第二十四章 評定の場で、私はもう器じゃない
評定の間は、昨日の儀の場より寒かった。
香の匂いが薄い分、言葉の匂いが濃い。
禰宜、神官、役人、そして秋仁。
私は秋仁の少し後ろに立つ。花嫁巫女としてではなく、“当事者”として。
禰宜が最初に口を開いた。
「殿下。昨夜の儀は、確かに奇跡めいた現象がありました。
だが奇跡は、必ずしも善とは限らぬ。……人を惑わす現象もまた、奇跡の形を取る」
遠回しな言い方。
要するに「まやかし」だと言いたいのだ。
秋仁が淡々と返す。
「ならば問う。禰宜。――眠りの香は、善か」
場が一瞬止まる。
禰宜の顔色が変わる。
「……清めの一環だ」
「拘束の一環だ」
秋仁の声は冷たい。
「花嫁巫女を眠らせ、運ぶ。
その行いが神域の清さなら、私はその清さを疑う」
禰宜が唇を噛む。
「殿下、あなたは――花嫁巫女に心を奪われている」
場がざわめいた。
言葉で秋仁を刺す。私を使って秋仁を削る。
私は息を止めた。
ここで秋仁が怒れば、禰宜の思うつぼだ。
秋仁は、怒らなかった。
「奪われていない」
淡々と答え、続ける。
「私は、自分の意志で選んだ。
花嫁巫女が“器”ではなく“人”であることを」
禰宜が鼻で笑う。
「人であれば、なおさら穢れる。欲を持つ。……それが巫女の弱さだ」
私は、息を吸った。
ここで私の言葉が必要だ。
秋仁の言葉だけでは、私は“守られる器”に戻ってしまう。
私は一歩前に出た。
「……禰宜さま」
声が震えた。
でも、言う。
「欲は、穢れじゃありません」
禰宜が睨む。
「花嫁巫女が口を挟むな」
「挟みます」
私は言った。自分でも驚くほど、はっきり。
「私は生きます。生きて祈ります。
生きて幸せになります。……その幸せが、誰かを救います」
場がざわつく。
役人が眉を寄せ、神官が息を呑む。
私は続けた。
「私はずっと、誰かのために祈ってきました。
でも私が空っぽになったら、祈りも空っぽになります。
だから私は、自分を生かします」
胸が熱い。
でも止まらない。
「人は、幸せになっていい。
私が生きる理由は、幸せになること。それ以外にありません」
禰宜が言い返そうとした。
でも、その前に――芙蓉公主が静かに口を開いた。
「禰宜さま。ひとつ、よろしいかしら」
禰宜が苛立った顔を向ける。
芙蓉公主は淡々と続けた。
「昨夜、祟り神は“忘れられた”と申しました。
血で思い出させるしかないほど、忘れられたと」
場が凍る。
禰宜が一瞬、言葉を失う。
芙蓉公主は、扇を開かずに言った。
「それはつまり、血の鎮めが“祟りを育てた”可能性を示すのでは?
恐れを与え続けた結果、祟りはより強くなる。
……ならば昨夜の“生きる誓い”が、より正しい鎮めだったと考える余地はあります」
禰宜が歯を食いしばる。
芙蓉公主が禰宜側の“理屈”を代弁するはずだったのに、理屈で禰宜を追い詰めている。
秋仁が結論を落とした。
「よって、決める。
常若の儀は改める。
花嫁巫女制度は“死”を前提としない。――誓い直しの儀とする」
そして、秋仁は禰宜をまっすぐ見た。
「禰宜。今後、眠りの香の使用は禁止。
巫女の拘束は禁止。
破れば、記録のもと、裁かれる」
裁かれる。
言葉が重い。
秋仁は本気だ。
禰宜は顔を歪め、最後の抵抗を吐いた。
「殿下は、神々を怒らせる!」
秋仁が言い切った。
「怒るなら、怒らせていい。
その怒りが“人を殺せ”という怒りなら、私は受け入れない。
神域は、人が生きる場所だ」
評定の場は、沈黙に包まれた。
そして私は、震える足で立ちながら思った。
世界はすぐには変わらない。
でも、変わる一歩は――確かに今、踏み出した。




