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10.首を絞めて殺してやりたい

 マガネとリスイの結婚は、何か大々的な儀礼があるわけでもない。これが王族や貴族であれば華々しく儀礼をおこない周知徹底しただろうが、マガネとリスイの場合はどちらも平民に近しい身分であり、そういう周知徹底を必要とはしていない。

 だから、結婚は紙切れ一枚だけのこと。誓約書にふたりの署名を揃え、そしてイフェイオンに提出する。そうしてイフェイオンが許可を出せばそれで結婚は成立する。本来はイフェイオンではなく教団の許可にはなるが、イフェイオンは教団を束ねる立場でもあるのでこれでも構わない。

 そういうわけで、何もなくマガネとリスイの結婚生活というのは始まったわけだ。

 リスイは宣言した通りに、城の地下にあったマガネの本をすべてリスイの屋敷に移動させた。リスイの屋敷というのは城からそれほど遠くない場所にあり、そして、地下通路の出口の近くに建っていた。


  ※  ※  ※


 マガネの目の前で美しく微笑んで、ニネミアは「新婚だというのに浮かない顔ね」と言った。マガネの場合は世間一般で言う新婚とは意味合いが違うのだから、結婚できて嬉しいとか、そういうわけではないのは分かっているだろうに。

 そもそもこの結婚は、アグリフォリオの力を削ぐための一手でしかない。あの家の息の根を止める、そのためにはまず、その首に手をかけなければならない。

 お茶をしましょうと誘ってきたニネミアの本題は、まさかそれだったのか。ここまでは何でもないように見せかけた貴族の噂話が主だったけれども。


「色々と考えることがあるのです」


 ひとまず、結婚したという噂だけは流した。その、理由も。この辺りはリスイに語った通りに、「蟲が無理を言って結婚をした」ということになっている。マガネがリスイに一目惚れをしたとかそういうことになっているが、事実と反していてもここは必要なことだろう。

 どうせ、誰もそんなことの真偽は気にしない。人間というのは、より自分が興味を惹かれるものに飛びつくものだろう。


「噂のばら撒きは終わったのですよ。後はミゼリィ・アグリフォリオの動向を待つだけなのです」


 ただ、それだけでは蔦は切り落とせない。ミゼリィという駒を失ったところで、アグリフォリオにはもうひとつ強力な駒がある。


「……ニネミア様」

「何かしら」


 ニネミアは今日も美しかった。たとえその服装が男性のものであったとしても、彼女の生来の美しさが消えてしまうわけではない。むしろ、男装であるからこそ際立つものがある。


「ネリネ様に、会いたいのです」

「あら、どうして? 貴女、ネリネは苦手でしょう?」


 王族エグランディエの三きょうだいは、三人それぞれに喰えない部分がある。その中で、マガネは末昧であるネリネが確かに一番苦手ではあった。

 本当に彼女は、何を考えているのか分からない。ふわふわと笑っているところはミゼリィと大して変わらなく見えるが、彼女の場合はそうして笑って、人を観察している。


「気付いておられたのですか」

「貴女、自分が思っているよりも顔に出るのよ?」


 ぺたりと、自分の頬に触れてみた。

 表情を消す訓練は、あまりしていなかった。マガネはそもそも人前に出るわけではないし、誰かに何かを命令するわけでもない。ただ流れを操って、絵を描いて、その通りにさせるだけ。


「それは、知らなかったのです」


 けれど自分では、隠せているつもりだった。ただそれはつもりというだけでしかなく、客観的な意見ではないことも事実だ。

 これはもう少し、隠す努力をした方が良いのではないだろうか。


「良いわよ、話は通しておいてあげる。また連絡するわ」

「ありがとうございます」


 ニネミアの所有する中庭には、薔薇が咲いている。フォルモントは薔薇の国、けれど薔薇はここにしかない。王の庇護下でしか、薔薇は咲かない。

 この中庭に咲くのは、三きょうだいの薔薇だ。薄緑のイフェイオン、灰色がかった白のニネミア、薄いピンクと深い紅が混ざり合う不思議な色のネリネ。


「それから、本は移動させたのに、まだ壺はそのままでしょう」

「はい」

「使用人が怖くて掃除もできないと訴えてきたわ」

「あれは、まだ動かせないのです。喰い合いもじきに終わりますので、もう少し我慢して欲しいのですよ」


 それではと、ニネミアの前を辞した。壺を見にいくことは約束をして、それから連絡があったら連絡して欲しい旨を告げ。

 彼女は美しく笑っていたが、その下で何を考えているのか、それは分からなかった。


  ※  ※  ※


 部屋の壺は、やはりまだ動かせる状態になかった。「この分なら明後日くらいです」とだけニネミアに伝えるように使用人に言付けて、廊下を歩いて行く。

 気を抜くと背中が丸まってしまうのは、マガネの悪い癖かもしれない。かつて先々王のファードには「せめて真っ直ぐ立っておけ」と言われたものだった。


「あれは」


 廊下の片隅。見えた珍しい組み合わせに、マガネの足が止まる。

 近付けば気配で気付かれてしまいそうで、そのまま壁のところに身を寄せて息を殺した。あのふたりはどちらも護衛という立場で、気配に聡い。


「ネリネ様は、何と」

「まだ早いから時を待って欲しいと」


 黒髪と目立つ整った顔は、リスイで間違いない。そちらはともかくとして、リスイと接触している青年の方が問題だった。

 耳の前の一房だけが赤い、亜麻色の髪。王妹であり、三きょうだいの末妹であるネリネ・エグランディエの侍従かつ護衛。戦争の折にも数多の敵を屠った赤鴉(ルベル・コルウス)


「早く添い遂げたいと仰せでしたよ」

「そうか……」


 彼らの話を息を潜めて聞きながら、その内容を考える。そもそもシュアル・アルナムルとリスイの関係性をマガネは知らない。

 リスイはコーウェルの友人で、イフェイオンの護衛――懐刀と言っても良い。マガネは知らなかったが、解放戦争でも彼はイフェイオンに従っていたという。ならば、間違いなくシュアルは敵だった。


「そちらも、ネリネ様を裏切ったりなどはしていませんか」

「ネリネ様以外目に入るとでも?」

「そうでした、愚問ですね」


 これは果たして聞いても良いものなのか。けれど、聞かねばならないとも思う。

 音を立てるような愚を犯すはずもなく、マガネはひたすらに息を潜め続けた。リスイがもしも何か独自で動いているのであれば、裏切るようなことがあれば、面倒なことになりかねない。


「やはり早々にアグリフォリオを潰さねば……なかなか諦めてもいただけませんので」

「分かった」

「ちょうど良いではありませんか、蟲を使えば」


 自分の話題が出て、マガネは眉を顰める。

 シュアルが言うことは理解ができる。アグリフォリオについてはマガネもやらねばならないことがあり、そのためにリスイに『お願い』をした。

 ミゼリィを篭絡しろというのは、つまりアグリフォリオの喉元に手をかけるための策なのだから。


「あの蟲ならば今更、ひとつふたつ悪評が増えようと痛くもかゆくもないでしょう。いつだって平気な顔をしているのですから」


 目を伏せて、マガネは彼らに背を向けた。

 なんとなく不快なような、叫んでしまいたいような、その感情の説明がつかない。だからリスイがシュアルになんと返答するのかを聞くこともなく、マガネはそこから立ち去った。

 地下室に戻りたい。けれど今、もうマガネの居場所はどこではない。どうしたってリスイの屋敷に帰るしかなく、彼と顔を合わせないわけにもいかない。

 それがひどく、重苦しい気がした。

 最初から分かっていたことだ。リスイが求婚をしてきたのも、裏があるだろうと。それが本気のように見えていたなど、マガネの目も曇ったものだ。


「ぶっ」


 そうして俯いて歩いていたせいで、誰かに激突する。


「何してやがる、クソ虫」

「コーウェル・シュエット」


 ぶつかった相手は、最悪だ。最悪だったが、これは渡りに船とも言える。

 もともと、彼も巻き込むつもりだったのだ。解放の英雄の名前はマガネが彼に被せたものだが、その名前は使い勝手が非常に良い。


「最悪ですが、ちょうどよかったのです」

「はあ?」

「耳を貸してください。働いて貰います……大丈夫なのです、戦争の時みたいなことをさせたり、しませんから」


 目の前のコーウェルはひどく嫌そうな顔をして、けれどもマガネの意図は汲み取ってくれたらしい。

 彼は顔を顰めながらも、「シュエットの屋敷へ行くぞ」と顎をしゃくった。


  ※  ※  ※


 それが、どうして。いや、どうしてもこうしてもないのか。コーウェルがマガネを恨んでいることは、よく分かっていることなのだから。

 きっと彼が、一番、マガネを殺したいほどに恨んでいる。


「おいクソ虫。お前……リスイまで捨て駒にする腹じゃねえだろうな」

「痛いのです、コーウェル・シュエット」

「答えろ!」


 マガネの肩を掴んだコーウェルの指先に、ぎりぎりと力が込められていく。その痛みを訴えたところで、怒りを孕んだコーウェルの目が和らぐはずもない。

 捨て駒にするのかと問われて、「是」とも「否」ともマガネは答えられなかった。


「それは、あの人の、動き次第、なのですよ」

「お前……!」

「いたい!」


 コーウェルの指先に更に力が入っていく。

 マガネは事実を述べただけだ。リスイの働きと話の動き方次第では、ミゼリィ諸共にリスイを落とすことにもなるだろう。


「今すぐこの場で首絞めて殺してやりたい」

「やれる、もの、ならば……やれば、良いの、です」


 だから、こんなことに、なったのだ。

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