07
多くの取り壊される家を見てきた。
家には当然住む人がいる。住む人がいなくなった家は廃屋となっていく。私がまだ幼かった頃、小学校の低学年くらいまでだろうか。その頃は廃屋も放置されっぱなしだった。しかしながら小学校を上がる頃、住む人のいなくなった家は取り壊されるようになったのだ。
当時の私はそれがなぜだか分からなかった。しかし今にして思えば当然のことだろう。私たちはそこを遊び場にしていたが、そこは犯罪の温床でもあったのだ。あまりニュースとして扱われなかったが持ち主が見つからない廃屋の取り壊しが決まってからというもの、廃屋から死体が発見されるということが頻繁に起きていた。なぜニュースにならなかったのかは分からない。行政の介入があったのかもしれないし、数が多すぎて焦点のあて所がもはや分からなかったのかもしれない。中にはニュースに出来ない事件もあったに違いない。世を儚んだ一家心中、廃屋で隠れて起きた恨み辛みによる殺人事件、子どもが狙われた事件。多くの事件があったのだろう。
現在、廃屋となる家の多くは、そこで孤独死を遂げた遺体の発見で発覚する。その家に住んでいた最後の一人。多くの場合はその一族の最後の一人でもあるのだろう。そう思うと家の取り壊しの風景は、何か胸を揺さぶるものがあった。
「今さ、近所が取り壊しでうるさいんだよねー。テスト前なのに困るよ。」
そんな会話がクラスで交わされる時、また一つ血が途絶えたのだろう、と想像する。町の地図がどんどん隙間だらけになってゆく。
廃屋で遊んだ幼いころの記憶より、町の見晴らしは随分と良くなってしまった。視界の先にはポツリポツリとしか、何かをとらえることが出来ないのである。
それはまるで私たちの未来のようだった。