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3.頭は元気ですか

 ところで、と、マガネの叫びなど丸っと無視をして、リスイはマガネの背後に笑いかけている。にっこりという音がつきそうな笑顔であるのに、笑っているのに笑っていない、そんな顔のような気がした。いや、顔は確かに笑っているのだ。けれど、その濃い紫色の瞳が笑っていないのだ。

 ぶらんとぶら下げられたままに、マガネはリスイの顔をしっかりと確認する。短く切られた黒い髪、切れ長の濃い紫の瞳。肌の色が少し濃いのは、日に焼けているからだろう。どこもかしこも白いマガネとは、リスイの色彩は真逆だった。嵌めている手袋だって、黒い色であるし。

 そんな風にじっと見ていたからか、リスイがマガネの視線に気付く。マガネと視線を合わせたリスイは、それだけで笑顔の種類を変える。まったく器用なことだと思いながらも、やはりその顔立ちはマガネ好みのもので、それだけでやはり心臓が跳ねる。

 それから、少し下へと視線を動かした。その腰には剣がある。地下とは言え、一応ここはフォルモントの王城内部だ。その王城の内部で帯剣が赦されているとなると、その身分は限られてくる。いつの間に自分の知らない護衛なり兵士なりが雇われたのだろう。もうかれこれ三年も地下に引きこもっているからか、そんなこともあるのかもしれない。


「そのような顔で俺を見ないでください、マガネ様。嬉しくなってしまいます」

「はい?」

「そうそう、コウに言うことがあったのを忘れていました。マガネ様と目が合ったので、つい」


 この男は本当に、何を言っているのだろうか。

 マガネが思うことなど、それだけである。マガネはまったくリスイのことは記憶にないが、リスイはまるでマガネのことを知っているようで、しかも突然の求婚ときた。


「いつまで、マガネ様に、触っているんです? しかもそのように、猫の子のような……マガネ様に触れるのならもっと大切に抱き上げるべきでしょう。ああでもそれはそれでコウがマガネ様を抱き上げるとか到底赦せませんね。想像だけで忌々しいので殺して良いですか?」


 リスイの声が、少しだけ低くなったような気がする。器用なものでコーウェルの方を視線を向けたリスイはまた、笑っているのに笑っていない笑顔に表情を変えていた。


「お前、頭は元気か? こいつの扱いなんざ、これで十分だ」

「俺は至って正常です」


 どうでもいいが、そろそろ本当に下ろしてはもらえないだろうか。と、そう考えるマガネの頭の中からは、『暴れる』という選択肢が綺麗さっぱり消えている。諦めたとかそういうわけではなくて、状況についていけていないだけだ。

 そういえばリスイは、王に許可を得ていると言っていなかったか。何を勝手なことを言っているのだあの春風王、心の中でそんな悪態を吐いても、それが誰かに届くことはない。


「お前のその喋り方も気持ち悪いな」

「マガネ様の前ですので」


 コーウェルとリスイの会話は、まだ続いている。

 どうやら馬鹿に丁寧なリスイの口調は、彼本来のものではないらしい。


「で、本当に、いつまで触っているんですか? いくらコウでも、その腕、切り落としますよ?」


 物騒なことばと共に、リスイが腰に吊るしている剣に手をかけた。

 この程度のことでコーウェルが怯えるとも思えなかったが、意外なことにコーウェルはあっさりとマガネから手を離した。


「分かったよ、ほら」


 決してぶら下げられていたかったわけではないが、あろうことかマガネを放り出すようにしたコーウェルには腹も立つ。


「もう少しやりようがあるでしょう、コーウェル・シュエット!」

「あ?」


 ようやく見えたその顔は、心底嫌そうに歪んでいた。そもそもコーウェルがマガネに対してにこやかに対応するとか、そんなことは有り得ない。知っているので、そんなことはどうでもいい。

 真っ赤な瞳が、憎いものを見るかのようにマガネを見ていた。表面上どう取り繕うとも、コーウェルの中にあるマガネへの憎悪が消えることはないだろう。別にマガネも赦してくれと言うつもりはないし、何を問われようとも「あれが最善だった」としか答えようはない。


「お前、自分が俺にしたこと、分かって物言ってんのか」

「分かっておりますが何か。分かって後悔して、その上で生き恥を晒しているのですよ、私は」


 理由は単純、生きている方が抑止力になるから。それだけだ。

 そうでないのなら、マガネもあの人と一緒に死を選んでいただろう。この国が解放されて、新王が即位した、そのときに。

 コーウェルとてマガネが生きていることが業腹だろうに、それでも彼はマガネを殺さない――いや、殺せない、という方が正しいか。


「行きますよ。コーウェル・シュエットと、ええと……リスイ、殿?」


 ぱん、と、白い服の裾を払った。それからリスイの名前を呼んでその顔を見れば、何やら複雑そうな顔をしている。


「リスイで結構です、マガネ様」

「そうですか。ではリスイ、行きますよ」


 そもそも彼は、何のためにマガネに求婚などしたのだろう。一応は成人している、けれどこんな悪評ばかりの地下の『蟲』に対して、一体どんな得があるというのか。

 もしや何か裏があるのかとリスイの顔を見れば、彼はやけに嬉しそうな顔をしていた。身長差のせいで見上げる形になって、ずっと見ていると絶対に首が疲れる。


「何です、その顔」


 ただ見ただけで嬉しそうにされる理由が分からずに、問いを口にした。


「マガネ様に名前を呼んでいただけるとは、嬉しすぎてどうにかなりそうです」


 コーウェルのことは大嫌いだが、今だけは彼に同意してもいい。

 この男は、おかしい。これが演技なのならばともかく、演技ではないのなら、尚更に。まだ「腹立たしくてどうにかなりそうだ」と言われる方が納得がいくというか、言われ慣れている。


「頭、元気だとは思えないのですよ」


 頭は元気かと、コーウェルが言っていた。まったくその通り、リスイの頭は正常なのか。一体彼の目にはマガネがどのように見えているのだろう。

 やはり演技ですと言われる方が、納得がいく。その瞳に憎悪とか、嫌悪とか、侮蔑とか、そういうものを宿していてくれた方が納得がいく。けれどマガネがどれだけその濃い紫色の瞳を覗き込んでも、リスイの中にはそういう感情が見えてこない。

 これでも、人の観察は得意な方だったはずなのに。観察する方法を、叩きこまれたはずなのに。


「いいえ、至って正常です」

「……そうですか」


 彼にこれ以上何を言っても埒が明かない。ならばやはり、彼に許可を出した人間に問い質しに行くべきだ。

 なぜマガネが地下に引きこもったのか。そうあることを決めたのは、フォルモントの王だ。だというのにその王が、マガネの結婚の許可を出したのだという。

 つまりより強固な首枷をマガネにつけようということなのかもしれないが、それにしたって結婚はない。生贄役に選ばれたのか自ら立候補したのか分からないが、リスイも少しは考えるべきではないのか。


「で、どこ行くつもりだ」

「心配なら監視しておけば良いのです、いつも通り。必要ないですけどね」


 マガネが外に出るときは必ず、監視がつく。といってもマガネがこの部屋を出るなど、だいたい宰相に呼び出されたとか、それくらいのものだ。

 外と関わらせない、城から出さない、馬鹿なふりをしておけ、そうしてお前は生きていろ。そう命じたのは王であるのに、どうして今更こんなことになったのか。この三年間マガネは満足していたし、むしろ悠々自適な生活最高、一生このままでいい、そう思っていた。

 まさかマガネがそう思っていたから、王は遠回しな復讐でもしたくなったのか。それはそれで悪趣味というか、性格が悪すぎる――ああいや、性格が悪いのは今に始まったことではないか。


「寄り道せず、真っ直ぐ行きますよ。この真上に」


 上、と、マガネは真っ直ぐに指差した。

 この地下室、この蟲小屋の真上には、玉座の間。その風貌は爽やかな春風の如しとかいう、マガネとしては腹を抱えて笑いたくなる賛辞を受けるフォルモントの王が、日中偉そうにふんぞり返っている場所だった。

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