Episode 6. 選択肢
システムが作られた背景と現状については、なんとなく把握できた。それらを踏まえた上で、今後、僕は一体どうなるのだろうか?僕に一体どのような選択肢が残されているのだろうか?
管理代行者の話を要約すると、先ず大前提として、当該システムには全ての疑似情報体の目的地として設置された<彼岸>と呼ばれる隔離情報空間が存在するという。様々なプロセスを経て彼岸に渡った疑似情報体は、生前の行いを振り返り、必要に応じて実績やカルマを精算・整理した後、様々なプロセスを経て再び何処かのメタバースに輪廻転生するのだという。
だが実際、彼岸に至るプロセスは当然ながら一様ではない。疑似情報体が死後に辿るルートは大きく分けて4パターンに大別できる。
一つ目は正規ルートと言ってもいいだろうが、肉体の死後、直ぐに彼岸へと赴くパターン。生前からこの世界の正体に薄々気付いている者や、物質世界に執着がない者は比較的早期に彼岸へと赴く傾向にあるという。
二つ目は、死の瞬間にパラレルワールドへと瞬間移行し、自分の疑似情報体と統合するパターン。物質世界での経験が浅い段階で不慮の死を遂げたような場合、当人が望めばパラレルワールドに移行することも可能らしい。過去にこれと似たような話を朝霧からも聞いたことがある。何らかの事故や事件に遭遇し、死にかけて目をつぶった瞬間、いつのまにか奇跡的に危機を回避していたといったような不思議な現象が世界各地で報告されているという。当該システムの中にXの意識情報体のコピーが無限に存在しているように、僕の情報体も幾つかのコピーがシステム内に存在しており、同時並行で様々な世界線を生きることで経験値を効率的に獲得しているそうだ。
三つ目は、自分自身が創り出した幻想世界の中に引きこもるパターン。当該システムの中には対象者の思考が瞬時に実現する仮想情報空間が設置されている。その空間に移行した場合、自分の思考を実現させて自己満足を得ることが可能になるという。絵に描いたような神や仏、天使や悪魔、天国や地獄、三途の川や花畑等の境界線など、当該空間では当人の偶像的な固定観念が実体となって現れる。結果として彼岸に渡れるような幻想なら御の字だが、幻想にハマって抜け出せなくなることもままあるらしい。
四つ目は、物質世界に残留し続けるパターン。彼岸に赴くかどうかは本人の自由意志に委ねられているため、物質世界に残留し続けることを選ぶ者も大勢いる。残留を選択する理由は千差万別だ。そもそも、彼岸など絶対に存在しないと決めつけている者もいれば、自分が死んだことに気付いていない者、自分の死を受け入れることができていない者もいる。一方で、彼岸の存在に薄々気付いてはいても物質世界に執着し続けたいと願う者もいれば、カルマの清算や輪廻転生から逃避したい一心で残留を選択する者もいる。
個人的には、直ぐに彼岸に向かうのではなく、少なくともあと数年は物質世界に留まりたいという気持ちだったのだが、管理代行者曰く、僕のように世界の正体を既に悟っているような場合においては、可能な限り早めに彼岸に渡った方が無難であるという。その理由は、彼岸に赴くために必要不可欠な<とある条件>と関連している。
その条件とは、疑似情報体アバターのダークエネルギーが枯渇していないことだという。肉体を動かすためにはエネルギーの消費が必要となるが、同じような理屈で疑似情報体を動かすためにはダークエネルギーの消費が必要となるらしい。彼岸ではエネルギーの供給源が無数に存在しているそうだが、物質世界ではエネルギーの供給源を確保することが難しいという。
もし仮に、ダークエネルギーが枯渇した場合、疑似情報体は瞬間移動等の能力を使用できなくなり、自力で彼岸に赴くことが出来なくなる。最終的にはアバターが崩壊して第二の死に至る。この場合、情報体には相当のペナルティが課されることになる。
裏を返せば、物質世界から彼岸に赴くまでの期間には、実質的なタイムリミットが設定されているということだ。実際、無理もない。疑似情報体が物質世界や幻想世界に際限なく留まることができてしまうと、多くの情報体の輪廻転生サイクルが滞り、システムの趣旨にそぐわない結果を招いてしまうだろうし、物質世界の物理法則が疑似情報体に大規模に歪められてメタバースの恒常性を維持できなくなるだろう。
さらに言えば、死後世界においてエネルギー問題は残虐な犯罪行為と結び付きつきやすいという。生前、疑似情報体は自分の肉体とのリンクを介して存在維持に必要なダークエネルギーを取り込んでいるらしいが、肉体の死後にダークエネルギーが枯渇した疑似情報体は、基本的に他人の肉体や他の疑似情報体からダークエネルギーを盗み取って生活するようになる。これがいわゆる霊障と呼ばれる現象のメカニズムの一つらしい。
一部の例外を除き、物質世界に留まる選択をした疑似情報体は、ダークエネルギーの減少とともに少しずつ窮地へと立たされていく。防御障壁や瞬間移動、ステルス効果が使えなくなった段階で、物質世界は疑似情報体にとって弱肉強食の無法地帯へと変貌する。犯罪に積極的に手を染めて強者となるか、犯罪者にカモられないように逃げ続けるか。物質世界に留まるということはそういうことらしい。
彼岸に早期に赴く必要性はなんとなく把握できた。
だが…理屈は理解できても、僕の中には割り切れない複雑な思いが満ちていた。
完全に消化不良だ。一度、家に持ち帰って整理させて欲しい。
暗澹たる思いに包まれながら、僕と管理代行者の世にも奇妙な会話は幕を閉じた。
管理代行者に別れを告げて自分の部屋へと帰ると、張りつめていた緊張の糸が緩んだのか自分の置かれている不可思議な状況に笑いと涙がしばらく止まらなかった。
細かいことはどうでもいい。
ただ、皆と別れたくない。
その一心だった。