人間オセロ
オセロモチーフの話。pixivにも上げてます
ベッドの上、布団を被ったままぐったりしている横で、スマホの画面が光る。画面にはLINEの通知。表示された『まさと』の文字。ゆみはスマホに手を伸ばす。
『今学校終わった』
『バイト終わったらそっち行くから』
『うん』
『待ってる』
ゆみは手を下ろして、少し安堵が混じった長いため息をついた。
学校に行けなくなって、そろそろ1ヶ月が経つ。
緑に囲まれたこの田舎街は、初夏を迎えようとしていた。優人と付き合う事になったのは、1ヶ月前の小さな事件からだった。
優人は一年の頃から学内でとても人気で、バレンタインになると女子達が次々と教室に来て、綺麗にラッピングされた箱を差し出す。けれど優人はそれを全て断っていた。
彼女がいるのだろう、相手は誰だろう。女子達は怒ったりうなだれたりして話す。
二年になって、ゆみは優人と同じクラスになった。隣の席で授業中、その整った顔で一見なんでも出来そうに見える、あの学校中で人気の優人が、カバーを裏返して、白いカバーの裏に参考書の名前を書いて、さも教科書であるかのようにしてオカルトの本を真剣に読んでいる。それが面白くて、一度笑ってしまった事がある。彼女もオカルトが好きなのかと聞くと、優人は彼女はいないと答えた。オカルトの方がずっと興味があるのだろう。
美術の授業で海の絵を描いた時、ゆみはそれを夜の海だと言った。白い砂浜にだんだん影が混ざり、黒い、けれどキラキラとした星空が広がっている。ゆみはまじまじと絵を覗き込んでくる優人に、どうしたのかと聞く。優人は、すごく綺麗だと言った。ゆみはどうかな、と首を傾げて口を歪めたあと、銀の絵の具で星々の間に小さく、円盤とニョロニョロした物体を描いた。
これ宇宙人ね。優人にこっそりそう言ったが、ゆみは自分でやっておいてツボってしまい、笑いが止まらなくなって、結局教師に真面目にやれと怒られた。
それから、授業中に優人が今読んでいる本の内容をノートに書いて見せてきて、ゆみがそれの絵をノートの上の方に小さく落書きする、という小学生みたいなやり取りをするのが日課になった。
ゆみは一度ふざけて、ノートに5本線を引いて、丸バツゲームをしようとした。けれど優人があっさり勝ってしまって、悔しかったので、その横に黒いローブを着た人物を描き、矢印を付けて、『陰謀論者』と殴り書きをした。優人はクスクス笑って、陰謀論者はそんなものじゃないとノートに書いて見せようとしたが、ゆみは拗ねて無視した。
三年になってもそれは変わらなかった。そろそろ受験の時期だからと、周りは真面目に授業を受けるようになった。けれど優人は相変わらずオカルトの本を読んでいて、ゆみも進路についてはあまり考えていなかった。
昼休み、2人は食べ終えた弁当箱を机に出したまま、スマホでオセロの対戦ゲームをしている。あの丸バツゲームを思い出して、リベンジしようとしていた。友達はなんだかんだ彼氏が出来て、昼も帰りも一緒になる事がなくなった。優人は相変わらずだ。余り物の2人は、クラスメイトがほぼ出払った教室でゲームに集中していたが、どうやら真剣になっていたのはゆみの方だけで、優人は軽々と連勝し、ゆみはもう一度策がないか考えながら、そういえば、と口を開く。
「優人は進路どうするの?大学行くでしょ?」
「医大を受けようと思ってる。母さんが看護師なんだ」
「へえ、お母さん看護師さんなんだ。優人なら余裕じゃない?授業聞いてないのにテスト学年トップだもんね」
「ゆみは?美大受けるんじゃないのか?」
「そんな大層なとこ行けないよ。今は全然思い付かない」
他愛のない会話の中で、いつの間にか2人は呼び捨てになり、2人で一緒にいる事がそもそも自然になっていた。何人かは2人が付き合っているのでないかと噂して、たまに女子の刺さるような視線を感じて、ゆみは少し鬱陶しかった。
「なあゆみ」
「なに?」
優人がスマホを置く。
「俺、ゆみには絵を描いてて欲しい。授業中に描いてくれる絵も、ずっと見ていたい。だから、」
言いかけて、予鈴が鳴った。ざわざわと生徒達が戻ってくる。
「...放課後話す。掃除終わったら行くから、玄関で待っててくれ」
互いに弁当箱をしまい、けれど2人の間にピンと糸が張ったような空気が流れる。ゆみは心臓の跳ね上がるような感覚と、少しの顔の火照りと、指先が震えている事を、頭の中で否定した。
授業が終わると優人は急いで席を立って、真剣な顔で、すぐ行くからと言って教室を出て行った。ゆみは緊張と怖さを抱えたまま鞄を持って席を立つ。その時クラスメイトの男子から、隣のクラスの坂本という男子がお前を呼んでいると言われ、彼は化学教室にいるから行って欲しいと頼まれた。誰だっただろうか。疑問に思いつつも、ゆみは化学教室に向かう。
教室には1人男子が立っていて、ゆみを見るなり興奮した状態で、腕をがっちり掴んだ。
「俺お前のことずっと好きだったんだ、でもさ、お前も俺の事好きだってクラスの女子に聞いて、だからさ、それなら付き合おうよ、他に付き合ってるやついるって噂あったけどさ、そうじゃないって、だから、」
矢継ぎ早に話す口調はどんどん荒くなっていき、掴まれた腕の力もどんどん強くなる。痛いと言おうとして、机に肘がぶつかり、置いてあったシャーレやビーカーが落ちて割れ、勢いよく床に押し付けられた。腕にガラス片が刺さって血が滲む。逃げようとするが、片手でがっちり抑えられた腕も、膝と太ももで抑えられた足も、全く動かない。男女の力の差を思い知る。
「坂本く、や、めて」
「なんで?好きなんだろ?いいじゃん、ここでしちゃってもいいじゃん、だから人いないとこ選んだんだよ、いいじゃん、このままさ、ね?ね?」
彼の顔が近付いて来て、思い切り顔を背ける。首筋が空いてしまい、そこをべろべろと舐められて、勢いよく制服に手が入って来て、胸をがしがしと掴まれる。動けない、どうしたらいいかわからない、ゆみは精一杯の声でやめてと叫ぶ。
「そんな大声出したら誰か来ちゃうじゃん、静かにしてよ」
再び顔が近付きそうになる。
バン、と大きな音がして、坂本の動きが止まった。息の切れた、けれど聞き慣れた声が響く。
「お前何やってる、ゆみを離せ」
「なん、なんでお前ここにいるんだよ、出てけよ、付き合ってないんだろ、出てけよ、出てけよ...!」
坂本がドン、と手を横に振って、その勢いで机の物が全部落ちる。割れてひっくり返ったアルコールランプの中身が、ゆみの顔にべしゃっとかかった。走る音が聞こえて、体にのしかかっていた体重が全て横に逸れたのがわかる。激しい音がして、坂本のうめき声と、おそらくそのまま倒れ込んだ感覚。見えない、怖い。
「優人...!」
「ゆみ!ダメだ、目開けるな、待ってろ!」
走る音がして、蛇口を思い切り捻って、水が勢いよく出る音。ジャバジャバと、バケツか何かに水が入る音がする。冷たいけど我慢しろ、という優人の声と共に、びちゃびちゃに濡れたタオルの水が、顔や髪を流していく。
「悪い、制服切るぞ」
焦っているのがわかる。ハサミで切ろうとして引っかかり、何か別の、鋭いもので切られてビリッと破ける音がした。脱がすからな、と言われ、上半身が外気に触れた。けれどもう一度タオルの水が顔と胸元を濡らしたあと、何かシーツのようなものが肩にかかり、前まで覆い隠される。
「まだ目開けるな、すぐ救急車呼んでもらうから。大丈夫だからな」
安心させるような優しい声と、思い出される怖さとが混ざって、涙が出て、身体が震えてくる。タオルがもう一度顔に触れてから、そっと身体が包まれる。温かくて、優しい腕だ。背中をふわりふわりと撫でられて、その腕に思わず手を伸ばし、背中を強く掴む。
「優人、優人...」
「大丈夫だ、ゆみ。...お前は、俺が守るから」
震える指先と、温かい背中。お互い強く抱きしめ合う。さっきまでの恐怖が少しずつ薄れて、安堵が身体を埋め尽くす。優しくゆっくりと、けれど正しく規則的に動く背中の腕は、まどろみを誘っていった。運ばれた病院では特に問題は無いと言われ、処置が的確だったと医者が褒めていた。明日からは学校に行っていいと言われた。けれど。
事態が事態であれ、坂本を殴った優人は数日自宅謹慎を言い渡され、そしてゆみもまた、家の玄関でうずくまり、動けなくなっていった。
そして今。だいぶ回復はしているものの、やはり学校に行くには恐怖が勝り、毎日ベッドで横になっていた。謹慎がとけ、学校に戻った優人は、バイト終わりに必ず顔を見に来てくれる。表からは入らないが、一階の自室の窓からこっそり入って来てくれる。
それだけが、今のゆみにとって唯一の支えだった。
スマホの画面が光る。
『ついた』
優人からのLINEで、ゆみは窓を開ける。待たせてごめんな、と忍び込んだ優人は優しくゆみの頭を撫でる。
昨日と同じように、優人は買った本の続きを話してくれるだろうと思っていた。けれど優人は真剣な顔で、ゆみの手をしっかり握った。
「ゆみ、落ち着いて聞いて欲しい。坂本が死んだ」
ゆみは驚いて、思わず声を上げそうになる。けれど優人は握る手に力を込め、一度抱き寄せて落ち着かせる。
「今話すべきじゃないと思った。でも、このままじゃ危ない」
「...どういうこと?」
小さく震えた声が漏れる。
優人は鞄から一枚の紙、そして地図を取り出した。そしてゆみにもう一度、落ち着いて話を聞けるか聞いた。ゆみは優人の今までみたことのない真剣な顔を見て、顔をこわばらせながらも頷く。
「ここ1ヶ月、学生が遺体で発見される事件が続いてる。ニュース見てないから知らなかったよな?」
「うん、優人のLINE以外見てなかったから...」
「それでいい。テレビや新聞は自殺だと報道してる。全員学校で首を吊ってるところを発見されてる」
ゆみが少し震えているのを見て、優人はゆみを抱き寄せながら二の腕と肘をさする。病院に運ばれて少し息が上がった時、看護師がさすってくれた場所と同じだ。続けて大丈夫かと聞かれ、うんと答える。
「最初に自殺したのは第三高校の男子。前日までそんな素振りはなかったらしい。むしろ来月のバスケの試合を楽しみにしてた」
「どうして優人がそんなこと...」
「テレビに出るアカウントのモザイクって甘いだろ。そこから辿って相互フォローの奴あたったんだ」
優人が本人のアカウントから友人に話を聞いて回ったのは、3回目の事件が起きてからだという。オカルトが好きだと言って、すんなり話が進んだようだ。2人目の自殺者は第一高校の女子、どちらも死因は首吊りで、自殺をするような素振りは一切見せていなかったらしい。
「それで、3人目が坂本だった」
ゆみは体をこわばらせて、優人は悔しそうに言う。
「...あいつはあの後、何もなかったみたいな顔で登校した。むしろ俺が殴ったから、自分は被害者だって言って回ってた。だから...」
「...自殺の素振りはなかった、ってこと...?」
「...そうだ」
本当は殺してやりたかった。そんな言葉が出て来そうで、歯を食い縛る。優人は一度深呼吸して、冷静さを保つ。
「あいつの隣に住んでるクラスメイトが第一発見者だった。そいつが言った事が、今までの事件と全部一致してる」
「...なに...?」
「...坂本の首にはロープが繋がってて、警察も自殺だと判断した。けど、そいつが坂本の遺体を発見した時、坂本は前屈をしてる体勢で地面に座ってた」
「座ってた...?」
ゆみはゾッとして優人のシャツを掴む。優人もゆみを抱く腕の力を強めながら、先程取り出した紙を見せる。そこには優人が聞いて回った自殺者の名前、学校名が順番に書かれていた。それらの横には全てSNSでの会話の内容のスクショ画像も印刷してある。会話の内容とそれらをすべて整理した文章がその下にあった。
死因、自殺。自殺の兆候、無し。発見時の体勢、前屈。
今まで遺体で発見された人物と全てが一致している。そして、メモ用紙を重ねてテープが貼られている箇所がある。
「これは...?」
「...遺体の写真だ。掲示板から見つけた。ゆみは見るな、これは元々自分の整理用の紙だから」
「優人...」
「普段こんな写真探したりしない。でも今回は...嫌な予感がしたんだ。だから、深入りした」
優人の顔はとても苦しそうだ。ゆみはそれを見て、心配しないで、と声をかけた。優人がすき好んでこんな事をする人間ではないということは、自分が一番よくわかっている。確信があって動いているのだ。それを怖がったりはしない。優人は眉を下げてゆみを見つめ、これが最後の情報だ、と紙の一番下を指差す。
「遺体の写真は全て前屈で座っていた。それともう一つ共通点がある」
「もう一つ?」
「自殺した人物は全員、同じ様な服装をしていた。上が黒、下が白」
上が黒、下が白、そして、前屈。
「似てると思わないか、オセロに」
ゆみはハッとして口を塞ぐ。優人は一緒に持って来た地図を広げる。この街の地図だ。そこにはマジックで書き込みがされている。地図は碁盤の目状に線で区切られていて、中心の3つにはすでにバツ印が付いている。
「自殺者が出た高校はこの街の中心に集中してる。第三と第一高校は縦、俺たちの第四高校から近いのは第一。つまり横だ。もしこれがオセロの盤面だとしたら、最初の3つはすでに黒で埋まってることになる」
「でもこれじゃ、普通のオセロのスタートと違う」
「ああ。でももう一つ違う点がある。スタートの4マス、ここに最初から全部置いてあったわけじゃない。自殺者は1人ずつ、次の自殺者が出るまでの日数はバラバラ。そしてひとマスが埋まるのはそんなに早くない」
「つまり、一つずつ順番に埋まっていってるってこと...?」
「そうだ。だからもし次に被害が出るとしたら、ここ、第二高校。俺たち第四高校の縦、第三高校の横にあたる所だ。これで、スタート4マスが全て埋まる」
優人はボールペンを取り出して、バツ印の周りのマスに三角を書いていく。
「高校の数字と自殺者の順番、この数字は噛み合ってない。多分ルールが違う。だとすると高校に隣接したこの三角のマス、ここがすでに黒で埋まっている可能性がある」
「どうして?」
「人が死ねば葬儀がある。そこに集まってくる人もマスになり得るとしたら」
「喪服...」
優人は頷いて、自殺に見せかけた愉快犯の犯行の可能性も考えたと言う。しかしスタート4マスが先に埋まらないことは、愉快犯は規則性を好むこと、そして各人物がどの高校に通っているか特定出来ている事に違和感を覚える。そしてゆみに告げる。
「もしこれが本当だとすれば、ゆみが住んでるこの場所はスタート地点のマスから遠い。俺の家もまだ余裕がある。俺は明日、事件があった場所に行ってみようと思う。その間に出来る限り早くこの街から離れて欲しい。ゆみ、親戚が避暑地の方に住んでるって言ってたろ。理由は…少し学校から離れた所でリラックスしてみたい、ゆみの両親なら承諾してくれると思う。だから、」
「嫌、優人が行くなら、私も行く」
「ゆみ...」
「優人と絶対離れたくない」
ゆみは今にも泣き出しそうで、優人もまた、ゆみと離れたくないと強く思う。...ゆみが被害に遭う事も、自分が被害に遭う事も、どれだけの恐怖か。けれど行動しなければ、食い止めなければ。頭の中に直感的に激しく響く警告。これをどうしても無視出来なかった。
「...わかった」
優人はきつく、きつく、ゆみを抱きしめる。
「新聞をチェックしたけど、死亡欄に自殺者が出た周辺の人の住所はない。服装の色は上下黒白じゃなければ安全なはず。黒かそれ以外の色...ゆみが今着てる水色のルームウェア、そういう色ならきっと大丈夫だ」
「うん、念の為白も入ってない色の服にする」
「ああ、俺もそうする。…ゆみ、今夜1人で大丈夫そうか?」
ゆみは戸惑って少し考えたあと、通話を繋げたままでいてくれたら、と言った。優人は笑って、もちろん良い、とゆみの頭を撫でた。
翌日、優人はゆみを迎えに行き、ゆみはリハビリとして散歩をしてくるからと母親に告げ、ひとまず第一高校へ向かった。日曜だったがサッカー部の部員たちがランニングをしており、校内にはすんなり入れた。2人は女子生徒が自殺したという場所へ向かった。そこには花と菓子などが添えられ、ゆみも目を閉じて手を合わせる。優人は目を開けたあと、女子生徒が首を吊ったと思われる木を確認した。とくに変わった様子はない。事件のあった高校の敷地内で、他にも何か共通点がないか、辺りを見て回る。
その時、ゆみの足元にコツン、と何かが当たった。サッカーボールだ。ゆみはボールを拾い上げる。ゆみの声は少し震えている。
「白と、黒...」
「大丈夫だ、俺が付いてる」
敏感になって当然だ。何を見てもきっとそうだ。ただでさえ神経を削られる。特に今のゆみは、まだ精神が回復しきっていない。優人は鞄からハンカチを取り出して、ゆみに渡す。ゆみはハンカチから微かに薔薇の香りがするのに気づいて、顔に近付ける。
「いい香り」
「リラックス出来るはずだから。落ち着くまでゆっくり嗅いで」
優人がさすってくれる背中の感覚と、ふわっと包み込むような香りに、深く息が出来る感じがして、自然と呼吸が楽になる。ゆみはハンカチをしばらく当てたまま、大丈夫、と頷いて、もうしばらく辺りを見て回った。優人は執拗に芝生を探っていた。何か確信があるようだ。
「優人、どうして芝生の上ばっかり?」
呼吸が落ち着いてきて、ゆっくりハンカチを離す。深呼吸が出来る。優人は真剣な声で答える。
「ゆみ、オセロの盤面が何色か、覚えてるか」
「緑...」
ゆみはハッとして、優人が立ち止まる。
2人の目の前に現れたのは、芝生に埋まった、白いマンホール。
「...あった」
マンホールの蓋の上には、黒く、大きなバツ印が書いてあった。
緑の上に置かれた丸いコマ。それをひっくり返す。
オセロ。
「マンホールの蓋は恐らくひっくり返せなかった。...だからこの高校で事件があった日、上下が黒と白の服を着ていた生徒が犠牲になったんだと思う。芝生の中、しかも白い蓋のマンホールは多くない。そしてこのマンホールは」
「私たちの学校にもある...」
「第二高校からはまだ被害者が出てない。印が付いてないか確認しに行こう」
優人はゆみの手を握り、走れるか聞いた。ゆみは動悸がして息が上がりそうになっていたが、ハンカチで再び鼻を覆い、強く手を握り返す。2人は走り出す。優人は走りながら焦る。マンホールが無事だったとして、どうしたらそれを白いままに出来る?白い布を被せたとしても、黒は簡単に上書きできる、どうしたらいい。あの闇みたいな黒を跳ね返せるような、光のような、何か。
商店街に入り、ゆみの足がだんだん遅くなる。息が大きく切れている。これ以上走るのは無理だ。優人は立ち止まり、ゆみの背中をさする。
坂本が死んだのは、2日前。けれどその話を聞いたのは昨日で、葬儀は家族のみで静かに取り行われた。自殺者の死亡日の感覚は不規則だが、第三高校、第一高校、坂本の死亡日を考えると、少なくとも1週間以上は間が空く。日を改めてもいいかもしれない。ゆみ、そう声をかけようとして、ゆみは左の文房具屋を見た。
「…優人、ちょっと待ってて」
「ゆみ?」
「大丈夫、すぐ戻るから」
ゆみはまだ息が荒いまま文房具屋に入り、少ししてから、袋を持って店を出てきた。
中に入っていたのは、数本の、金色の油性ペンだった。ゆみは息を整えて真剣に話す。
「油性ペンなら、マンホールの蓋にも描けるはず」
「確かにそうだ。でも、何を...」
「さっき言ったじゃない、『光のような何か』って。だから、白の上に光を描けば、太陽を描けば、守れるんじゃないかって。丸くて、明るい太陽で、白を」
優人は目を見開いた。金色の、ましてや太陽は、小説の中で「白い光」と表現されることが多い。読んできたオカルト小説の中では、特別神聖なものとして。そして太陽の丸い形はコマと同義になる可能性が充分ある。これなら。
「あと、これも」
ゆみが袋の底からもう一つ、ペンを取り出す
「銀色の油性ペン?」
「そう。黒の上から銀の星を描けば、光になる。そうでしょ?」
青空に広がる眩しくて白い太陽。夜空に瞬く白い星の煌めきが、優人の頭の中で一気に描かれていく。ゆみが描いた、あの綺麗な絵が。
「ゆみ…!」
優人は思わずゆみを抱きしめた。けれど周りのざわざわした声を聞いて、その腕を離す。ゆみは笑った。2人は手だけは離さず、走らず、けれどしっかりした足取りで歩いて行った。
辿り着いた第二高校でも、部活動の生徒が笑いあっている。2人はそこで、白いままのマンホールを見つけた。
2人は胸を撫でおろし、ゆみが太陽を描いていく。それは本当に眩しくて、白く輝いていた。
第二高校を出たあと、優人は一度休もうと言って、古い昔ながらの喫茶店に入る。マスターがよう、とニヤつきながら声をかけてきた。優人のバイト先だ。優人はコーヒーを、ゆみは紅茶を頼んだが、マスターはおまけだと言って、ゆみにだけアイスを出した。優人は、ゆっくり食べてと笑った。
アイスを食べ終え、紅茶はまだ少し残っている。マスターは奥に入ってテレビを見ている。優人は昨日の地図を広げた。
「第二高校のマンホールは無事だった。これで1マスは白でいいはず。問題は、相手が2マス置けるかもしれない事だ。向こうが2マスならこっちも2マスいけるが、結局挟まれる。けどこの三角の印、喪服の人物が本当に1マスにカウントされているのか、まだ定かじゃない」
「うん。...でも犠牲者が出なければ、葬儀は出来ないから、喪服の人でマスを埋めるのは止められるんじゃないかな...」
「ああ、その可能性の方が大きい。でも、俺たちがこのあと第四高校を通って、その先2マス分、喪服の人物を1マスと仮定して、最後に俺たちが挟む2枚目のマスに、白いマンホールがあるかわからない。それから、まだ懸念点は...」
優人が言いかけて口を閉じる。わかっている。何を言いたいのか。けれど言葉にしてはいけない。出来れば考えたくない。ひしひしとその感覚が伝わってくる。ゆみは、いつの間にか強く握り締められていた優人の拳の上に、そっと手を置いた。
「...きっと大丈夫。信じよう。それにね、ほら見て?久しぶりに走って、美味しいアイス食べたら、すっごく元気なの」
ゆみは二の腕を曲げて力こぶを作る真似をした。そこに力こぶはなかったが、ゆみの元気な笑顔は本物だ。ほっとした。本当によかった。心から安心して、嬉しくて、りきんでいた肩の力が軽くなる。
「セロトニンが出てきたのかもしれないな」
「なにそれ」
ゆみはぽかんとするが、気にするなと微笑む。次のマスに進むのは明日にしようかと言ったが、このまま進めたいと強い声が返ってくる。打開策があるなら、一刻でも早く行動したい。これ以上被害を出したくない。ゆみの強い気持ちと、自分の強い気持ちは同じだった。
2人は店を出たあと、再び手をしっかり繋いで、第四高校へ向かう。
正門前に来て、ゆみの顔が少し強張った。久しぶりに見る学校は、ゆみにとってどれだけの恐怖だろう。優人はルートを変えた方が良かったかもしれないと思ったが、これ以上ゆみの家から遠ざかるのは避けたかった。ゆみは大丈夫だと言う。ここまで来たのだ。優人は強く、けれど優しく、ゆみの手を握る。
「大丈夫だ、ゆみ。一緒に行こう」
「優人...」
ずっとそうだった。待っていてくれ。すぐに行くから。そう言ってばかりだった。けれど今は違う。2人一緒に。それは希望のようで、奇跡のようで。何にも変えられない、とても強い力だった。
ゆみは深呼吸して、一歩を踏み出す。それを見て、優人も少しだけリードするように、けれど歩幅を合わせて、マンホールがある場所へ向かった。坂本が自殺した場所は教えていない。幸いマンホールは、その位置から遠く、正門からも近い。
マンホールには第一高校で見た時と全く同じ、大きなバツ印が書いてあった。ただただ不気味だ。
ゆみは一度つばを飲み込んでから、その上に星を描こうとした。けれど、ペンを持つ手に優人の手が重なる。マンホールにも、バツ印にも、異変はない。2人は小さな星でバツ印を埋めていく。描き終えた時、2人は汗だくだった。
星が描かれたバツ印は、元の不気味さが消え去り、綺麗な星空になっていた。2人は顔を見合わせて、頷く。正門を出て、大きく安堵のため息をついた。恐怖と緊張で止まらなかった冷や汗も、上がっていた呼吸も、早かった動悸も、すっと和らいでいく。良かった。何事もなかった。本当に良かった。優人はタオルを取り出して、ゆみの首筋にかける。風邪を引いたら困ると言うと、ゆみは大丈夫だよ、と笑った。
お互い体力を消耗したが、ペットボトルの水をそれぞれ分け合い、次のマスに進む。マンホールか、あるいはそれに近いものがあればいいと考えていたが、意外にもあっさり、公園の芝生に白いマンホールを見つけた。マンホールには何も描かれていない。
「こんな所にあるなんて...」
「意外だったな...」
「でも色は白だし、ここは喪服の人のマスじゃないって事になるよね。ってことは向こうも1マスずつしか進めないってことかな。白で挟んだから大丈夫だよね」
ゆみがマンホールを見ながら微笑む。
けれど白いマンホールが存在した事で、余計矛盾が生じた。スタートの4マス。それに加えて、ここにもう一つコマが置かれている。ここにコマがあるなら、先程まで考えていた喪服の人物のマスが存在することになる。しかし色は白。そしてここが白なら、なぜ坂本が黒になったのか。考えを巡らせていると、さらさらと風が吹いてきた。
ゆみが、一応このマンホールにも太陽を描いておいた方がいいか、と尋ねた瞬間。とてつもない音と共に強風が襲ってくる。
「ゆみ!」
優人はしゃがんでいたゆみに駆け寄り、ゆみを力強く抱きしめるが、そもそも立っていられるような風圧ではない。それなのに、道路を挟んだ向こう側の、交通安全と書かれた旗はそよいでいるだけだ。普通の風じゃない。優人は顔を覆っているゆみの頭を抱き寄せ、守ろうとする。けれど自分もこうしているのがやっとだ。動けない。
その時だった。
バン、という音と共に、ピタリと風が止んだ。どう言う事だ?
優人は慎重に首を伸ばして当たりを見渡す。そして、マンホールに目が止まる。
「なんだったの?今の風、それにすごい音が」
「見るな!ゆみ!」
優人はさっきよりきつくゆみを抱きしめ、視界を塞ぐ。
白いマンホールの横には、背と足がくっつき仰け反っている男性。完全に骨が折れて、死んでいる。それが、顔を地面に押しつぶして転がっている。男性の服は、白のワイシャツに黒のスラックス。仰け反りひっくり返ったその色は、『黒』。
白いマンホールに、ずず、と黒い線が引きずられる。そこにゆっくり示されたのは、あの大きな、黒いバツ印。
そして銀色の線が、コンクリートに文字を書く。
『GAME START』
優人はその文字に唖然とし、固まる。けれどここから離れなければ。優人はゆみに目を開けるなと言い、うずくまっていたゆみの足をそのまま持ち上げ、一目散に走った。これでもかというほど、全速で。汗はびちゃびちゃで、荒い息は中々おさらまない。
夕陽が差し込む。
ゆみの家に着いた時、2人はボロボロだった。ゆみを心配していた両親は2人の姿を見て慌てたが、優人はゆみがだいぶ元気を取り戻し、少しはしゃぎすぎてしまったから帰りが遅くなったと伝える。謝罪したが両親は優人に礼を言い、ゆみを中に入れた。
優人はスマホが光ったのを見る。
『疲れたからもう寝るって言った』
『夕飯置いてってくれたから、入って』
優人は家の裏に周り、開けられた窓から部屋に入った。
「何が起きたの」
「犠牲者が出た」
「どうして...」
「わからない、けど、俺たちはゲームに巻き込まれた」
「ゲーム...?」
ゆみは息を飲む。優人はスマホを取り出して、急いでDMとLINEの画面を開く。1人はSNSで知り合った第一高校の生徒、1人は第四高校のクラスメイト。2人に、白いマンホールに何か書かれていないか、もし見つけたら写真を送ってほしい、薬品が撒かれているから絶対に触るな、と打ち込む。部活終わりであっただろう2人からは、少しして返信が来た。DMの画面には、太陽が書かれたマンホールとアカウントのIDが書かれた紙の切れ端が映っている。
そしてLINEに送られてきたのは、星の消え去った黒いバツ印。
スマホが手から落ち、拳を強く握り締めた。
「やっぱり...」
「どう言う事?黒を白にしたんじゃ...」
「...これはルールが違うリバーシのオセロじゃない。リバーシを掛け合わせた、『人間オセロ』だ」
「人間...オセロ...?」
ゆみは顔をしかめる。優人はよく聞け、と言う。
「2コマ同時に挟んでひっくり返す。それが、最初の読みだった。けど、バツ印の上から星は消えて、元に戻った。つまり色の上書きは出来ない。ゆみが描いた太陽、白も消えてない。そして最後の公園、あれは太陽を描くまで、どちらの色でもなかったんだ」
「どっちの色でもなかった...?」
「オセロのスタートルールを無視して、最初に埋まっていた3マスはすでに黒。俺たちが第一高校で太陽を描いて、マンホールを白にした。公園のマンホールが白なら、そもそも坂本は白のはず。けど黒に戻った。挟んでも色はひっくり返らない。そして最後の犠牲者が出た時、マンホールにはあのバツ印が現れた。それは太陽を描く前だった、つまり」
「黒になった...?」
「そうだ。これは、先に自分の色を多く置いた方が勝つ陣地取りゲーム。通称『人間オセロ』。相手はオセロに見立てた盤面に、白か黒を置いていく。俺たちの白は太陽。そして相手の黒は...人間だ」
震えるゆみを抱きしめて、その残酷さに目を瞑る。
「...俺たちが太陽を描いたことで、このゲームに参加したとみなされた」
「でも、それならマンホールのバツ印だけで黒は成立するはずじゃ...!」
「バツ印は俺たちに太陽を描かせないための防御策だ。相手がやりたいのは...人間をオセロのコマに見立てて殺害すること」
「そんな...」
「先に公園のマンホールで事件を起こさなかったのは、現象に気付いた人間を誘い込む為の罠。...俺たちはまんまとそれに引っかかった」
思わずゆみの服をぐしゃ、と掴んでしまう。俺が深入りしなければ。ゆみと一緒に行動しなければ。ゆみが巻き込まれる事はなかった。あの時頭に響いた警鐘。涙が溢れる。ゆみもまた恐怖で震えていた。けれど。
「...私は大丈夫。優人が一緒にいてくれる事が一番大切。だから、優人...」
「ゆみ...」
ゆみが優しく抱き寄せて、優人の頭をポンポンと撫でる。優人は涙を拭き、ありがとう、と呟く。自分たちに出来るだろうか、その不安は消えない。けれど固く決意する。
このゲームに勝つ。
何に変えても絶対にゆみを守り抜く。優人は、もう一度強くゆみを抱きしめた。
ゆみが寝息を立て始めた頃、ベッドに運び、優人はそっと抜け出した。一度自宅に戻る。優人の父は単身赴任で家を空けており、母は夜勤の事が多いため、夜に帰らなくても何も言われる事はない。たまに母が居ても、友人の家にいると連絡すれば、さして止めたりしない。自由に動けるのが不幸中の幸いだ。
着替えて、黒い鞄の中にゆみが買った金色の油性ペンを入れ、再び外に出た。
明け方ゆみが目を覚ますと、優人からLINEが送られてきた。
『白のワンピースに着替えて待ってて』
「白...」
ゆみは不安に思ったが、それよりも優人の事が心配でたまらなくて、大丈夫かと文字を打つ。返事はすぐに帰ってきて、ゆみが朝食を食べ終えた頃迎えに行く、それまでLINEを絶やさないからと言って、安心させる。ゆみはそれを見て、すぐに動こうと思ったが、少し体が重い。昨日久しぶりに歩き回ったせいだろう。なんとか起き上がり、早いけどお腹が空いたからと言ってパンを食べ、早々に身支度を始める。
クローゼットにかけられた白いワンピース。ゆみはこのワンピースが一番のお気に入りだった。休日出かける時は、ほとんどこのワンピースを着ていた。何度か街で優人に会った時、いつも同じ格好をしていると言われた事がある。すごく似合っていると褒めてくれた。
ゆみは、今日も散歩をしてくると告げる。母は少し心配したが、ゆみの元気そうな顔を見て、あまり遅くならないようにと言って送り出した。
ゆみが玄関を出ると、少し先で優人が立っている。ゆみは優人に駆け寄って、涙ぐむ。無事で良かった。優しく撫でてくれた優人は、上下共に黒のシャツとズボン姿だった。白いワンピースと、黒い服。ゆみは焦る。しかし優人は、この服が一番安全だと言う。歩きながら話すと言って、手を繋いだ。
「昨日の深夜、もう1人犠牲者が出た」
ゆみは怖くなったが、続けて、と真剣に頷く。犠牲者の服は黒も白も入っていない色だった。しかし彼が死んだ時、上半身は黒いペンキがぶちまけられていて、下半身は建設予定の詳細が書かれた白い看板が倒れ下敷きになっていた。そして遺体の下には、緑のビニールシートが敷かれていたと言う。すぐ横で工事をしており、警察は事故死として処理した。そして、あの強風の中死亡した犠牲者も。
「芝生の上じゃなくても下が緑ならアウト、置ける物は丸だけじゃない。そして上下黒白の服じゃなくても無理矢理書き換えられる」
「でも、それじゃあ私たちの服は...!」
「大丈夫だ。昨日家に帰ってから、上下黒のジャージで、第一高校の隣のマスにあたる場所の公園の芝生で、丸い軽石に太陽を描いて置いた。それから第三高校の隣のマスに入って、軽石に太陽を描いていた最中、それと同時刻に、俺がいる隣の区画で事故が起きた」
「つまり、どういうこと...?」
「相手は上下黒い服装の俺がマスに止まっている時、そのマスは黒だと勘違いしてそこを一つ飛ばしたことになる。その原理だと、ゆみ、お前が上下白なのが一番安全なんだ。ゆみがいるマスは、完全に白だと判断される」
「優人...」
「埋められるマスは隣接してる。あとは俺が描いた軽石の太陽。あれがどうなってるか、これから確認しに行く」
ゆみが泣きそうな顔をする。どうして1人で危険を犯したのか。ゆみの気持ちは痛いほどわかる。けれど、不確定な推察をするのに、ゆみを巻き込むわけにはいかない。どうしても、1人で行かなければいけなかった。わかって欲しい、そんな思いで悔しそうな顔をしていると、ゆみは辛そうな顔のまま、次は絶対無茶しないで、と強く手を握った。
公園の芝生に置いた2つの軽石には、太陽が描かれていた。無事だ。マスを守れた。2人はほっと胸を撫でおろす。2人は近くのベンチに座って、優人が鞄から縦長の箱を取り出す。中には、金縁の白い楕円の中に、金色の太陽が描かれたネックレスが入っていた。優人はゆみの首に、ネックレスを付ける。
「本当は、誕生日に渡そうと思ってた。でも、今付けて貰うべきだと思った。太陽があれば、しっかりゆみを守れる」
「すごく綺麗...。ふふ、この太陽、顔になってる。優人が読んでたオカルト本に出てきた太陽に似てる」
「...悪い、俺こういうのセンス無くて...」
「優人らしくて大好き。ありがとう」
ゆみは太陽が描かれたペンダントトップを撫でてから、優人の肩に頭を預けた。2人はしばらく肩を寄せ合い、そして目を合わせ、立ち上がる。
1つ向こうのマスの公園で、優人は茂みの端に立ち、ゆみが太陽を描いた軽石を1個置く。
その隣、その隣。2人はゆっくり移動した。
今日置いた白は全部で3個。街の地図にはオセロの盤面と同じ程の数のマスはないが、区画同士はある程度距離がある。ゆみの体力を考えると、無理のない範囲で進めるべきだと思った。問題はこの後、相手が何個黒を取るか。出来る限り犠牲者は出したくない。
ゆみは太陽の軽石を見て、不安そうに呟く。
「もし明日、私たちが置いた白と同じ数の黒が置かれたら...私たちも犠牲の手助けをしてる事になるよね...」
「...そうマイナスに捉えるな。信じよう」
優人はゆみの手を握り、ゆみに疲れていないかと聞く。ゆみは少しだけ、と苦笑いした。昨日の今日だ。無理もない。学校をサボった優人は、出来るだけ学校を避けたルートを選び、ゆみを家まで送った。
マスが埋まる法則性は定まっている。お互いの家もまだマスから遠い。ゆみはLINEしてね、と笑って、優人も、ああ、と手を振った。
翌朝、ゆみは筋肉痛が酷くなっていて、体も少し重い。疲れが溜まっているのだろう。けれど、ハッとして、ネットのニュースを確認する為にスマホに手を伸ばす。誰かが死亡したニュースは、ない。ゆみはほっとして、同時に優人からLINEが来る。
『おはよう』
『犠牲者は出てない』
『うん、いまニュースみた』
『ほんとによかった』
『今日も学校サボる』
『インフルって事にした』
『石を置きに行こう』
ゆみはサイドテーブルに置いていたネックレスを取って微笑む。2日前までほとんどベッドの上で過ごしていたのに。きっかけは最悪だったが、こうして動けるようになったのは優人のおかげだ。寝巻きのままだったが、嬉しくてそのままネックレスを付けた。
朝食を摂り、元気になってよかった、と母が笑う。優人くんのおかげかしら、と言われて、焦って否定した。新聞を読んでいた父の顔は少し険しかったが、それでも内心は嬉しそうだった。もう少し回復したら、学校に行くのも試してみる。母はその言葉に、焦らなくていいからね、と答えた。ゆみは今日も散歩をしてくると言って家を出た。
迎えに来た優人の服を見ると、下は普通の黒いデニムだが、上の黒いシャツの襟にピラミッドや魔法陣やらの刺繍がされている。ゆみは昨日、早めに帰ったおかげでワンピースはすぐ洗濯出来たが、優人は間に合わなかったらしい。それで、持っていたのは中学の時に買ったものしか無かった、と苦い顔をした。サイズも合っていないし、無理矢理着ているのがわかる。
ゆみは「厨二病」という言葉は飲み込んだまま、笑った。
今日は置く石の数を増やしてみよう。相手が動かないうちに。
第二高校まで行って、そのマスから下にずらしていく。あまり自宅に近づけ過ぎるのは危険だ。置くなら一気に囲った方がいい。
優人のバイト先の喫茶店、植木の下に石を置き、2人はほっとする。
周り終えて、置いた石は全部で7個。黒を追い抜いた。ゆみは本当によく歩けた、と自分でも驚いて笑っている。優人は3枚目の新しいタオルとスポーツドリンクを渡して、明日は一度休もうと提案した。犠牲者が出る期間が、また少し開くかもしれない。それまでの間に、すべて石を置こう。けれどゆみは首を振る。早いうちに、埋めてしまいたい。ゆみの眼差しは強くて、優人もわかった、としっかりゆみを見つける。
毎日周るマスには公園があった。けれどその日、そうではないマスがあった。
ゆみはひらめき、コンクリートの上に緑の絵の具で絵を描いて、その上に軽石を置いた。ゆみは笑う。ワンピースに絵の具が垂れる。緑の絵の具。優人は水で落とそうと、鞄からペットボトルを取り出そうとした。
その時、風が通り抜ける。強い風。そして、突風になる。
「ゆみ!」
「優人...!」
隣のマスの境目まで、ゆみはどんどん引きずられる。優人は走り出すが、風は優人の足をすくい、もつれさせる。ゆみが、マスを超える。優人が叫んだ瞬間、風はすっと止み、通り過ぎていった。ゆみは体勢を起こし、冷や汗を拭う。足が動くようになって、優人が駆け出す。
「大丈夫か、怪我は」
「平気。...でも、どうして風は...」
「...緑が付いたから、隣のマスに移動させようとしたんだ。緑の上なら...犠牲者が出せる。けどゆみ、お前は白だ」
「白...」
ゆみは、優人に貰ったネックレスを握る。守ってくれた。このネックレスが、この太陽が、白を。ゆみは優人に抱かれた腕を強く握って、嬉しくて涙を流す。優人はゆみの頭を撫でながら、よかった、とこぼす。マスを埋め始めたその日から、ワンピースに砂が着いたりする事はあった。けれど黒である自分が側にいる限り、そこは安全だったのだ。
怒りが溢れる。
自分たちは白のマスにいた。そこに黒は置けない。なのに風はそこへ入ってきて、ゆみを引きずった。白であるゆみを、わざわざ隣のマスまで。そして、風が通り過ぎたこのマスは白になった。もてあそばれている。まるであざ笑うかのように。
優人はゆみを家まで送ってから、家に帰り、壁にドン、と手を付いた。ゆみを危険に晒した。明日からはもっと慎重に行動すべきだ。苦しい顔をして、拳を強く握った。
翌朝から、犠牲者のニュースは途切れた。
ゆみを気遣いながら、マスを埋めていく。そろそろ切り上げようかと思っていた時、ゆみが隣のマスで公園を見つけた。場所はすぐそこだ。もうひとつ置いていける。
2人は公園に向かった。公園では子供たちが楽しそうに遊び、母親達も談笑している。その中に1人、上が黒、下が白の格好をした男の子がいる。2人はまさか、と思って走り出す。芝生の上の黒と白。
突如強風が吹き付ける。ブランコが激しく揺れている。飛ばされそうだ。無我夢中で走った。そして、ゆみが芝生に滑り込む。優人は子供を抱えて倒れ込む。優人の背中には、倒れてきたバイク。道路のわきに留めてあったもの。風は止む。まるで時が止まったかのように。
「痛って...」痛みに耐えながら優人は起き上がった。大丈夫か、もう怖くないからな、と言って微笑む。子供は頷いた後、大声で泣き出した。優人は思い切り背中に力を込めてバイクを起こす。母親が子供の名前を呼びながら走ってくる。母親は子供を抱きしめ、優人に怪我はないか、大丈夫か、と問いながら、子供をなだめる。優人は芝生に倒れているゆみを見つけ駆け出す。よろけたが、走る。
優人はゆみを抱き上げる。ゆみの先に転がっているのは、軽石の太陽。
「ゆみ!」
「優人...」
「...ゆみ...良かった...」
「男の子は...?」
「無事だ」
「よかった...私たち、守れたんだね」
「ああ...」
2人は安堵のため息をつく。優人はゆみの膝から少し血が出ている事に気づいて、放り投げた鞄の中からペットボトルの水と消毒液を取り出し、処置をする。
幸い傷は小さく、絆創膏を貼ってしばらく休もうと言って、ゆみを芝生に寝かせた。背中はズキズキと痛んだが、優人はそれを隠して、ゆみの隣に座る。危うく事故が起きそうになった公園からは、親子が早々と家に帰っていく。
子供を助けられた。少しだけ希望が見えた。太陽の光が眩しい。2人ならやれる。
翌朝のニュースでも事故などの情報はなく、2人はマスを埋めていった。必ず公園があるマスに。
優人は背中の傷が少し痛んだが、このくらいは平気だと、石を置くのをやめなかった。
その翌日も、その翌日も。犠牲者は出なかった。2人は、太陽の軽石で、マスを白く染めていった。
それから数日後の早朝、優人は掲示板に上げられた遺体の写真を見る。犠牲者が出た。サラリーマンの男性が駅のホームで転落死したのだ。遺体は白の上半身が下に、黒の下半身が上に、分断され重なっている。駅のホームは塗装中で、緑のシートが貼ってあった。
優人は歯を食いしばるが、自分たちが置いてき太陽の石は、街をほぼ埋めている。風のペースは遅い。残っているのは、街の外れだけ。もう少しで、終われる。
けれど、自分もゆみも、疲労が溜まって来ている。風が動いたという事は、明日犠牲者が出る事はない。明日は休んだ方がいいかもしれない。今日は石を置く数を少し減らして、早めに帰ろう。
ゆみはニュースを聞いて動揺したが、優人がなだめる。石を置き終え、ゆみは夕食を取ったあと、ベッドに寝転がる。
『寝れそうか?』
優人からのLINEだ。
『大丈夫』
『頑張ろう』
『無理するなよ』
ゆみは画面を閉じて、ネックレスを外す。ありがとう、ゆみはそう言ってネックレスを握りしめて眠った。
翌日、母親の出かけてくるから、という声と共に目が覚める。寝ぼけた頭でスマホを手に取ると、午前10時を回っていた。疲れと、気が抜けて寝過ぎたんだろう。
慌てながら、優人からのLINEの通知を見る。送信時間は午前7時で、ずいぶん遅れてしまった。
『起きたか?』
とだけ打たれた文章。
『ごめん、いまおきた』
ゆみは急いで送信する。すぐに既読が付く。
『よかった』
『安心した』
『大丈夫だよ』
『ごめんね』
ゆみは優人に、今日は一日休みの予定だが、通話をしないかと送ろうとして、優人の方から、通話をしていいか、と返ってきた。
変なの、と少し笑って、こちらから通話ボタンを押す。
「おはよう、ごめんね。寝過ぎちゃった」
「大丈夫だ、気にするな」
「私も通話したいって送ろうと思ってたから、びっくりしちゃった」
ゆみは嬉しそうに話す。優人はその声を聞いて、よかった、じゃあまだニュースは見てないな、と真剣なトーンで言う。ゆみは、まさか、と思って、犠牲者が出たのかと聞く。優人はそうだ、と答えて、ゆみを怖がらせないような言葉を選びながら状況を伝えようとする。けれど、ゆみはネットのニュースを検索した。
「死者74名、修学旅行中のバス2台強風で横転か」
ゆみは愕然とする。どうして、こんなに。もう少しだったのに。もしかして、白をたくさん置いたから。私たちのせいで。ゆみは震え出す。優人は通話をしながら、今そっちに向かっていると伝える。けれど優人の声は耳に入ってこない。どうしよう、どうしよう、どうしたら。
「ゆみ!」
スマホと窓の外、両方から優人の声がする。黒いジャージ姿の優人が立っている。ゆみは急いで立ち上がって、でも足がもたついて、転びそうになりながら窓を開ける。
「優人...私...」
ゆみはボロボロ泣き出す。優人は落ち着け、と言いながらゆみを窓越しに抱きしめる。そのまま足を窓枠にかけて、腕を離さず部屋に入る。さっきおばさんとすれ違ったと言い、優人も家に誰もいないとわかっていて、強い声で言う。
「いいか、ゆみ。今回の件は石を多く置いたからじゃない。事故があったのは1マス分、そして生徒は全員私服、バスが黒と白だったんだ」
「でも...」
「バスが横転したのは街の左下、マスの終わりかけだ。今回狙われたバスには他県の生徒が乗ってた。つまり、」
優人の息が切れる。は、は、と荒い息は止まらない。ゆみは涙が乾いて頬に張り付くのを感じながら、落ち着いて、と優人をさする。優人は息を吸って、ゆっくり吐き出した。悪い、と言って、それでも矢継ぎ早に続ける。
「この街に入った時点で、全てコマにされる。逆を言えば、この街にいる限りコマにされ続ける。だから、」
優人は太陽がかかれた軽石を差し出した。
「全部、埋めてきた。早い者勝ちの、このゲームの、『人間オセロ』の盤面を」
ゆみは、目を見開いて口を塞ぐ。窓の外、家の砂利の上に自転車が倒れている。ニュースの記事が公開されたのは朝6時過ぎ。
周ったのだ。この4時間で、街の全てを。
「優人...!」
ゆみは優人の顔を見てまた泣き出す。けれど優人の声は強い。
「盤面は白の勝ちだ。けどこの街にいる限り、同じ事が繰り返される」
「どうして...?」
「天気予報、台風が近付いてる。相手は風だ。きっとまだ何かある」
優人の顔は真っ直ぐゆみを見つめた。
「逃げよう、この街から。すぐに」
ゆみは驚きと、戸惑いと、何より混乱が大きくて、言葉が出てこない。優人はすでに家に置き手紙を置いてきたという。盤面が白になった今、ゲームに参加していない人間は安全だという推測。確信。少しの、不安。
両親や友人は本当に大丈夫なのか。自分たちだけ逃げてしまって大丈夫なのか。
けれど優人の表情は、とにかくゆみを守りたい、その意志で溢れていた。
「...うん。優人と一緒なら怖くない。一緒に逃げよう」
「ゆみ...ありがとう。着替えて、何も持たないで、すぐ出よう」
「わかった。でもどこに?」
ゆみは恥ずかしがらず、寝巻きを脱ぎ捨てて、一番近くにあったあの白いワンピースを着て、優人に貰ったネックレスを付ける。
「とにかくこの街、盤面から抜け出せればいい。街が切り替わるのは裏山の展望台に入った所だ。そこまで走れるか」
「うん、頑張る」
自転車はパンクしていて、2人は窓を飛び越えて裏山に向かって走り出す。風が吹いてくる。
2人はしっかり手を繋いで走るのを止めない。
走って、走って、走って。
息も絶え絶えになってきた頃、ようやく裏山が見える。
「ゆみ!あと少しだ!」
「うん...!」
けれど風が強く吹き、ゆみは転びそうになる。優人はゆみを抱き上げ、そのまま山に突っ込む。ゆみを抱えたまま、山を駆け上る。
汗と、砂と、荒い呼吸と、ぐちゃぐちゃになったジャージで、登り続ける。
風はどんどん強くなり、次第に空が暗くなる。ポツポツと雨が降り出す。
街の端では、喪服を着た人たちが歩いている。事故が起きたのは昨日。その葬儀に向かう。
「あらやだ、雨?」
「天気予報当たったわね」
「こんな日に降るとはなあ」
優人は視界が悪くなって、身体も悲鳴をあげている。それでも足を止めない。
「傘持ってきてよかったわ」
「私も」
登れ、登れ、登れ。
「折り畳み傘持ってたの忘れてたわ」
「本格的に降ってきたな」
「タクシーを呼んだ方がいいかもしれない...もしもし?」
登れ。
街に雨が降る。街に傘が広がる。
街の両橋から列をなしていく。丸くて黒い傘。
「白御影石が汚れるとは、なんだか不吉だな」
「せっかくの白い石がねえ」
「あら見てこの石。裏表で色が違うわ」
喪服の人々は、しゃがんで石を拾う。
「これ何かに似てるな」
「何かに似てる、なんだったかしら」
「そうね、何かに似てる」
展望台に辿り着く。
「ゆみ!展望台だ!」
「うん...!」
2人は息も絶え絶えで、街を見下ろす。
「ほらあれ」
「ああ、あれか」
「そうだ、あれだわ」
『オセロ』
見下ろした街の、傘が、止まる。
ザザザザ、と大きな風が吹き、街の両端から中央に向かって一気に風が巻き起こり、一斉に軽石をひっくり返す。白の盤面が一瞬で黒に変わる。
息を切らして、優人とゆみはその光景を見下ろした。
黒い傘で覆い尽くされた街。
街の中央にいる人たちの傘に、銀色の文字が浮かぶ。
『YOU LOSE』
「負けたの...私たち...」
「ああ...」
「どうして...」
「...人間オセロの、もう一つの遊び方...」
「なに?」
「同じ色の傘を持った人間が、違う色の傘を持った人間を挟んで、10秒数えて、『オセロ』と言ったら、挟まれた人間の色が変わる」
優人はゆみを抱き締める。
「逃げよう、もっと遠くに」
傘は動き出す。けれどその中に、白くて金色の太陽はない。居場所はもう、ない。
ゆみは頷いて、優人の手を握る。
2人は一緒に歩き出す。どこかについたら、両親に手紙を書こう。どこか、幸せに暮らせる場所を見つけて。
雲の隙間から、一筋の太陽が差し込む。
光がさす方へ、2人は歩いていく。




