3. 狼煙
「子型の銀穂成、こちらで出現確認しました! 体長は、おおよそ十数尺(五〜六メートル)……方角は……えっと……」
物見櫓の上、双眼鏡を構えた短髪の青年が言い淀む。耳にはめた伝搬機から、すぐさま籠った怒声が響いた。
『何をもたもたしている! 報告を急げ』
「す、すいません! いま地図を……」
青年が慌てて鞄を探ろうとした時、背後から伸びた手が彼の耳から伝搬機を、そして双眼鏡を奪い取った。
「貸して」
背に長い三つ編みを垂らした少女が視界を覗き込み、落ち着いた声で言葉を繋ぐ。
「子型、座標北四・西五。このまま直進すれば二里先にある村を通過します。推定一刻後……八房川前で迎え撃つのが妥当かと」
伝搬機に向かって少女は矢継ぎ早に告げる。
「狩駒では間に合いません。走駒で。……八千代に頑張ってもらいましょう。第四遊撃隊に出動を要請済みです。蕾鹿隊が着くまで持ちこたえてください。こちらもすぐに向かいます。以上」
少女は片手で耳から伝搬機を外すと、双眼鏡を青年へ投げ返し、物見櫓の降り口に向かって翻った。
「葉鳥さん、すみません。助かりました!」
慌てて頭を下げる青年に、少女は小さく息をつき、淡々と返す。
「位置報告くらい、すぐできるようにしておいてください。私も現場に向かうので、引き続きこちらにも繋ぎ、随時状況報告をお願いします」
葉鳥は梯子を数段飛ばして跳び降りると、隣接の駐屯小屋の扉を開く。壁には、面頬、黒革の手甲、胴当てなどが整然と吊るされていた。装備に手を伸ばし、順番に身に着けていく。革のきしみ、金具の小さな音――準備の音が、小屋の中に静かに響いた。
最後に、黒い組み木の背装具を手に取る。胴ほどの大きさの器に長い管が巻きつき、吸い口を開けば稲籾を吸い上げる仕組みだ。見た目より軽く、扱いやすい。背に担ぎ、留め具をカチリと締める。
外に出ると、赤い鞍をつけた白い駒犬――サザレが背を伏せ、尻尾を大きく振って待っていた。葉鳥が跨がると、視界が一気に人の倍ほどの高さに跳ね上がる。
「サザレ。全速力で行くよ」
長い首筋を軽く叩き、手綱を握る。サザレは低く唸り、次の瞬間には前脚を振り上げ、地を蹴って加速した。
「――第四回収隊、葉鳥。走駒・サザレで目標座標に向かって移動を開始。八房川到着予定時刻はおおよそ卯の刻の半ば(六時半)」
『――第四防御隊、護穀。走駒・八千代で現場に急行中。卯の刻に到着予定。以上』
『――第四遊撃隊、秋月。狩駒・巌で西拠点から移動中。恐らく先に蕾鹿隊長が現着する。追って報告。以上』
『――蕾鹿。狩駒・ナリテ。卯の刻前に到着。以上。秋月、遅い。死んどけ。以上』
『――秋月。死なない。以上』
葉鳥は遊撃隊二人のやりとりに小さく笑いを漏らす。しかし、要請時刻を考えると蕾鹿隊長の到着速度は異常だ。おそらく報告を待たずに、すでに現場へ向かっていたのだろう。彼女は、穂成に対して勘が鋭すぎる。
八房川に繋がる森に入る。
サザレが地を蹴るたび、朝露に濡れた草が水を弾き、木々の香りが溶ける冷たい空気が鼻を抜けていった。絶え間ない揺れと風圧が全身を揺さぶり、戦いに向けた集中だけが残っていく。地面の起伏や岩の位置を正確に見極めながら、サザレは無駄のない走りで加速を続けた。
『葉鳥さん、すみません! 報告があります』
物見櫓の青年から通信が入る。その声色に葉鳥はわずかに緊張感を高めた。
「何かありましたか?」
『何者かが、銀穂成と交戦しています! 背格好から見て……刈人隊ではありません』
葉鳥の眉がぴくりと動いた。
銀穂成の米を狙う賊や密売人の噂はあったが――それにしても早い。刈人隊より先に気付くとなれば、組織的犯行の可能性がある。
「人数は?」
『一人です』
「一人……?」
『はい。俺と同じくらいの若い男で、恐らく十七歳前後。軽装備ですし、民間人のように見えます。ただ……動きが異常に良くて』
葉鳥は考え込むように目を細める。状況は分からないが、事態はより急を要することになった。通信を切り替え、蕾鹿に繋ぐ。
「蕾鹿隊長、報告です。現場に民間人がいます。十七歳前後の男で、単独で子型と交戦中とのこと」
『うーわ、クソ。まぁ、了解。――秋月、聞いてたよな? 卯の刻過ぎまでに必着。来れなきゃ殺す。以上』
『…………』
通信が切れた。葉鳥は、手綱を強く握り直す。前方。森の陰に霞む空が、少しずつ赤みを帯びていく。保護対象、銀穂成、複数隊の到着――いくつもの計算が、葉鳥の頭の中で並列に走っていた。