RESET
ここは楽園だ。
RESET
喪服の群れから離れ、近くに佇む公園跡の石に座り、少年は空を仰ぐ。
「……くだらねぇ」
『喪主がそんな事を言っていいのか? 』
黒の群れから、少女を連れた白髪の男が少年に微笑みかける。年六十は優に越えた老体の男
は、まるで友人に微笑みかけるように優しく笑うとペンキのはげた石に腰をかける。
「くだらねぇからくだらねぇって言ったまでだ、死体のねぇ葬式なんざ、ガキのままごととかわりねぇ
よ」
「……今の時代、そうかも知れんな」
内ポケットから煙草を取り出し、慣れた手つきで、口に咥える。
「おう、俺にも一本くれ」
「お前まだ幼稚園児だろうが」
「実年齢はお前と同じだ」
「お前が吸ってたら、子供の教育に悪いだろうが」
「このご時勢、本当の子供がどこにいるんだよ」
そういって煙草を箱から抜き取る。老人は薄く笑い、二つの煙草にライターで火をともした。白い煙
が揺らめきながら宙に混ざる。
『貴方』
黙していた少女が口を開く。
「いろいろ話したいこともあるでしょうから、私、先に戻ってますね」
「ああ、すまない」
少女は少年に軽く頭を下げ、喪服の群れへと消えていった。
「やっぱ、いい女だな」
「欲しがってもやんねぇよ」
「ははっ、本当に欲しかったら、四十年前にお前から奪ってるっつーの」
「そりゃ無理だね、あいつは心底俺に惚れてるし。俺のほうがお似合いだ」
「今は俺のほうが似合ってるだろ? 」
「見た目はな」
たわいも無いやり取りで笑いあう。笑いが落ち着き、白い煙をゆっくりと吐き出した後、少年が、神
妙な面持ちで話し出す。
「……で、お前はしないのか? 『リセット』」
その話が出ると、老人の顔から笑みが消えた。
「またその話か」
煙草を石でもみ消すと携帯灰皿に入れ、胸ポケットにしまう。
「その身体、結構ガタ来てるだろ? 七十近いし、そろっとやり直し時じゃねぇか? 」
「まぁ、ガタは来てるな。でも、やり直す気はねぇよ」
もう一本煙草を咥え、火をつける。焦げたような黒い煙が一瞬上がり、一瞬の闇に溶ける。
「何でだよ、お前、奥さんリセットしたんだろ? 」
「あれは已む無しだろうが」
「それでも、だろ」
責めるような、少年の言葉に、老人はたまらず立ち上がる。
「ただ、生きて欲しかったんだ。やり直すやり直さないは別として、ただ、死んで欲しくなかったんだ」
「そりゃ、お前のわがままだろ」
「ああ、わかってる。でもだ」
嫌な沈黙。ぬるい風に乗って、うそ臭い泣き声が耳に届く。
「死は……怖いよな」
とうに火の消えた煙草を咥えながら、少年が呟く。
「親父とおふくろが死んだって聞かされた時、頭じゃ失踪したってわかっていたのに、血の気が引い
たよ」
淡々と話す少年の話に、老人は静かに聞き入る。
「全部捨てて、どっかで気楽に生きてるって、わかっているのに、空の棺桶を見たとき、何故か涙が
出た。また、逃げたいと思ったよ」
公園の木々がざわめき、朽ちたブランコが軋みながらゆっくりと揺れる。
「……俺は、逃げるのも怖い」
白い灰が宙に散り、煙と共に消える。
「逃げ道が用意されてて、逃げることが許されている。でも、もう少し、あと少し、頑張れば、もっと良
い事があるんじゃないかって期待してしまう。そんな惰性で、ここまでやってきた。耐えに耐えてやっ
てきたんだ。一回リセットしちまったら……一回逃げちまったら、多分逃げる癖がついちまう。辛いこ
とがあるから、幸せなとき、幸せと感じられる。辛いことから逃げ回っていたら、きっと幸福だって見
落としちまう」
…………。
「諦めわりぃな。やっぱ、勝てねぇな、お前には」
火の消えた煙草をはき捨て、少年は立ち上がる。
「いや、逆にお前ぐらい諦めがよければ、もっと楽しいのかもな」
「馬鹿にしてんのか? 」
また互いに見詰め合い、声を上げて笑う。
確かに俺たちは、ここにいた。
三年後。
あいつは死んだ。
葬式には空の棺桶と。赤子を抱いた少女。
少女は言う。
「この子はあの人じゃない、でも、私もリセットして私じゃなくなれば、また運命線上であの人と巡り
会う。謀られた偶然だって、運命になるでしょう? 」
バックアップをちらつかせ、微笑む少女に背を向け、俺は葬儀場をあとにした。
お前はあの時、何回目だったんだろうな。
そして、俺はまた、リセットする。
何年か後の、運命を夢みて。
逃げる幸福を夢見ても、いいだろ?
楽園へようこそ。