Episode 49. 生物進化1
さて、前回までの話を簡単におさらいすると、約46億年前に地球が生まれ、約45億年前に生命の揺り籠となる原始海洋が地上に形成された。その後、多量の隕石が降り注ぐ過酷な環境下で、数億年をかけて有機分子の連鎖的な相互作用が生まれ、その中から生命の普遍的共通祖先となる原初の液滴…細胞膜の無いオープンシステムの非細胞実体(FUCA(The First Universal Common Ancestor))が生まれたところまでを見てきた。
引き続き、最低限必要と思われる要点を掻い摘んで整理していく。
●先にも触れたかもしれないが、FUCAは固定化された生理機能を持つ生物種ではなく、遺伝子を不安定なRNAの形で保有し、そこから様々な方法でペプチドを合成したり、自己増殖を行う生理的バラエティに富んだ生命集団だった。
FUCAが増殖した環境下では、海洋中に出来合いの有機分子やRNAなどが多量に散乱するようになり、FUCAの代謝系に依存して増殖する仕組み…レトロウイルスなども生まれるようになる。
FUCAはレトロウイルスの被害に耐えながら、周囲の生体分子を積極的に取り込むことで新規な遺伝子を獲得したり(遺伝子の水平伝播)、あるいは既に獲得済みの遺伝子を重複して獲得することとなり(遺伝子冗長性の獲得)、結果として紫外線や宇宙線、等により生じる遺伝子変異を原動力とした生物進化が促されることになった。
なんかよく分からんが、どういうことか?
仮に、同じ遺伝子が余分に多数重複して存在するような場合、スペアの遺伝子が突然変異を起こしてその機能を失ったり、機能が全く異なる別物に変質したとしても、正常に機能する遺伝子が他に残っていれば生存への影響は軽減される。つまり、重複したスペアの遺伝子には経代に伴う変異を沢山蓄積させることができるので、将来、新たな表現型を生み出すための自由帳のような役割を果たし得るということだ。
なにせ、遺伝子に起こる突然変異の多くは表現型にほとんど影響せず、子孫を残せる確率の期待値に影響することも無ければ、自然淘汰に対して有利にも不利にも働かないことが多い。たまたま遺伝子病レベルのクリティカルな変異が入ることは稀にあっても、たまたま生存に有利な変異のみがピンポイントで入るなんてことは滅多にない。つまり、生物進化には中立的な遺伝子変異を沢山蓄積できる自由帳的な遺伝子が必須であり、そのような余剰の遺伝子が長い年月をかけ、いつしか新たな表現型(観察可能な生物の特徴や形質)を生み出す新規遺伝子となっていく(中立進化説、地理的隔離等による遺伝的浮動)。
そんなこんなで、表現型に分かりやすく個体差が出るレベルまで遺伝子が変化すれば、その表現型の保有者には大なり小なり自然選択の影響が働くことになり、場合によっては合理的かつ必然的な方向性で適応進化がメイキングされるような、所謂ダーウィンの進化論的現象も起こり得る(自然選択説、ネオダーウィニズム)。
ただ、明らかに生存に不利な表現型や、必要性・合理性からかけ離れた意味不明な表現型を抱える者達でも、一定数の子孫さえ残せる能力さえあれば自然界に十分許容され得るため、現在生き残っている生物種の中にも進化の方向に合理性や必然性を見出すことが難しいケースが多々存在する。
そのように、表現型レベルで自然選択の篩の目をすり抜ける者が多数いるなら、一つ一つの中立的な遺伝子変異を自然選択の篩にいちいちかけるなんてことは更に困難だ。
一例として、現代人が有するゲノムの塩基配列を鑑みても、塩基配列が類似した不必要な遺伝子の重複が多数存在していたり、ずいぶん昔に機能を失った偽遺伝子が排除されることなく残存していたりする。
遺伝子上の無駄が場合によって進化の芽になり得るとはいえ、そのようなごちゃついた不完全な様相は自然選択の過程で必要な遺伝子だけを残してブラッシュアップされた完成形の設計図…インテリジェント・デザインなんて大層な代物からは程遠く見える。
自然選択という篩の網目は其の実かなり大きい。誤解されがちだが、時間さえかければ確実に遺伝子が合理的かつ必然的な方向性でブラッシュアップされ、ヒトのような高次生命が自然に生み出されるというような便利な仕組みではない。
進化とは、あくまでもマクロとミクロの両レベルで起こる偶然の連鎖に依るところが大きく、そのような自由度の高いプロセスの中でシステムの介入が何度あったのかは不明だが、ヒトのような高次生命が生み出されたことは尋常でない奇跡以外の何でもない。
なお、補足になるが「高次生命」という表現は、ヒトが進化の終着点に在る特別な存在という意味ではない。この手の話題は例の変わり者の友人、朝霧の得意分野だったのだが、彼の言葉を敢えてそのまま借りるなら、「ヒトという動物の実態は遺伝子レベルから多くの無駄や不完全さを背負い、利己的で怠惰でいい加減な遺伝子の要求に無自覚に踊らされながら、未だ進化と退化の途上を目的も方向性も無く彷徨い続けるバチクソの一種に過ぎない」ということらしい。
当初、僕も彼の言葉はあまり信じたくはなかったが、社会に出て自分自身や周りの人々について改めて視野を広げて観察してみると彼の言うことは何となく理解できた。つまり、僕が幼い頃から勝手に思い描いてきたヒトの理想像と、ヒトという動物の現実の間には大きなギャップがあったということだ。
僕達が完璧でない大きな理由の一つには、肉体構造はもちろんだが、精神、心理、思考、感覚、感情、欲求、価値観、知性、妄想力、怠惰性、攻撃性、善性、悪性、民族性等々に関しても、前述した不完全な遺伝子の特性、遺伝子発現様式の影響を受けているからに他ならない。
全てのヒトには悲しき遺伝子botとしての宿命が備わっている。
その中には、適応進化の過程で磨き上げられてきた必要性・合理性を備えた性質もあれば、自然選択の篩の目をすり抜けて偶然に受け継がれてきた不都合かつ意味不明な性質もある。そのような性質に端を発して、ヒト、家族、友人、社会、社会現象、社会制度、宗教、国際情勢等々は形作られている。
色々なレベルでカオスが生じるのは必然だ。
僕自身も例外ではなかった。実際、僕にも社会的に不都合な特性は沢山あった。例えば、興味のない事に関しては物覚えが異常に悪かったり、大勢でいるよりも独りでいることの方が圧倒的に楽だったり、人前で上手く建前や役割を演じる事ができなかったり、集中力が全く持続しなかったり、希死念慮を抱きやすかったり等々。病院に行ったらADHDと診断されたこともあったな…。
人生を振り返れば思い当たる節が山ほどある。それらの原因は、偏に僕が生まれ育った環境、教育水準、人生経験、自分の意志の弱さ等に依るものだと思い込んでいた。だが、今考えると原因はそれだけではなく、そのような遺伝子特性を持って生まれてきたのかもしれないし、後天的な遺伝子修飾の結果としてそのような遺伝子発現様式にハマってしまっていたのかもしれない。
まぁ、真偽はどうあれ、そんな難しい事情は実社会では通用しないのだが…。
世の中には並みの努力や工夫、社会的仮面(所謂ペルソナ)ではカバーしきれない社会不適合者は五万といるし、逆に、自分の異常性やポンコツ性を巧妙に隠蔽して社会適合者を演じているサイコパスも五万といる。表面的に分かりやすい形で先天的な遺伝子障害を持って生まれてくる者もいれば、遺伝体質による後天的な病で苦しんでいる者もいる。様々な事例を見ていると、健常者と障がい者の線引きは意外と曖昧であることに気付かされる。
そのような遺伝的不都合を上手くマネジメントしている者もいれば、自分の中の遺伝的不都合を自覚することさえできない者もいる。
僕の場合、自分の不器用な生き方や不都合な性質をある程度自覚していても、死ぬまでそれを上手くマネジメントすることができなかった。他人に無駄に迷惑をかけ、希死念慮や陰キャ気質を引きずり、他人のいい加減で無責任な言葉を悉く真に受け、世間にありふれた一般論、正論、理想論、幸福論に振り回されながら生きてきた。
そんな自分が嫌いだったし、そもそもヒト自体があまり好きではなかった。
だが結局、ヒトという動物はどう足掻いたところで自然が目的も無く織り成した天然の中途半端な造形物という縛り…キャラ設定から逃れられない運命にある。完璧を装うことはできても完璧にはなり得ない。ヒトがそんなにいい加減なものであるなら、いっそ開き直って、自分の欠点にも、家族の欠点にも、友人の欠点にも、他人の欠点にも、もっと寛容になるべきだったかもしれない…。人の目も、投げかけられる言葉も、いちいち真に受けたり神経質に気にし過ぎなければよかったと思う…。
それができなかったのは、僕自身の遺伝子特性の問題というより僕の弱さが原因だったように思う。
なお、進化のファクターには、遺伝子本体の突然変異のみならず、化学修飾 (エピジェネティクス)や環境因子、内在性の遺伝子発現制御因子が与える遺伝子発現への影響、内部ノイズが与える遺伝子発現への影響(揺らぎ応答進化理論)等々も含まれるがここでは割愛する。
●相変わらず脱線しまくっているので、多少巻いていく。そのような進化の流れの中で、完成形に近づいたFUCAの中から原生生物の最終普遍共通祖先であるLUCA(Last Universal Common Ancestor)が生まれた。LUCAは、熱水噴出孔近くの中温…つまりは海水温泉中で生息する単細胞の独立栄養生物で、FUCAよりも複雑な嫌気的代謝系(酸素を要せず二酸化炭素、窒素、水素、種々のミネラルを用いた代謝系)と、数百の遺伝子を含む頑丈なDNA、細胞膜構造を持っていた。
LUCAは現代版の生命の樹「分子系統樹」の根本に位置する細菌(真正細菌、バクテリア)と古細 (アーキア)の2つのドメイン(上界)の進化の分かれ道に位置する存在であり、後々、古細菌の中の好熱菌の一種がヒトを含む真核生物へと進化を遂げたことから、LUCAは現生する全ての生物の祖先と位置付けられている(2ドメイン説)。
LUCAから進化した細菌および古細菌は、共に単細胞の原核生物であり、細胞核や複雑な細胞小器官は有していない。共に異なる構成成分の細胞構造(細胞壁等の外壁構造、鞭毛等の繊維構造、細胞膜等の被膜構造など)、異なるDNA複製システムを有し、運動性を持ち、単独あるいは群体を形成して生活していた。
無論、爆発的に増え続ける細菌や古細菌は当時の地球環境にも大きな影響をもたらし、後の生物進化にも大きな影響をもたらすことになった。
代表的な事例として、30億年前に誕生したシアノバクテリアは地上に豊富に存在する水と二酸化炭素を用いて光合成を行うことができ、当時の生物にとっては有毒となる膨大な量の酸素を地上にもたらした。結果として、偏性嫌気性原核生物の多くを大量絶滅に追いやった他、二酸化炭素やメタン等の温室効果ガスが減少したことで放射冷却により地球が全球凍結した。
つまり、ただの細菌がダブルパンチで地上生命の大量絶滅を引き起こした(大酸化事変、スノーボールアース)。一方で、オゾン層の形成にも寄与して生物が陸上生活するためのキッカケを作った他、好気性生物の進化を促したりもした。
大量絶滅の後には、空席になったニッチ(生態的地位)を埋めるために、生き延びた生物による急激な適応放散が起きる。当時の過酷な環境下では、同種の菌同士で群体を形成する以外にもウイルスや別種の菌、あるいはドメイン横断的にネットワークを形成することで絶滅を免れるハイブリッドな生物達が生まれ、そのようなトレンドの中から約21億年前に最古の真核生物が生まれた。
例えば、真核細胞のベースは古細菌由来で、細胞核はウイルス由来(細胞核ウイルス起源説)、その他ミトコンドリアや葉緑体などは細菌由来など(細胞内共生説)。ハイブリッド化することで互いの長所を活かし合い、環境中の酸素濃度の増加に対応可能な好気代謝系および細胞体積の獲得に加え、DNAを酸化損傷から保護する細胞核を持ったことによりDNA量を増やせるポテンシャルを得た。
そのような異質な者同士の初期の共生関係はメリットばかりではなかった。例えば、取り込んだ生物の遺伝子断片が本体遺伝子に組み込まれることで一時的な生理機能の混乱もしばしば起こった。代表的な例としては、真核細胞が取り込んだ細菌が持つgloup2イントロンと呼ばれる自己増殖型の塩基配列(逆転写酵素をコードする領域を持ち、特定の塩基配列を認識して転移現象を起こす)の影響で、真核細胞本体のDNAにはイントロンと呼ばれる不要な塩基配列が多数挿入されることになった。
そのような経緯で、真核生物にはDNAから転写されたmRNA前駆体から当該イントロンに相当する塩基配列を除去してmRNAを作成し、これを鋳型にタンパク質を翻訳するというなんとも回りくどい奇妙な機構「RNAスプライシング」が備わった。RNAスプライシングでは、タンパク質情報をコードする領域 (エキソン)を切り出して連結する際、一部のエキソンがイントロンと一緒に脱落する現象(選択的スプライシングによるエキソンシャッフリング)がしばしば起こる。
短期的に見ればデメリットだったが、結果的にはこの現象を逆に活用して連結するエキソンの組み合わせにバリエーションを持たせることで一つの遺伝子から一以上の多種多様なタンパク質 (スプライスバリアント)を生み出すことが可能となった。
(例えば、真核生物であるヒトDNAの塩基対の数は約30億個で原核生物である大腸菌は約400万個、大体1000倍程度の差がある。そこに含まれる遺伝子の数はヒトで約25000個で大腸菌は約4200個、大体6倍程度の差に縮まる。これは、大腸菌はDNA全体の90%以上に遺伝子がコードされているが、ヒトはDNA全体の1.2%程度しか遺伝子コード領域として使用していないことに由来する。そこから生み出されるタンパク質の種類は、重複するものを除いて人で約10万種類、大腸菌で約4200種類となる。つまり、選択的スプライシングによって、真核生物であるヒトは理論上1遺伝子から大体4種類のタンパク質を生み出すことが可能となっている)
このようなエキソンのシャッフリングは、選択的スプライシングのみならずDNA切断の修復時に起こる不規則なエラー、自己転移性の塩基配列に付随する遺伝子の移動などでも起こり得る。このような現象を基にタンパク質の機能的多様性が育まれ、進化のポテンシャルが拡張されていった。