第二話 『VS クラスメイトとか』
圧倒的に不利な戦い。……まったく、嫌になるぜ。
「はい、これで王手ね」
英語教師、楠木 恵理子が『歩』を俺の『王将』の前に置くと色っぽい声でそう告げた。
「先生! 一手……いや、三手『待って』頂く訳にはいきませんかね?」
額に大粒の汗を浮かばせてそう俺が懇願する。
「でもぉ……。早く終わらせないと授業時間が無くなっちゃうのよね……」
唇に人差し指を置いて困ったような表情の彼女。
「だから、『待った』は無しね」そう言うと色っぽくウインクをした。
「……じゃあ。六月二十日 VSエリコ先生 将棋勝負 負けっと……」
廊下側の壁にでかでかと張られた『月刊マケル通信』と書かれた張り紙に黒のマジックでキュッキュっと音を立ててそう書き込んでいくリサ。
「んー、今月も白星なしね……」
そんなリサの言葉にクラスメイトの奴らがニヤニヤしながら一斉に俺の方を向くのだ。
それは未来日記ならぬ未来対戦表となっていた。楠木教諭の隣には『六月×日○限目△先生』と書き綴られていて決闘種目と結果の場所はまだ空欄となっていた。
そう、今日は六月二十日である。俺が生徒会に入ってから一カ月ほどが経っていた。
どうしてこんな事になったかと言うと……。
古谷教諭とのプロレス決闘に敗れて早一週間。その間にも教師たちとの決闘が度々あったのだ。カイに扇動された生徒たちに乗せられてついつい決闘をさせられる羽目になる俺。こういう校風の教師だけあって、ここの教師はその教科を教えることに対して優秀なのはもちろんの事、何らかの勝負事に妙に秀でていた。
殴り合いの決闘に負けるのであればそれはそれでよい経験となるのでまだいい。もう高校生とはいえ、まだまだ子供だ。教師としては流石に力で屈服させるのは大人気ないと思っているのか先ほどのような将棋やら囲碁やらオセロ等のボードゲームによる決闘がメインとなる。そして、そのことごとくに負ける俺。
いい加減、不毛な戦いにはうんざりとさせられる。そもそも、俺は『授業は真面目に受ける主義だ。ちゃんと授業を受けさせろ。じゃないと何か気になって熟睡できないんだ!
「なあ、いい加減……、俺で遊ぶのはやめてくれないか?」
その日の決闘が終わった、その休み時間に俺はクラスの皆にそう訴えかけた。
「マケル、何言っちゃってるわけ?」
カイが人差し指でビシッと俺を指さしながら軽薄そうな声でそう言った。
「だからな、俺は普通に授業を受けたいんだよ」
「ハンッ! そんなのお前のキャラじゃないね!」
俺のキャラを勝手に決め付けられるのは実に心外な話である。
「まあ、入学式での一件がね…」と、クラスメイトの誰かの声がした。
確かに、あれは『何であんな事をしてしまったのだろう……』などと、今でも稀に就寝時、枕を濡らしながら後悔をする事があるのは事実だ。
「あの一件でお前のキャラは決まったんだよ!」カイがそう言い切る。
「勝手に決めんなや!」
そんな俺の抗議に……。
ガラリと妙に揃ったイスを引く音がした。俺の方を向いてビシっとこれまた妙に揃って指差すクラスメイト達がいた。そして、やっぱり揃った声で……。
「「それは我々に対する挑戦ということでいいのか? よろしい、ならば『決闘』だ!」」
「えーとさ……。これってずるいよね? ってか、流石にこれは反則だよね?」
教室の後ろ――通称『決闘ゾーン』――にクラスメイト全員で輪になって座る。当然、俺も輪に加わっていた。
「おいおい、種目が決まった後にいちゃもんつけるとか、ヤーさんかよ」
カイが地面にツバを吐くような仕草をしながらそう言葉を吐き捨てる。周囲の女の子たちから「やあね」みたいな非難の声が上がった。
何でだろう……。俺の言い分が間違ってるのかな……。
問題はそこではなかった。問題は俺の手に握られた他のとは違う色のカードである。そして、カードが一枚しかないという事実であった。
圧倒的な不利、と言うか無理な勝負。
「だって、しょうがないじゃない。クラス全員と決闘って三十二番勝負とかやるわけにいかないでしょ?」
俺の抗議にリサがそう答える。いや、だから問題はそこではないわけだ……。
決闘の種目は原則として挑まれた側に決定権がある。無論、俺からも提案をする事はできるのだが、殆どの場合それは却下されることとなる。
決闘の種目はトランプ――それもババ抜きに決まった。日本ではトランプはスペード、クローバー、ダイヤ、ハートの各十三枚+ジョーカーの計五十三枚からなっている。対して生徒数は三十三名。つまりは配られるカードが一枚か二枚となる。
カイが素早くトランプを切ると、いかにも『ランダムですよ』みたいな顔で配っていく。そして俺に回ってきたのはこの色違いの一枚だけとなった。無論『ババ』である。
「じゃあ、タケルからね。はい!」
隣に座るリサが手に持つたった一枚のカードを満面の笑みと共に俺に差し出してくる。
そう、『多数決』によって俺から引く事となったのだ……。
「……」
「おい、早くしろよ。休み時間終わっちまうぞ?」
カイが催促をした。しぶしぶ、それに従う俺。
「やった! いっちばーん」
リサが両手をバンザイさせて喜んでいた。
「……」
「早くしろよ」
クラスメイトの誰かが俺を急かす。それに対して俺はめちゃくちゃ嫌そうな顔を見せて色違いのカードを差し出した。当然、ババじゃない方が引かれる。
「これイジメだろ!」
俺が抗議の声を上げるも『この人、何言ってんの?』みたいな六十個を超す瞳に見つめられ、何事もなかったように続けられる。
絶対に負ける勝負。ただ、負けるのを待つだけの時間。人は死ぬ直前、それまでの人生を一瞬で振り返ると言う。もちろん一瞬でそんな事をできるはずはないのだが、感覚的な話なのであろう。今の俺はまさにその状態だった。
決闘が終わるまで――休み時間中に決着が着いたのだから五分ぐらいしか掛からなかったはずだ。しかし、その数分が一時間にも二時間にも感じられたのだ。
最後の一人が二枚のカードを中央に投げ出し勝利を宣言すると俺は力なくその場にへたり込むのであった。
そもそも、こんな出来レースを受けなければよいわけだったのだが、種目が『決闘』成立後に決まる事――何より煽りに乗せられてしまう自分。これが問題なのである、と毎度、毎度、事後に痛感させられるのであった。
「じゃあさ、先生方も突然だと都合の悪い時もあるだろうし、予定表作ってあらかじめ都合のいい時とか聞いちゃおうぜ?」
カイがそう提案するとクラスメイトの多数から賛成の声が上がる。それに対して俺は当然の如く抗議をする訳だが、誰一人として取り合っちゃくれない。
勝者の弁が常に優先される。これが我が校の鉄の掟であった。
こうして出来たのが『月刊マケル通信』なるものである。
「キミは実によくここに来るな」
会長が会議デスクに突っ伏している俺を見るや否やそう言った。
「俺がここに来たらまずいですかね?」
「もちろん構わんよ」
昼休みは大概、逃げる様に生徒会室に来る。十五年と数カ月生きて初めて知った事がある。教室とは実に気の休まらない場所だ。そこにいるだけで常に何かに巻き込まれるような気がしてならない、という事に。
俺の言葉に会長は何かを感じたのだろう。腕を組んで少し考えたような仕草をした後、少し心配そうな顔をして俺の顔を覗き込んでくる。
「もしかして、友達がいないのか?」
「ちげーよ!」
もしかすると道標になるような金言をくれるかも、なんて淡い期待を抱きながらここに顔を出している訳なのだが見当違いの返答に思わずツッコむ。なら、素直に言ってしまえばいいのだが、俺のちっぽけなプライドがそれを邪魔するのだ。
「いえ、会長のお昼のお裾分けを今日も貰おうかと思いまして……」
教室にいたくないから、とは流石に答えられずに俺。
今、空腹状態であることは間違いないので言った事は嘘ではなかった。今まではリサが俺の弁当を作ってくれていたのだがカノジョじゃないのが発覚して以来、作ってくれなくなった。
やはりと言うか当然のごとく根に持たれたらしい。俺の両親は揃って海外赴任をしていて家にはいなく、俺は俺で家事などからっきしだった。かといって集る相手がいるのに弁当なりパンを買うのも金の無駄だ。
そんなこんなで、会長が昼マコトに餌をやりに来る事実を知って以降、俺もありがたく頂かせてもらっているのである。
「会長さん、早くぅ!」
マコトが舌を出しながらハアハアを息を荒げながら催促する。
会長は『待て』の仕草をしてデスクの上に素早く弁当箱の蓋を開けながら並べて行く。そして、その中から一品ずつを皿に乗せていった。マコトからパタパタと振られる尻尾のようなものが見えた気がしたが、恐らくは幻覚だろう。
「よし、もういいぞ」
会長がそう言うとマコトが弁当箱を腕で囲みながら俺を見てウーッと唸る。流石に十個もあるんだ。全部食べきれないだろ……。会長が無言で右腕をゆっくりと上げていくと彼女は恐怖に顔を引きつらせて俺に二つばかし弁当箱をよこす。俺は「あざーっす」と会長に深々と礼をすると弁当を食べだした。
「しかし、会長はモテモテっすね。……お、これ結構いけますよ」
「うむ、私は昔から女子にはモテるのだ」
そう言って会長は皿から上品な箸使いで口元に料理を運んでいく。
「それに律儀だ」
「まあ、折角私に作ってくれたものを全く食さずに他人にやるわけにもいくまい。かと、言って私は大食漢ではないのでな、流石に全部は食べられない。そういう意味でキミたちはとても良い人材だ」
「会長さん、いい人!」早くも三つ目の弁当箱に取りかかったマコトが上機嫌でそう言った。
「……話は変わりますが、やっぱここは会長のアレなんですよね?」
「キミは……意外と慧眼なのだな」こう言いニヤリとする。
「やっぱそうですか。いやぁ、実は俺もアレを目指しているって設定があるみたいなんで」
俺は照れる様に頭を掻きながら答えた。やはりそうか、女の子のキャラタイプを見てそうじゃないかと思っていたんだ。既にハーレムを構築しているとは流石すぎる。
「しかし、これ……」マコトに視線を向ける。「は、他の二人と比べるとなんかタイプが違うような気がするんですが?」
「いや、クール系、文学系と来たらやはり元気系は必須だろうて。後はおっとり系とロリ系を探しているのだが中々人材が見つからないのだよ」
会長はそう言ってちょっと残念そうな顔をした。
「うーん、言われてみるとその通りっすね。キャラコンプを目指しているとは流石ですね」
「彼女はちょうど元気系を探している時にだな。私の後を着いてきたのだよ」
「着いてきたとは?」
「私はそれまで昼休みに弁当を配りに出歩いていたのだ」
「ああ、弁当の匂いに釣られてって事ですか」
「その通りだ」
「うーむ、キャラから寄ってくるとはやはり流石としか言いようがないっすね」
マコトを見ているとその時の画がはっきりと目に浮かぶってもんだ。
「ふふふっ、キミも同好の志であるのなら精進したまえ」
「それにしても女の子ばっかりなのは、やっぱりレズだからですか?」
その場の雰囲気でぶん殴られそうな事を聞いてしまう。
「ふむ、彼女たちはプラトニックなつき合いなのでレズと言うより百合と言うべきだな。それに私はレズと言うより恐らくはバイだ。ちゃんと正常な性行為にも興味はある。割合が八対二ぐらいではあるがそのはずだ。ただ、単に昔から男子にはモテないのだよ。やはり口調が女らしくないからか?」
真顔でそう尋ねられた。自覚があるなら直せばいいじゃないか……。
彼女は抜群の美女だ、男にモテないわけがない。ただコクる奴がめったにいないってだけだ。どうやらそこら辺が彼女には理解できないらしい。
「んー、何ていうか……」言葉に詰まる俺。
「例えば……」彼女が素早く髪をハーフアップにまとめ、とても穏やかで優しげな表情をして
「風間くん、今日のお弁当はおいしかったですか?」などと微笑みかけ、少し間を置き髪と表情を戻し「こんな感じなら私に惚れるか?」と、尋ね返す。
「いや、そうじゃなくて、ですね。俺思うに会長に惚れてる奴って結構いると思うんですよ」
「ほう、では何故、私を求めてこない?」机をバンッと叩き彼女。心底納得がいかないようだ。
「会長みたいな人にコクる度胸がある奴がめったにいないってだけなんですよ」
「どういう……意味かね?」
「えーと……こういうの説明するのって難しいな……」
欠点のない美人にうかつに声を掛けようなんて奴は馬鹿か自意識過剰か、もしくは同じぐらい欠点のない奴ぐらいだろう。大抵の男は自分と彼女を比べてしまい声を掛ける事すらできないもんだ。
入学式の時の俺は馬鹿で自意識過剰だったんで声を掛けちまったがな!
「会長は女なんで解らんとは思いますが、男には男のプライドがあるって話なんです」
「……ふむ、私を侮辱しているわけでは……ないな?」
「もちろんです。それに……、なんとなく今の会話で解りましたよ!」
そう言って彼女の右手を両手で握る。そして、そのまま体を密着させるように距離を詰めた。
「む?」俺の行為に彼女がいぶしかんだ表情を見せた。しかし、俺の手を振りほどく様子はない。ならば思った通りのはずだ。俺は自意識過剰ではなくなったが馬鹿は残っている!
「要するに会長は殆ど男から告白された事がない。こういう事ですね?」
「その通りだ」
『将を射んと欲すればまず馬を射よ』とは言うけれども、それの対の言葉に『賊を捕えんにはまず王を捕えよ』ともある。どちらも杜甫先生のありがたいお言葉だ。
すなわちハーレムを欲すればまずは主を落として丸々ゲットだ!
うむ、どう考えてもこちらの方が俺の好みだな。
「……で、久々に入学式で俺に求められた」
「……う、うむ」俺の勢いにちょっと引き気味の表情で彼女。
「実の所『なんだ、このギャルゲ展開、やっぱ主人公だからか?』なんて思ってたりしてたんですよ。――でも、だから俺に興味を持ったって事なんですね!」
「キミの……言うとおりだ」
「ならば! 俺が、いや、僕が必ず幸せにします! ですから愛し合い……ブホッ!」
後頭部に何か重く堅い物が物凄い勢いで当った。いつの間にかいたリサがレンガっぽい物を俺に思いっきり投げつけたのだ。激しい痛みを覚え倒れこむ俺。倒れこんだ際に会長のふくよかな胸に顔をうずめてその柔らかい感触を顔面で味わう事になる。痛みの中にちょっと幸せな時間。この際だから下の方の感触も……と、残されたわずかな力を使って体を前に出す努力をしたのだが、寸前でリサに俺の足首を持って引っ張られたので激しく床と頭を激突させる事となる。そして、その体勢のまま物凄い剣幕の彼女に引きずられ強制退室を喰らうハメに……。
「おい……リサ君……。流石にこれは危険なのではなかろうか……?」
俺に投げつけた物が恐らく彼女の予想以上の重量があったのだろう。引きつった顔の会長。
「な・に・か!」
「いや……流石に……学園内で殺人は私、困る……っていうか……」
リサの剣幕に押されたのだろう若干キャラが狂ってききた会長は憐れんだ目で俺を見ていた。
「頑丈だけが取り柄なんで、屋上からパイルドライバーしても大丈夫よ!」
いえ、リサさん。流石に僕もそれは死にますよ……。
「そう……。なら…いい……」
リサの剣幕に耐えきれなくなったんだろう。俺から視線を逸らせて下を向いてしまう。
「放課後また来ます!」「グギャ!」
バタンッと大きな音を立てドアを絞めて俺を引きずって行くリサ。
あの…僕……トビラに挟まれましたよ? すごく痛かったですよ?
そんな中、マコトは八個目の弁当を食べ終えて幸せそうに腹をさすっていた。
「うーん、流石に二人だとプール掃除は大変だなー」
俺は両手を上げて大きく伸びをするとわざとらしい口調で視線をリサに向ける。彼女は何か言いたげな表情をしていたが何も発言しない。
放課後、生徒会室に顔を出すと、今日は珍しく仕事があったらしく、会長、カスミさん、そしてクルミちゃんが真剣な顔をして黙々と書類を捌いている姿があった。
マコトは、というと会議デスクから離れた窓際に詰らなさそうに一人で座っており、俺とリサの姿を確認すると嬉しそうに自分のイスの周りに素早く二つ並べると俺たちの背を押して着席するように促した。
こういう場合、俺にはやる事が何もなかった。書類作成を手伝う事は無論できるのではあるが、俺やマコトが加わると逆に遅くなるので誰も俺に手伝うようには言ってこないのだ。
リサはそもそも手伝う気すらない。
それならこのまま帰ってしまえばよかったのだが、この後に何かイベントがあったら口惜しい事。そして、何より美少女たちは眺めているだけでも幸せな気分にさせてくれる事。これらの理由で仕事が終わるまでここに居残る事としたのだ。
仕方がないので雑談をして暇を潰す。――『邪魔だからお前ら帰れよ』見たいな冷たい目で睨まれてしまった。
睨まれてしまったので無言でトランプをする事にする。――やはり自分の作業中に遊ばれるのは面白くはないのだろう。わざとらしい、揃った咳払いで無言の圧力を喰らった。
今度は三人で揃ってシュンとしていると会長に「暇なら、そろそろ時期でもあるしプール掃除でもしてくれないか?」頼まれるもこれを拒否。ならばと「仕事が終わったら水着で手伝いに行ってやる」との耳打ちに二つ返事でこれを了承。……今に至る。
流石に七月も近くなったこの時期になると比較的暖かい日が続く。と、いう事で俺は濡れてもいいように上半身裸、下ジャージという格好。マコトはと言うと、水着ではなくいつもの鉢巻きに上が半袖の体育着に赤のブルマーと、ある意味良く心得ている格好。(ちなみに我が校の体育着にブルマーはない)
この二人で水の抜かれたプールの底をデッキブラシでゴシゴシと彼是一時間近くやっていた。
「ああ、二人だと大変だぁ」と、再びわざとらしい皮肉をこぼす俺。
「んー、ボクはそうでもないけど……」
「……だって、あたし、見てるのが仕事だから」
先ほどからフェンスに寄りかかって俺たちの作業を眺めていたリサが不機嫌そうに言い返す。彼女はと、言うと制服姿のままであった。
「それにね、今日は体育着もってきてないのよ」
「誰かさんが手伝ってくれると楽なんだがなぁ」
「んー、確かに、もう一面あるからこのままだと夜になっちゃいそうだね」
プールは上段、下段と段差で分けられているが二つあった。上段は50mサイズで下段はそれより大きく、またプールサイドも広く作られている。何故二つか? というのは後日、語る事となるので今回は省こう。
「だって、流石にこの姿で濡れるのはまずいじゃない」
俺のならガン無視を決め込むところではあるがマコトの言葉に罪悪感を覚えたのだろう。「ジュース奢ってあげるからそれで許してよ」と、バツが悪そうな表情をすると外に出てしまう。
これで昼の借りを少しでも返せただろう。と、少し根暗な喜びを感じていると……。
「ところでタケルって格闘技やるんだよね?」
こんな事をマコトに尋ねられた。
「ああ、そうだよ」
と、そっけなく返す俺。会長に敗れる前であればハイテンションで「もちろんだぜ!」見たいに答えたのだろうが今となると……なんつーか……。
「じゃあさ、ボクと『決闘』やってみない?」
「ん?」
「だって、タケルってハーレム? 作りたいんでしょ?」
「そうだが……お前、ハーレムの意味解ってんのか?」
「馬鹿にしないでよ! それくらい解ってるよ!」頬を膨らませて心外そうに、マコト。
「うん、ボクも格闘技やってるんだ。だから、ボクに勝ったらハーレムしてあげるよ」
彼女の発言から察するに、いまいち意味を理解してないようにも思える。
「なんつーか――当分は『決闘』とかしたくないわ……」
俺は手を上げヒラヒラとさせると、力なく彼女の折角の申し出を断る。カード勝負とかボードゲーム勝負とか……。なんだか最近はそういうの馬鹿馬鹿しくなっちまった。
「む? もしかして女のボクとやるのが嫌なの?」
見当違いも甚だしい。
「いや、俺にはお前を馬鹿にする意志も資格もないぞ」
「あー! じゃあ、ボクに負けるのが怖いんだ?」
いや、負けることにはこの数カ月で嫌ってほど慣れましたよ、俺は……。
「そうじゃなくてな。組手とかならやぶさかではないんだが、『決闘』はしたくないんだよ……」
「ふーん、じゃ、組手しようか! 要するにボクは今暴れたいんだ!」
ふむ、プール掃除で一日を終わらせるなら、そっちの方がいいかもしれないな。確かバトル物のはずなのに――いや、確かにバトルはしているが――殴り合いをずっとしてないし。
「組手かぁ……。それならやろうかな」少しテンションが上がってくるのを感じた。
「先に言って置くぞ。やってる最中におっぱいとか触られても文句言うなよ?」
「うん、不可抗力ってやつだよね!」
ニコニコしながらそう言うと、彼女は真剣な表情になった。
「じゃあ、ボクから行くよ」
マコトはそう言うと、右足でハイキックをしてきた。速い蹴りではあったが、それを左手でガードする。俺に受けられたのを確認すると素早く後ろに飛びニヤリとする彼女。
「ちょっと待て!」
「もう、戦いの最中に話しかけてこないでよ!」
「もう一度確認するぞ? おっぱいとかおしりとか揉んだりしても不可抗力だからな!」
「何だが表現が違うような気もするけど……う、うん」
マコトが俺にハイキックをしてきた時、彼女の小ぶりではあるが形の良さそうなそれがプルンプルンと震えているのが見えたのだ。会長とやった時も無論そうだったのだろうが、そんなところを見ている余裕などなかったのだ。
だが、今は違う。はっきりと見る余裕があった。本来、女の子の体とはそういうものだ、という事を思い出し、少しスケベ心が芽生え始めてしまったのだ。
「OK、じゃあ再開しようか」
彼女が構え直す。俺はフットワークを使い近づいていくとローキックを放つ。
うへへ、ローで動きを止めておっぱいモミモミじゃて。
彼女は後ろに跳んでそれを避けようとする。待ってましたとばかりの俺のタックル。わざとらしく顔面から彼女の胸に突っ込む。ムニュって擬音がぴったりの感触を顔で味わい、今度は尻だとばかりに後ろに腕をまわすと、これまた柔らかいお尻の感触を楽しみつつ強く抱きしめてそのまま持ち上げた。
「むー……」
彼女が何かむず痒いような声を上げる。構わず俺は全力で胸と尻の感触を味わう。マコトが俺の頭に肘鉄を落とすと『ごちでした』とばかりに彼女を解放した。
胸を揉むにはどうしたらいい? 押し倒して馬乗りの状態から揉むのは流石にやりすぎな気もする。 んー、そうだな。張り手で『その気はなかったんだけど揉んじゃいました』で行こう。ややぎこちなくではあるが張り手の連打。やはり狙う部位が単調なせいもあって簡単に回避される。ならば、ローも交えてやるか、とローを繰り出す俺。
それを跳躍して避けるとそのまま回し蹴りをしてくる。両腕でガード。まだ彼女の攻撃は終わらない。着地すると回転を生かして姿勢を低くしての足払い。それを喰らい軽くよろめく俺。さらに回転を生かして倒立ししながら両足を広げて蹴りを繰り出し俺の首に当てると後ろに腕のバネで飛ぶとスチャっと着地を決めた。倒れそうになるが何とか踏みとどまる俺。
再び対峙する二人、目が合うと同時にニヤリとする。
「正直言ってお前を舐めてた。済まんな」
「解ってくれれば別にいいよ」
あんなもんを喰らうと俺にもスイッチが入らざるを得ない。
――おもしれえ!
頬を張り気合いを入れる。
彼女が繰り出すハイキックを同じくハイキックで撃墜する。彼女の攻撃は止まらない。ジャブの連打。俺は円を描くように両腕を使い受け切る。そして攻撃の切れ間にショートレンジでのタックル。彼女が後方に跳ぼうとするのを右手首を掴み一本背負い。
チッ……。今まで散々言ってきたんだ。やはりちゃんと練習をしておくべきだった。
俺の投げのモーションを見るや否や彼女は前方に跳び直す。その反動を利用して俺の手を振りほどくと華麗に着地する。そして腕を前に投げ出し半身をずらし深く腰を落として構え直す。彼女はカウンターを狙うつもりのようだ。
お互い本気ではなく八部程度の力だろう。故に断言はできないが彼女との実力は拮抗しているようだ。このままではこう着状態が続くだけだ。彼女の誘いに乗ってやろうと思う。俺の拳速が彼女を上回ればいいだけの話なのだ。
背筋に、しばらく忘れていた感覚――悪寒のような歓喜のような感覚が走った。
そうだ、俺はこれがやりたくてこの学校に入ったんだ。この勝負の空気そして緊張感。わけのわからん勝負事に巻き込まれてすっかりと忘れていた。勝っても負けても俺を強くしてくれる。そんな経験。それが欲しくてこの学校に入ったんだ!
拳は作らない。右手の指を中途半端に開いた形を作る。インパクトの瞬間に握りしめ握力を加えるのだ。そして前かがみにゆっくりと腰を落としていきバネを作る。そしてそのバネが最高潮に達するのを感じると大きく踏み込んで彼女との距離を詰める。
繰り出される俺の右手。彼女がそれに合わせようとタイミングを取る。
そして、決着。俺がニヤリとした。
彼女はミスをした。俺にクロスカウンターを極めようとした事だ。拳速はほぼ同じ。いや、若干彼女の方が早かったかもしれない。しかし、リーチの差は如何ともし難かったのだ。右掌から伝わるムニュッという感触。
――え? ムニュ?
「んっ……そんなに強く掴んだら……痛いよ……」
俺の狙いは彼女の顔だった。だが、彼女の腕が俺の腕の上に掛かり狙いが狂ったのだ。つまりは――マコトのおっぱいを鷲掴みした格好となった。
「うわっ……す、すまん」
「うん、それはいいから……もう放して……」
慌てて手を離すと、もう一度謝る俺。今のはわざとじゃないぞ!
胸を腕で隠すような仕草をし、顔を真っ赤にして腰を引くマコト。俺から視線を外し「痛かったよ」なんて言う。
……なんかすげー可愛いな。
ふと背後から殺気を感じ、咄嗟の所で身をかわす。数瞬前まで俺の立っていた位置をジュースの缶が通り抜けていく。そして缶はドコンと鈍い音を立て地面にぶつかり缶の形にプールを凹ますと内容物を溢れさせた。当たった場合の事を考え、血の気が引いて行くのを感じた。
「何やっとんじゃい、ワレ?」
恐る恐る振り返るとバックに(引き気味の)生徒会の面々を従えて怒りのオーラを纏った仁王立ちでリサが俺を見降ろしていた。
「あ…あの、どこら辺からリサさんはいらっしゃったのでしょう……?」
「ああん? アンタがマコトちゃんの胸を無理やり揉みしだいて困らせてた時からに決まってんでしょうが!」
やはり恐る恐るそう俺が尋ねると、もはやモザイクを掛けた方がいいんじゃないかってぐらいの形相でリサが答えた。
「いや……、そうじゃないんだよ、リサ。……なあ、マコト?」
「ううん、無理やりじゃなかったし困ってもなかったよ」
そうじゃない! マコトにフォローを求めた俺が馬鹿だった。そんな言い方じゃあリサの怒りは増すばかりだ。
「あたしがいない隙に仲良く乳繰り合ってた。ちゅーことかい?」
やはり、マコトの言葉は彼女の怒りに油を注いだだけだったようだ。こうなるとどうにかできそうな人は会長しかいない。この中でリサを上回る力がありそうなのは彼女だけだ! 会長に視線で助けを求める。しかし、彼女は俺の視線に気がつくと一瞬済まなそうな表情をして顔を背けてしまう。……そりゃないぜ。
ああ、俺終わったな。早くも走馬灯モードに入ってきたし……。
額から頬を伝い滝のように冷たい物が流れる。顔も引きつっていた。
「『ちちくりあう?』ってよく解らないけど組手楽しかったよね、タケル」
俺を救ったのは意外にもマコトだった。そう言って邪気のない笑顔をリサに向ける。するとリサは顔を真っ赤にして黙ってしまったのだ。
「まったく、タケルが悪いのよ。紛らわしい事してるから…」
プールサイドに腰かけてプラプラと足を遊ばせながらリサが言う。その下では俺と生徒会の面々でデッキブラシを掛けているので何か偉そうな感じを受けるのは何故だろう。
「だからってよ。死んだらどうすんだよ?」プールにできた凹みを見てブルッと体を震わす俺。
「あれくらいじゃ死なないように鍛えてあるから大丈夫よ」
リサがシレッとした表情で答える。
いや……、プールの分厚い鉄板凹ます威力って……。
俺の頭に当たった場合の事を脳内でシミュレートしてみた。弾丸並みの速度で俺の頭に当たる缶。俺の頭が爆ぜ脳漿が飛び出る。そんなイメージ。
……うむ……死ぬな。
「ほう、リサ君は風間君の師匠なのか?」『鍛えた』に反応して会長が話に加わってくる。
「違うわよ。何て言ったらいいのかな……」
「十年間もこんな暴力女にしばかれ続けて体が頑丈になった、って話です。……イテッ」
「そうか」
「そんな事より、会長! ずるいですよ!」
「ん? どうしたのだ?」
俺の抗議に会長が怪訝そうな表情を見せた。
後から加わってきた女の子たちを説明すると、三人とも確かに水着を着ていた。それは彼女たちの胸元を見れば解る、間違いない。しかし、問題はチャックは開けているとはいえ上下ともジャージを着ていたという所だ。
「それを『水着で来てやった』って言うのは反則です! 俺のワクテカを返してくださいよ!」
「そう言ってくれるな、風間君。水着回にはまだ早いと思ったのだよ」
こんなふざけた事を言って豪快に笑う会長。
「そんな理由かよ!」
「それにだ、キミが見たがっているのはこういう水着ではないだろ? ふふふっ、安心したまえ。夏休みに皆で旅行に行く計画がある。その時まで楽しみは取っておくのだ。露天風呂覗きイベントとかもできて、それはそれは楽しいこと間違いなしだぞ?」
他の子には聞かれないように俺の耳元で会長がそう呟いた。
「ま、まじっすか!」
「うむ、期待したまえ。だからプール掃除をがんばるのだ」
これは最高にワクテカが止まらないって奴だぜ!
「タケルたち、何話してるの?」
「ふふふっ、彼とは趣味が合うようなのでな。その話をしていたのだ」
「ふーん」
感の良いリサの問いをそう言って会長は上手くはぐらかす。
「おい、マコト。ブラシ掛け勝負だ!」
「いいよ!」
会長の話に俄然やる気を出した俺はマコトと一緒にプール内をブラシを持ったまま全力で走る。こんな事は早く終わらせて――まあ、早く終わらせたところで早く夏休みが来るわけではないが――その時に備えなくては!
上手く乗せられた気もしなくはないが、今の俺は夏への期待感で胸が一杯であった。
「あれ? 何かおかしいぞ? 話の流れ的に今は夏休みのはずなのだが……」
「タケル、何言ってるの?」
俺の横に座ったリサが俺の額に手の平を当てながらそう言った。
「いや、病気じゃないぞ」
七月に入ると体育の時間は晴れている限り何クラスか合同でプールの時間となる。今日は『二ノA』と『一ノC』――つまり会長のクラスと俺のクラスの合同で行われる事となった。
この学校の校長と体育教師は実に話の解る人で水泳部員など真面目に泳ぎたい人とその他の水遊びがしたい奴とに分けて授業が行われるのだ。その為にプールが二面あり上段が前者用で下段が後者用となっていた。
言い忘れていたがこの学校の授業はコマ単位で行われる。要するに休み時間を入れて百二十分授業なのだ。二時間の素敵な時間。ああ、癒される。
恐らく校長は見た眼で選んでいるのだろう。プールに入ってはしゃぐ女の子たちやプールサイドでくつろぐ女の子たちを見ている限り推測というよりは断言してしまってもいいくらいだ。それぐらい我が校のルックスの平均点は高い。それ故に何と目の保養となる事か!
「あれれ? マケルくんは授業ちゃんと受けたい主義なんじゃなかったっけ?」
幸せな気分に浸っているとチャラ男、もといカイが話しかけてきた。お前に話しかけられると碌な事になった例がない。
「うるさいよ、今の状況もちゃんとした授業だろ? あっちいけよ」
「つれないなぁ、マケル。親友じゃないか!」芝居がかった言い方だ。
「……何を企んでいるんだ、カイ?」
「いやな、お前の近くにいれば鏡花会長の水着姿が間近で見られるだろ?」
ニヤケながらカイが言った。そう言えば合同のはずなのだがまだ見かけていないな。
そんな下らないやり取りをしていると、上の方から歓声が聞こえてきた。そっちの方に視線を向けると会長とカスミさんが上段から降りてきたようだ。そして俺だかリサだかを発見するとこっちに向かってきた。
思わず立ち上がりガッツポーズを取る俺とカイ。競泳水着ってもんは胸がぺったりとして見えるもんなのだが二人ともはっきり、くっきりと胸の突起が解るように出ていたのだから俺たちの反応は実に健全な青少年として正しいものだったと自負している。
「キミたちは泳がんのかね?」
会長が俺を覗きこむような格好で声を掛けてくる。会話可能な距離になる前に白々しく座りなおしたのでそういう形となったのだ。
「いやぁ、目の保養中なんで」
隣に座る水着と見比べてしまう。やっぱりかなり差があるな。
「なんだか、すごく侮辱された気分だわ!」
そう言ってリサが俺を小突く。普通の女の子がこれをやるなら逆にかわいらしいってものなのだがこいつがやるとマジで痛いから困る。
「しかし、会長は解ってましたが……。カスミさんもすごいですね。」
制服姿だとスレンダーな印象があったのだが『脱いだら凄い』って奴なんだろう、もしかすると会長より大きいかもしれない。
「わたしは着やせするタイプなのです」
俺のスケベな視線をさして気にとめた感じもなくそう言ってのける。
そう言えば久々にカスミさんの声を聞いた気がする。この人は敢えて、クルミちゃんはボーっとしてって感じで俺は彼女たちの声を殆ど聞いた事がない。どちらも最低限の発言しかしないのだ。
「おい……マケル」カイが肘で小突いてくる。どうやら紹介しろって事らしい。
だが、そんな事を聞いてやる義務も、ましてや義理はないので黙殺。
「キミは確か……」
「は、はい、俺いえ僕は……」美人を前にして柄にもなく緊張しているみたいだ。
「キミは『一ノC』の横山 甲斐君だな」
「はい! でも、ど、どうして僕の名前を?」
「たかが生徒数三百人の学校だ。全校生徒の顔と名前ぐらいは生徒会長として当然だろ?」
そう言って微笑みかける。
「こ、光栄であります!」
お前は軍人かよ……。まあ、俺はもう慣れたから大丈夫だが、緊張するのは解るがな。
「風間君、確かに健全な男子としては当然の行為なのかもしれないが、そのような目で女子を見るのは如何なものかと思うぞ」
「そんないやらしい目をしてますか?」
「うむ、私は見られるのが慣れているので気にはならないが気の弱い娘なら警察に通報してもおかしくはないレベルだ」
「でも、しばらくは元に戻りそうもないんで……。会長とカスミさんをガン見するって事で許してくださいよ。……イテッ」
「どうして、あたしの名前が入ってないのかな? かな?」
額に青筋的なものを浮かべながらリサが小突いてきた。目が笑っていない。
やばい、話題を変えよう。
「ところで会長たちはもうあがりですか?」
「うむ、カスミ君に付き合ったので流石に疲れたのだ」
「へー、カスミさんって泳ぐの得意なんですか」
「彼女は古式泳法の……何だったかな?」
「神田流です」
「そうそう、その神田流の継承者でな。恐ろしく泳ぐのが速いのだ」
「会長よりもですか?」
「私なんぞは彼女の足元にも及ばぬよ。それにキミたちはもしかすると私は何でも出来るものだと思っているかもしれないが所詮、私なんぞは十六年とちょっと生きただけの小娘に過ぎん。出来ることには限りがあるし、まだまだ修業中の未熟者だ」
「そう言えばカスミさんは格闘技ってか、武道は何かやるんですか?」
「弓術を少々。他はからっきしです」
言葉少なくそうとだけ答える。
会長とこの人は俺から見てとても不思議な関係だ。何と言うか――王と騎士のような主従関係で結ばれている。そんな感じを二人から受けるのだ。
『完璧美人』の異名を持つ会長は自信家と取られがちだ。しかし、それは出来る事を出来ると言っているに過ぎない事を俺はこれまでの経験で知っていた。自身の能力を誇るという事をしないし他人を貶めるような事も言わない。故に彼女から嫌味っぽさを微塵も感じないのだ。
しかし、人はそこに嫉妬し、また憧れてしまうのも事実だ。
そんな会長に憧れて心酔してしまった一人がカスミさんなのだろう。自分を殺し会長に仕える。それを喜びとすることのできる人間。それが彼女だ。
ポーン、とビーチボールが宙を舞う。
折角だから何かやろう、という会長の提案でカイの持ってきたビーチボールで遊ぶ事にした。しかし、思ったよりこれは結構辛い。陸上でやるのであれば楽しい球遊びなのだがプールの中でとなると話はまた違ってくるものだ。
下段のプールは深さが160cm強。リサが立ったまますっぽりと浸かれる深さだ。そのプールでやるものだから、長身の俺でも必然的に立ち泳ぎをしながらという事になる。まだ数順しかしてないのにカイが脱落したという所で辛さを察して欲しい。
古流泳法と言うと鎧を着たまま泳ぐとか立ち泳ぎで火縄銃やら弓矢らを打つとかいうアレなのでカスミさんは余裕っぽいのだが、俺、リサはもちろんの事、会長すらも段々と動きが鈍くなってくる。しかし、ボールは容赦なく回ってくるのであった。
「これは色々な意味で辛いわね……」
リサがそう(色々な意味で)弱音を吐いたが俺たちを囲むようにプールサイドに集まったギャラリーの『タケルって奴、溺れて死なねえかな?』みたいな刺すような視線には俺はあえて気が付かない鈍感さんなので肉体的な疲労しか感じない。
「うむ、提案した私が言うのもなんだがそろそろ弱音を吐きたい気分になるな」
「しかし、この泳法は腰、臀部、太ももをよく引き締め、更にバストアップの効果があります」
カスミさんのこの一言が切っ掛けとなり。
「「む!」」リサと会長が同時にそう言うと一瞬顔を見合わせて。
「リサ君、そろそろ休んだらどうかね?」
「いえいえ、あたしは若いから大丈夫よ。会長こそ休んだらどう?」
「なんの、なんの、私とてまだ小娘だよ。大丈夫だ」
「「ふふふふふ……」」
などと引きつり気味の作り笑いを浮かべて女の戦いを始めたのだ。
実のところ自分に回ってこなければ少しの間は沈んで浮かんでを繰り返して楽をできるのだが、段々と俺とカスミさんを無視して二人でのボールのやり取りとなっていく。しかも「済まん、手が滑った!」などとわざとらしい嘘を吐き、遠くにボールを放ったりするものだから無駄に疲れる事となるのだ。
男には男のプライドがあるように、俺には解らんが女にも女のプライドがあるのだろう。
「「うっ……」」
やがて限界を超えたのか二人ほぼ同時に足を吊ってプカリと水面に浮かぶ事となる。
それを見てカスミさんがフッと鼻で笑った。冷たい、それでいてどこか嬉しそうな笑顔。
もしかすると、この人はこうなる事を予想して発言したのかもしれない……。
「さて、そろそろ本日のメインイベントと行こうか」
「今までは何だったんだって感じの進行はどうかと思いますよ」
俺とカスミさんで二人を救助して少し休憩をした後、俺のツッコミを華麗に無視した会長が何事もなかったかのようにそう切り出した。
「カスミ君、アレを…」
「ハッ」
会長に催促されたカスミさんがいつの間にか手にしていたリモコンの様な物のボタンを押す。すると、何やらプールから鈍い機械音が響きだす。水面が激しく波立ち始める。底がせり上がっているのだ。
「この状況に驚かない自分に驚いたりしてる訳ですが、この学校って何でもありなんですね」
「ふふふ、このぐらいのギミックは基本中の基本だよ」
「何かやるんすか?」と加えて俺が尋ねると「まあ、聞きたまえ」と右手で制される。
そして……。
「諸君! 私は生徒会会長の守上院 鏡花である!」
彼女は大きく芝居がかった仕草で右手を振りかざす。よく通る美しい声であった。その声にその場の皆が彼女に視線を向ける。
「これより生徒会主催の『水上騎馬戦決闘』を行わせて頂く! 参加希望者は二人一組のペアを作って副会長より帽子を受け取る事!」
この言葉を聞き、辺りがざわつき始める。
「ルールは至って簡単である。無手であれば手段は問わん、騎手の被る帽子を取るか落馬させれば勝利となる。そして他全てを倒し生き残った一組を優勝者とする!」
会長がここで一度言葉を切った。すると続きを聞き逃すまいと周囲が静まり返る。
「優勝者には賞品として生徒会予算より金一封…」
おお! と数名が歓声を上げた。
「生徒会が責任を持って貴方の恋を全力でサポート…」
きゃああ! 主に女の子の歓声が多かったようだ。
「はたまた、私からの熱いキッス。無論、舌入れOKだ! の、いずれかから選べ!」
うおおおおおおおお! 地面が揺れんばかりの大歓声だった。
「んー、タケルと組むと何か負けそうよね」
「うっさいよ。変なフラグ建てるんじゃないよ」
俺としては参加しないで眺めていようと思っていたのだがリサの説得――主に腕力にものをいわせて――によって彼女の馬役を務める事となった。
「ところで、お前は何が欲しいんだ?」
「これと言って欲しい物はないけど会長と決着付けたいじゃない」
女って奴はこれだから……。戦いの結果が勝ちだろうが負けだろうが、例え引き分けであろうとも終わったら『いい勝負だったな。またやろうぜ!』で、いいじゃねえか。
「じゃあ、賞品は俺が貰うぞ。……そうだな、やっぱり恋愛サポートがいいかな。うんうん、俺の生徒会ハーレムを全力でサポートしてもらう事に……グッ…」
言い終わる前にリサに両脚でチョークスリーパーを喰らう。この野郎、そんな事すると反撃に太ももを吸っちまうぞ。
そう、普通ならペアの騎馬戦だとオンブという事になるのだろう。しかし、俺とリサは肩車か肩立ちでやる方針となったのだ。不安定な体勢ではあるが、俺もリサもバランス感覚には自信があった。それに、こういう種目は高さがものを言うのだ。
「そろそろ始めるぞ。試合時間は延長なしの十分間だ!」
会長がプールサイドに立ち参加者に呼び掛ける。
「あれ? 会長は参加しないんですか?」
「私は主催だ。参加してどうする?」
「いや、話の流れ的にそう思ったんですが……」
「ふむ、キミは偶に『話の流れ』とか『展開がどうだ』とか不思議な事を言い出すな」
これは俄然、やる気が出てくるってもんだ。どうせ会長スゲー話なんだろ、みたいに思っていたので先に述べた通りやる気がなかったのだが、そうとなると話は変わる。
「んー、何かやる気なくなっちゃったかな……」
「ふざけんな!」
俺を強制参加させた当の本人の言葉に対して思わず感情的になってしまう。
「何よ、タケルだってやる気なさそうだったじゃない」
「うるさいよ。会長が出ないってのなら話は変わんだよ!」
もはや賞品とかはどうでもよかった。会長が出る→どうせ負ける。会長が出ない→フハハハ!名前も無いようなモブ如きに主人公様が負けるはずがない! リサが「そんなに賞品が欲しいの?」なんて呆れていたが、そんな事は今の俺の耳には入らないのだ。
そう、入学式より連敗続きで苦節三か月……。ついに、ついにこの時がやってきたのだ!
念願の初白星!
立ち上がれ俺、勝利のために!
スタンダップ・トゥ・ザ・ビクトリーだ!
会長がホイッスルを口に咥える。そして強くそれを吹いた。決闘開始の合図である。
「フハハハハ!」
「ちょっ、ちょっと! そんなに頑張ると落ちちゃうわよ!」
やる気マックスの俺は笛が鳴ると同時にバタフライの様に腕を動かして勢いよくモブどもに迫りよる。バジャン、バジャンと俺の手が大きく水しぶきを上げる。リサが抗議したがそんな事はお構いなしだ。
「フハハハハハハ!」
まずは最初の犠牲者である最寄りのモブに高笑いをしながら接近する。そして急停止。呆気にとられる相手をよそに俺は一旦水面に潜るとジャンプ、そして俺が相手の帽子を取る。その後、素早くその場を去る俺たち。
「フーッハッハッハー!」
「だから危ないでしょって、あたし落ちてもいいの?」
「リィサァァア! 俺の上はお前に任せたぞォオオ!」
「ちょっ……」
両足を俺の脇の間に絡め俺の頭に必死にしがみつくリサ。少し苦しかったが俺は構わず次の犠牲者に近づくのであった。
次々に帽子を奪っていく俺。しかし、五個ほど奪取した頃、余りに無駄な動きが多かった為に流石に疲れてくる。やがて俺の妙なテンションに周囲は引いたのか、俺が近付くと逃げるようになっていた。 それを利用して一旦、休憩をする事に。
「あたしがいるってのに、そんなに恋愛サポートとやらが欲しいわけ?」
不機嫌そうな声のリサ。実の所、彼女こそ今回の最大の難敵であった。
「……そんなのはどうでもいいんだよ、リサ」
「え?」俺の穏やかな声を聞き、彼女が戸惑いの声を上げた。
「俺はこの戦いに勝ちたいだけなんだ」
途中で裏切られても困る。後一組なんて時に降りられでもしたら洒落にならん。だから、俺の勝利のためにはリサを懐柔しておく必要があった。
「そうだな、賞品は金一封でも貰おうぜ? で、その金で週末デートでもしよう。いや、この戦いに勝てたら……。お前が嫌じゃないのなら……。俺とデートしてください」
我ながらずるいやり方だな、と思った。できるだけ穏やかで、誠実そうな声でそうリサに告げる。だが、約束を違えなければリサだって問題ないはずだ。
少しの沈黙。俺の肩に掛かる彼女の脚の力が少し緩むのを感じた。
「うん……、デートしよ……」
俺からは彼女の表情は見えなかったが、今、リサは頬をピンク色に染めて乙女チックな顔をしているはずだ。
くっくっく、落ちたな。思わず下を向いてニヤリとしてしまう。
「我らこれより修羅に入る。仏と会えば仏を斬り! 鬼と会えば鬼を斬る!」
「「情を捨てよ! 目指すは優勝あるのみ!」」
見事にハモル俺たち。リサの体――筋肉の動きから本気になったのを感じる。俺の肩を台に立ち上がる彼女。その状態で二人とも腕を組み周囲を見渡す。
俺たちを危険人物と認定したのだろう。このやり取りの間に四組の騎馬に俺達を中心に円を描くように囲まれていたのだ。
「我らは水泳部連合! 卑怯だとは言わんでくれよ。勝負とは非常なのだ」
水泳部連合と名乗った誰かがそう言った。しかし、俺たちは無言で見下すような視線を彼らに向けるだけだ。
「一斉にかかれ!」
それを二人同時にフッと鼻で笑う。
四方から騎馬が勢いよく俺たちに迫ってくる。相手との距離が近まった。
正面から向かってくる騎馬の横を俺が通り抜ける。通り抜けざまにリサがそいつの帽子を蹴り上げる。宙を舞う帽子。俺がキャッチをした。
――一つ!
「見えない……蹴り……だと……」
そして、リサが伸身で後方に高く宙返りをする。呆気にとられる残り三組の騎馬。俺も素早く向きを変えると振り向きざまに大きく右手を伸ばし帽子に手を掛ける。
――二つ!
「な、なんとー!」
リサが相手の騎手の頭に着地すると帽子を足の指で掴みまた跳ぶ。
――三つ!
「俺の頭を……!」
素早く四人目に詰め寄り俺が帽子を強引に奪う。
――四つ!
「か、母さん、助けて……!」
スチャッと俺の肩に戻るリサ。
見たか! 幼馴染の以心伝心を!
「「お前たちの敗因は唯一つ……。俺を敵に回した事だ」」
彼らが派手な音を立て水面に沈んでいったのは俺たちが静かに言い放つのとほぼ同時だった。
俺たちの快進撃は続く。次々と帽子を奪い最後の一つとなる。
最後は女の子のペアだった。俺たちに恐れをなして逃げる騎馬。しかし、隅に追いやり勝利は目前となる。
「やめて……。こっちに来ないで!」
追い詰められ恐々とする彼女たち。
しかし、非常にもこれは決闘だ。俺たちもここで引く訳にはいかない。
「女の子に狼藉を働くのは忍びない。自害せよ!」
仁王立ちのリサがそう宣告する。それに無言で頷く俺。
「三秒待ってやる!」
と、リサが言い放つのと終了のホイッスルが鳴ったのは全くの同時であった。
「残念ながら時間内に決着が着かなかった為、無効試合とさせてもらう」
決闘終了後、参加者を集めてそう会長が宣言した。
露骨に残念そうな俺たちを見て、俺たちに倒された奴らは妙に機嫌良さそうにしていた。
「ちょっとー! どう考えてもあたしたちの勝ちでしょ!」
「しかし、生き残った最後の一組のみが勝者となると最初に明言したではないか」
「だからって、後ちょっとぐらい待ってくれてもいいじゃない!」
「制限時間もきちんと明言してある。よってキミの主張は無効だ」
「そんなのないよ! 今回の決闘には……あたしのデートも懸かってたんだから……」
「個人間のやり取りに私は一切口を挟む気はない」
リサが激しく抗議したが会長はそれを冷たくあしらってしまう。俺はと言うと『こういうオチかよ!』みたいな感じで当初、憤慨していたのだが今は虚脱感で一杯であった。
「そろそろ授業も終わりだ。各自着替える前にはよく体を洗うように」
こう言ってカスミさんを従えて更衣室に向かってしまった。
しかし、俺は見た。振り向きざまに思いっきり『してやったり』って表情でニヤリを俺の方を見た会長の横顔を……。
それを見て理解してしまった。会長は最初から賞品を出す気などなかったって事を。要するに最初から優勝者など出す気などなかったのだ!
考えてみれば二十組以上が参加するイベントの時間が十分なんて短すぎるんだよ。畜生、そんな初歩的な事に気が付かなかったなんて……。俺は何て馬鹿なんだ!
俺は当初、勝つには勝ったが金一封が百円位って言う、勝ったんだか負けたんだか解らないような決着を予想していたのだが、結局は彼女の掌で踊らされた形。こういうパターンの会長スゲー話かよ。
クソッタレが!




