第二十一章 翌朝、世界はすぐには変わらない
満月の儀が終わっても、夜はすぐに終わらなかった。
桜吹雪は静かに舞い続け、灯は揺れ続け、皆の心臓も――まだ落ち着く場所を探していた。
私は秋仁の指に結ばれた桜の鈴を、何度も確かめるように撫でた。
鈴は鳴らない。鳴らさなくても、そこにいる。
「……桜」
秋仁が私を呼び、少しだけ身を屈める。
私は頷いて、彼の袖を握った。
幸せは、今夜の花吹雪みたいに一気に降ってきた。
でも――幸せが降ったからといって、世界がすぐに優しくなるわけじゃない。
禰宜が立ち上がり、震える声で言った。
「……これは、まやかしだ」
その一言で空気がまた硬くなる。
祝福が、疑いに変わろうとする。
「花が舞ったからといって、常若の道を変えていい理由にはならぬ。殿下、あなたは――」
秋仁が、静かに禰宜を見た。
「理由なら、今夜ここにある」
秋仁の声は冷たいわけじゃない。
ただ、揺れない。
「花嫁巫女が死なずに祈れること。祟りが“血”ではなく“誓い”で退いたこと。――それが理由だ」
禰宜は唇を噛んだ。
「……祟りが退いたなど、まだ断言できぬ。祟りは狡い。人の油断を待つ」
その言葉に、背筋がひやりとした。
確かに祟りは完全に“消えた”とは言い切れない。
最後にあれは言ったのだ。
――見せろ。お前の幸せを。
秋仁が一歩前へ出る。
「だからこそ、これから“見せ続ける”」
秋仁は宣言した。
「常若の儀は、命を奪う儀ではなく、命を更新する誓いの儀とする。
巫女は二十の年に“死ぬ”のではない。――生きて誓い直す」
どよめきが起きる。
巫女たちの中にも、泣きそうな顔をする人がいた。
怖い顔をする人もいた。
でも私は、胸の奥で何かがゆっくりとほどけていくのを感じた。
死ぬための二十歳じゃない。
生きて誓い直す二十歳。
それなら、私は生きていい。
秋仁は続ける。
「今夜のことは記録官が記す。隠せない。
誰かが『まやかし』と言うなら、私はその言葉ごと記録に残す。
そして次の常若で、また同じ花道を作る。――命でなく、祝福で」
記録官の筆が走る音が、やけに大きく聞こえた。
禰宜は、言葉を失った。
怒りと恐怖が混ざった顔で、私を睨む。
私は睨み返せない。
でも、逸らさない。
生きるって、こういうことだ。
誰かの正しさに飲まれないで立つことだ。
そのとき、列の端で芙蓉公主が、扇をそっと閉じた。
いつもなら口元を隠す扇を――閉じて、目を伏せた。
それが、なぜか私には「今夜はここまで」という合図に見えた。
薫が私の隣に来て、小さく囁く。
「……終わった、わけじゃない」
「うん」
「でも、始まった」
私は頷いた。
終わりじゃない。
これからが、“生きる儀”の始まりだ。




