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ミッドランドの物語のひとつ。
南部のゼルガド丘陵の廃砦がいつの間にか修復され、ダークエルフの集団と邪悪なトロールによって占拠されているという報告を受けた辺境の城主ケルビンは昼間に手勢1000を引き連れ、やや離れた丘の上に布陣した。
歴戦の大将の元、今まで幾度となくダークエルフたちと戦ってきた兵士たちの士気は高い。
彼らは主の采配に、絶対の信頼を置いていた。
設営した大テントの中、立派な鎧に身を固めた30歳の精悍な城主は、複数の物見が持ち帰った情報を精査し、攻撃の計画を練っている。
兵数では3倍を有するが、トロールの再生能力を加味すれば、籠砦した敵軍を押し切るには足らない。
ケルビンは援軍を待っていた。
天幕を上げ、毛皮を着たスキンヘッドの20代前半の目付きの鋭い若者が、大男2人の護衛を連れて入ってくる。
ケルビンは腰を上げ、筋肉質な半裸の蛮族たちを迎えた。
「ダンバ殿」
ダンバはギロッとケルビンを見ただけで、握手にも応じない。
不機嫌そうな顔で、テーブルの席に着いた。
ケルビンも自席に戻り、2人は向かい合う。
かつてケルビンの祖父とダンバの祖父は領地の境界を巡り、何度も戦った。
しかし、長い戦いの末、次の代で和平を結び、現在に至っている。
ダンバは以前の祖父に近い考えを持っており、今は父の顔を立ててはいるが、どの席で会っても、ケルビンへの不満を隠さなかった。
「オレは親父の名代で来た。それだけだ」
ダンバがムスッとした顔で、口を開く。
「ああ。ありがたい」
ケルビンは頷いた。
ダンバの兵、500を加えれば戦力は敵の5倍。
これで勝率は高まった。
だが、ダンバの次の言葉で、ケルビンは青ざめる。
「オレはオレで、勝手にやる」
「な!?」
これには、天幕内のケルビンの家臣たちも気色ばんだ。
連携してこそ、兵力差は生きる。
「まさか、そのまま攻めるつもりか?」
「ああ、そうだ。ダークエルフなど、何するものぞ」
ダンバの鼻息は荒い。
確かに蛮族は強い。
1人で3人分の働きはするだろう。
しかし、敵砦に正面から突撃するなど、無謀であった。
「砦の裏手から、別働隊で挟撃する案がある」
「ハー! お前たちらしいな! オレたちは、そんな卑怯な真似はせん!」
「戦に卑怯はない! 無駄に犠牲を出さぬためだ!」
「ああ、分かった。好きにしろ。オレも好きにする」
ダンバが席を立つ。
「待て!」
「お前がそうして座っている間に、オレと兄弟たちは敵を皆殺す! オレの周りで邪悪なものを、のさばらせはせん!」
ケルビンから視線を外したダンバが、出口に向かった。
「待ちなさい」
女の澄んだ声がした。
白い鎧を着た、胸元までの桃色ロングヘアの美しい娘が天幕に入ってくる。
肩に銀の弓をかけていた。
ケルビンは驚く。
入口を見張っていた兵士たちは何故、簡単に彼女を通したのか。
「何だ、お前は?」
ダンバが、娘をにらむ。
娘は真っ直ぐに見つめ返した。
若さに合わぬ思慮深く神秘的な瞳に、ダンバもケルビンも、しばし言葉を失くしてしまう。
「私はネクターシャ。7聖女の1人です」
「聖女様!」
ケルビンは思わず大声をあげた。
彼女の前に跪く。
この世界で悪と戦う7聖女の伝説は、代々語り継がれていた。
ダンバは動かない。
「ダンバ! 不敬だぞ!」
ケルビンは怒鳴った。
「お前たちの聖女だろ。オレには関係ない」
ダンバが、再び歩きだそうとする。
しかし、ネクターシャは退かない。
「聞きなさい」
「退け、女!」
「聞きなさい」
繰り返す彼女の声は優しい。
その穏やかな響きに、ダンバも捕らわれた。
「敵は見えるものだけではない。悪と闇が力を貸しています。時には勝つ策も必要です」
「おう。卑怯者と女で、その勝つ策とやらをしろ。オレは男の戦いをする」
「ダンバ!」
ケルビンが、腰の剣に手をかけた。
「やめなさい」
聖女が城主に視線を向けた。
その慈愛に溢れた眼差しに、ケルビンはすぐに平伏する。
昔、祖母から聞いた伝説の聖女に違いない。
祖母は何度も「ええ、ええ。見ればひと目で分かるよ。本当に爽やかで優しくて、清々しい御方なんだから」と、寝物語に教えてくれた。