Episode 45. 除霊
実際に、僕が母と弟の霊視に漕ぎ着くことができたのは修行を始めてから数日後のことだった。最近、修行三昧なせいだろうか…霊体といえども流石に疲労を感じている…。
自分のように怠惰な人間でさえ異常事態に追い込まれれば何かを守るために必死になれるもので、物質世界で生きていた頃より今の方がよっぽど頑張って生きているように思う時もある。生前、死んだ方が楽になれそうな事も色々経験してきたが、少なくとも今は死ねば楽になれるなんて淡い幻想を抱いていた頃が懐かしい…。
まぁ、きっと僕は何処に行っても其処より楽に存在できる安地を探し続けるんだろうが…。
さて、本題に入ろう。先ず、僕が今回習得した霊視能力についての概要としては、僕を中心とする半径約500m程度の範囲に存在するステルス階層レベル5以下の情報生命体に関して、相手にほぼ感づかれることなく可視化ないし座標検知が可能になった。
ついでに、PCのウイルス対策ソフトにも似た要領で、検知した存在の危険度やカルマ値を数値化したりアカウント情報を読み取ることもできるようになった。
何のこっちゃだろうが今回もイメージしやすい例えがある。彼の伝説的なバトルアクション漫画では、念能力と呼ばれる概念が採用されており、自身のオーラを一定範囲に展開してオーラに触れたものをレーダー的に検知する「円」とよばれる技があった。
今回、僕が習得した霊視手法にはオーラのような物理的な媒介は存在せず、当該仮想情報空間を舞台裏で構築しているソリッドステートと量子もつれ的情報伝達機構の中だけで完結する仕組みになっているが、術式の効果だけをみれば円に類似していると言える。
なお、白狐曰く、さらに練度を高めれば検知した対象をハッキングして記憶情報を読み取ったり、相手に誤情報を植え付けたり記憶情報を削除することもできるらしい。
以前、朝霧が収集していた奇譚の中に、人間の記憶を盗み見て相手の弱みに最も浸け込みやすい姿に化ける妖怪やら幽霊やらの話を聞いたことがあった。当時、どのような原理で相手の記憶を盗み見たり、相手を化かす姿にトランスフォームできるのか全く見当がつかなかったので、理系の僕は半信半疑で朝霧の話を聞いていたが、この世界が情報空間ということであれば話は早い。
情報世界は本当に何でもアリだな…。
「道理に基づき秩序立てられた社会集団を形成できない利己的な集団内において、不特定多数の相手に検知され得る無防備な状態がどれだけ危ういことか…少しは実感が持てたでしょうか?」
白狐の言葉はいつも意味深だ。
当該仮想情報空間の創造主は、迷える子羊達の成熟を促し、道理に基づき秩序立てられた情報社会を目指しているのだろうが、残念なことに此岸世界には道理の重要性を理解し遵守できるほど成熟した知的情報生命体は少ない。故に、ソウルソサエティも護廷十三隊も存在し得ない…。
相手に居場所がバレれば、何をされたかわかったもんじゃない。
また、白狐曰く、たとえセキュリティ対策を強化して相手に検知され難い状態を維持していても、不用心に術式を発動することで直接間接に相手に検知されてしまう可能性も多々あるらしい。つまり、ややこしい話だが霊視の手法は一つではないということだ。
よくある事例を挙げると、弱者のフリをした格上の情報生命体の誘いに引っかかり相手をカモろうとしてハッキングをかけたら逆に検知されてカモられてしまったり、、、親しい間柄の生者に自分の存在を気付いてもらうために種々の術式でアプローチをかけたら当該生者に格上の情報生命体が寄生していて酷い目に遭わされてしまったり等々…。
家族や友人から夢でもいいから出てこいと毎日のようにせがまれている僕としても当該事例は無関係ではないと思った。母や弟がデコイとして用いられている可能性が排除できない以上、彼らの夢に顔を出すことでさえノーリスクではないということは重々心得ておかなければならないだろう…。
さて…前置きが長くなったが、ようやく習得した術式の実践へと入る。
先ず手始めとして母親の霊視を試みた。
術式を発動すると、黒い小さな影のようなものが体内に数体…体外に十数体…あとは…昆虫のような…軟体生物のような…微生物のような…人ならざる形をした大小様々な「ナニカ」がちらほら確認できた。
何とも形容し難い異形を成したナニカに関しては、例えるなら、彼の伝説的伝奇漫画に登場する「蟲」を彷彿とさせる…。白狐曰く、それらは当該情報空間の最初期にXから当該仮想情報空間の物理補正とメンテナンスを任された王神の一柱…陽皇国において龍王として位置付けられる龍神が生み出した無数の分霊の端くれ、つまりは下位の精霊だそうだ。
「下位」とはいえど精霊は精霊。人間の疑似情報体の情報処理能力でこれらを検出することは簡単ではないらしく、僕は白狐からお褒めの言葉を賜った。
問題は残りの黒い影についてだが、これらは人間の疑似情報体…つまりは僕と同じ立ち位置の者が母親のアバターを介してエネルギー情報を盗み得ている絵面ということになるだろうか。
「弱者に集るとは不快極まりない…。卑怯者どもが…」
全霊の力で攻性防壁ならぬ攻性結界を展開しかけたが、白狐に待ったをかけられた。
「心中お察ししますが、一旦落ち着いてください。彼等の素性や宿主との関係を知らぬまま、外観だけで物事を判断して安易に手を加えれば、貴方自身にも予期せぬ因果が降りかかることになりますよ」
彼女は自らの言葉を噛み砕いて語ってくれた。
当該仮想情報空間内において、道理に則った正当な理由ないし代償も無く生者のエネルギー情報を勝手に盗むことは大罪であり、逸脱者からの加害を拒むことは大切な存在や集団内の秩序を守るための正当な防衛の範疇として許容され得る。
逆に言えば、相手の行為に正当な理由が伴っていたり、正当な対価を支払っているような場合においては、両者の関係は単なる加害者と被害者の構図ではなくなる。
例えば、過去の一方的な加害に対する復讐のための加害、魔術的な契約に基づく等価交換、過去に売った恩義の回収などは一概に罪とは断じることができない典型例と言えるだろう。
まぁ…確かに…因果応報の法則を学んでいる最中の生者に対し、死人である僕が安直に救いの手を出して生者のプレイングの意義や経験を損なってしまっては意味が無いというのも解る…。
そして実際、白狐の力を借りて母のアバターの外部にいた十数体の黒い影の経歴をスキャンした結果、約半数は母と血縁関係にある先祖霊だった。どうやら、エネルギー情報が極端に不足している者、知識や信念が不足している者、彼岸に渡ることを躊躇っている者、死んだことを受け入れられない者等々…。
皆、それぞれの理由で此岸に留まり母のアバターに身を寄せている。
先祖霊の中には苛烈極まりない戦争を経験している者など、仮に同じ立場なら簡単には成仏できないであろうやむを得ない背景を背負っている者も少なくなかった。母も自分も彼らには恩がある。ろくに先祖供養もしてこなかった自分には彼らの行為を一方的に咎める資格は無い…。
僕の早とちりを止めてくれた白狐に僕は感謝した。
僕は正直、利己的で傲慢な人間という生き物がそれほど好きじゃない…。これまでの経験則に基づく偏見でもって、目につきやすい相手の良くない部分を減点法で簡易的に評価してしまいがちだ。カルマ値や危険度等々が数値化される術式が使えるならなおさらだろう。だが実際、相手の全体像を把握できなければ減点を行おうにも当該ポイントがマイナス何点に相当するのか算出できない。
時間的な余裕、経済的な余裕、心身的な余裕がなければ相手を深堀することは難しい事かもしれないが、可能な範囲で相手を知ろうとすることがベターなんだろう。場合によっては、初見で-10点と採点したポイントが全体像を把握するにつれて-0.1点になっていた、なんてことも実際あるかもしれないのだから気を付けるに越したことは無い…。
なお、先祖の中には自分達を準守護霊的な立ち位置と心得てか、母に微力を貸している者もいた。その気になれば成仏できそうなレベルだが、母を守ることを自らに課した使命として此岸に残り続けている。彼等も線引き次第では守護霊と呼べるのかもしれないな…。
とりあえず、僕はステルスの一部を解除して彼らに接触し、事情を説明した上でこれまでの恩返しとして先祖供養の祈りと感謝を捧げさせてもらった。詳細は機会があれば追々整理しようと思うが、必要最低限の情報とエネルギー情報を得た祖先は、そろそろ潮時だろうということで皆彼岸へと渡っていった。
これが俗に言う「浄霊」というやつなのだろうか…。
何はともあれ、皆、話の分かる人達で助かった。
感謝とリスペクトの姿勢が彼らの心を動かしたのかもしれないが…。
さて、問題は残りの影についてだが、肉体アバターの内部に入り込んでいる者達に関しては情状酌量の余地なく悪質性の高いプレイヤーと評価できる。肉体アバターのセキュリティに穴をあけて入り込み、アバターの構成要素の一部…例えば臓器等の情報機能を乗っ取ることにより肉体という防御壁に守られながら効率的にエネルギーを搾取できる準憑依状態を形成している…。
アバターの外部に憑いている影達についても、血縁関係の無い赤の他人であり、単に肉体アバターのセキュリティを突破できるだけの力が無いために外部から隙をついてはエネルギー情報を搾取しているような状態だった。母が憔悴してセキュリティ機能が落ち続ければ、これらがアバター内に入り込むのも時間の問題だろう。
正直、今直ぐにでも全員ぶち〇したいところだったが、僕には先の事例で学び得た教訓がある。逸る気持ちを落ち着かせ、先ずは白狐の力も借りながら相手を知ることに徹してみた。
だがまぁ、結果は予想どおりのものだった。
彼らの大半は生前から無自覚に悪事を働いてきた者達で、死後も生前と同様の思考回路で悪事を働き続けているようだった。人の心など疾うに持ち合わせていない…カルマ値や危険度を算出しても高い数値を示している…。
少し気になったのは、アバターの外部に憑いていた影の一体だけ異色を放っており、そいつは他の有象無象と比べてカルマ値や危険度が明らかに低い。生前の経歴を見ると、どうやら自殺者らしかった…。
ルールを無視して力をかき集める者は侮れないが、因果的に見て母から強制的に引きはがしても問題なさそうなので、とりあえず攻性結界によるフィルター除去を試みた。術式を発動してから間もなくアバターの内外に集っていた黒い影達がヨロヨロと結界の外に弾き出された。
これが俗に言う「除霊」というやつなのだろうか…。
なんだろう…除菌みたいなもんだな…。
そんなことを思いながら状況を観察していると、結界の外に追いやられた黒い影の一体が人間の形態を成し、罵声を浴びせながらこちらに迫ってきた。どうやら、こちらを検知できる何らかの手段を持っているらしい…。格上の相手かもしれないが、僕の結界で易々と叩き出されたところを考慮すると断定はできない。
「おいクソガキ!よくもやってくれたな。俺を誰だと思っている?タダで済むと思うなよ?」
リーダー格らしき黒い影が典型的な死亡フラグを立てながら凄んできた。
「衰弱した母親に手を出されて見過ごせる訳が無いでしょう。あなた達がこれまで行ってきた行為は道理を逸している。まさに鬼畜の所業だ。それを拒んで文句を言われる筋合いは無い」
「はぁ?俺はこいつが毎日死にたがっていたから手を貸してやっただけだ。そもそも、お前の道理なんて知らねぇよ。お前がお前の道理を俺に押し付けるなら、俺の道理から逸脱したお前が俺に地獄を見せられても文句は言えねぇよなぁ?」
「俺の道理?ああ…なるほど…失礼。道理の意味すら知らないとは驚いた…馬鹿に付ける薬は無いとはこのことだな。さっさと失せろ」
僕の吐き捨てた言葉にブチ切れた相手が間髪を入れず殴りかかってきた。
斯く言う僕も完全にブチ切れていたので、この後の展開は断片的にしか覚えていないのだが、白狐曰く、どうやら地獄を見せたのは僕の方だったらしい。
殴りかかってきた相手が僕の防御結界にトラップされた瞬間、僕はどうやってか防御結界の性質を攻性に変化させて相手のセキュリティを浸食し、情報機能のハッキングに成功した。
その流れで、相手が生存戦略として各地に散らばせていた全ての分霊の情報機能をも掌握。分霊を潰した後、相手のエネルギー情報をギリギリまで削ぎ取ってからその辺に適当に放逐した…。
「驚きましたね…。生存競争の激しい此岸世界において、あそこまで力を削ぎ取られてしまっては二度と同じ力量に返り咲くことは難しいでしょうし、長くは持たないでしょう…。ハッキングの方法まではまだ教えていないというのに、一体どうやったのやら…」
僕自身もよく分からないが…僕が崇拝する彼の伝説的魔法ファンタジー漫画の主人公のエルフ曰く、魔法はイメージが重要だと言っていた。プログラムの構築もイメージが重要で魔法と通じるところがある。正直、妄想なら誰にも負けない自信がある。
そういえば、あいつは俺の道理がどうだとか言っていた…。
答えなんてないのだから、俺のルールは俺で決める的なスタンスの人間だったのだろうか…。答えの定義にも依るのだろうが、僕の考えとしては物事の因果関係を深く掘り下げていけばおのずと普遍的な道理や物差しは導き出せるように思う。実際、社会秩序の基盤を成す倫理や道徳、法律、宗教観の一部などはそのような因果の研究から生み出されている。
そのような探求は当該仮想情報空間をプレイングする意義の一つでもあるわけだが、彼らはそのような探求を完全に放棄しているように見えた…。僕も生前には社会に多くの不満を抱いていたが、秩序に甘んじて犯罪を犯すような人間にはなりたくないものだな…。
そんなこんなありながらも、母のセキュリティ対策が無事に終了し、僕は続いて弟の霊視とセキュリティ対策へと取り掛かった。