追われる馬車
ジルタニア南東部、広大な森の中を一台の馬車が
走っていた。
その馬車には煌びやかな装飾が施され、乗る者の
身分が低く無いであろう事を伺わせる。
だが、ここはジルタニア王都から見捨てられた
森だけの土地。別名「勇者の森」。
道も当然舗装などされていない。
その場所を走るには、若干不似合いな車体だ。
更に馬車はスピードを上げる。
上流階級御用達といった風体の車体には無数の傷が付き、何本もの矢が刺さっていた。
そう…この馬車は追われていた。
「もっと速度は出んのか⁈」
御者台の上では鎧を纏った女が声を荒げる。
「無理ですっ‼これ以上この悪路でスピードなんか
出したら、ひっくり返っちまいますよ⁈」
「ちっ…」
女はその返答に舌打ちをすると立ち上がり、
馬車の屋根に上がると後方へ向けて矢をつがえた。
(そんな事は…分かっているっ!)
女の指から放たれた矢は後方から馬車を
追う一団へと向かう。
「グピャッ…」
青い体液を撒き散らし、倒れる子供の様な体躯。
尖った耳に、吊り上った黄色の目、緑色の肌。
ゴブリン…そう呼ばれる魔物の一匹が命を散らす。
それでも緑の固まりは速度を緩める事は無い。
馬車を追うゴブリンの群れは、既に100匹を
越えていた。
馬車上の女騎士、アイネスは二の矢、三の矢を
放つが
焼け石に水である。
(くそっ…完全に私の判断ミスだ…)
彼女は悔いていた。
最初に遭遇したゴブリンは5匹程度だった。
だが彼女は車内の主の安全を優先し、戦闘を
避ける事を選んだ。
この点に関しては、彼女を責める事は出来ない。
アイネスは「学院」で習った通りのマニュアルに
沿って行動しただなのだ。
ただ間違っていただけなのだ。
対魔物戦を戦った事のない学者の書いた
マニュアルが…
そして、勿論マニュアルには書いていない。
ゴブリンの脚力が馬車並で、仲間を呼んだ
ゴブリン数が100匹を超えた時の対処法など…
(やはり力尽くでも止めておくべきだった…
この様な不浄の地へ来る事など…)
彼女が「勇者の森」に来たのは、主の我儘が
キッカケだった。
勇者の英雄譚を何処からか聞いて来たのか、
墓に参りたい…と…。
だが「勇者の森」は大陸全土に知られた
S級危険地帯である。
ジルタニアと、その先の半島を分かつ広大な森。
半島とは魔王亡き後、逃げ込んだ魔族の住まう地。
つまりは「勇者の森」とは対魔族の
最前線防衛ラインなのだ。
この地を与えられた「勇者」の仕事は、
侵入して来る魔族を排除する事…
それにより、この地に住まう者には一部を除き
一切の義務・税の放棄が認められていた。
そんな森へ主は行きたい…と言う。
主の父が「勇者」の信奉者だった事もあり、
その希望はあっさり受け入れられた。
護衛兵団の同行が条件だった…が…。
だが主は最寄りの村で、兵団に待機を命じていた。
墓に参るのに大人数の武骨な兵団を引き連れて
行くのは不粋…だそうだ。
勿論アイネスは反対した…が、その場の決定権を
握るのは幼い主であった事もあり了承された。
何とか自分の同行は認めさせたもののアイネスを
除けば侍女と御者しかいない。
(「勇者の森」を侮り過ぎていた‼
魔物がこんなに厄介だとは…
ゴブリンなど最低ランクの筈なのにっ‼)
彼女は…アイネスは自分の腕前には自身があった。
事実、剣でも弓でも「学院」ではトップだった。
模擬戦とは言え対人戦ならば、負けた記憶の方が
少ない。
だからこそ今の結果が信じられ無い。
最弱ランクと言われるゴブリンに追われる
自分の姿が…。
「うわっ‼」
ガッ‼
突如、御者が叫び大きな音が響く。
それと共にアイネスはバランスを崩した。
馬車が岩に乗り上げ、片輪走行を始めたのだ。
(マズいっ‼今倒れたら…)
アイネスは咄嗟に傾きと反対方向の屋根へと
ぶら下がり、バランスを保とうとする。
危うい所で浮いた車輪は地面へと戻る…が、
乗り上げた時に破損した車軸は回転を止める。
結果、馬車は舗装されていない道を横に
滑る形となり、馬がバランスを崩して転倒して
しまう。
同時にアイネスも放り出される。
硬い地面の上を転がり続け大岩に叩きつけられる
事で、その暴力的な遠心力からは解放された。
だが、その衝撃は彼女から身体の自由を奪い去る。
「アイネスッ‼」
馬車の扉が開き、現れたのは少女だった。
金髪の綺麗な髪を腰まで伸ばし、白いドレスの様な服を身に纏った少女。
その青い瞳には溢れんばかりの涙が溜まっている。
「アイネスッ!アイネスッ‼」
「お嬢様…アイネスはここ迄の様です…せめて
お嬢様だけでもお逃げ下さい…」
「嫌っ‼…ゴメンなさい…ゴメンなさい…もう
我儘なんて言わないから…アイネスを困らせたりしないから…そんな事言わないでよぅ…」
少女は悔やむ。
自分の我儘で仕えてくれているアイネスを
危険に晒してしまった事を…。
少女は悔やむ。
今まで温室で育てられた自身の浅はかさを…。
追って来るゴブリンの群との距離は、
もう50mもない。
今となっては全てが遅過ぎた。
(そう言えば…勇者様のお言葉にあったっけ…
「後悔は人の前に立ってはくれない」って…)
少女はふと読んだ本の一節を思い出す。
(私には難しかったけど…こういう事なの?…でも…)
アイネスの手を握る小さな掌に力がこもる。
(神様…せめてアイネスだけでも…助けてよぅ…)
少女は祈る…。
ただただ一心に…。
見た事もない神に縋って…。
その時だった。
「エメス!M249-SAW two-hand!」
木々の間から飛び出した人影。
その人物は少女を背にゴブリンとの間に
立ちはだかっていた。
両手には少女が見た事が無い様な…
銀色に光り輝く2本の「杖」を持って…。