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12.脱いでください

 マガネの手を引いて、ずんずんとリスイは屋敷の方へと進んでいく。こんなところを誰かに見られでもしたら折角ばら撒いた噂が意味を成さなくなるとか、そんなことをマガネはぐるぐると考えていた。けれどこれはこれで再度「何かリスイにとって不快なことをしたのだ」とか、そういう風な噂を流しておけば良いのかもしれない。そうすれば我儘な蟲に振り回される憐れな男の出来上がりだ。

 コーウェルに捕まれた肩は、まだずきずきと痛みを訴えている。イフェイオンやニネミアがあまりにも普通に接してくるものだから忘れそうになることを、コーウェルはマガネに思い出させてくれる。そういう意味では会いたくはないが定期的に会わなければならないとは思うのだ。あちらにとっては、大変に不愉快な話だろうけれども。

 リスイはただただ無言で、マガネの手を引いていた。普段あれだけ饒舌なくせに、今は何もない。一体彼は何を考えているのだろうかと思っても、その顔すらも見えなかった。あるのは広い背中だけ。帯剣をしていないのは、抜いては問題になるだろうからという、彼なりの対処なのかもしれない。

 でも。

 多分これも、演技なのだ。とんだ演技力ではあるが、彼とシュアルの会話を思えば演技であることは明白だ。添い遂げたいとか、他の人は目に入らないとか、リスイが言っていたのは別の相手に対してなのだから。

 そんなことをぐるぐると考えている間に、屋敷に辿り着いた。

 別にリスイが誰のことを好きだろうが、誰と添い遂げたいと思っていようが、マガネには関係のないことだろう。だというのに、どうしてこんなことを考えるのか。無駄な思考を、小さく首を横に振って切り捨てる。


「マガネ様」

「何です」


 屋敷のエントランスホールには、何があるわけでもない。本当ならばここには美術品を置いたりとか、花を飾ったりとか、そういう風に美しく設えて客や家人を迎えるのだろう。

 ただ残念なことに、そういうことは一切ない。そもそも、リスイの屋敷には使用人がひとりもいないのだ。

 だから、出迎える人間も誰もいない。では一体何のためにこんな屋敷をとリスイに尋ねたところ、返答は「外側がないと結婚もできないので」というものだった。


「コウとは、何の話を?」

「どうしてそれを、貴方に言わなければならないのです」

「嫌だと言われるのなら、無理に聞き出したりはしませんが。夫婦の間に隠し事はなしだとか、そんなくだらないことを言うつもりはありませんので」


 隠し事は、たくさんある。けれどそれは、マガネだけではないだろう。リスイだって、マガネに隠していることはある。


「差支えなければ教えて欲しい、それだけですよ」

「差支えがあるので、教えないのです」

「そうですか」


 差支えは、大いにある。何せコウに頼んだのは、リスイとミゼリィが通じている証拠を掴んで欲しいと、そういうものなのだから。

 教えないという答えに気を悪くした様子もなく、マガネと向き合って立つリスイは笑っている。


「でしたらそれで、構いません。話の内容については、特に」


 ずいっとリスイが顔を近付けてくる。マガネの方がはるかに背が低くて、彼がマガネを視線を合わせるためには屈まなければならない。けれどリスイはそれを何の躊躇いもなく、当たり前のようにやってのけるのだ。

 思えば、歩く時もマガネが早足になることはなかった。マガネとリスイでは、随分と歩幅が違うはずなのに。


「貴女とコウの間に、何もないのなら、俺からは何も。お分かりでしょう、マガネ様。貴女は俺の妻で、もう他の男と通じることはできません」

「そんな予定はないのですよ……」

「ええ、その予定でいなければならないのは俺の方ですね。貴女からの、お願いで」

「分かっているのなら、それで良いのです」


 結婚をしたら、互い以外と通じるべからず。

 それはこの国の国教であるフリュイテ教――聖フリュイテの教えから始まったその教義に記されたものだ。聖フリュイテは『愛』というものを大いに賞賛したが、特にそれが一途であることを人々に課した。

 それゆえに、フォルモントは王族以外は一夫一妻制であり、既婚者の浮気を堕落とする。その反面で未婚の場合は、運命を探せなどということで、大いに緩いのだけれども。


「大丈夫ですよ。全部終わったら、解放してあげるのです」


 離婚も、簡単なことではない。そもそもフリュイテ教団が離婚を許可することなど、滅多にないのだ。

 けれども、その方法がないわけではない。過去の実例を辿っていけば、マガネとリスイが離婚する方法は簡単に見付けられた。


「はい? 解放? 誰を、何から?」

「リスイを、私から」


 マガネとしては心底真面目に言ったつもりだったのに、その言葉にリスイの顔からごっそりと表情が抜けた。そして彼は片手で自分の目を覆うようにして、天井を仰いだ。


「はは、ははははは!」


 高らかに、笑い声が響く。おかしいとか、楽しいとか、そういう笑いではなかった。ただマガネが言っていることが理解できないから、笑ってみた。きっとそんなところだろう。

 ゆらりとリスイの体が揺れる。笑い声はぴたりと止まり、暗い紫色の瞳がマガネを見据えた。


「有り得ない」


 表情は、なかった。ただ、美しい顔だけがそこにある。


「地獄の底で俺の心を捕えた貴女が、それを仰いますか」


 嘘だ。そんなものは、本当のことではない。

 シュアルと話していたのを、マガネは聞いている。リスイは気付かれていないつもりだろうが、マガネはこの耳で確かに聞いた。


「うそつき」

「本当です。ああ、どうしたら伝わるのでしょうね」


 かつりとリスイの足元で音が鳴る。


「俺はね、マガネ様。他人の嘘はすぐに分かります。でも、俺は俺自身の言葉が真実であると、そう証明する手段を持たないんですよ。心の底から貴女を愛しているのに、貴女にはきっと、ちっとも伝わっていない」


 リスイとマガネの間にあった距離など、ほんの数歩だ。そんな距離など、ないのと同じ。

 マガネには、分からないのだ。それが真実だったとしても、まったく分からない。誰かに好かれるようなことをした覚えもなければ、誰かに愛されるような資格もない。マガネは蟲で、ずっと地下にいるべきもので、悪意を集めるべきものだった。

 だってそうしなければ、何の償いにもならないではないか。国を解放するだなんていう御大層な理想を掲げ、したことといえば玉座までの道を血で赤く染めただけ。


「どうしたら伝わりますか、マガネ様」


 そっと、リスイがマガネの肩に手を置いた。


「ねえ、俺だけで良いではありませんか。俺はコウやテオよりも役に立ちますよ。だから、貴女が使うのは俺だけでは駄目ですか」


 耳元で囁かれた言葉に、背筋がぞくりと震えた。

 リスイの声は、甘い甘い毒にも似ている。マガネの中に染み込んで、どろりとしたもので絡め取ろうとする。


「誰を排除して欲しいですか、誰を操りたいですか、誰を引きずり落としたいですか。良いですよ、何だって。俺は俺のために、貴女に使われてみせましょう。俺は貴女が願うのなら、何でもできますよ」


 多分こういうものを、悪魔の囁きと言うのだろう。

 けれどそんな風にリスイの力を借りることは、マガネの矜持が赦さない。誰か他人の力を我が物のように使う真似は、絶対にしたくはない。


「貴女のため、などというくだらないことは言いません。これは俺が勝手にやっていることですから」

「は、離して、離すのです」

「分かった、と、言ってください。そうしていただければ、離しますから」


 耳元で喋るリスイは、マガネから手を離してくれそうにない。彼はマガネが「分かった」と言わなければ、決して手を離してはくれないだろう。


「分かった! 分かったのです! だから!」


 だから、マガネが折れた。ただ「分かった」というのは理解したというだけで、決して了承をしたという意味ではない。だから逃げる方法はいくらでもある。


「ねえ、マガネ様。何をして欲しいですか?」

「……別に、今のまま、お願いしたことをしてくれれば良いのです。ミゼリィ・アグリフォリオを篭絡してくれれば、それで」


 本当に、それだけなのだ。

 アグリフォリオを皆殺しにしろとか、そんなことを彼に命じるつもりはない。そんなことでは意味がない。ただの暴力沙汰だけで解決ができるのならば、あの蔦はこんな風に王族に絡んだりしていない。


「別に、彼女に本気になってくれても構わないのですよ」

「マガネ様」


 リスイの声が、一段冷えた。


「そうです、何でもと言いましたが。ひとつ、できないことがありました」

「何です」

「貴女以外を愛することは、俺には無理です。それだけは、知っておいてくださいね」


 そうですかと言おうとして、コーウェルに捕まれていた肩がつきりと痛んだ。じんじんとした痛みは引いたものの、まだ完全に痛みが消えてはいないらしい。

 これは一度、どうなっているかを確認した方が良いだろうか。


「マガネ様、肩。どうされました?」

「どうもこうも……」


 マガネの様子から目ざとく異変を発見したらしいリスイが、そっと肩に触れる。


「コウですか。コウですよね?」

「これくらいは、大したことはないのです」

「駄目です。貴女に何かあっては困ります」


 ぐいと、リスイがマガネの服の裾を掴む。その手が何をしようとしているのかを把握して、マガネは慌ててその手を掴んだ。


「ですからマガネ様――脱いでください」

「何を馬鹿な……!」

「良いですから、脱いでください。今、すぐに」

「何を言って……「あのさあ、すっごい面白いからそのまま眺めてたいんだけど、僕も暇じゃあないんだよね」


 マガネとリスイの攻防は、第三者の声で終わりを迎えた。


「白昼堂々こんなとこで、何してるのさ。まあ、君の屋敷なんだけど」


 屋敷の入口が開き、そこに青年がひとり立っている。癖のある薄い灰色の髪、空にも似た真っ青な瞳。どこかけだるげというか、面倒くさそうというか、そんな表情を隠しもしないで、彼はそこにいた。

 顔を見たのはあの式典の日、それからマガネとリスイの結婚の祝福の日依頼だ。


「……テオ」

「や、マガネ。この前ぶり」


 フリュイテ教団の教団長であるテオ・リーゼルは、マガネに軽く手を挙げて、そして欠伸を噛み殺した。

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