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14.どうしたら貴女は信じてくれますか

 それから、数日。

 表面上は大して何も変わりのない日が続いていた。リスイは毎日のように城へと出勤していくが、マガネは何か用事があるわけでもない。だから一日中屋敷の中にいて、そして本を読む。結局地下室から場所が変わっただけで、やっていることは同じだった。

 地下室にあった壺はようやく終わったところで、かぱりと蓋を開けてみれば、思いもよらぬものが生き残っていた。これはこれで使い道があるかと、連れて戻ってきたのは昨日のこと。


「ナハトヤール……ああ、ありました」


 本の上を、日に焼けていないせいで白いだけの指が滑る。どこかで聞いたのだという記憶はあったが、それが遠い記憶すぎて忘れてしまっていた。

 それは、フォルモントにはいるはずのないもの。彼らの住処は海の向こう、南の海上にある切り立った崖に囲まれて外からは侵攻できない天然の要塞、風の帝国アイオリア。その国には飛竜が空を飛び、走竜が地を走り、そして竜の血を引く亜人がいる。

 亜人種というものが、フォルモントにはいなかった。だから、講義の上での知識でしかなかったとも言う。

 マガネの指先が示したのは、竜鱗族(リーグ)と呼ばれる亜人種である。彼らは竜にも変じられる、そしてその種族によって、家名が決まっている。

 ナハトヤールもホロロギオルムも、どちらも竜鱗族(リーグ)の種族の名前だ。冥夜竜ナハトヤールと、死毒竜ホロロギオルム。それはかつて竜鱗族(リーグ)に血を分けた竜の名前だというが、その信憑性は如何ほどのものなのだろう。

 竜鱗族(リーグ)は圧倒的に男が多いのだという。彼らは整った容姿と恵まれた体躯を持ち、腕力や脚力は人間のそれを凌駕する。それから竜であるがゆえに、非常に独占欲が強くて自分の宝を奪うものを赦さない。

 果たしてこの本の記述は、どこまでが真実なのだろう。


「冥夜の竜……」


 死毒竜ホロロギオルムは、そのまま読んで字のごとく。

 竜鱗族(リーグ)は種族ごとに、かつて血を与えた竜の特性を得るのだという。死毒竜ホロロギオルムそのものは体内で毒を生成したと言われている。冥夜竜ナハトヤールは人の心を読んだと言われている。そのままに特性を引き継いでいるわけではなく弱まっているとはあるが、その詳細は記述がなかった。

 机の上に積まれた本を眺めて、それからぱたりと本を閉じた。机の上に置かれた本は竜や亜人に関するものばかりではあるが、竜鱗族(リーグ)についての記述は少ない。今手にしていたこの本が、一番詳しいくらいのものだろう。

 その通りであるというのならば、リスイは竜鱗族(リーグ)ということになる。確かにその記述に当て嵌まる部分はあるが、こればかりは本人に聞かなければ分からない。

 窓の外の陽は、傾き始めていた。目を閉じて思い出すのは丘の上。白い花が咲き乱れる丘の上で、ファードが言ったのだ――「この国は美しいだろう」と。


「ファード様」


 フォルモントの王族に絡みついたアグリフォリオという蔦を、先々代の王であるファードは何より嫌った。そしてファードはアグリフォリオの人間を母としながら、王になった後にアグリフォリオ家を遠ざけようとした。けれどそのときアグリフォリオ家の権勢は最盛期、その意に反したファードは早々に王位を退くことになった。

 そのとき、ファードは何歳だったか。アグリフォリオの介入を排除するために正妃は別の家から迎え、生まれた王子アルドルトにはアグリフォリオからは縁遠い家の令嬢との婚約を整えた。けれど、ファードが在位の間にできたのはそれだけだった。


「この国は今も、美しいですか」


 早々に退位に追い込まれたファードは、王家の直轄領に追いやられた。けれど、ファードはそれで諦めたりはしなかった。

 退位した王の暇つぶしなどと称して孤児を集めたのは、手駒を作るため。その中でもテオとマガネは、ファードが手塩にかけて育てたと言っても良い。

 ゆるりと、目を開いた。あの花はここにはなく、むしろ飾り気のない室内が広がるばかりだ。マガネがそうしようと思わない限り、この屋敷に花が飾られることはないだろう。


「貴方を生かす選択もできました。でも、しなかった」


 ファードは自分を最後に殺すようにマガネに言ったが、マガネはファードを生かす選択肢も取れたのだ。すべてはファードの思惑ということにして、ファードの後ろ盾でイフェイオンを即位させても構わなかった。

 けれど、マガネはそうしなかったのだ。「分かりました」と告げて、ファードを殺す選択をした。それを告げたときのファードの顔は、今でも忘れていない。

 安堵したような、重荷を下ろしたような、そんな顔をしていた。そして、マガネを哀れむような顔をしていた。それが、ひどく腹立たしかったことを覚えている。「貴方が私をこんな風にしたのでしょう」と、そう叫べたのならばどれだけ良かったか。


「私は私自身の復讐のため――貴方を、殺したんです」


 お前にしようと、ファードが言った。そのきっかけとなったのが何だったのかも、覚えている。

 そうして決められたから、マガネはすべてをファードに取り上げられたのだ。家族というものも、子どもらしく享受できたものも、何もかも、すべて。


「こちらにいらしたのですね、マガネ様」


 そんなマガネの思考は、リスイの声で断ち切られた。いつ帰ってきたのかは分からないが、彼は手に紙袋を持ったまま部屋の入口のとろこに立っている。

 思えば、扉は開けっ放しだった。どうせ他に誰もいない屋敷だ、開けていようが閉めていようが何も変わりはないけれど。


「食事にしませんか、すぐに作りますので」

「……いつも思うのですが、作っていただかなくとも自分で何とかするのです」

「駄目です」


 リスイが手にしているものは、今日の食事を作るのに必要な食材だろう。結婚して以降、というよりはマガネがここに越してきて以降、リスイは朝も夕も食事を作っている。こういうことは得意ですと言うので料理などまったくできないマガネはリスイに任せきりにしているが、本当にそれで良いのかは疑問だ。

 そもそも、マガネは本当に何も身の回りのことができないのだ。料理はもとより、片付けもできない。だから本を本棚に詰め込むようなことをして、ぎゅっと詰め込んでぱーんと弾けるようなことになる。

 そういうことを、ファードはマガネに教えなかった。どうせ使用人がやることで、使用人を仕事を奪うことになるのだから必要ない、そう教えられた。


「マガネ様、食事は体を作るものです」


 人間とは食べたもので作られる。それは、その通りだ。


「貴女の食べるものは、俺が作ります。そうしたら貴女の体は全部、俺の手が入ったものに作り替わっていくでしょう?」

「その思考回路は理解ができないのですよ……」


 一体誰がこのリスイの発言に、「その通りだ」と同意をするだろう。料理にリスイの手が入っていようといなかろうとマガネの体になることに変わりはなく、小麦のような食材が調理者によって何か変貌するわけでもない。


「愛しているふりが上手なのです、リスイは。その調子で私ではなく、ミゼリィ・アグリフォリオを篭絡して欲しいのです」


 彼の言葉に思うところを述べれば、リスイがぴたりと動きを止めた。


「……愛しているふり?」


 とん、と、紙袋が入口近くの本棚に置かれた。本の手前、絶妙な均衡を保って紙袋が乗っている。

 つかつかとリスイは部屋の奥まで進み、マガネのいる机の際までやってきた。窓から差し込んだ陽の光はすっかり橙色で、どこかフリュイテ教団の教団服にも似ている。


「待っていようと思ったのですが、どうもそういうわけにはいかなさそうですね。貴女の心が俺に向くまではと、我慢していた俺が悪いのでしょうか」


 暗い紫色の瞳は、じっとマガネを見ている。目を逸らすのもどうかと思って、マガネはその目を真っ直ぐに見た。

 どうしてだろうか、リスイが傷付いているようにも見える。何か悪いことを言ったような、そんな罪悪感が生まれてきそうなほどには。 


「何故、そう思ったのか。お聞かせ願いましょうか」

「何故って……」


 理由は、簡単だ。

 リスイがシュアルと話しているのを聞いた、それだけだ。けれどそれを彼に伝えて良いものなのか、それは迷う。あれが誰にも聞かれてはいけないものだった場合、最悪マガネはここで消されるだろう。

 果たして対抗する術があるかと、袖口の中を確かめる。ぎちぎちと、小さな音がした。


「どうしたら貴女は信じてくれますか。言葉を重ねても駄目なら、やはり実力行使に出ましょうか。できるだけそういうことはしたくないのですが」


 愛しているとは、言われたことがある。けれど、人の心など分からない。それこそ先ほど見た、冥夜竜ナハトヤールでもない限りは。あれとて、本当にそれが分かったのかは疑問だけれども。

 黙っていたところで、結局は平行線だ。だから、マガネは正直に述べることにした。


「リスイが好きなのは私ではなくて、ネリネ様でしょう」

「待ってください、何をどう考えたらそんな意味の分からない結論になるんです。嫌ですよ、あんな何を考えているか分からない、笑顔で人を手の平の上で転がすような腹黒は」

「でも、赤鴉(ルベル・コルウス)と話していたのを聞いたのです。添い遂げたいとか、他の人間は目に入らないとか」

「それ、いつの話です」

「結婚してすぐ、ニネミア様に呼び出された日なのです」


 眉間に皺を寄せて、リスイが何かを考え込んでいる。それから思い立ったのか、リスイはため息をひとつ吐き出した。


「あー……ああ、あれ。聞いておられたのですか。誰かいるとは思いましたが、敵意もないですしその後も何もなかったので捨て置いておりました。マガネ様だったのですね」


 気付かれては、いたらしい。


「あれは、俺のことではありませんよ」

「そう、なのです? では誰のことを?」

「……マガネ様。俺が言うのも難ですが、そこで疑うとかないんですね」

「疑うのなら、もう少し話を聞いてからです。嘘を吐く場合、そこに更に嘘を重ねることになって、どこかで破綻しますから」


 即座に疑っていては、事実どこからが嘘でどこまでが真実なのか分からなくなる。そもそも一旦は信じておいて、破綻している箇所がないかを探す方が面倒がない。

 ひとつ嘘をつけば、その嘘を隠すために嘘を重ねることになる。追求していけば、答えを用意していなければ急場の嘘が必要になり、それが続けばいずれは襤褸(ぼろ)が出る。だから、マガネは疑わずに疑問を投げた。


「食事をしてから、話をしましょう。俺は貴女とは別で動いていたので、その辺りの説明は貴女にしておりませんでしたから」


 リスイは、マガネと結婚をするために誰に働きかけたか。テオがこの屋敷に来た日、誰からの遣いがリスイを呼び出していたか。

 思い至った名前を、マガネは口にする。


「……リンザール・クロッツ」

「流石ですね。その通りです。俺は将軍と通じて、イベリス・アグリフォリオとネリネ様の婚約を破棄させるように動いています。もっともまだ、陛下には言っていませんがね」

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