第二十二章 眠らない夜の、約束のしかた
儀が完全に解散したのは、夜明け前だった。
秋仁の滞在所へ戻る途中、空が薄く白んでいく。
満開の桜は、夢のように消えてしまったけれど、花の匂いだけはまだどこかに残っている気がした。
部屋に入ると、鈴緒がまずへたり込んだ。
「つ、つかれた……! 桜さま、わたし、今日から“祝福係”になります……」
「祝福係ってなに」
「祝福を切らさない係です!」
鈴緒が真顔で言うから、私は笑った。
笑った瞬間、身体の奥の緊張がやっと抜けて、膝が少し震えた。
薫がため息をつきながら言う。
「鈴緒、寝なさい。……あなたの声が元気でも、桜の体は限界よ」
薫は厳しいのに優しい。
鈴緒は「はーい」と言いながらも、まだ目がきらきらしている。
式部はいつも通り無表情で、護衛に短く指示を飛ばしていた。
「外周を厚く。禰宜側が“最終手段”に出る可能性がある。……火も水も警戒しろ」
火も水も。
その言葉が、現実の怖さを連れてくる。
秋仁が、私の肩に外套をかけた。
「桜、座れ」
命令じゃない。優しい命令。
私は畳に座った。
指の鈴を撫でると、鈴が小さく鳴った。
ちりん。
その音が、やけに涙腺を刺激した。
生きている音だ。
秋仁が私の前に膝をつく。
「……怖かったな」
私は頷く。
「怖かった。でも……言えた」
「言えた」
秋仁は繰り返して、私の指先の鈴を見た。
「鳴らした?」
「今、ちょっと」
「その合図は、いつでも使え」
秋仁の声が少しだけ震える。
「俺は皇子だ。強い立場だ。……でも、お前の前では強いふりをしたくない」
私は息を止めた。
秋仁が“ふり”という言葉を使うのが、意外だった。
「お前が折れそうになったら、鈴を鳴らせ。
俺が折れそうになったら……」
秋仁は言葉を切って、少しだけ眉を寄せた。
「そのときは、何をしたらいい」
私は胸に手を当てた。
秋仁は優しい。
優しさで世界に刃を向けるほど、優しい。
だから、止める言葉が必要だと言っていた。
私は言った。
「秋仁が折れそうになったら……私が言う。幸せになっていいって」
秋仁の目が揺れる。
「俺に?」
「うん」
私は頷いた。
「秋仁も幸せになっていい。……私の幸せだけじゃなくて、秋仁の幸せも」
その瞬間、秋仁の表情が崩れた。
泣きそうなのに泣かない顔。
秋仁は小さく笑って、私の額に額を寄せた。
「……ずるいな」
「お互いさま」
私が言うと、秋仁は息を吐いた。
「生きてから返事を聞くって言った。……聞けた」
「うん」
「だから今度は、俺の番だ」
秋仁は私の指の鈴をそっと持ち上げ、真剣に言った。
「俺は、お前を幸せにする」
断言。
でも、押しつけじゃない断言。
「ただし」
秋仁は続けた。
「お前が“幸せになっていい”って自分で思えるようにする。
俺が与える幸せじゃなくて、お前が選ぶ幸せを守る」
私は胸がいっぱいになった。
「……それが、一番難しいのに」
「難しいから価値がある」
秋仁は言って、私の手に軽く口づけを落とした。
その場面を、鈴緒が絶妙な距離から見ていた。
「……あの、お取り込み中にすみません!」
「鈴緒」
薫が即座に睨む。
「でも! でもね! 桜さま! わたし、言いたい! 桜さま、生きてくれてありがとうございます!」
鈴緒が泣き笑いで叫んで、私は耐えきれず笑いながら泣いた。
泣いてもいい。
倒れなければいい。
秋仁が私の背中に手を当て、ゆっくりさすってくれる。
その温度が、世界を現実にする。




