Episode 5. 疑似情報体
このシステムが生み出された背景については、とりあえず把握できたということにしよう。では、僕が所属しているメタバースは、一体どのような設定なのか?
システムの管理代行者の説明曰く、僕の正体はXの原初の意識をもとにシステム内で生みだされた個性、つまり意識情報体の一つであり、先の事件によって物質世界での専用アバターを失い、現在は死後世界の専用アバターに情報体がリンクされた状態だという。つまり、この世界は物質世界での物質生命体としての体験と、死後世界での幽体としての体験の二つを目的とした二層構成で成り立っている。
前者の専用アバター・肉体の大きな特徴としては、物理法則に束縛された行動しかシステム側に許可されていないという点だろう。現在知られている肉体の元素組成は、酸素65.0%、炭素18.0%、水素10.0%、窒素3.0%、カルシウム1.5%、リン1.0%、少量元素0.9%、微量元素0.6%だが、実際には、ダークマターやダークエネルギーも多分に含まれているらしい。
一方、後者の専用アバター・幽体の大きな特徴としては、死後世界の制限の範囲内において情報体のように振舞うことができるという点だ。本来、どのメタバースにも属していない情報体と呼ばれる存在は、システムに直接アクセスしてシステム内の設定を操作したり、情報サービスを利用することが可能だという。だが、幽体の場合は、システムの設定を操作するという疑似的な体験を目的として作られたアバターであり、実際にシステム本体の設定を操作できる訳ではない。このことから、幽体アバターは別名・疑似情報体 (Pseudo-Information Body)とも呼称されている。
疑似情報体は、当該メタバースの制限の範囲において物理法則に反する様々なアクションが可能となっている。僕が経験した量子もつれ的な情報伝達システムを介した瞬間移動や、情報中枢から特定の情報を取得する技もその中に含まれている。
また、心霊現象と呼ばれるものは疑似情報体の情報空間への干渉によって引き起こされているという。典型的な例を挙げると、写真や動画に映り込んだり、物を動かしたり、電子機器を狂わせたり、手形や足跡を残したり、ラップ音を立てたり、声を出したり、金縛りや霊障を引き起こしたり等々。
中には、あたかも実在する人間のように社会に溶け込んでいるようなパターンも多々あるらしい。例えば、学校で出会った仲のいい友達が、ある時から突然姿を見せなくなり、通い慣れた家に行くとその家はもともと昔から別の人の家で、学校の誰もが彼の事を全く覚えていない等。レベルが高い疑似情報体になると大勢の記憶に干渉することも可能になるという。
なお、当該メタバースに死後世界での体験が設定されている目的としては、物質世界に段階的に別れを告げるため、物質世界での行いを俯瞰で振り返り清算・整理するため、この世界が仮想情報空間であることや自分の正体が情報体であることを段階的に思い出すため等々といったところらしい。
一方、物質世界での体験が設定されている目的は死後世界とは異なり無数に存在する。このシステム自体がXによって実験的に運用されているのだから当然なのだが。ただし、大半のアバターに共通する普遍的な目的もいくつか存在するという。そのうちの一つが、諸行無常の環境の中で他者との関係を通じて愛という何かを知ることだという。
この世界で大切なものを見出すこと。自分の身を激痛に曝しててでも命懸けで大切なものを護ること。護ろうとする意志を持つこと。相手を思いやること。それが愛を知るということだという。それは、単純な<好意>とは全く次元の異なる概念らしい。
自分自身や家族、友人、恋人、祖先、生まれ育った地域、国、歴史、伝統、文化等々。何かを愛し、それを護ることは、個としての存続、ひいては社会集団としての存続に欠かすことができない必須要素だといえる。同時に、愛は対象の精神レベルを測る上でも役に立つ物差しになる。愛を持つ者は、システム内において少なからず信頼に値する存在と見なされる。一方、愛を踏み躙る者はシステム内で危険因子と見なされ、精神レベルの高い個性集団から除外されて類友で括られることになる。最悪の場合、個性自体が抹消されることもあるという。
Xは愛という何かを知ることに強く固執しているという。それは、自らの救いを愛に見出そうとしているためなのかもしれない。
僕は生前、自分の個性も魂も含めて存在の全てを消して欲しいと思うことが多々あった。自分という個性を介して世界から痛みを得る事が苦痛でたまらなかったのだ。
今思えば、それは愛の放棄だった。
死んでみて分かったことがある。どうやら僕は、自分という存在が本当に消えてなくなることが嫌らしい。それに、僕はこの世界が完全に嫌いだったという訳でもない。
結局、必要な痛みから目を逸らして完璧に順風満帆に生きることを理想としていた僕の脆弱な人生観は、根本的に間違っていたのかもしれない。