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9. 赤い実

 寝床の中で、かやはフユイチゴの実を一粒、目の前に掲げていた。透明な赤が、格子窓から差し込む朝日を細く返し、小さな宝石のようにきらめいて見える。


「キレイ……」


 吸い込まれそうな、胸が詰まるような、不思議な多幸感が喉もとまで満ちてくる。赤い実を眺めていると山での恐怖も、母に尻を叩かれた痛みも、昨晩の夢の中へ落としたみたいに薄らいでいく。かやはその熱っぽさを逃がすように小さなため息をついた。


「かや、起きろ。母さんもう出たぞ。ぼちぼち畑仕事に……ん、なに見てるんだ?」

 

 兄のトウの声かけに、我に返ったかやは慌ててフユイチゴを手の中に隠した。


「な、なんでもない!すぐ起きる」


 誤魔化すように跳ね起き、髪をかき上げて身支度に取りかかる。明らかに動揺するかやの様子に、トウは「ははーん」と声を漏らし、顎をさすって目を細めた。


「さては昨日、山で見つけた果実をこっそり独り占めしてるんだろ」

「ち、ちがうよ! これは、その……貰ったものだから」


 狼狽するかやに、トウは怪訝そうに眉を寄せる。


「貰った? 誰に」

「えっと……」


 もごもごと口を濁す様子に、トウは呆れたようにため息をついた。


「穂鷹だな?」

「! なんで」

「お前がそうやってもじもじする時は、たいていアイツが絡んでることだからな」


 図星を突かれ、かやの耳たぶがじわりと熱を帯びる。トウは腰を下ろすと、少し柔らかい声で続けた。


「まあ、気持ちはわからんでもない。アイツはなかなか男前だし、頼り甲斐もある。優しいしな」


 トウの言葉に背を押されたように、かやは身を乗り出した。


「そう! その優しさが押し付けがましくなくて、いつもさりげないんだよ」


 トウは頷き、さらに言葉を添える。


「家族をすごく大事にしてるよな。自己犠牲の精神が強くて、繊細で、ほっとけないところもある」


「そうなの! それなのにあの赤穂成ですら、簡単に倒すくらい強いんだよ。私を助けてくれたときも、すごくカッコよくて……」


 かやは両手を胸の前で組み、瞳に淡い光を宿して遠くを見つめた。脳裏には、山での穂鷹の勇姿が浮かんでいるのだろう。その横顔に、トウはうっすらと疑念をにじませた。


「お前まさか、アイツに助けてもらう目的で、わざと山に入ったんじゃないだろうな?」


「ち、違う! ただ食べ物をなんとかしなきゃって、それだけで……でも、本当に迂闊だった。みんなにも心配かけたし、もうしないよ……」


 勢いよく否定したものの、しだいに声が小さくなり、最後には申し訳なさそうに目を伏せた。しょんぼりと背を丸めた姿には、反省している様子がはっきりと見て取れる。トウは思わずフッと笑いを漏らしたが、すぐにその笑みを消し、何かを思い巡らせるように黙り込んだ。


 やがて意を固めたように顔を上げ、かやをまっすぐに見つめた。


「お前の気持ちはわかってる。分かった上で言う。穂鷹に想いを寄せるのは――もう、やめとけ」


 その言葉にハッとした表情で顔をあげる。すぐに何か反論しようとしたが、兄の言葉がそれを遮った。


「この先、お前が穂鷹と一緒になれることはない。赤穂成の米を食ってるやつに、お前をやるわけにはいかないからな……それに」


 トウの声がわずかにうわずる。


「正直、俺はアイツの人並み外れた強さが怖い。赤穂成に染まってるみたいな身体の色もな」


 かやは悲しげに目を伏せ、言葉を失った。掌を開き、中のフユイチゴを見つめる。体温にさらされていたせいか、艶やかだった果皮はわずかに濁り、形もかすかに崩れていた。


 その時、戸口が軽く叩かれた。トウが土間に降りて戸を引くと、そこには穂鷹の弟・真鴨が立っていた。


「トウくん。かやちゃん、穂鷹兄ちゃん、知らない?」


 顔を上げた真鴨の瞳は、心細げに揺れている。


「いや……どうかしたのか?」


 かやも支度を済ませ、土間に降りる。


「朝起きたら、いなくて。今日は一緒に魚獲る約束してたんだ。……もしかしたら、先に行っちゃったのかなぁ」


 草履のつま先で砂をいじりながら、小さな肩がしゅんと落ちる。栄養状態のせいか、真鴨の身体は八歳という年齢にしてはどこか頼りなく、儚げな印象すらあった。


「魚獲りってことは、山裾の清流だよな? 先に下見に行ってるんじゃないか。最近、赤穂成が近くまで降りてくることもあるし」


 トウの声にかぶせるように、かやがしゃがんで目線を合わせ、そっと尋ねる。


「鈴芽ちゃんも知らないの?」


 真鴨はコクリと小さくうなずいた。


「うん。起きたら、もういなかったんだって」


 誰にも伝えずに出かけるなんて、穂鷹の性格を思えば少し珍しい。かやの胸にも、不安が滲む。真鴨は拗ねるように口を尖らせると拳をギュッと握って呟いた。


「川に行く」

「分かった、わたしも一緒に行くよ」

「おいおい……」


 トウが顔をしかめる。


「一人で行かせるわけにはいかないでしょ。いなかったら、すぐ戻ってくるから」


 そう言って、かやは真鴨の手をしっかりと握ると、村はずれの清流へ向かった。

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