第六章 花嫁巫女の檻
翌朝、私は“花嫁巫女の部屋”から出られなくなった。
禰宜が決めたのだと言われた。荒魂が騒ぐから、穢れを避けるためだと。
廊下の両端には、見回りの若い神職が立つ。
式部はいつも通りの顔で通るが、目だけが忙しく動いている。
鈴緒はというと、見回りの神職の前でやたら明るく振る舞い、わざと大きな声で雑談をしていた。
「最近ね、裏の井戸の水が冷たくてねえ。わたし、歯がキーンってなっちゃって!」
「……鈴緒さま、声が大きいです」
「大きい? 神さまにも聞こえるようにしてるの。神さまは耳がいいから!」
見回りの神職が困った顔をする。
鈴緒はそれを見てさらに話す。
あれはきっと、私の部屋の前に立たせないようにしてくれている。
――無茶してる。
でも、鈴緒の無茶は、私を生かす無茶だ。
午前の祓いを終えたころ、襖が静かに開いた。
薫が入ってきた。
凛とした佇まいはいつも通りなのに、目の下が少しだけ陰っている。
昨夜、彼女は“見なかったことにする”と言った。
今、その代償を払っている顔だ。
「桜。少し話す」
鈴緒が身を固くする。
薫は鈴緒を一瞥しただけで、優しくも冷たくもない声で言った。
「鈴緒、外で見張って」
「……はい」
鈴緒が出ていく。襖が閉まる。
部屋が静かになると、私の心臓の音がうるさいほど聞こえた。
薫は畳に正座し、私を見た。
「昨夜のこと。……あなたは後悔してる?」
唐突で、私は息を止めた。
「……してない」
嘘じゃない。
怖いけど、後悔はしていない。
あれがなかったら、私はまた“器”に戻っていた。
薫は少しだけ目を細めた。
「そう。……なら、あなたは強い」
「強くないです」
私が言うと、薫は小さく笑った。
笑い方が、初めて“同じ年の女”に見えた。
「強くないのに、選んだ。……それが強さよ」
私は黙った。
薫は続ける。
「芙蓉は敵になる。あの人は恋のためじゃない。――立場のために動く」
「……私を、潰したいんですか」
「潰すというより、“使う”」
薫は淡々と言った。
その淡々が、逆に怖い。
「花嫁巫女が穢れたとされれば、儀は別の巫女に回る。……その候補は、私かもしれない」
私は息をのんだ。
薫はまっすぐ私を見た。
「だから言う。私はあなたを庇う。……でも、あなたも覚悟しなさい。あなたが生きたいなら、誰かの“正しさ”を壊す」
式部が言ったのと同じことだ。
薫の口から聞くと、胸の奥が痛い。
「薫は……どうして庇ってくれるんですか」
薫は少しだけ視線を落とした。
「……羨ましいと言ったでしょう」
その声が、わずかに震えていた。
「私は、正しさに従ってきた。従っていれば、迷わずに済むから。……でも迷いのない人生は、幸せじゃないのかもしれないって、昨夜あなたを見て思った」
私は言葉を失った。
薫がこんなことを言うなんて。
「桜。あなたが選んだ“幸せ”が、もし叶うなら……それは私にとっても救いになる」
薫はそう言って、懐から小さな紙包みを出した。
中には細い白い紐――お守りの結び紐が入っている。
「これを、袖の内に結びなさい。……芙蓉が何か仕掛けても、あなたが倒れないように」
「……ありがとう」
私が言うと、薫は小さく頷いただけで立ち上がった。
「最後にひとつ」
薫は襖に手をかけたまま言った。
「あなたは、殿下の言葉を信じた?」
「……信じたい」
「信じるなら、殿下を一人で戦わせないで。……あなた自身が、あなたの幸せを掴みに行きなさい」
襖が閉まり、薫は去った。
私は袖の内に結び紐を隠した。
そして髪の簪に触れる。
私が生きる理由は、幸せになること。
そのために――私は自分の足で立たなければならない。




