第十二章 薫の部屋、檻の外
薫の部屋は、花嫁巫女の部屋よりずっと簡素だった。
飾りも少なく、香も薄い。畳の匂いがそのまま残っていて、息がしやすい。
「座って」
薫がそう言って、私の前に湯を置いた。
白湯。余計な味のしない、熱だけの飲み物。
私は両手で湯呑みを包んだ。熱が掌から腕へ伝わって、ようやく自分の体が戻ってくる。
「……顔合わせ、よくやった」
薫の声は相変わらず淡々としているのに、言葉の端が少しだけ柔らかい。
「怖かった」
私が言うと、薫は頷いた。
「怖いに決まってる。……怖くないふりをするのが“正しさ”だったのよ、今まで」
薫は畳を見つめたまま言った。
「私たちは、祈ることに慣れすぎた。祈れば誰かが救ってくれると、どこかで信じてた。……でも現実は、祈りだけじゃ変わらない」
私は湯呑みを握り直した。
「薫は、いつも正しい側にいると思ってた」
「正しい側にいれば、迷わずに済むから」
薫は短く笑う。ほんの一瞬で消える笑い。
「迷わずに済むって、楽よ。……でも、楽なだけの人生は、幸せとは違う」
私は胸の奥がきゅっとした。
薫が、こんなふうに言う日が来るなんて。
「……桜」
薫が私を見た。
「あなた、殿下を見た?」
「……見た」
正確には、簾の向こうの気配を見た。装束の“皇子”の奥に、私の知ってる“秋仁”を見た。
薫は小さく息を吐く。
「いい。見たなら、忘れないで。……殿下は今日、あなたを守った。だけど守るって、ただ抱え込むことじゃない。殿下が背負えば背負うほど、殿下は潰れる」
私は芙蓉公主の言葉を思い出した。
優しい人ほど潰される。
「……私が守るには、どうしたらいいの」
薫は私の髪の簪に視線を落とし、ゆっくり言った。
「生きること。……そして、言葉を持つこと」
「言葉」
「そう。花嫁巫女は、祈りの言葉は覚える。でも“自分の言葉”は教えられない。……あなたは今日、それを言った。だから敵はあなたの口を塞ぎたくなる」
私は背筋が冷えた。
「口を……」
「噂。監禁。病。事故。――色々ある」
薫は淡々と言う。淡々としすぎて、逆に現実味が増した。
そのとき、外の廊下で足音が止まった。
式部の気配。扉の向こうで、低い声がする。
「薫さま。……殿下より伝達」
薫が立ち上がり、襖を少し開ける。
式部が影のように立っていた。
「今夜、殿下が“鎮めの文”を確認する。花嫁巫女・桜も同席させたい、と」
薫の眉がわずかに動く。
「今夜? 危険よ」
「危険でもやる」
式部は短く言った。
「今日の御殿で、保守側は面子を潰された。……動くなら今夜か明日だ。殿下は先に動く」
薫は一瞬だけ目を閉じ、頷いた。
「わかった。……桜、行ける?」
行けるか、と聞かれて、私は自分の心臓を確かめた。
怖い。けれど、行かない方がもっと怖い。
「行きます」
薫は小さく頷く。
「じゃあ、準備して。……鈴緒も呼ぶわ」
私は湯呑みを置いた。
手のひらの熱はまだ残っている。
その熱で、私は立つ。




