プロローグ
プロローグ
譲り合いは美徳。――確かにその通りだ。
恵まれない人に愛の手を。――実に美しいコピーだ。
人の嫌がることは辞めましょう。――当然の話だ。
しかし、現世の何と儚きことか。人は利害が絡むとすぐそれを忘れてしまう。
しかし、人の世の何と悲しきことか。人は実に欲深い生き物だ。
所詮、この世は弱肉強食。所詮、人は他人を救いはしない。只、弱った者を喰らうだけだ。
嗚呼、人よ、猛々しくあれ! 嗚呼、人よ、唯、唯――強くあれ!
これは――そういうお話だ!
「校長!」
廊下を歩く、校長と呼ばれた筋骨隆々のハゲ――つまりは熊谷 良太郎を呼びとめたのは、これまた大柄で体格のよいヒゲ――つまりは『一ノC』担任である古谷 一鉄であった。
「何かね? 古谷君」
熊谷校長は腕組み仁王立ちで振り返るとそう古谷教諭に返答した。
「校長! 前々からの検案である旧スク水復活に就いて再審議を!」
そう野太い声でファイティングポーズを取りながら古谷教諭が告げる。
「その検案は現行の競泳型スク水を採用する事で決着が着いたはずだが? こちらの方がワシの好みでもあるのでな」
それに対して、やたらとドスの効いた重低音を響かせて熊谷校長は彼に返事をした。
「旧スク水の復活こそ私の悲願! 何とぞ……、何とぞご再考の程を!」
しかし、古谷は引かない。やたらと大げさな身振りをしながら彼にこう懇願する。
「ふむ、職員全体会議――主にワシの一存で決めた検案に対しキミは不服があるという事か?」
古谷が無言で頷く。それに対し熊谷は大きく一回だけ頷くとこう宣言した!
「よろしい。ならば我が校、校則第一条に則り『決闘』をしようではないか」
「おうよ!」
その言葉を聞くと古谷は腰を落とし姿勢を低くすると自らの目線と平行になるように両腕を上げファイティングポーズを取り直す。
それに対し熊谷は構えない。仁王立ちで腕を組んでいるだけだった。
しばらくのにらみ合い。古谷の額に冷たいものが走る。彼は動かない。全身の筋肉を緊張させ必殺のタイミングを図る。
熊谷も動かない。ただ、威圧感のある目で古谷を睨みつけているだけだ。
古谷はこの感覚に身に覚えがあった。圧倒的な力量差のある相手と対峙した場合いつもこうなのだ。しかし、古谷は覚悟を決めた。彼には負けられない理由があった。それは信念とも言って差し支えは無いだろう。即ち、旧スク水こそ唯一であり、また至高であると。
自分は矢だ。あるいは弾丸でもいい。
古谷はそう自分に言い聞かせるように心の中で呟くとゆっくり両の膝を曲げバネを作る。そして、物を言わぬ熊谷を再び睨みつけるとやや前のめりの体勢となり頭が地面に着くのではないか、と言う頃、雄たけびと共にタックルを決める。
古谷のタックルは彼の容姿からは想像もできないほど俊敏なものであった。ドスンと大きな音を立てて自らの肩を熊谷の腹に当て両腕を彼の腰に回すとそのまま手を握りロックした。
――まるで大木だ……。
古谷は思う。熊谷は自分より大柄で重量もあるのだろう。しかし、自分とて80kgの体重がある。標準的な体格であれば男女問わずに肩が当たった瞬間に後ろに吹き飛ばされる程の、とても重いタックルだったはずだ。しかし、彼はよろめくどころか一歩たりとも下がっていない。この状況でこの体制は危険だ。本能がそう告げていた。
「古谷君、悪くはなかったが、まだまだのようだな。相手が倒れないのであればすぐに離れるべきであった。」
それが死刑宣告だった。熊谷は自らの腕を解くと古谷の両脇に素早く腕を回していく。
「畜生、畜生、畜生!」
もう自分ではどうにもする事はできない。後は刑の執行を待つだけとなる。熊谷の丸太のような両腕が自分の胸部に回りがっちりとロックされたのを感じた。
「良い子のみんなは大変危険なので絶対に真似しない事」
熊谷はそう言いながら腰を落とし古谷の腰のあたりまで腕を滑らした。そして彼の体を強引に、そして力任せに引っこ抜く。
宙に浮く感覚。古谷の視界が天井を捉えた。何とか熊谷の肩に脚をかけようともがく。しかし、熊谷は甘くなかった。天井が急速に近づいてきた。彼に引っこ抜かれた反動のまま尻、脚と腕をすべらせて両の足首を掴まれたからだ。少しの間の天井とのデート……。今度は急速に天井が離れていく。つまりはパワーボムだ。
廊下に鈍い音が響く。そして古谷教諭は意識を失った。
「古谷君、これにて今回の『決闘』の決着とさせてもらう。以後はこの件についての再審議には一切受け付けない。解ったかね?」
そう言い残し、熊谷はのっしのっしとその場を後にした。もちろん今の古谷にその言葉は届かない。しかし、そんな事は熊谷にとって些事であったし、古谷にとっても言われるまでもない事であった。
「俺は……負けたのか……」
しばらくして覚醒した古谷は廊下に寝そべりながら、そう呟く。頭が割れるように痛む。この感覚は恐らくは出血しているのだろう。
自分が発した言葉を耳にして目から熱いものが溢れるのを古谷は感じた。これは痛みからではない。否、心の痛みから発せられたものである。
彼は嗚咽を漏らした。もうすぐ三十路だと言うのに涙を拭いもせず、嗚咽を隠そうともせず、その場に佇んだ。これは慟哭と言うものに違いない。
「……畜生、競泳スク水なんて邪道だ……」
やがて古谷は立ち上がり、はき捨てるようにそう言うとその場を後にした。
私立『修羅之学園』掟第一条、学校及ビ個人間ノトラブル又ハ不満ハ『決闘』ヲ以テ決着トスルベシ。『決闘』ノ方法ニツイテハ原則トシテ、応ジタ者ガコレヲ決定スル事トスル。尚、決着ガ着イタ検案ニツイテハ、全テニオイテ勝利者ノ言ヲ正義トスル。
登場人物紹介
風間 猛
……本編主人公。様々なアクシデントに巻き込まれる。
車田リサ(クルマダ リサ)
……猛の幼馴染で彼とほぼ同居している少女。
守上院鏡花
……修羅之学園生徒会長。猛を厄介事に巻き込みたがる。
山城香澄
……生徒会副会長。クールな眼鏡っ娘。
南 真琴
……生徒会会計。頭のネジが一本足りていない元気少女。
花山胡桃
……生徒会書記。ほぼ空気な文学少女。
横山甲斐
……猛のクラスメイトのチャラ男。




