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Episode 46. 幸せ

 先程はいきなり逆上したオッサンに殺されかけたが、次は鬼が出るか蛇が出るか…。


 白狐曰く、母のように多数の情報生命体に寄生されている事例は珍しいものではなく、寧ろ物質世界における大多数の人間…とりわけ成人に関しては多数の情報生命体に寄生されていることが自然なのだという…。肉体だって成長に伴いウイルスや細菌に常在的に感染されるようになる訳だし、感覚的に分からなくもない…。


 ということは、既に成人を迎えている弟もまた例外ではないだろう。


 疑似情報体に感染した情報生命体が宿主に及ぼす影響はメリット・デメリット様々あるらしいのだが、多くの場合は寄生…つまりは片方が一方的に利益を得、もう片方が一方的に害を被る共生関係となりがちだという。そうなると、共通して少々困ったことが起こる。


 搾取されるエネルギー量が宿主の生産キャパを超えるとMPが常時不足するようになり、宿主が必要なプログラムを柔軟に構築できなくなったり、情報セキュリティが穴だらけになっていく。


 結果、まるで電力供給が不足した家電製品のように物理的な不調や不都合が生じるようになり、悪化してくると知覚フィルタリング機能の異常が起こり視えななくてよいものが視えるようになったり、聞こえなくてよい音が聞こえるようになってしまうこともあるのだという…。


 俗っぽい見方をするなら、自分よりも健全な誰かが幸運を得る傍らで不運を得やすくなる畏れもあるかもしれない。弟には少しでも幸せに生きて欲しい。僕が守ってやらないと…。


 「なるほど…。俗に言う幸運・幸せというものが仮に【その者にとって都合の良い結果…力や成功・安楽を得ること】であるなら、誰かが免れた不運のシワ寄せが他者に向かうというようなことはよくある話でしょう。ですが、人の幸せというものはそう単純なものではありません。何が幸せとなり得るかは各々の幸福観念によっても異なるでしょうし、どこに基準点を置いて比較判断するかにも依るでしょう。また、人間勧万事塞翁が馬という諺があるように、不幸だと思っていた事が後々幸福に転じる事もあれば、幸福だと思っていたことが後々不幸に転じる事もあります。話が少し脱線しますが、今の貴方にとって幸せとは一体どのようなものなのでしょうか?」


 「え?!僕にとっての幸せ…ですか?」

 

 不意にボールを投げられて戸惑った。改めて聞かれると表現が難しい…。様々な幸せの形が思い浮かぶけれども、基本的な幸せの形としてはやはり平穏が挙げられるだろうか…何にも不条理に害されず、悪戯に煩わされない状態…。


 抽象的だが、いつも僕が欲してきたものだ。


 「そうですか…。多くの未熟な物質生命や情報生命は、貴方と似たような幸福観念に基づいて幸せを欲しています。そして、必然的にしばしば迷子になる。彼らは理にかなった幸せの姿を思い描くことができず、節度や調和の重要性も失念しがちです。子供染みた勘違いを多分に含んだ未熟な幸せを叶えるため、好ましいものばかりを短絡的に選ぼうとし、逆に痛みや面倒・不安や恐怖等の好ましくないものに関しては短絡的に拒絶しようとする。実に稚拙で危険な習性だとは思いませんか?」


 白狐の不意打ちに僕は項垂れた。すげぇ耳が痛い…。


 「当該仮想情報空間の運営趣旨の一つは、そんな彼らに対して理にかなった幸せとは何かを学ばせるところにあります。実際、理性を欠いた幸せの姿を盲信し追求し続ける動物集団の営みがいかに非合理的で破滅的であるか、貴方も生前に学んだはずです。貴方が全身全霊を賭けて学び得た貴重な情報の数々を思い出してみてください」


 まぁ…確かに。そうだったかもしれない…。

 

 己が幸せのために手段を選ばないような危険な人喰い鬼達は物質世界にも大勢いたっけ…。そんな彼らの姿を見て、僕自身も鬼にならないよう自重してきたつもりだった。でも、結局のところ僕も彼等と基本的には同じで、いつの間にか必要な痛みや面倒さえも拒絶するように生きてきた…。いつの間にか、必要な痛みや面倒・不安や恐怖さえも回避することが僕にとっての幸せになっていた…。


 でも、現実は甘くない。


 自分にとって好ましくないものも受け入れて生きていかなければ、大切なものを得られなかったり、守れなかったり、失ってしまうことはよくある。大局的に見て損をしたり、自由度が逆に制限されてしまったり、他人の幸せを不当に害したり、迷惑をかけたり…。生きる上で大切な指針を見失ってしまったりもする。にもかかわらず、現実を頑なに受け入れることを拒んでいる自分がいた。


 実際、生きることすら面倒だと感じていた学生時代の僕は相当破滅的だったと思う。

 死にたがりのドッペルが分離するほどに…。


 幸せが手に入らない人生には生き甲斐を感じない…耐え忍んでまで生きる価値を見出せない…。

 だから努力する。必死になる。飢える。執着する。絶望する。死にたくなる。


 不適合者の悪循環だな…。


 幸か不幸か、割とスムーズに叶わないと思っていた夢が叶ってしまったせいで自分の弱さや未熟さを放置したままここまで来てしまったが、今、僕が再び性懲りも無く希死念慮を抱いてしまっている根本的な原因がなんとなく分かったような気がする…。


 「そこまで思い出したのなら、これ以上私から言うことは何もありません。今の貴方なら自力で答えを見出せるはずです。さぁ。弟さんも待っています。声をかけてあげてください」





 白狐に促され、僕は重い腰を上げて改めて弟の霊視に取り掛かった。

 そして、白狐がそんなことを聞いてきた意図を知った。


 霊視の結果、想定どおり、僕の弟…晶には母と同様に多種多様な情報生命体の感染が確認された訳だが、その中に母のケースでは見受けられなかった異色な情報生命体の存在が確認された。


 「何だこれ…情報パターンが晶に似ている。まさか…これは弟の生霊…ドッペルですか?!」


 「はい。彼も貴方と同じです」


 どうやら、弟は僕の死後にドッペルを生み出してしまっていたらしい…。ドッペルの生成と維持には私生活や人生に影響が出るほどの莫大なMPを消費する。さらに質の悪いことに、このドッペルにはどうやら本体を攻撃する性質があるようだ…。詳しい理由は分からないが、少なくとも現在、弟は自虐的な思考に陥っていて自分を自分で呪っている状態と言える。

 

 その一因には僕の死が含まれているのだろうか…?


 ドッペルと本体を結界で切り離してしまうことも、ドッペルを破壊することも可能であれば避けたい。できれば本体に戻って欲しい。だが、それが簡単にできるのであれば僕自身も自分のドッペルを回収するのに苦労していない…。白狐は声をかけてやれと言ったが、何て声をかけたらいいんだよ…。


 愚かな兄の言葉が届くとも思えなかったが、とりあえずオッサンを屠った要領で弟のドッペルをハッキングし、僕の姿と声を一時的に知覚させてみることにした。


 「晶」

 

 弟の名前を呼んだ瞬間、ドッペルは本体を傷つけていた手をピタリと止め、ゆっくりとこちらを振り返った。どうやら、ハッキングに成功したみたいだ…。

  

 「…兄…貴?兄貴なのか?…本当に?」 


 「ああ」


 弟の声を聞いた僕は、無意識に呆然と眼前に立ち尽くしたドッペルに歩み寄り、思わず肩を抱き寄せていた。そうだった…。こいつは云わば、受け入れがたい苦難から本体を守るために弟が創り出した哀れな分身…僕の家族なのだ。絶対に放っておける訳が無かった。


 「晶、ごめんな。お前に悲しい想いばかりさせて…苦労ばかりかけて…お前が辛い時に何もしてやれなくて…本当にすまない」


 「……何で…謝るんだよ…兄貴は何も悪くないだろ」


 「すまん…あ、いや、そうだな…。そういえば、お前が兄ちゃんのために辛いことも我慢して頑張ってくれていたの、ずっと上から見てたぞ。本当に、色々ありがとうな」


 僕の死後、弟は人前で泣く事も取り乱すことも無く、仕事を休むことも自暴自棄になることも無く、全ての痛みを一身に受け入れて淡々と事後処理に当たってくれていた。言わずもがな、それは僕と弟の関係が希薄なものだったからじゃない。


 弟は幼い頃から未熟な僕を兄として何時も慕ってくれていた…。最近まで、よく一緒に実家の狭い風呂に入っていたし、色んな場所に遊びに行ったりもしていた。誰にも話せないような悩み事も僕にだけは打ち明けてくれた。弟という建前以上に、本音でぶつかり合える貴重な存在だった。


 そんな最愛の弟が、僕を失って傷付いていないはずが無かった。

 ドッペルを生み出さざるを得ないほど、人知れず心を殺して耐えてきたんだろう…。


 にもかかわらず、僕は一体何をやっているんだ…。


 「晶。兄ちゃんもう逃げないから…。消えて無くなったりしないから安心して欲しい。詳しい事は話せないけれど、海外に移住したようなものだと思ってくれればいい。テレビ電話のような便利な連絡手段は制限されているけれど、晶の心は常に兄ちゃんと繋がっているし、実際、それを励みに兄ちゃんはこっちでもなんとか頑張って生きることができてる…。だから…晶にはこれからも兄ちゃんと一緒に生きて欲しい。できれば使命と天寿を全うして、また兄ちゃんの弟として一緒に生まれ変わって欲しい」


 「…なんだよ…兄貴はいつも勝手だな…」

 

 「すまん。今はネタバレができないけれど、お前がこっち側に来た時に全部話すから…。生きてりゃ痛いことも面倒なことも沢山あるけどさ…そういうのを我慢してでもお釣がくるほど価値のあるものが、頑張って生きてりゃ得られるはずだから。お前がこんな世界をわざわざ選んで生まれた理由がいつか分かる時がくるから。兄ちゃんの言葉を信じて前向きに生きて欲しい」


 「…難しいけど…兄貴がそういうなら…善処してみるよ…」


 「そうか…流石は僕の自慢の弟だな。いつも傍で見守ってる…。また、会おうな」


 「え?!兄貴もう行くのかよ!?ちょっと待てよ!!」


 確かに、もう少しくらいは話していたかったが、僕は弟の意識から格好良く情緒的にフェードアウトした。弟のソリッドステートに長時間負担を強いるのは良くないし、あれ以上話していたら禁則次項をネタバレしてしまう可能性もあった…というのは建前で、実際には弟の前で兄の涙は見せたくなかった。


 「…勝手なことばっかり言って帰りやがって…何にも面白くねえよ…馬鹿兄貴…」


 そう苦言を呈した弟のドッペルは、その日、弟の本体へと無事融合した。





 「未熟な情報生命の思考回路は短絡的で盲目的な結論を導きがちですが、それを放置すればシステム内が破滅的な状況に陥ってしまいます。故に、私達は当該仮想情報空間で定期的にディープラーニングを実施して新しい情報を学び得たり、失念していた情報を思い出したり、既存の思考回路のズレについて較正を行っています。例え上級者であっても、頭の中の物差しは人類の計測機器と似たようなもので、細目に定期較正しなければ環境変化の影響を受けて次第にズレていくものなのです。貴方は物質世界で生を受ける際、そこでしか得られない貴重な情報を持ち帰ること、失念していた情報を思い出すこと、既存の思考回路の較正を行うこと、そのために必要な痛みを受け入れることを少なくとも選んでいます。そして、貴方はそれらの目的の半分くらいは達成しているようです」


 「半分…?!そうなのでしょうか…」


 「自分が陥っている悪循環の仕組みを少しでも理解できたことや、弟さんのドッペルを説得できたことがその証でしょう。貴方には一の物事から五の学びを得る事ができる賢さがあります。だから、人生における良い出来事も悪い出来事も、取るに足らない出来事さえも然程無駄にはしてこなかった。良くも悪くも思考を停止しない弱さと強さを持っていた。それ故に、生きた時間が他者より短くとも目標達成度を稼ぐことができたのでしょう。そこまで自分を卑下しなくてもよいと思います」


 僕は未だに自分で自分のことがよく分からない…

 素直に喜べるはずも無い…

 

 それでも、弟の手前、人生の不都合に負けて消滅を願い続けてはいられないのは確かだった。

 その日、僕は改めて必要な痛みや面倒は甘んじて受け入れて生き続けることを決めた。


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