
言わないほうがいいな。
この状況では、殺すか自殺しかねない。
「それで、お前は誰だ?」
「人に名前を聞くときは自分から名乗れ。常識だ」
「くっ」
平静を保て、このくらいでキレていたら幼稚園の先生になんてなれない。子供の相手はもっと大変なはずだ。事前練習だと思って耐えるんだ!
「水澄 翔。よろしくな」
右手を差し出す。
「ふん。変な名前だな。風乃 綾だ。よろしくする必要はない」
パンッと甲高い音が鳴る。
差し出した右手が弾かれたのだ。
どうやら、反抗期は相当らしい。
「よしっ俺は無理だ」
結論を述べて立ち上がろうとする。
「即座に諦めるな。照れてるだけだって」
肩に置かれた手が、立ち上がる俺を静止させる。
そうしている間に、綾は俺たちの前にちょこんと座る。
怒って帰るなんて行動を起こさないだけまだマシなのだろう。
「とりあえず、綾ちゃん」
「黙れ、阿呆。下半身で雪姉を誘惑した貴様が何の用だ?」
「今日。こいつの家でメシ食え」
「はっ? ボケが入ったのか。やれやれ、これだから老人は」
「四歳差で老人かよ!」
さっきのは無視出来たのに次のは無理だったか。まあ、高校生に老人はないよな。その理屈だと俺も老人になるわけだし。
つうか、だ。
「何考えてやがる!」
寝耳に水にも程がある。
一体どんな思考してるんだよ!
「老人発言なら、撤回はしないぞ?」
「違う! メシの話だ」
「それは、老人の妄言だ。気にするな」
「ちげえよ! マジな話だ!」
本気の目をしてる。どうやら、冗談ではないらしい。
「雪さん?」
「えっと……昨日、信也くんがゆっくり話をするならご飯で、出来るなら二人っきりのほうがいいだろうから、翔くんの家で食べるのが一番だって」
なるほど。信也の差し金か。
だが、素直に実行するとも思えないし、実行しようとも思わない。
片付けもしてないし、料理の材料も揃ってない。一人分ならば適当に出来るけど、人が来るなら買い出しする必要がある。
面倒だ。
「こと……」
「お願い。綾ちゃんをお願い」
いきなり、頭を下げる雪さん。その姿に一番驚いてるのは綾だ。目を丸くして硬直している。
「雪姉、プライド無いの?」
「綾ちゃんのためなら、プライドなんていらない。私の、妹だもん」
雪さんの覚悟は本物だ。この覚悟を、踏みにじれないし、話を聞いてしまった以上は真剣に考えよう。
問題は、綾だろうな。
綾が断れば、この話はまとまらない。平行線で終るだろう。
だが、
「分かった。雪姉がそこまで言うなら付き合う。馬鹿の相手は大変だけど、今日は勘弁してやる。感謝しろ」
物凄く偉そうだった。だが、了承を得られたことには代わり無い。俺が耐えればすむだけの話だ。
頑張ろう。
「頼んだぞ。お前が便りだ。雪穂のために頑張ってくれ」
耳元で囁くと背中を押した。
これで、話は終わりのようだが厄介ごとを抱え込んだことだけは確かだ。
「行くか。綾」
「不本意ですが、エスコートさせてあげましょう」
手を差し出すが、あっさりスルーして歩いていく。仕方がないので、二人に軽く手をあげると綾の後を追った。
第ニ章
「ここが家だ」
住宅街の一角にある二階建ての家。茶色を基調とした塗料は雨風に晒されてところどころ剥げている少し古くなった家。祖父の代に建てたらしいから仕方が無いと言えば仕方が無い。
今では、俺しか住んで居ないことが残念としか言えないが父親が単身赴任で異動したまではいい。だが、家事が出来なくて心配だからと母親までいく必要があったのかと疑問に思う。
綾は睨みつけるだけで何も言わない。
途中までは自信満々に先を歩いていたが、初対面である俺の家が分かるわけもなくいつの間にか、俺の真横を歩いていた。
「あの、綾?」
何も言わないことに不安を覚えて声をかけると、明らかに不機嫌そうに眉を潜めた。
「えっと、不満でも?」
「別に!」
怒った様子でドアに手をかけて、開けようとするが鍵がかかっているので、当然のように開かない。それが気にくわないのかドアを蹴り始め……
「ちょ! ストップ。ストッープ」
慌てて静止に入り、ポケットから取り出した鍵で開ける。
「遅い!」
完全に苛ついている綾は、今の家主である俺の反応など確認することもなく中に入っていく。
昨日、正義感で不良に向かっていた姿とは似ても似つかない。一体何が気にくわないのだろうか?
「何を怒ってるんだよ」
居間に入ると、何も言わずに冷蔵庫を開けて中に入っていたお茶を勝手にコップに移して飲み始めていた。
始めて入る家のはずなのに、まるで我が家のように振る舞う姿に頭が痛くなる。
「なにしてんだよ」
「喉が渇いたから飲んでいる。おかしな点があるか?」
「あるだろ! 人んちで何勝手してやがる!」
「気にするな」
二杯目をコップに注ぐと、冷蔵庫から離れて椅子に座り、慣れた手つきでTVを点ける。
「くつろぎ過ぎだろ!」
「着替えは無いのか?」
「ねえよ!」
俺しか住んで居ない場所で女の子が着る服があるはずがない。
「仕方ない。貴様の服を貸せ」
「昨日と態度が違いすぎだろ!」
昨日の方がまだ可愛げがあった。一日で、人が変わったようだ。いや、この感じはあの三人組を相手にしている時のようで、その後のしおらしい姿と重ならないのだ。
「昨日は、知らない奴だったからな」
「えっあれで遠慮してたのかよ!」
かなり容赦なかった気がするが、あれでも手加減してたのかよ。ビックリだ。
「しかし、この喋りと態度がダメとすると……」
椅子から飛び降りて、トコトコと歩いてくる。そして、俺の前で立ち止まった。
「お兄ちゃん。およーふく貸して」
さっきの態度とうってかわり、満面の笑みを浮かべて抱きついてくる。
抱きつかれた俺は、目を白黒させながら状況を飲み込むために必死に頭を回転させる。
なんだ。この状況は?
まるで、別人のような態度をしているぞ?
「お前、誰だ?」
「綾だよ。さっき、じこしょーかいしたでしょ?」
舌足らずの甘い声。
年相応……いや、少し幼い感じがする。
不機嫌そうだった顔も笑顔に溢れ、子供らしさが滲み出ている。
「べっ別人格?」
「違うよーこれも、わたしだよー」
「えっえっ?」
ヤバい。頭が混乱してる。状況がよく分からない。
胸元辺りまでしかない綾。腰に手を回して顔を埋めているせいか、少しだけくすぐったい。
兄弟姉妹なんて居ないけど、居たらこんな状況になっただろうか?
よく分からない。頭がおかしな方向に回転し始める。
「これも、駄目ですか。雪姉の情報とわたしの主観を元に好かれそうな性格と行動をやってみましたが、違いましたか?」
「違うわ!」
まさか、雪さんにまでロリコン疑惑をかけられているとは思わなかった。今度、否定しとかないと。
「それで、今が素なのか?」
「わたしに素なんて無いです。正確に言えばどれがわたしなのか分からないんです」
悲しそうに首を振るその姿。
今、演技をしてるのか素に戻って話しているのかの境界すら演技のしすぎで分からなくなっている様子。
まだ、小学生だと言うのに色々抱えているのだろう。それを話すことで楽になる可能性があるのなら、力になってやりたい。
雪さんと言う近しい存在にも言えないことがあるのであれば、だが。
「まあ、とりあえずの事情は勝手に判断した。服は適当に貸してやるが、デカイぞ?」
体格の差は歴然だ。Tシャツであってもワンピースに近い感じになってしまうだろうし、半ズボンでも、丈はぴったりだろう。ズボンの問題点は丈よりもウェストだな。細そうだから、ゆるゆるになってずり落ちる気がする。
むしろ、着替えてから来てほしかったくらいだ。
「大丈夫です。なんとかします。後、ここでご飯を食べるようですが、何をするのですか? 冷蔵庫には、めぼしい材料は入ってませんでしたよ?」
数歩下がると、可愛らしく首を傾げて問いかけてくる。
「そりゃいきなり決まったことだからな。つうか、今の話し方が一番楽な話し方なのか?」
「はい。そうですよ。そこまで特出した特徴がないので、好きではないですけど、楽です」
好きじゃないけど楽。
まあ、その人次第だし気にすることはない。
先に質問に答えることにしよう。
「買い物は、今から行ってくる。なに食いたい?」
「わたしも行きます。それと、ご飯はわたしが作りますのでリクエストをお願いします」
「はい?」
なぜ、そんな結末に行き着くのだろうか?
頭を抱えて、思わず目を丸くする俺だった。
「えっと、綾は料理が得意なのか?」
「得意ではありませんよ。ですが、雪姉の料理を食べるくらいなら自分で、と思うようになり、毎日しています」
「なるほど。それなら納得だ。あの料理のファンかと思って引いたぞ」
激甘料理。そう揶揄されるほど、甘い料理を雪さんは作る。お菓子関係ならば、問題はない。けれども、煮付けや天麩羅。オニギリですら甘い。調味料は砂糖しか知りませんと言われても不思議でないほどの味付けなのだ。
毎日食べたら、糖尿病になりそうだ。
「ファンなんて、怖いこと言わないでください。鳥肌が立ちそうです」
体を震わせる動きから、何らかのトラウマが見てとれた。小学生だと言うのに、相当辛い経験を重ねているのだろう。
「悪かった。それと、ちょっと質問いいか?」
「どうぞ」
姿勢を正し、頷いた。
「えっと、さ」
淡々とした立ち振舞いに、少し口を濁した。質問があったが聞いていいのか迷ってしまったのだ。
「早くお願いします。買い物するのですよね?」
「あっああ」
促され、意を決する。
問う内容は決まっている。答えない可能性も十分にあるが、聞かないことには始まらない。
「何で、演技してるんだ?」
どうでもいいかもしれない問いかけ。だが、気になってしまった。即座にキャラを変えられる適応力と実践能力は簡単には身に付かない。
長い間続けた結果。そう思えてならないのだ。ならば、それをした理由があるはず。それが気になった。
「それですか。答えたら買い物ですよ。服を貸してください」
「ああ」
短く。頷いた。
「簡単です。生きることは、演じることだからです」
「は?」
どうして、そんなことになる?
「演じる技術は、生きる技術の一部でしかありません。わたしは、人に合わせて自分を変え、波風立たないように生きてきた。それだけのことです」
「おっ」
重い!
凄い重い人生背負ってる!
小学生でどんだけ達観してんだよ。俺が同じ頃はここまで考えたことないぞ!
「説明は以上です。服を貸してください」
「おっおう」
気圧されながら、服がある自室に案内する。
した瞬間に、気づいてしまった事実があった。
「着替える必要なくない?」
まだ遅い時間ではない。制服で、外に出ても問題はないはず。
なのに、なぜ着替えようとするのだろうか?
「恥ずかしいですので」
部屋に入り込み、物色を開始しながら淡々と答える。
むしろ、合わない服を着ている方が恥ずかしい気がするけど、綾の恥ずかしいの基準がよく分からない。
「これでいいです」
ぶかぶかの白い無地Tシャツをワンピースにして、帽子にサングラス。
下にはまだ制服を着ているようで、襟が丸見えだ。
一言で現すなら似合わない。
制服の上から着ているのと、顔と髪を隠している二つが最悪だ。制服は、俺が居るから脱がずに着たのだろうが男物の帽子にサングラスはアンバランス感は、なんとも言えない。
綾の肩に手を置いて首を横に振る。
「外に出るから、制服は脱ごう。帽子とサングラスは取って」
「いきなり、脱いで……ですか。本当に、そっち趣味何ですね」
「そっちの趣味!」
「幼女趣味です」
「おい!」
まだ、そのネタを引っ張るのか!
俺は至って健全だ。
「つうか、俺は外出るって言ってるだろ!」
「裸で待て。そう言う命令ではないのですか?」
「違うわ!」
口調を荒げて部屋を出る。
ここまで反応する自分に嫌悪感を抱きながら、ため息をついた。
「着替えないのですか?」
「お前が終わったらな」
「ですから、これで……」
「せめて、上脱いでからTシャツ着ろ!」
「分かりました。それで満足でしたらそうします」
なんか……本当に俺が変態みたいに感じてきた。ずっと、あいつのペースに巻き込まれて主導権を取れない。このままではヤバい。どうにかして、こっちが主導権を取らないといらない誤解を与え続ける。
「どうぞ」
もじもじした綾が出てくる。
サングラスと帽子を取り、長い髪を揺らしながら胸元に手を置いて恥ずかしそうにしている。制服の上を脱いでスカートは着たままになっているがさっきよりは幾分かましだろう。
「そっちのが可愛いな」
「かっ可愛い……話では零歳から五歳が守備範囲でしたが、小学生まででしたか」
「誤解だ!」
俺のキャラがどんどん変態になっていく。
周り認識が……俺って、そんな風に見えるのか?
「落ち込むより先に着替えてください。買い物に行きますよ。財布さん」
「財布!」
金は全部俺持ちかよ。厳しすぎるだろうが!
「間違えました。荷物持ちさん」
「変わんねえよ!」
どっちにしても、俺は下に見られているようだ。こんな状態で話を聞けだなんて無理に決まっている。
どうやら、雪さんの期待には答えられないみたいだ。
「さて、何を食べたいですか?」
「俺が作るって」
「知らない素人の腕は信じません。雪姉で懲りました」
そんなに酷い料理が一日目から飛び出したのか。俺の時は、甘いエビフライだったから思わず吹いた。塩胡椒しないで、砂糖をまぶし、繋ぎの卵にも砂糖を混ぜたのではないかと言うほどの甘さだった。
脂汗を流しながら食べる信也の皿にそっと乗せたほどの料理。後で「もうするな」と泣かれたほど。
その時、誓ったのだ。
雪さんが作ったオカズは絶対に食べないと、食べてお菓子だけと、そう決めた。
「なら、一つずつ作ろう。主菜と副菜か汁物。それを二人で別々に作る。それでいいか?」
「いいでしょう。わたしが主菜です」
「……ああ。分かった」
一瞬不安になったが、ヤル気満々の姿を見ていたら、断るとは言いにくい。ここは、綾の実力を信じることにしよう。
ただ……
「金はかけるなよ?」
「分かっています。お金は大切ですので節約します」
「ありがとう」
心遣いに感謝しながら、財布を持ち、外に出た。
外に出ると、目の前にある保育園から何人かの子供が顔を出した。親の迎えが遅い子たちで、よく遊んであげる子たちだ。
いつもなら、この時間はみんなと遊ぶ。全員が帰ってから買い物に出掛けるが、今日は綾が居るからすることが出来ない。
「ごめんな。今日は遊べないんだ」
門の前まで来ていた全員の頭を撫でてやるが、不満そうに頬を膨らませる。
「理由は、その人?」
一人の女の子が呆然としている綾を指差し、舌足らずな声で聞いてきた。
「彼女? 彼女なの?」
「うわー兄ちゃんにも彼女出来るのかよ~」
「あたしをお嫁さんにしてくれるっていったのに」
「本物なんですねー」
群がり、勝手なことを口走るみんなを眺めながらジト目で俺に視線を送る。
完全に真に受けている様子に、どう反論するべきかを考える。
子供たちに慕われるのは悪い気はしないし、将来に向けての励みになる。けれども、この状況ではヤバい。冷やかしならば笑ってやり過ごせるが言われてもいない恋人宣言はどうしようもない。
いや、冗談だろうと聞き流したことは何度もあるし、大きくなったらと口を濁したことも沢山ある。それを真に受けている時点で危険だ。
勘違いされても仕方がない状況。
「あはは。友達だよ。気にしないで」
ならば、流すのが一番無難な作戦。ガンガン行こうぜではなく命を大事にのこの作戦。失敗するはずがない。
「変態と友達になった覚えはありません」
「あっれ~」
なんか知らないけど完全に裏目に出てるよー何でだろうなー
「えー友達じゃないならなんだよ」
「やっぱり恋人だよ。恋人」
「あたしのことは遊びだったの!」
「好きなことを言いまくってる!」
このままじゃ話がややこしくなる。いや、子供たちにとっては遊んでるだけなのかも知れないけど、これはヤバそうだ。
「こんな風に手懐けるなんて、あなたには常識がないのですか?」
「あるよ。常識はあるよ!」
ただ、状況がおかしな方向に向かいすぎているだけだ。
「昨日は妹と言っていたあなたが、ですか?」
「うわーお兄ちゃん。頭大丈夫?」
「いい病院をお父さんに紹介してもらおうか?」
「あたしにもチャンスが!」
「お前ら要らん言葉覚えすぎだ! 幼稚園生らしくねえよ!」
「うわー必死ですね。引きますよ」
「まてやーーーー!」
この後も色々言われ続け、子供たちの親が迎えに来るまで続いた不毛な言い争いは、俺が疲れただけで、なにも得ることのない無駄な時間を過ごしてしまった。
「たまには、このような時間の過ごし方もいいものですね」
俺とは反対に晴れやかな笑みを浮かべた綾は俺を弄ることでストレスを解消したようだ。
迷惑としか言いようがない。
「さて、デパートやスーパーは近くにありますか?」
「この近くには来ないのか?」
「雪姉の隣の部屋に住んでいるのですよ?」
学校を挟んで反対側に位置する雪さんの住むマンション。その近くは商業施設が充実する駅回り。住宅街であるこっちには用がない限り来ないのは当然か。
「近くにスーパーがあるから、そこに行く。駅前は遠いからな」
遊びでもない限りあの近くには行かない。昨日みたいに一人で行って虚しさを味わいたくないし、そもそも。近くのスーパーで事足りるなら、わざわざ足を伸ばす意味もない。
「明日からゴールデンウィークですので、買いだめしますか?」
「三日間引きこもりにしたいのか?」
休みなんて用事がない限りは昼過ぎまで寝て夕方までボーッとするくらいしかやることないのに、唯一外に出る理由をわざわざ奪わないで欲しいところだ。
「なるほど。でしたら、量は買いません。好きな食べ物は何ですか?」
「基本的に何でも食べるが……まあ、卵料理は毎日食べてるな」
「卵、ですか?」
不思議そうに首を傾げているが卵なんてオーソドックスな食材を知らない筈はないだろう。
だとしたら、好きな食べ物が卵料理に疑問を覚えたのか?
いやいや、まさかねー
「それがどうかした?」
「道理で冷蔵庫に卵しかないと思いました」
「そっち!」
「冷蔵庫にお茶と卵五パックしか入ってなかったので、意味が分かりませんでしたがようやく解けました」
「えっ! 普通常備しない?」
一日二パック使えば三日も持たないと言うのに……
「十個入りであれば一パックで一週間は持つと思いますよ。わたしは持たせます」
「馬鹿な!」
それだけで一週間だなんて、一体どういう使い方をしたらそうなるのだろうか?
節約のために安い卵を買い求めておいる俺の苦労は、一体……
「質問ですが、何を作る予定ですか?」
「卵スープ」
速答すると、呆れたように頭を押さえた。
最近のお気に入りの一品だと言うのに、どうしたのだろうか?
「卵から離れませんか?」
「なら、茶碗蒸し」
「卵から離れてません!」
そういや卵を使うな。
あれ、卵を使わない料理って作ったことあったか?
「炒飯もよく作るぞ」
「卵使ってますよね!」
「んー確かに!」
愕然とした。卵を使わない料理を全然作ってない。
いや、まだだ。まだある。一人暮らししてから料理は毎日してる。
一つくらいはあるはずだ。例えば……
「ポテトサラダ!」
「ゆで卵入れますか?」
「勿論!」
入れてるやん。
おかしい。なんで、卵を使わない料理を思い付かない?
「もういいです。卵を好きなだけ使ってください。わたしは自由に作りますので」
諦めたのかため息まじりに肩を落とした。
「甘い料理の雪姉にも驚きましたが卵料理馬鹿の人が居るとは思いませんでした」
「俺も今気づいてビックリしてる」
かに玉みたいに主役として卵を使ったりハンバーグや唐揚げの繋ぎに使うこともある。
よくよく考えたら卵ばっかりだ。
俺って、卵馬鹿だったんだな。
ショックを受けながら、スーパーの中に入っていった。
「ご馳走様です」
「ふう~結構美味しかった」
「あなたの料理も悔しいくらいに美味しかったです。卵スープをどうやったらあそこまで旨く作れるのか不思議です」
料理は俺が最初の宣言通り卵スープ。綾は子供が大好きであろうチーズハンバーグを作った。それは、小学生とは思えないほどの完成度で思わず舌鼓を叩いてしまったほどだ。
「片付けは俺がするよ」
「ありがとうございます。テレビ着けてもいいですか?」
「いいよ。さっきは勝手に着けてたのに殊勝になったな」
「悪いですか?」
「別に」
片付けのために食器を集めるとテレビにジャスティスマスクがドアップで映った。
「これ、見るのか?」
「はい」
昔、プロレスラーだったジャスティスマスク。一度は引退を表明したが最近になって復活し、プロレスだけでなくバラエティーやクイズ番組の司会など、幅広い活躍をしている人。俺はあまり好きではないけど、信也が好きなせいで聞きたくもないのに無理矢理に聞かされていた。迷惑極まりない。
今から始まるのはジャスティスクイズ。正義を信条にするクイズ番組。
もしかしたら、正義感溢れる行動はジャスティスマスクに感化された結果なのかも知れない。一時間だから、終わったら九時。夜中とは言えない時間だが、女の子を一人で歩かせるのはさすがに心配だ。送ってくのが無難か。
片付けの片手間に考えると、居間に戻る。
テレビを食いつくように見つめる綾の目は真剣で、なにかを話すことすらも躊躇わせるほどだ。
だが、送っていくことは告げるべきことなので、この重い空気の中で口を開くことにした。
「綾。夢中のところ悪いが少しいいか?」
「どうぞ」
テレビから顔を離すことなく淡々と返事をする。その姿から相当集中していると判断できる。何が面白いのか分からないけど、面白いと感じる人が居るから、こうしてテレビでやっているのだろう。
「帰りは送ってくから、帰る前に服を着替えろよ」
「なるほど。あなたはわたしの匂いのついた服を嗅ぎ続けるために手元に置いておきたいのですね」
「違うわ!」
思わず強くなった語意。けれども一切聞いている様子はなく。テレビに夢中だ。
「分かった。なら洗濯して返せよ」
「そんなにこの服を返して欲しいのですか? 一度、わたしが着たこの服を」
「分かった。お前にやるよ」
諦めた。これ以上口論しても、面倒なことになるのことが目に見えて分かったので、あげることにした。そっちの方が早い。
「そうですか。ありがとうございます」
「面白いか?」
「特には」
「じゃあ。なんで見てるんだ?」
「見たいからです。他に理由が必要ですか?」
「いや……」
好みをとやかく言うのは間違いか。見たいと思っているのだから、それでいいだろう。
「明日」
「んっ?」
「明日の予定は、決まってるのですか?」
「全然だよ。もしかしたら、信也と遊ぶかもな。それくらいだ」
「そうですか。暇人何ですね」
否定することが出来ずに口を閉じた。
それで、この話は終わりだと暗に示し、テレビに集中することにした。
終盤になり、後少しで終わりのタイミング。俺は、意を決して再び口を開くことにした。
話す内容は、雪さんからの依頼を完遂させるための言葉。きっと、綾は無視するだろう。それでもいい。無視されたならばそのまま報告すればいいだけなのだ。問題になるのは、聞くことがなかったと答えることだ。
「綾」
「何ですか?」
「悩みがあったら、一人で抱え込むなよ。雪さんに話せることは話せ。雪さんが無理なら俺が聞いてやる。だから、抱えるなよ?」
「そうですか」
淡々と答えが帰ってきた。
悩みがないのか。話すに足る器ではないのか。それを知ることは、その一言からは不可能だが、俺が話したことは聞いたのだろう。返事をしただけでも充分だ。
それから、番組が終わると同時に荷物を纏めた綾を家まで送り、俺の一日は幕を下ろした。
第三章
ジリリと大きな音を立てる目覚まし時計。
いつもの起床時間に設定したままだったことを寝ぼけた頭で思い出す。
だが、今日はゴールデンウィーク初日。暦次第では五連休もあっただろうが、今年は上手く合わずに昨日の月曜が平日で三連休になってしまった。
そこまで思い出したのならば、とるべき手段は二度寝しかない。このいつまでも鳴り続ける時計を止めて、昼過ぎまでのんびり寝るのだ。どうせ、予定も入っていない暇人だ。
このまま。目を開くことなく目覚ましを止めて、意識を深き眠りの中へ……
フニ。
伸ばしきる前に中指が柔らかい何かに触れた。目覚まし時計はこんなに柔らかかっただろうか?
疑問を感じながら、止めるために押し付ける。
ジリリと音がうるさいくらいに聞こえる。
止まった気配がまるでない。不振に思いながら片目を開くと目があった。
ジッとこちらを見つめる瞳。俺の指は、その少し下に触れていた。
両目を開き、事態を把握するのにたっぷり十秒かける。寝起きには悪いシチュエーションにゆっくりと体を起こして、うるさい目覚ましを止める。
「何、やってる?」
「寝顔の観察です」
悪びれのない態度で俺を見つめるのは、綾だ。昨日、家まで送り届けたはずの彼女が同じ布団で寝ていたら、誰だって疑問を感じるはずだ。しかも、「寝顔の観察」だと言い切った。
まあ、それはいいだろう。問題はどうやって入ったかだ。入り口には鍵をかけて一階の窓もしっかり鍵を閉めた。開いてるのは二階の俺の寝室だけだったはずだ。進入するには二階によじ登るか入り口か使っていない勝手口の鍵をピッキングするしかないはずだ。
「どうやって進入した!」
「勝手口の鍵を開けておきました。使っている様子がありませんでしたので、もしかしたらと思っていましたが、予想通り確認しなかったようで、助かりました」
反省の色が全く見えない。
正しいと思えば何でもしてしまう性格らしいから、何を言っても意味はないだろう。それでも、だ。
「夜道は危険だから止めておけ。お前が変質者に襲われたら嫌だからな」
「そうですか。心配ありがとうございます」
微かに頬を朱に染めて顔を背けた。
さて、進入経路が分かった所でそろそろ本題に入るとしよう。
「何しにきた?」
「相談に、来ました」
「えっ?」
マジでか!
自分で相談に乗るぞといいながら、本当に来るとは思ってなかったのでガチで驚いてしまう。
しかも、不法侵入してまで相談に来るなんて考えてもいなかった。
「はあ。まあいい。話せよ」
「はい。今夜。父が帰ってきます」
……は?
意味が分からない。
「それが、どうした? 喜ばしいことだろ?」
「そうですね。ですが、わたしは分からなくなっているのです。父が、わたしをどう思っているか、が」
ずっと一人で居たから、不安に思っているのだろう。
俺はもう高校生で、両親が不在であっても問題ない。むしろ、一人暮らしに憧れる部分があって、むしろ歓迎するくらいだ。でも、綾はまだ小学生。親が恋しい年頃であってもおかしくはない。
だから、父が帰ってくることを不安に感じているのだろう。
「それなら、雪さんに話すことも出来ただろうに」
「雪姉は、父と繋がっています。わたしが不安を感じていることを話せば、父が不安を感じてしまうでしょう。それが嫌なのです」
「自分の不安を父に悟られたくないってことか?」
「はい。父は、わたしのために身を粉にして働いています。いえ、もしかしたら、母が亡くなったせいで空いた心の穴を埋めようとしているのかもしれません。それでも、わたしを思っていると、信じたいのです」
聡明な子だからこそ、不安も増大なのだろう。
誰かに話すことが出来れば、もっと楽になっただろうに、ずっと心の中で溜め込んでいたのだろう。
「友達は、いないのか?」
「いれば、悩むことはないでしょう」
あ~変に正義心が高いから、教室で孤立しているのか。となると、頼れるのは雪姉しかいないのか。
「それで、俺にどうしろと?」
「別に、どうするつもりはありません。話せと言われたから、話しただけです」
「解決しろってことじゃないんだな?」
「どうせ、解決など出来ませんよ。わたしの心をどうにかするなど、不可能ですから」
瞳に涙を溜めて俯いた。
その姿を見ながら、頬を軽くかいた。
凄く悩んでいる子がいる。解決出来ない悩みを抱えて苦しんでいる。それを完全に取り除くことなど、出来はしないだろう。誰であろうと、それは不可能だ。
出来ること言えば、突き放すか傷を舐めあうだけ。それでは、何も起こるはずはない。ただ、時が解決するのを待つだけの消極的な策だ。
それでは、きっと意味がないのだろう。
根本の解決そのためには……
「分かった。お前の親と話をさせろ」
「はい?」
「お前が言えない本心を、ぶつけてやる」
「でも、それは迷惑になります」
だろうな。
むしろ、向こうからしたら赤の他人の俺に何か言われるのは不快でしかないだろう。それでも、決めた。
「お前が悲しいと思っているのなら、それを悩みと感じるのなら、取り払ってやる。例え、その原因がお前の親であろうと、な」
迷惑をかけることは承知の上。怒りならばいくらでも買おうではないか。どんな仕事をしているのか分からないが、どうせ会社員でパソコンを叩いて、下げたくもない頭を必死に下げる程度の人に違いない。
ならば、一度がつんと言ってやる。
「任せろ。な」
綾の頭を軽く撫でる。妹が居たら、こんな感じなのだろうか?
少し恥ずかしくなってあちこちに視線を送ると、部屋になかったものに目が止まった。
「ありがとう。ございます」
お礼が、遠くに聞こえる。
「別にいいよ。それで、さ」
今気づいたのだが……
「その、荷物。何だ? 後、壁に貼ってあるポスター」
「着替えですよ。それが、何か?」
着替えは、別にいい。確かに必須だろう。だが、ポスターは違うはずだ。なにせ、それに写っているのは、満面の笑みを浮かべるランドセルを背負った綾なのだ。
かわいいとは思うけど、部屋に張ってあれば危険であることは自明の理。
自分で張った覚えがないから、綾が張ったと分かるけど、なぜそうしたのかが分からない。
「ポスターは?」
「お礼です。前払いですが、わたしのお気に入りのわたしを刷ってきました。お気に召しませんでした?」
「召すか!」
剥がすためにベッドから降りると、机に視線が固まった。
本が置いてある。
信也に無理矢理渡され、返せなかったために隠していたちょっとヤバイ系の本。漫画に小説と集められたそれらは、ばらばらに隠していたはずの代物であり、現在も隠れていなければならないものたち。
「なんで出てんだよ!」
「それですか?」
「そうだよ!」
「幼馴染物でしたので、処分しようと思いまして。それがどうかしましたか?」
処分!
しかも、中身を読んだと暗に言ってやがる。
「あっちゃんと幼女物は元の位置にありますので、安心してください」
「出来るか!」
えっ何?
家捜しでもしたの?
全部見られたって事?
「さっ最悪だ」
ポスターのことなど忘れさり、現実を受け止められなくなっていた。こんなことになるなんて露にも思わなかった。
「ですが、わたしの願いを叶えてくれるみたいですので、処分はしないことにします」
「脅す気だったのかよ!」
俺があそこで断る選択をした瞬間。借り物をすべて捨て去るつもりだったのだろう。怖い子だ。
「他にも、雪姉に襲われて初めてを強引に奪われたと報告することも考えていました。野獣のようでした、と」
「社会的に殺す気満々だった!」
これで、小学生?
身震いしてしまいそうなくらいに怖い。
「保険をかけていましたが、使わずに済んでよかったです。下に朝食を用意してあります。食べて出かけましょう」
「出かける?」
「はい。今日は天気もいいですので、デートに行きましょう」
「待てーーーー!」
完全に主導権を奪われている。こっちは寝起きで頭が回っていないというのに、イニシアチブを掌握されている。このままじゃ、綾の狙い通りに動かされてしまう。
どうにかして、主導権を握らなければ……
「待ちましょう」
「なあ、デートって、どういうことだ?」
「そのままの意味です。ですけど安心してください。ダブルデートですから」
「ダブル?」
もしかして、
「信也と雪さんも呼んでる、とか?」
「当然です。昨日のうちにお願いしました。行かなければ、さぞがっかりするでしょうね」
外堀、埋まってる?
駄目だ。この状況から挽回する方法が一切浮かばない。
浮かばないなら、
「分かった」
流されるしかないだろう。
「では、まずは食事を取りましょう」
「そうだな」
がっくりと脱力し、部屋の全てを忘れて居間へと降りた。
朝食が用意してある。その言葉通りに用意してあった。煙が出ているから作ってからそう時間は経っていないのだろう。寝顔を観察し始めたのは、作ってからなのだろう。
準備してあるのは、目玉焼きに玉子焼きにスクランブルエッグと卵尽くしになっている。ご飯すら卵チャーハンにする徹底性。卵好きとは言ったけど、朝からここまで準備されているとは思わなかった。
「汁もありますよ。昨日あなたの作った卵スープですが」
完全な卵尽くし。
「もう、いいや」
自分で蒔いた種だ。自分で刈り取ることにしよう。
食事を終えると、着替え外に出た。
待ち合わせは駅前らしい。遊ぶ場所はたくさんあるから、選択としては正しいとしか言えない。
「どこで遊ぶ気だ?」
「遊ぶのではないですよ。買い物です」
買い物。
女子の買い物……考えただけで寒気がする。
長くなるのが予測出来るから、行きたくない気持ちで一杯になる。信也は付き合っているから、どんだけでも平気だろうけど、残念なことに、俺は付き合わされているだけでしかないので苦痛としか思えないのは仕方がないことだろう。
「嫌そうですね?」
「そりゃ、長いことを予測出来るからな」
「すぐ終わりますよ」
みんなそう言うのではないのだろうか?
げんなりしたまま駅に向かうと、信也が居た。雪さんはまだ来ていないのか、一人で立っている。
「またせたか?」
「来たか。かなり待ったぞ」
笑みを浮かべあいながら、腕を交差させる。
「雪姉はまだなんですね阿呆」
「阿呆って、まあいいや。昨日よりも柔らかくなったみたいだしね。綾ちゃん」
阿呆と言われながらもにこにこして頭を撫でる信也を凄いと思える。ここまで広い心は俺は持てない。
「ふざけるな。阿呆に触れられたくない」
信也に会った時に戻った。相当嫌いなんだろうな。
「綾。落ち着け。そんな演技は駄目だぞ」
「あっ……つい、嫌気がさしてしまいました」
「俺、そんなに嫌われてる!」
「あっみんな揃って……すいません」
白を基調とした服装で清楚さを醸し出し、長い髪は下の方をリボンで結んでいた。
パッと見て綺麗と感想を述べるべき姿。地がいいから服装が凄く映える。
「雪姉。気合いいれましたね」
「あっうう。デートだから」
「すっごいよく似合ってますよ」
「信也は別の意味で気合が入ってるね」
「そりゃね。せっかくのデート。楽しまなければ」
「初めてじゃないのに、なんでかね~」
これが初デートであれば、この浮かれようは分かる。けれども、すでに何回もデートを繰り返している。それなのに、なんでここまで浮かれるのだろうか、不思議でならない。
「そりゃ、ダブルデートだからだよ」
「ダブルデート」
「ダブル、ね~」
嬉しそうに笑う綾の隣で、頬をかいた。
この状況を見て、ダブルデートだと思う人が何人居るのだろうか?
信也と雪さんは、恋人に見えないこともない。だが、俺と綾が恋人に見えるかで言えば、不可能だと思う。
身長差だけではない。どう見ても、綾がこの中では幼すぎる。
よくて、兄妹が関の山だろう。
「だが、俺は悲しい。念願のダブルデート。親友の相手が小学生とは」
芝居じみた動きで頭を押さえてよろける信也。そこまで楽しみにしていたとは思わずに、目を丸くする俺に対して雪さんと綾はムッとしたように顔をしかめた。
「念願って、そこまで俺とデートしたかったのかよ」
場の空気を変えるために少しおどけたように肩をすくめる。このままでは二人ともいい気持ちにはならないだろう。少しくらい大げさにしたほうが、信也が反応しやすいだろうと打算の元、投げつけた言葉。
その言葉にサムズアップで答えた瞬間。数歩後ろに下がった。
ムッとしていた二人の顔も、明らかに引いていた。
「雪姉。別れたほうがいいと思います。変態ですよ」
「うっうん。まさか、男の子同士がいいなんて……きゃ」
訂正だ。雪さんの瞳は引いてはいない。むしろ、期待に満ち溢れていた。このままでは、俺も巻き込まれかねない。ならば、とるべき手段は一つ。
信也を雪さんに売る。
場の空気が変わった今ならば、多少の折檻で済むだろう。昨日よりは痛みが減り、マシになったとは言え、痛みがぜんぜんないわけではないので信也がダメージを追えば釣り合いが取れる。
よし。方向性は決まった。
「雪さん。信也の最近買った本は、巨乳物ばかりです」
「ちょばっ……」
「信也くん!」
「はっはい!」
たった一言に、鋭敏に反応する雪さん。信也の購入系統に対する雪さんは異常なまでに敏感だ。
こんな穴だらけであろうと、反応するほどに……
「本当。かな?」
般若のように鋭い視線を向ける雪さんに蛇に睨まれた蛙のように縮こまる信也。堂々としていたらばれないだろうに、そうすることが出来ないのが、信也らしい。たじろいで逃げ場を失っていくのだ。
「えっあ~たまには、ある姿も、見てみたいわけでして……男の性と申しますか……」
しどろもどろになりながら、何とかこの場を丸く治めようと必死に説得を始める。
「わたしも、机の上に山積みになっているのを見ましたよ」
「いつだよ!」
「信也くん。二人っきりで、話そうか?」
「えっあっはい」
綾のとどめの一言は効果抜群だったのか、信也が路地裏に引き摺られていく。その姿に手を振りながら、綾に視線を落とした。
「お前、ひどいことするな」
「いえ、こうなることを予想の上であの話を振ったあなたにはかないませんよ」
数分後、疲れきった様子の信也と清清しい笑みを見せる雪さんが現れた。どうやら、説得だけで乗り切ったらしい。
「おっ一昨日のヒーロー君じゃねえか」
「本当だ。生意気なガキも一緒だ」
「つうか、一緒に居る子かわいいね~」
苛立ちを覚える声に反応すると、そこには一昨日。綾が絡み、俺を殴って満足した男たちが近づいてきた。
この前のことがあったから、楽勝だと思って近づいたのだろう。
実際に、腕力で勝てる道理はない。敗北まっしぐらだ。だが、状況が悪かった。
「手前ら。俺の彼女に色目使う気か?」
疲れきり、機嫌の悪い信也がいる。しかも、だ。
「一昨日。俺の親友をぼこぼこにしたのも手前らか。ちょうどいい。年上っぽいが、お礼しないとなって思ってたんだよ」
ぼきぼきと指の骨を鳴らし、鬼のような形相で三人に近づいていく。
「まあ、待て」
「止める気か?」
「違うっての」
そんな信也の肩を掴んで止める。ここでやりあうのは得策じゃないと、さっき引き摺られていった路地裏に指指した。
「なるほど。向こうで話し合おうや」
「ほう。俺たち相手に、戦う気かよ」
「ぼこぼこにしてやるよ」
「ストレス解消にいいんだよな~弱い者いじめ」
いやらしい笑みを浮かべる男たちは、信也の後に続いて路地裏に移動する。俺も一緒に行こうすると、服が引っ張られた。視線を向けると、綾が心配そうに俺を見つめる。
そんな綾の頭を撫でてやり、笑みを浮かべた。
「大丈夫。何とかなるさ」
怪我が少し痛むといえば痛むが、こうしてお礼が出来る状況が出来たのだ。ここで行かなければ、格好がつかない。
「おら」
路地裏に入ると、すでに一人倒れていた。
どうやら奇襲で一人気絶させたようだ。ずるいものだ。一昨日は散々殴ったくせに、いざ自分が殴られると一発で倒れるなんて……いくら、信也の気が立っていたとしても、そんなに腕っ節が強いわけでもないので一撃で倒れるというのは、相手が弱い証拠でもあるだろう。
となると、穏便に済ます方法は簡単か。
「ここで、手打ちにしないか?」
パンッと手を叩く。
「はあ?」
「仲間倒されて、穏便に済ませられると思ってるのか~?」
「ちょっと待てよ。俺もこのまま収まらねえよ」
そりゃ、信也はこれで収まるわけではないだろうけど、ここで怪我するよりも、ずっといいはずだ。
「ちょっと来い」
「なんだよ」
信也の肩を組み、耳打ちする。
(お前は、今からデートだぞ。傷だらけで行く気か?)
(そうだった。なら、どうするんだよ)
(作戦がある。お前は、空手か中国拳法が出来るって設定にしろ)
(それだけでいいのか?)
(ああ)
肩を叩き、頷きあった。
「作戦は決まったのか~?」
「弱い者は弱い者らしく。俺たち強者に殴られればいいんだよ」
「雑魚は、どっちだ!」
叫ぶ。
「手前らの仲間は、俺の友達に一撃を沈んだ。どっちが弱いか。分からないのか?」
「はあ~雑魚が喚くなよ」
挑発交じりに近づく一人の男に、対して即座に腕を極め地面に叩き付けた。
「悪いけど、俺は趣味で合気道やってる。まあ、本を読んで実践する程度で、道場に通ってるわけじゃないから、油断してるやつに対する奇襲程度しか出来ないが、手前らみたいな雑魚にはちょうどいい」
一昨日は、喧嘩を売っているほうの味方をしたから防御なしに攻撃を受けることにしていたが、今回は売られたほうなので、どうでもいい。
「ちなみに、俺の友達は空手の有段者だ。手前らが敵うと思うか?」
同時に、コブシを何度か突き出し、見よう見まねの正拳突きをする信也。いつも、俺の合気道練習台として体を鍛えていたから、体は丈夫だ。腕っ節は弱いけど、丈夫なので、どんな攻撃でも倒れない。それを、勘違いしてくれるだろう。
現実を見せつけ、どちらが強いのかを分からせる。
そうすれば、雑魚は当然。
「すいませんでした」
逃げ出す。
下に居るやつを放してやると、伸びている仲間を連れて走り出した。
「あ~体痛え」
立ち上がると体を伸ばした。
「俺、別に必要なかったんじゃ?」
「いや、あそこは有段者がいれば確実だろうと思ってね。もしあの場面で襲われたら何も出来ないじゃないか」
「あーなるほど」
しかし、昔の知識もたまには役に立つ。信也が本にはまって暇だったから本を読むことにしたが、それが戦闘系で自分も試したいと合気道の本を借りては信也に試していた。上手く出来る技はほとんどないけど。素人相手ならば充分に通用するらしい。
「強かったのですね」
「んっ?」
いつの間にか綾と雪さんが近づいてきていた。心配の色は濃いけど、状況はちゃんと見えているようだ。
「強くないよ。喧嘩は嫌いだし、出来るのも素人を地面に叩きつけて無力化する程度。正直、昨日の状況じゃまったく役に立たない。基本的に一対一でしか意味を成さないからな」
「だから、昨日は無防備に受けていたのですね」
「信也くんも翔くんも危ない真似はしないで、心配するから」
大丈夫だと分かっていたから向かったわけだが、その根拠を知らないから、不安だったのだろう。
まあ、何はともあれ。今からは信也と雪さんのデートの時間だ。
買い物だと言っていたし、すぐに済むとも言っていたが、どうせ長いことは分かっている。
「ところで、何を買うんだ?」
「俺も聞いてないな」
「知る必要ありません。付いて来てください」
「あはは。内緒みたい」
雪さんは知っているようだけど、信也は知らないようだ。凄い不安を覚えるけど、ついていくしかないだろう。一昨日の痣が痛むから家でゆっくりしたかったのに、なんでこうなるのだろうか。
ため息交じりに付いていくと、女の子の服が売っているレディースではなく。メンズ服売り場に着いた。
なぜ、この場所?
素朴な疑問が浮かぶが、事態は勝手に進む。綾が持ってきた服を延々と着る作業が開始した。ここまでされれば、嫌でも分かる。
俺の服を買いに来たのだ。
しかし、その理由が分からずに首をしきりに曲げるデートとなった。
全てが終わり、夕方。
信也たちと別れて、綾の住む部屋に移動することになった。約束があるため、こうして一緒に歩いているが、その空気は重い。
口を開こうとしても、この雰囲気に押されてすぐに閉ざしてしまう。
「今日は」
そんな中、綾が口を開いた。
「今日は、ありがとうございました。わがままに、付き合っていただいて」
あ~そのことか。
「よく分からないイベントだったが、まあ、楽しかったからいいよ」
「いえ、この後のことを含めて、です」
この後、父親との面談か。
確かに、面倒ではある。それでも、綾が大切だと思ったことであるならば、それを手伝う。それが俺の今やるべきことだ。
「もしかして、この服って……」
綾が買ってくれたこの服。これは、報酬なのではないのかと思えてしまった。そう思うと、今日の買い物は報酬を買いに行っただけに感じる。
「はあ~」
「違いますよ。それは報酬などではないです。昨日無理矢理貰った服のお返しです。報酬は、成功した時に差し上げます。ほしければ、ですけど」
「なるほど」
確かに、そうだった。なるほど。お返しと言われれば、納得が行く。
しかし、報酬ね。
「いらない」
即座に否定する。
別に、俺は報酬を求めて綾の助けをするわけではない。綾が助けを望んでいたから助けるだけだ。
だから、いらない。それなのに、綾は悲しそうに、瞳を伏せた。まるで、自分があげたいと思っているかのような態度になんと答えたらいいのかが分からない。
保育園生から小学生まで、色々な子供を相手にしてきたが、こんな態度を取られたことがなかったので、迷ってしまう。
どうしたらいいのか、分からないのだ。
「えっと……」
「いらない。のですか?」
「ああ。そのために助けたいと思ったわけではないからな」
「なら、わたしがあげたいと思えば、あげてもいいのですか?」
「まあ、そうだな」
綾がそこまで渡したいと望んでいるのなら、断る道理はない。
「晩御飯は、わたしが作ります。五時には、父が帰ってきます。覚悟を決めてくださいね」
覚悟?
もしかして、かなりやばい状況なのか?
「綾。俺……死なないよな?」
「大丈夫です。手加減はしてくれるはずです」
手加減!
それって、予想よりもやばい父親なのではないのか?
「帰りたく。なってきた」
「行きましょう」
綾の小さな手が、俺の手を掴んで無理矢理に引っ張る。
暖かい。けれども、震えている。これから起こることに不安を感じているのかもしれない。
ならば、この手を守る。それで、綾の心が楽になるなら……
「そうだな」
がんばろう。
夕焼け空に、俺は誓う。
「五時、か」
もうすぐ、五時になる。
綾は台所で晩飯作りに興じ、俺は居間で父親の帰宅を待っていた。
これから、どうなるのか分からない。
気分は、処刑をまつ罪人だ。
がんばろうと誓ったけど、父親がどんな人なのかを聞かずにいたため、緊張感が高まっている。ひょろひょろのサラリーマンならば、腕力で負けない自信はある。地面に倒してしまえば、どうとでもなる。だが、格闘家だったり、過去にやったことのある人ならば、口だけで言い負かさないとならない。それが出来る可能性は、未知数。
せめて、話を聞いてくれるな人であれと望む。
ガチャッと鍵の開く音が聞こえた。
帰ったときに、防犯のためだと鍵をかけていたが、
帰ってきたかを確認するためにも使うことにも使っているようだ。
ついに来た。
「さあ、まずは馬鹿にされないように、しなければ」
頬を叩き、立ち上がる。
ズン。ズンっと、重量のある足音が聞こえる。それだけで、ひょろひょろしたサラリーマンの選択を抜いた。ただのデブであればいい。
そう出会ってくれと望む中。入ってくるのは、巨体。
いかにも体を鍛えていますとその巨体が物語っている。
終わった。
頭の中で、終了のサインがなった。だが、諦めることは許されない。綾の本心を告げるまでは、俺の戦いは終わらない。
「あんたが、綾の父親か?」
入ってくると同時に投げかける。吊り上った瞳が、機嫌悪そうに睨みつける。寒気が、全身を襲った。
さっきのチンピラなんかとは違う。本物のプレッシャーに体が竦んでいる。怯えている。
絶対に怒らせてはならないと思う気迫を放つその人に、土下座して非礼を詫びたいほど。だが、飲まれたままでいいはずだない。口を開け。危機的状況をはったりで切り抜けたことは何度もあるではないか。過去の実績を思い出せ。やれば、出来るはずだ。
「君は、誰だ?」
どこかで聞いたことのある声に首を傾げる。
だが、まずは質問に答えるべきだと横に振り、
「俺は、水澄 翔。綾、いや綾さんの要望でここに居る」
「綾、さんだと?」
「えっ?」
気いた時には、胸倉を掴まれていた。
ごつごつとした大きい手が、俺の胸倉と一緒に首も絞められる。万力のような力。体が浮いていて、呼吸が辛い。
「何、する?」
「君は、綾の何なんだ?」
「友、達、だろう、な」
「冗談を言えば、死ぬぞ?」
その言葉に、嘘はないだろう。このままだと、俺は……死ぬ。だが、
「あんた、は。人殺しして、いいのか、よ」
「ちっ」
舌打ちと同時に開放された。まだ理性はあるらしい。話し合いで解決すれば、それでいい。
はあはあと息を整え、数歩ずつ後ろに下がる。こいつの間合いはまずい。言葉を誤れば、さっきみたいに一瞬で首を絞められる。今のは大丈夫だったけど、次があるとは限らない。
容赦も全くないし、もっと警戒しなければ、まずい。
「自己紹介、してくれないか? 俺は、あんたを知らない」
「風乃 正義正義と書いてまさよしと呼ぶ」
睨み付ける視線が怖くて思わず目線を下げる。
綾と全く似てない。いや、目元だけはそっくりか。それ以外は母親に似たんだろうな。母親の姿を見たことはないけど、きっとそうなのだろうと思うことにした。
「それで、出迎えが君である理由は何だ?」
「綾の代わりに、あんたに言いたいことがあってな」
「綾の代わりだと? 雪穂くんからは何も聞かないが?」
「雪さんには話してないらしくてな。俺が頼まれた」
びびるな。相手は同じ人間だ。少し体格がいいだけの大人。化け物ではないのであれば、びびる必要はない。頼まれたことを成し遂げる。その後に、恨まれたって構わない。
まずは言ってやるのだ。
「綾は、不安なんだとさ」
「不安? 何が、不安だ?」
「あんたに愛されているのか、不安に感じてる。おそらく、数日間に芽生えた感情じゃない。ずっと胸の奥に閉じ込めていた感情だ。あんたにも、雪さんにも言えなかったこと」
「愛? そんなことは、聞くまでもないだろう。愛していなければわざわざ会いに来ない」
「なんで、ずっと一緒にいてやろうとしない?」
会う会わないは関係ない。
そんなことではないのだ。
「まだ、小学生の子供なのに、なんで他人任せで自分で育てようとしない!」
「それは……」
「一緒にいたいと願っているかもしれないと、考えなかったのか!」
まくし立てる。
反論なんてさせない。まずは、綾の心を聞いてもらう。全てを理解したわけではないが、一部ならば理解が出来る。綾の苦しみと悲しみ。一人暮らしの寂しさ。それが、届くのかまでは分からないけど、俺なりの言葉で伝えてみせる。
「あんたはそれでも、人の親か!」
「知ったような口を利くな! 何が分かる。どんなに苦労して金を稼いでいるのか、君に分かるのか!」
バンッと壁を大きく叩いた。
怒っている。それだけは理解できた。まあ、高校生の俺に、社会の苦しみや金を稼ぐ大変さが分かるわけもないのも分かる。バイトの経験もないからガチで知らない。まだ、子供であることも理解出来ている。
意見を言える立場ではないだろう。
だが、俺は知っている。
親と一緒に居られない子供の悲しみを文句を言わずに待ち続ける涙をはらんだ瞳を、誰も居ない家に帰りたくないと嘆く子たちの苦しみを、期待だけを無理矢理に背負わされたその重みも、たくさんの子達を見てきたから、知っている。
俺を慕ってくれるみんなの瞳に宿る。小さな陰り、それを、綾にも見てしまった。
だから、放っておきたくなかった。
助けてやりたいと願った。
子供なだけではない。大人になる前。ちょうど中間だからこそ、俺は……
「あいつの悲しみを拭ってやりたい」
家族が居るから、壊れる人も居る。
だが、居ないからこそ泣き続ける子だって居るのだ。その人を知り、その人に合ったことをする。
人生なんて、みんな違うのだ。同じだと思って行動なんてしていられない。涙が必要ならば、泣かせてやる必要があるだろう。だが、綾に必要なのは涙ではなく暖かさ。冷え切った心も溶かすほどの熱気。それは、きっと家族でしか出来ないことだろうから……
「お願いです。綾をもっと見てあげてください」
涙を流し、頭を下げた。
俺の心が、届くかどうかなんて分からない。それでも、こうする方法しか、俺は取ることが出来ない。言葉で聞かせることしかないのだ。
ポンっと、肩に手を置かれた。
「君の心は、私の胸に届いた。君の正義は、間違ってはいない。むしろ、間違っているのは、私の方なのかも知れない。稼ぐ方法は一つではないのに、その方法だけを選んだ。私のミスだ」
「ところで、職業は?」
話の通じる人でよかった。ただ、この人はどうやって稼いでいるのだろうかと思った。
「んっ知らないかな? ジャスティスマスク」
「……えっ?」
今、ジャスティスマスクって言ったか?
「あの、芸能人の?」
「ああ。向こうで多数の視線を浴びる可能性があったから、こうして残ってもらったが、間違いだったのかもしれない」
あれ、今の俺って凄い失礼なことを言ったんじゃないのか?
つうか、
「ええ――――!」
叫び、ようやく理解した。
昨日、綾がテレビを見ていたのはファンだからではなく、父親が出ていたから見ていたのだと。
そんな人に、説教じみたことを言って、涙を流して頭を下げるってどんな蛮行だよ。雪さんはこのことを知っているだろうから、綾が相談しにくかったのだろう。
電話でもして仕事に支障をきたしたら大変だ。
悩み事をしてなお、他人を心配できる優しさを持っている。曲がった正義感を持っているが、それは周りから見た評価でしかなく。本人は曲がってなどいないと思っているはずだ。周りが無視するような正しいことを行えることは美点だろう。
「ところで、君は綾とどうやって知り合った?」
「あー」
親としては、気になるだろう。
俺だって、自分に娘が居たとして、帰ってきてどう考えても年上の男が出迎えたら首を絞めたくなる。むしろ、殺すかもしれないほど荒れるかもしれない。
それをせずに、見逃してくれた。
人殺しのリスクを恐れた可能性もあるけど、話を聞いてくれたのだ。
答えるべきだろうけど……綾との出会いか。順当で行けば喧嘩からだが、それを話せば心配するのは目に見えてるし、綾が怒られるリスクがある。ならば、だ。
「雪さんからの紹介です」
「雪穂くんが紹介したのか。だが、知り合うきっかけがあったのか?」
「雪さんの彼氏が俺の友達でその伝手で知り合いました。まあ、俺に相談するのを持ちかけたのは彼氏のほうでしょうが」
肩をすくめると、正義さんはにこりと笑った。
「そうか。あの雪穂くんにも彼氏が出来たのか。それでは、綾が相談しにくいのも、無理からぬことだな」
「嬉しそうですね」
「もちろんだとも。雪穂くんのこと娘のように思っている。向こうの親御さんとも仲良くしてもらっているとも。なるほど、雪穂くんの推薦ならば、文句はない」
「せめて、最初に聞いてほしかったですよ」
そうすれば、あんな悲劇にはならなかっただろう。
「それは悪かったね。まあ、水に流してくれたまえ」
「そっすね」
豪快に笑い、肩をバンバン叩く正義さん。正直、かなり痛い。
「綾。こっちに来て、話をしないか?」
「はっはい。分かりました」
こわごわしながら、近づく綾。
その様子は、怯えているように見える。不安なのかもしれない。
「どうしたんだ?」
「いっいえ、少し緊張をしてまして……」
「なんで緊張?」
「基本、家では話さないからだろう。口下手でね」
それで、通用する芸能界に不安を覚える。まあ、やっていけているから、いまだに残っているのだろう。
「それで、彼から聞いたのだが、私と来るかな?」
ずばりと言い切る。
まさか、ここまで普通に言い始めるとは思わなかった。この話は俺が帰って二人っきりでするような。いや、家族内で話す内容じゃないか。俺がここに居るのに、どうして平然と話せるのだろうか?
「あの、わたしは、その……」
言いにくいのか、口を濁して下を向く。
ここで、ついていくと言えば父親と過ごす時間が増える代わりに環境が変わり、雪さんと別れることになる。ついていかないと答えれば、何も変わらない平凡な日々に戻るだけ。
迷っているのは、父親が居るからなのだろうか?
だとしたら、背中を押すのが俺の役目だ。ここは、行くと答えるべき場所。たとえ、今生の別れだとしても父親と共に行くほうが綾のためになるはずだ。そのために、言うべきことは……
「お前の気持ちを、素直に言え。雪さんも、きっと分かってくれる。正義さんもな」
「はい」
悲しむだろう。それでも、今すぐに行くわけでではない。数日を経て行くはずだ。その時間で別れればいい。
人生には、別れが必要なのだ。
「お父さん。わたしは」
さようなら。短い時間だったが、楽しい時間を、ありが……
「ここに残りたい」
「とうって、ええ――――!」
ちょっと待て、それじゃあ、今まで俺が頑張って正義さんを説得した意味がないじゃないか。一体、何のために怖い思いをしたというのだろうか?
全くの無駄骨じゃないか。
「本当に、いいのか?」
「はい。決めました。少し前のわたしなら、付いて行ったことでしょう。ですが、今のわたしには、やりたいことがあるのです。だから、行けません」
やりたいこと?
初耳だ。
まあ、まだ会って数日しか経ってないから綾の全てを知っているわけではない。だか綾のやりたいことなんて知らないと言っても過言ではない。だが、もっと早く言ってもらえれば、俺はこんなことをする必要はなかったのに、なんでこんな話がまとまる瞬間に言うんだよ。
とんだ爆弾の投下だよ。
「本当に、いいのか?」
念を押すように問いかける。
まるで、もう意見を変えることが出来ないと言っているようだ。
「はい。わたしは決めました。それを変える気はありません。ですが、彼が言ってくれたことも本心なのです。わたしは、いつも不安でした。お父さんから嫌われているのではないかと、テレビを見ながら、気持ちは揺れていました。ですが、そうではないと、そう認めてくださるのであれば、私は十分です。やるべきことをやりたいのです」
「分かった。何をやりたいかまでは聞かないことにしよう。綾が自分の正義に曲がるようなことをするはずがないと、信じているからな」
「お父さん」
さっきまでの不安が消え、瞳を潤ませる。
それが、演技なのか素なのかを知ることは出来ない。けれども、綾が喜んでいることだけは確かだろう。
「翔くん。と言ったね」
「はっはい」
「綾を、頼むよ」
目の前に手が差し出される。それが握手を求めている行動だと気づいたのは五秒後で、むしろ叩かれるのではないかと身を縮込ませてしまった。
「はっはあ」
まるで結婚するのではないかと言うほどの姿に、なんと返事するべきか分からずに、頷くことしか出来なかった。
「硬くならなくてもいいさ。食事にしよう」
「はい」
綾が台所に行き、正義さんが手を離した。
その瞬間。俺は脱兎のように駆け出し、部屋から逃げ出した。
なんだろうか。
ここに居てはいけない気がした。
居心地が悪かった。
後は、親子水入らずで話すのだろう。
俺が出来るのは、ここまでだ……
そんな言い訳を心の中で何度も呟きながら、家を目指して走るのであった。
エピローグ
ジリリと鳴り始める目覚まし時計。その音で、意識を浮上させ朝であることを理解する。
だが、休日だと分かっているためか目を開けるのも億劫になる。
体を横に半回転させて目覚まし時計に向かって目を閉じたまま手を伸ばし、一瞬硬直した。
昨日の一件が頭をよぎったのだ。だが、そんなことがあるはずないと手を動かしてポンッと目覚ましを止める。
何事もなかったことに安堵しながら体制を戻して再び深い睡眠に入ろうと気持ちを落ち着け……
「んっ!」
ようとした瞬間に唇が塞がれた。
これが海や川の近くで、俺が溺れていたのであれば人工呼吸なのだろうと思うだろうけど、そんなことがないことくらい分かっている。今、本当に今、目覚まし時計をこの手で止めたのだから間違いはない。それに、この家に人が居ないことも分かっている。
だとしたら、俺の口を塞いでいるのは何だ?
疑問を解消するために目を開く。
「!」
そこには、ここに居るはずのない綾の顔がドアップであった。目を閉じてずっと口付けをする彼女に、目を丸くすることしか出来ない俺は、思考を完全に放棄していた。
何も考えることなく。この時間が平穏無事に終わることを祈っていたが……
「んっんん」
息が出来なくなり、思考が再開した。
何秒待っても終わらない。そのため、呼吸がまともに出来ずに息が苦しくなってきた。
死ぬ。死ぬ。このままだと俺はこのまま死んでしまう。
生命の危機を感じながらも、どうしたらいいのかが浮かんでこない。頭は空転するだけで、まともなことが何も浮かんでこない。
このまま走馬灯でも見るのではと思ったが、それを見る様子もなく。時間だけが過ぎる。
もう、終わったな。俺の人生。まさかファーストキスでこの世を去るとは思わなかった。それも、小学生の口付け。誰かに見られたら完全にロリコンが定着してしまう。確かに、年下の相手は好きだし、信頼されているかもしれないけど、ロリコンで死ぬのは嫌だな~
「ぷはっ」
「っ! はあ、はあ」
唇が離れた瞬間。思いっきり息を吸い込み、吐いた。空気がおいしいと感じたのは初めてかもしれない。
一分くらい深呼吸を繰り返し、体を起こしてから気づいた。
窒息する前に、綾をどかせばそれで済んだ話ではないか。なんでわざわざそのままにしていたのか、自分の行動にため息が出来るほどだ。
確かに、寝起きを襲われて頭が回っていなかっただろう。それでも、そのことに即座に気づき、行動すれば被害は最小限に抑えられたはずなのに……「はあ~」
自分の思考の浅さにため息しか出ない。
だが、その前に、
「どうやって入った。なんでキスした?」
その二点がどうしても気になった。
「まず、入ったから説明しましょう。合鍵を使いました。阿呆から借りた合鍵です」
阿呆。つまり、信也。
「あいつ!」
確かに、信也には合鍵を渡している。何かあった時に入ってもらえるようにしている。それは、あいつを信頼しているからで、無闇に誰かに教えないと知っているからだ。それのに、綾に普通に貸すだなんて思いもしなかった。
「それで、キスした理由は、お礼と罰です」
「お礼と罰?」
意味が分からずに鸚鵡返ししてしまう。
「お礼は、昨日の一件です。報酬は、わたしが渡したければ渡していいとおっしゃっていましたので」
確かに言ったな。これがその報酬だとは思わなかったけど、
「罰は、昨日勝手に帰り、食事を無視した事に対する。です」
あ~あれを怒っているのか。あの場では最良の判断だと思ったけど、綾にとっては最悪の決断だったのだろう。
「ですから、キスしました。どう、でした?」
ほんのり頬を上気させ、照れたようにそっぽを向く綾。
恥ずかしがっている様子がありありと読み取れる。恥ずかしがるくらいならしなければいいのにと思いつつ、
「分からねえよ」
感想を述べる。
実際に、突然過ぎて頭が回転してなかったから分からない。
味とか感触もよく覚えていない。
「では、もう一度……」
「やらせるか」
近づく綾の頭を押さえて再びため息ついた。
何でこんなになっているのか分からない。小学生のことは結構知っているつもりでいたがどうやら俺の勘違いだったらしい。
全く。
「小学生の相手は面倒だ」
ポツリと溢し天井を見上げるのだった。




