13.相変わらず最低なのです
テオが現れたというのに、リスイはマガネの服から手を離そうとしない。むしろ嫌そうにテオを睨んでいて、「邪魔だ」とでも言わんばかりの顔をしている。けれどテオはやはり気にした様子もなく、再度欠伸を噛み殺していた。
一応、噛み殺してはいるらしい。噛み殺しているのか欠伸をしているのか、その間くらいのものだけれども。
「わざわざこの僕が、結婚生活が円満か確認しに来てやったのに」
フリュイテ教団の教団服は熟れた杏の色をしている。裾の方にいくにつれ赤くなるその服は、まるで花弁のようでもあった。
聖フリュイテはこの色を纏い、そして人に一途な愛を説いたという。
「誰も頼んでない」
「頼まれなくても来るものだからね。残念でした」
テオはこの教団服が、どうしようもなく似合わない。多分それはこの何もかもが面倒そうというか、とにかく怠惰でしかない雰囲気であるとか、髪や目の色彩であるとか、そういう彼を構成するものが原因だ。
「マガネは結局こうなったし、笑える」
「……陛下からの書類を見て、これは面白くなってきたとわざわざ護衛もつけずに足を運んできた。そういうことですか、テオ」
「せーいかーい。何でこんな面白そうなこと、僕をのけ者にするの? 赦さないよそんなの」
「別にテオをのけ者にしたつもりはないのですよ……」
ため息をついて、それからリスイの手を軽く叩く。一体いつまで服に手をかけているつもりなのか。
「リスイ、そろそろ手を離して欲しいのです」
「嫌です」
「リスイ」
「まだ肩の具合を確認しておりません。テオ、邪魔をするな、帰れ」
リスイはテオのことなど視界に入れてもいない。一度だけそちらを見はしたが、彼の視線はずっとマガネの肩のところに向いている。
「相変わらずだね、リスイは」
肩を竦めて、テオは笑っていた。気にした様子がないというよりは、彼の場合は「どうでもいい」が強いだろうか。
「でも残念ながら君にも用事があってね」
「何だ」
「すぐそこで、リンザール・クロッツ将軍の遣いに会ったよ。お呼びだってさ」
わざわざリンザールが、リスイに何の用事だろうか。リスイは一応リンザールとは繋がりがあるようなことを言ってはいたが、イフェイオンの護衛であるリスイをリンザールが個人的に呼び出す理由が分からない。
けれどリスイは、それでようやくマガネの服から手を離した。
「……すぐに終えて戻ります。テオ、お前も帰れ。マガネ様とふたりきりになるな」
「僕は清廉潔白な教団長様なんで、何もやましいところはないけど?」
「帰れ」
テオの肩を掴んで回れ右をさせて、リスイはぐいぐいとテオを押していく。
「はいはい。じゃあ確認はまた今度……二人揃ってないと意味ないし」
ひらりと手を振ったテオは、リスイに連れられるままに屋敷の外へと出ていった。ふたりの姿がなくなって、他には誰もいない、ただ広いばかりの屋敷はからっぽになる。
どこか、がらんとした空気があった。何もなく、静かで、あの地下室に似ている。
そんなことを考えていたところで、再び屋敷の扉が何の声かけもなく開いた。リスイが戻ってきたのかと思ってそちらを見れば、そこには教団服のポケットに手を突っ込んだままのテオが立っている。
「というわけで、戻ってきたよ」
「……帰ったのでは?」
「帰ったよ。帰って、戻ってきた。忘れ物があったからってことにしておこうかな」
ああ言えばこう言う。
けれど、テオがこんな風なのは前々からだ。彼がどういう人間なのか、マガネは良く知っている。それこそ彼がコーウェルの親友になるよりも前から、マガネは彼と付き合いがあるのだから。
そういえばテオは、コーウェルに明かしたのだろうか。最初にテオがコーウェルと接触したのは、シュエット家の動向を探れとファードに命じられたからだと。それから親友にまでなったのは、決して命じられてのことではないけれど。
「相変わらずですね、貴方」
「肩書がついたところで、僕は僕だし」
フリュイテ教団の教団長。
この役割は、世襲制というわけではなく、指名制だ。先代の教団長がテオを指名したから、テオはこの若さで教団長という立場にいる。
とはいえ、この指名は絶対だ。教団長指名を覆せるのはイフェイオンだけで、イフェイオンにはそんなつもりはない。
「いやもう、びっくりしたよね。陛下から結婚の書状が届いたし、やっと正妃を決めたのかと思ったら、マガネとリスイ・ナハトヤール・ホロロギオルムの結婚のなんだから。祝福の間笑いを堪えるのが大変だった」
「ナハトヤール・ホロロギオルム……」
「あれ、リスイの本当の名前、聞いてない?」
「正しく名乗られた覚えはないのです」
コーウェルも口にしていたが、やはり仰々しい。
そして、やはりどこかで聞き覚えがある。それはリスイの名前として聞いたのではなく、勉強の中で聞いたもののひとつだろう。
「コーウェル・シュエットが口にしたので、聞いてはいたのです。えらく仰々しい家名ですし」
「コウにも会ったんだ?」
「会いました」
「彼が君と顔を合わせるなんてね。大丈夫? 生きてる?」
恨まれてはいる。殺されてもおかしくはない。ただ、テオの問いはおかしすぎた。「生きてる?」などと今目の前で喋っている人間に聞くものではないと、おかしくなって少し笑った。
「生きていなかったら、ここにいる私は何だと言うのですか……」
「幽霊の類?」
「信じていないくせによく言いますよ」
「違いない」
幼い頃に、マガネはそういうものが怖かった。ファードから怖い話を聞かされたときなど眠れなくなって、ひとり布団に丸くなって、そういうときにテオは「どうせ寝れないんでしょ」と言ってマガネの布団に潜り込んできたのだ。
別に、それ以上何があったわけでもない。幼いこどもがふたり、背中合わせで眠っていただけ。けれどその背中に伝わる体温に、マガネが安堵していたのも事実だ。
「一生君が独身だったら、僕が貰おうと思ってたのにな」
「嫌なのですよ、テオと結婚なんて」
そんなことをしたら、ろくな目にあわない。テオのこれは冗談半分、それから、よく知らない相手と結婚するのは面倒だとかそういう打算が半分。リスイの「愛しています」とかそういう発言も信用できなくてどうかとは思っているが、それでもまだマガネを見ているだけリスイの方がましだ。
テオの場合は結局、マガネというよりはマガネという存在の使い道を見ている。
「僕、教団長だよ?」
「テオにこき使われる一生なんて御免なのです」
教団長だからこそ、絶対に嫌だ。そもそもテオはマガネの手の内を知り過ぎていて、やりにくい。
「ああでも、テオ。ちょうど良いのです。リスイもいませんし」
「何? 悪だくみ?」
「言い方! 悪だくみというか、この結婚は陛下と宰相閣下の策の一環なのです。蔦を切り落とすための」
元々テオは巻き込むつもりだった。コーウェル経由で彼に頼む予定だったが、それが前後したところで計画上は何の支障もない。
既婚者が結婚相手以外と通じている。その糾弾をするのは、フリュイテ教団だ。教団の教義と照らし合わせ、そして最後には教団長が審判をする。
「ミゼリィ・アグリフォリオがリスイを大層気に入っているそうなので」
「ああうん、知ってる、だからマガネが一目惚れして無理に結婚したとか、そんな笑える噂にしてあるんだ?」
「話が早くて助かるのですよ」
「君、外出てる? 笑えることになってるよ、ほんと。君が御大層な悪女扱いだ」
「外には出ません。御大層な悪女で構わないのです、むしろ好都合なのですよ」
どうせ元々、マガネの噂話などろくなものではない。そこに悪女という噂がついたところで、今更何が変わるというのだろうか。
いや、元々悪女とか、毒蟲とか、そういう噂だ。ならば何も変わっていないとも言える。
「それで? 僕にも何かしろって?」
「後でコウから話がいくと思いますが、ミゼリィ・アグリフォリオとリスイが通じたというのは、コーウェル・シュエットから報告してもらうのです。誰にも握り潰されないよう、テオへ直接」
「ははーん、なるほど? で、僕はそれを受け取って審判を開けば良いってことか。蔦の家を招集して」
「そういうことなのです」
英雄という立場と、教団長という立場と。
これで教団長があちらの息のかかった人間であれば話がややこしくなるが、そうではない。そもそもこの国を動かしていくにあたって、教団長と宰相と将軍は押さえておく必要があった。だから、テオは教団長の位置に置かれたのだ。
「ついでにその後、離婚も認めてくださると助かるのですよ」
良い考えだと思って告げたのに、テオはマガネのことばに嫌そうな顔をした。
「えー」
「何です」
結婚も離婚も、教団の許可が必要になる。あるいは、イフェイオンの。そして、結婚と離婚は同じ人間が許可をしてはならない。
だから、テオに頼んでいるのだ。イフェイオンを脅したところで、イフェイオンは決して離婚の許可を出せないのだから。
「それはちょっと……僕まだ死にたくないしなって」
「はい?」
「教団本部が血の海になっても良いなら、それでも良いけど」
何とも物騒なことを言うが、マガネの離婚くらいで教団本部が血の海になったりはしないだろう。むしろ、どうしてそんな大事になるのだ。
リスイとて、マガネとの離婚が成立すれば万々歳だろうに。ネリネと添い遂げたいのなら、そもそもマガネとは結婚を続けられない。
「一応僕これでも、幼馴染の幸福くらい願ってるんだけどなあ」
テオのらしくない発言に、つい彼の方を見てしまった。愛を尊ぶフリュイテ教団の教団長は、他人の幸福を願うような人間ではない。むしろ「面倒だから勝手にしたら良いよ」とか、そういうことを言うはずだ。
だから、これはらしからぬ発言なのだ。テオがマガネの幸福を願うなど、どういう風の吹き回しか。
「とりあえず、諸々は了解。でも離婚の件は残念でした。その辺はリスイと話し合うと良いと思うよ、僕」
「話し合う……」
「君の一番嫌いなお話合いってやつ? あはは、面白そう。絶対立ち会いたくないけど」
「相変わらず最低なのです、テオ」
「お互い様だよ。僕も君もファード様にそうやって育てられたんだからさ」
親のいない、かわいそうな子ども。マガネもテオも、そういう子どもだった。
けれど、テオは知らない。テオは確かに親を失った子どもだ。けれどマガネの場合は、失ったのではない。《《取り上げられた》》のだ。
「何かが違ったら、僕らの立場は逆だったかもね」
そんなことは絶対に有り得ないけれど、マガネはそれを口にはしなかった。
その復讐は、もう果たされた。そのために、マガネはあの位置に置かれ、策謀の蟲になったのだ。そして復讐を終えて、もう何もしないで悪意だけを集めているつもりだったのに。
ひらりと手を振って、今度こそテオは帰っていく。その背中を見送って、思い出してしまった過去にため息をつく他なかった。