5. 穂を刈る者たち
草が押し倒され、地面には鋭く削れた痕が続いていた。
銀穂成が通った道筋――散った稲の破片が、朝の光を弾いて淡く揺れる。
『――護穀。まもなく現着。確認次第、動きを止める』
森を抜け、開けた河川敷に飛び出した。
前方に銀穂成の姿を捕捉した走駒・八千代が「オン!」と鋭く吠える。その合図と同時に、護穀は腰から閃光弾を引き抜き、目標めがけて放り投げた。
パァンッ!
強烈な閃光と衝撃音が川面の上で炸裂する。
銀穂成は驚きに震え、白金の稲穂を漣のようにざわめかせた。振り向きかけた巨体は、その光に打たれたように硬直し、横向きに大きく揺らいだ。めまいを起こしたかのように、ゆらゆらと川へ傾いていく。
直後、森側から黒い影が護穀の頭上を越えて飛び出した。漆黒の狩駒――ナリテが川縁へ躍り込み、巨体の手前に着地する。続けざまに地を蹴り、二度目の跳躍で蕾鹿を銀穂成の右背面に押し上げた。鞍に伏せていた蕾鹿は、反動に弾かれるように宙へ舞い上がる。両脇に吊るした大鉈を同時に抜き放ち、空中で交差。落下の勢いを乗せ、右背の稲を一気に斬り払った。
斬り裂かれた稲穂が弾け飛び、細かな粒が川岸を叩く。
しかしその半分は、降り出しの大粒の雨のようにぱちぱちと川面を打ち、そのまま流れにのまれて下流へ滑っていった。
「チッ、場所が悪い……!」
蕾鹿が地を蹴って着地したとき、視界の端に動く影があった。
下流に流される細身の体――
『……秋月、現着――』
「秋月!」
名前を呼ばれ、駆けつけたばかりの秋月が一瞬渋面を浮かべる。
だが蕾鹿の視線を追い、すぐに事態を飲み込んだ。
狩駒――巌が勢いを緩めるより先に、秋月は跳ねるように地面へ飛び降りる。装具をいくつか外しながら、ためらいなく川へと身を投げた。流れの先に漂う人影へ、真っすぐ泳ぎ出す。
背でざわりと音を立て、銀穂成の稲が再び芽吹き始めた。
斬り落としたはずの箇所が、何事もなかったように復元されていく。
「クソ! 再生が始まった。刈れるのは残り二回か。もったいねぇ」
『……葉鳥、現着しました』
合流した葉鳥が走駒・サザレの背から飛び降り、駆け足で護穀の元へと向かう。
「状況は?」
「閃光弾で足止め中。蕾鹿が刈って、一回目の再生が終わったところだ。民間人ひとりが川に落下、秋月が救助に向かっている」
葉鳥はうなずきながら視線を走らせ、戦況を一望する。
「銀穂成が動き出す前に、済ませましょう」
吸穂装具の留め具を外し、吸口の操作を確認しようとしたその時。
伝搬機が物見櫓の音を拾い、雑音交じりに繋がった。
『……あ、あ。こちら管理棟から稲波。みんな聴こえてるか?』
全員が伝搬機の入った耳を片手で触れて確認する。
支部隊長――
「葉鳥です。聴こえています。現在対象と交戦中。……管理棟に入るなんて、珍しいですね」
『ウン。取り急ぎ要件だけ。全員、交戦中止。森まで退避して。即だよ、即』
「はァ〜!? まだ半分も刈れてないってのに……」
舌打ちとともに荒い息を吐いた蕾鹿は、握っていた二振りの大鉈を腰の革鞘へ荒々しく差し込んだ。ナリテに合図を送り、勢いよく鞍に跨り直すと「退くぞ」と声を飛ばす。葉鳥と護穀に合流し、三人揃って奥の森へ駆け込んだ。
『秋月です……民間人、岸に……上げました……ッ。ゴホッ……こっちは、どうしますか……?』
『お疲れ。秋月は岩陰にそのまま身を伏せて待機で大丈夫』
ピクリ、と銀穂成が正気を戻す。
次の瞬間、全身を覆う稲穂が一気に逆立ち、閃光をまとって弾け飛んだ。無数の稲粒が弾丸と化し、川岸一帯を叩きつけるように撃ち放たれる。
「後ろへ!」
駒犬の身を翻し、護穀は仲間の前に割り込むように走らせる。
腰から引き抜いた傘をひねると、骨組みがスクリューの歯のように開き、さらに押し広げられて大盾へと変わる。散った稲粒の流れ弾がぱらぱらと当たり、乾いた音を立てて弾かれた。葉鳥が目を見開く。
「三度刈り以降にしか出ないはずの反撃が、何故」
『……みんな無事か? ちょっとそのまま静かに様子見てて』
稲を撃ち尽くした銀穂成は周囲を伺うように首を回し、やがて静かに身を伏せる。
帯電が抜けるように、逆立った稲が収まっていく。川縁に鼻を寄せ、ヒクヒクと動かしながら水を飲み始めた。背が上下し、深い息遣いが伝わってくる。
しばらく飲み続けたのち、銀穂成は落ち着きを取り戻したかのようにゆっくりと空を仰ぐと、その身体は光に溶け、陽炎のようにほどけながら消えていった。
「銀穂成、消失しました……。稲波隊長、これは」
葉鳥が訝しむように報告する。
『――説明はあと。俺もそっちに向かうから。米の回収よりまず民間人の保護、救命処置が必要なら迅速に。以上』
「……ひゃ〜、危なかった」
通信が切れたのを確認し、岩場に隠れていた秋月が身を起こす。
側に横たえた青年の胸に耳を寄せ、脈を確かめた。わずかに感じ取れる拍動に安堵しつつ、体を横向けにして背をさする。喉が鳴り、口端から水がこぼれた。 瞼は閉じたままで意識は戻らない。
「……まだ戻らないか」
秋月は青年の血色を失った顔を見つめ、低くつぶやいた。