6. 残香
銀穂成が消失し、稲粒の残滓だけが河川敷に散らばっていた。
交戦の名残が空気に漂いつつも、川辺は普段の静けさを取り戻している。
隊士たちの合図を確認すると、駒犬たちは森の影から河川敷へ集まり、一斉に水際へ駆け寄った。酷使した喉を潤そうと、鼻面を水に突き出す。連なる水音が河川敷に広がり、水面は陽の光を穏やかに返していた。
その脇で、秋月の狩駒――巌は群れに加わらず、川際に張り出した巨石の陰に身を伏せて主と引き上げられた青年の様子をじっと見守っていた。大きく蛇行する川の流れに沿って、岩が幾重にも連なり、ところどころ木の枝がせり出している。その合間、岩と木々に囲まれたわずかな開け地に、青年は横たえられていた。まだ意識は戻っていない。
護穀、蕾鹿、葉鳥が秋月のもとへ駆け寄る。
「状態はどうだ」
護穀が片膝をつき、身をかがめて青年の呼吸を確かめた。
額にかかる黒髪がさらりと落ち、切れ長の瞳が様子を窺うように揺れる。
「水は吐かせましたが、意識がまだ戻りませんね」
「口で吹き込みしたほうがいいんじゃないか」
チラリと秋月に目を向けると、秋月は静かに頷き、しゃがんだまま場所を譲る。
「確かに。護穀さん、お願いできますか」
「俺じゃない」
「俺じゃないってなんですか?」
やんわりとその役割を押し付け合う二人に、苛立ちを滲ませて蕾鹿が声を荒げる。
「秋月、モタモタしてないで早くやれ!」
その言葉に、秋月は鋭い眼差しで蕾鹿を見上げた。
「隊長」
秋月の右頬に並ぶ小さな二連の黒子が、緊張に引き攣った頬の動きにわずかに歪む。
視線は真っすぐだが、その奥には迷いと覚悟が入り混じる。それでも口調だけは律儀に整え、秋月は静かに続けた。
「俺の初めての口付けは、こんなところで皆に見守られながらですか?」
「もういい、どけッ! 私がやる」
腰の革鞘を乱暴に外して放り出し、大鉈を落とす。
秋月と護穀を強引に押しのけて、蕾鹿は青年の側に膝をついた。
顎のあたりで真っ直ぐに断ち切られた白銀の髪が頬にかかり、赤茶の瞳が青年を捉える。顔を寄せた青年の肌は溺れた影響で青白んでいたが、それを上回るほど蕾鹿の肌は白く透き通っていた。
ふと、何かを感じ取ったように蕾鹿は青年の口元でスン、と鼻を鳴らす。
(土と苦みが混ざったような薬草の匂い――)
赤黒く染まった毛先と指先を目でなぞり、驚いた表情を浮かべたのも束の間、すぐに失笑気味に目を細めた。
そして青年の鼻をつまむと、ためらうことなく唇を重ね、息を一気に吹き込む。
次いで拳を振り上げ、青年の胸を真上から強く叩いた。体を起こして様子を窺うが、反応はない。舌打ち混じりに顔を引き寄せると、今度は頬を平手で容赦なく叩きはじめた。
「おい、さっさと起きろ!」
蕾鹿の傍に立ち、様子を見ていた護穀が秋月に静かに耳打ちする。
「……この人救命処置の知識あんの?」
「応急の教練は一緒に受けましたけど、おれの記憶にはない手順ですね」
「蕾鹿隊長、代わります」
葉鳥が静かに蕾鹿の肩に手を置く。
ため息とともに立ち上がった蕾鹿は、場所を譲ると片足を立てて傍らに座り込んだ。葉鳥は迷いのない手つきで青年の顎に手を添え、気道を確保する。口元を寄せ、息を吹き込むと、続けて胸骨を一定のリズムで圧迫。動きには一切の無駄がない。
「護穀さん、これです。まさに訓練そのままです。さすが葉鳥」
「ありがたい存在だ。拝んでおこう」
二人が手を合わせると、葉鳥は救命動作を続けながら、わずかに呆れた視線を返した。
「お手隙のようなので、代わりに銀米の回収をお願いします」
軽く顔を傾け、顎で吸穂器の方を示す。二人は気まずげに顔を見合わせた。
そのとき。
青年の喉がぐふっと鳴り、体が大きく咳き込むように跳ね上がった。